成長の歩み
頭が割れるように痛い。 古代語の意味もろくに理解しないまま、勢いで雷撃魔法なんてブッ放した罰だ。
板張りの床に突っ伏したまま、俺は薄く目を開けて歯を食いしばる。動けない。 二歳のちんちくりんな肉体は、完全に漏電のショックで麻痺していた。
「テオ……っ!?」
這いずり出ようともがく暇もなく、轟音と共に部屋の扉が蹴破られた。 親父だ。あの超絶イケメンの顔面を汗と鼻水でグシャグシャにし、血相を変えて飛び込んできた。
「テオ! テオォォッ!!」
続いて母親のミレルが悲鳴を上げながら滑り込んできて、俺の横に膝をつくや否や、必死の形相で治癒呪文を紡ぎ始めた。
言葉の意味自体はだいぶ聞き取れるようになっていたが、頭痛があまりに酷すぎて耳の奥がキーンと鳴るばかり。
あ、ダメだこれ。 俺の意識は、そこでプツリと途切れた。
あの「放電事故」から一週間が経過した。
両親は、俺がどこからあんな上級魔導書を引っ張り出してきたのかと頭を抱えていた。
正直、真相を知っている俺としては申し訳なさでいっぱいだ。字の読めないメイドたちが、俺の乳繰り……ゲフン、ベビーベッドの周りをうろつくたびに胸を揉みしだこうとするセクハラ行為に業を煮やし、「これで大人しくしてろ」と書斎から適当に持ってきた本だったのだから。
まあ、彼女たちの作戦は成功した。揉むのはやめた。 ただ、幼児に手榴弾を持たせるような大ポカをやらかしただけで。
不幸中の幸いだったのは、俺が開いたページが特定属性の「実験的術式」――要するに、そのランク帯における一番低出力の基礎魔法だったことだ。
それでも、母親のミレルは青ざめた顔で一時間近くも治癒魔法をかけ続けなければならなかった。
結果として命に別状はなかったが、代償として下顎から口元にかけて、うっすらと斜めの傷跡が残ってしまった。
マジで痛かったんだぞ、あれ……。
この一件の後、俺専属の教育係として「エステル」というメイドがつけられた。
読み書きができ、初歩的な魔術の心得もある才女だ。だが、親父が彼女を選んだ真の採用基準は明白だった。
胸だ。圧倒的な「無」。エステルは見事なまでのまな板だった。 スケベな赤ん坊が触ろうにも、そこには物理的な突起が存在しない。完璧な防犯対策である。
まあ冗談はさておき、彼女は危険な本を没収し、初心者向けの教本を片手に、二度と自爆しないよう魔術の基礎を叩き込んでくれるようになった。
エステルの講義によると、この世界の魔法は定番のランク分けがされているらしい。 下からD、C、B、A、そして伝説級のS、SS。
最初は「ブラウザゲーの設定かよ」と鼻で笑ったが、すぐに理解した。
ランクとは単なる破壊力ではなく、制御の難易度と暴走リスクの指標なのだ。俺があの日やらかしたのは、まさかの中級・Cランク魔法。魔力量自体は足りていても、二歳児のコントロール力で扱える代物じゃなかったのだ。
イメージと魔力操作の反復練習を重ね、俺はようやく感覚を掴み始めた。
「――『火球』!」
指先に、バチバチと音を立てる橙色の火の玉が灯る。安定していて、揺らぎもない。
「お見事です、テオ坊ちゃん」
エステルが控えめに拍手を送る。 修行の中で気づいた最大の収穫は、母親のようなクソ長ったらしい詠唱を唱える必要がないということだった。
頭の中で魔法の物理現象――熱の圧縮と球体化――を明確にイメージできれば、魔力を流し込みながら術式名(スキル名)を口にするだけで発動する。
オタク知識とアニメの見すぎも、異世界では立派なチートスキルになるらしい。
夕食の時間。 中世風の飯は、思っていたよりもずっと美味い。最初は独特の獣臭さに戸惑ったが、今じゃすっかり胃袋を掴まれていた。
今夜のメインディッシュは、親父が森で仕留めてきた巨大なイノシシ肉だ。
そう、ここの領主様は、あのモデル顔のくせに自分で森に入って獲物を狩ってこないと食卓が潤わないタイプの野生派貴族なのだ。
ジャンクフードや化学調味料まみれの味が恋しくないと言えば嘘になるが、これはこれで悪くない。
ただ、どうしても諦めきれないのはパソコンだ。指先から火を出せるようになったところで、アニメやソシャゲへの未練が消えるわけじゃないのだから。
翌朝、俺は自分に課した宿題に取り掛かった。 地理と歴史の本を引っ張り出し、世界の解像度を上げる作業だ。
直近百年ほどの歴史は、貴族同士のしょーもない縄張り争いばかりで退屈極まりない。即行で読み飛ばし、神話の時代へ遡る。
……ほう。この世界、思っていた以上にファンタジーしてるじゃねえの。
本には実在する神々や規格外の化け物の名が記されていた。 北方帝国に座す古竜『コルデリウス』。 そして、かつて世界を救ったとされる伝説の『聖勇者アルデバラン』。
詳しい功績までは書かれていなかったが、そんなヤバい連中が同じ空の下にいると知るだけで、男心がゾクゾクと疼いてくる。
地理に関しては、俺たちが住んでいるのは大陸北東部に位置する『レイナ王国』の南東の端っこらしい。 手描きの雑な地図だったが、重要な情報は読み取れた。
どの街も村も、例外なく鬱蒼とした原生林に呑まれるように囲まれている。近くに大きな川も湖も見当たらない。
なるほどな。ここは大規模農業で食ってる土地じゃない。特産の高級木材を切り出して外海へ流す、林業で成り立っている領地というわけだ。
昼下がり、お待ちかねの魔法訓練の時間。 エステルがより高度な魔力制御について講釈を垂れてくる。
二十分の長話を三秒で要約するなら――「自然界の物理現象を魔力で模倣しろ」ということだった。
中世レベルの感覚論で語るエステルの説明は要領を得なかったが、前世の高校レベルの物理知識を持つ俺には、パズルのピースがハマるように理解できた。
現代物理の理論を魔力操作に組み込むことで、俺のコントロール精度は跳ね上がった。一滴の魔力も無駄にせず、出力を自在にアジャストできるようになったのだ。
「どうされましたか、テオ坊ちゃん?」 庭の芝生に大の字で倒れ込んだ俺を見て、エステルが声をかけてくる。 「あー……魔力、完全にスッカラカンだわ」
「本当ですか!? よしっ!」
隠しきれない歓喜の声が、彼女の口から漏れ出た。
どうやらエステルは、俺の底なしの魔力量にずっと嫉妬と劣等感を抱いていたらしい。執事の立ち話によると、彼女は俺が生まれるまで「村一番の神童」と持て囃されていたそうだ。それが、ぽっと出の二歳児に軽々と抜かれたのだから心中お察しする。
それ以来、週に二回、庭で俺の魔力が尽きるまで巨大な『水球』を維持させるのが彼女の日課となった。
前回の訓練じゃ、裏庭の納屋を丸ごと飲み込むほどの水塊を作り出してやった。前世のワンルームマンションより余裕でデカい。
魔法を鍛え、美味い肉を食い、歴史を貪り、たまに小騒動を起こす。 絵に描いたようなルーティンワークだ。
だけどよ……オフィスに十時間軟禁されて、上司の怒号に怯えながら電卓を叩く毎日に比べりゃ、天国以外の何物でもない。
誰だか知らんが、俺をここに放り込んでくれた奴……マジでサンキューな。




