鉱山探検
さらに半日の過酷な登攀を経て、立ち込める黒煙と鼻を突く硫黄の匂いが目的地への到着を告げた。
『バルク鉱山キャンプ』。
山の岩肌を強引に削り取って築かれた、無骨極まりない前線採掘場だ。花咲くのどかな村とは対極の、煤に塗れた男たちの世界。分厚い天幕、鉄骨で補強された黒木造りの倉庫、そして大型のツルハシを担いだ屈強な鉱夫たちが忙しなく行き交っている。
「着いたよ、坊や」 ヴェラは旅装束の襟元を引っ張り、煤煙の粉塵を払いながら言った。
「アタシから離れるんじゃないよ。半年も女っ気のない山奥で穴掘りしてる連中は、見境がなくなってっからね」
案の定、すれ違う鉱夫たちの視線が突き刺さるように集まってくる。ヴェラの露わな胸元や太ももを舐め回すように見つめては、背中のあの凶悪な黒鉄の大剣に気づいて慌てて目を逸らす。そして次に、彼女の隣を歩く七歳の子供を見て怪訝そうに眉をひそめるのだ。『なんでこんなドスケベ美女が、ガキ連れで鉱山なんかに?』と。
俺たちは現場監督の大型バラックへと足を踏み入れた。
粗削りなオーク材のデスクの上に広げられた鉱山地図。その向こうに、依頼主が鎮座していた。
岩石の塊のような筋骨隆々の体躯、編み込まれた赤髭、そして無数の火傷痕が刻まれた浅黒い腕。
「待ちくたびれたぜ、傭兵ども」 男は土パイプから苦い紫煙を吐き出しながら吐き捨てた。
「俺が現場監督のダゴベルトだ。あんたがヴェイン家のヴェラだな。……で、その隣のチビはなんだ?
マスコットの荷物持ちか?」
「アタシの魔術支援役さ、ダゴベルト。次にその減らない口で坊やを愚弄したら、そのパイプを喉笛の奥深くまで突っ込んでやるよ?」
ヴェラの声の温度が氷点下まで下がった。
屈強な男がギョッとして煙を喉に詰まらせ、激しく咳き込む。
「ゴホッ、ゲホッ……冗談がきついぜ、姐さん。仕事の話をしよう」
ダゴベルトは地図の上に太い指を叩きつけた。第三層の坑道だ。
「三日前、うちの野郎どもが黒鉄の鉱脈を採掘中に壁をブチ抜いちまった。未踏の天然洞窟と繋がっちまったんだよ。穴を塞ぐ間もなく、暗闇から這い出てきたバケモノに襲われた。作業員が三人引きずり込まれた。……あそこは今、**『巌殻蠍』**の巣窟になっちまってる」
監督は鋭い眼光で俺たちを睨みつけた。
「坑道の中の連中を皆殺しにして構わねえ。だがな、これだけは絶対に肝に銘じろ。**『火気は厳禁』**だ。第三層には高濃度の可燃性メタンガスが溜まってやがる上に、支柱も古い。そのガキが教科書通りの派手な爆炎魔法なんぞ一発でも撃ち込んでみろ、山全体が落盤して俺たち全員ミンチ肉の缶詰だ」
喉がカラカラに鳴った。
さよなら、火炎渦。
俺の最大の火力、あのすべてを灰にする切り札が完全に封じられた。 頼れるのは小刀の受け流し、身体強化、そして最近ようやく形になってきた苦手属性の精密操作だけだ。
「了解したよ」 ヴェラは大剣の柄を背中で鳴らした。 「降りるよ、テオ」
第三層の坑道は、閉所恐怖症の人間なら発狂しそうな暗がりだった。
冷え切った湿気、濡れた土と腐敗の匂い。
二十メートルごとに木製の支柱に括り付けられた、淡く青白く光る鉱石だけが頼りの視界だ。天井が低すぎて、ヴェラの大剣ですら斜めに構えなければ岩肌をガリガリと削ってしまう。
「ここは横薙ぎが使えないね」 ヴェラは巨剣を両手で前方に構え、衝角のように盾にして進む。 「突進と突きの一点突破しかできないよ」
「側面は俺がカバーする」 俺は腰からハンティングナイフを引き抜き、四肢の筋肉へと微細な魔力を巡らせた。
カチ……カチカチカチッ……。
暗闇の奥から、無数の硬質な爪が岩肌を削る不快な音が響いてきた。
天井に張り付いていた三つの黒い影が、蠢きながら姿を現す。 ――巌殻蠍。
子馬ほどもある巨大な体躯に、黒い花崗岩のような分厚い甲殻。
ジャキジャキと打ち鳴らされる凶悪な巨大鋏、そして頭上高く反り返った尾の先には、短剣サイズの毒針が滴っていた。緑色の強酸性の毒液が床に落ち、ジュウと煙を上げて石を溶かす。
先頭の一頭が、天井からヴェラの頭上へとダイブしてきた!
ガキィィィンッ!!
ヴェラは巨剣の刀身を真上に掲げて受け止めた。金属火花が暗闇に散る。
彼女は奥歯を噛みしめ、ブーツを泥にめり込ませながら、怪物の顔面に強烈な頭突きをブチ込んで弾き返した。
「甲殻の隙間を狙いな、テオッ!」
二頭目の蠍がヴェラを無視し、横壁を這い回って俺へと突進してきた。 石の化け物とは思えない異常なスピード。左の巨大鋏が、俺の首を刈り取ろうと水平に振り抜かれる!
三秒。
昨日の訓練の記憶が脳裏を走る。
パニックをねじ伏せ、膝を落とした。鋏が鼻先数センチをかすめて空を切る。右手のナイフの腹を敵の関節の外側へと滑り込ませ、直撃のベクトルを斜め下へと弾き落とした。
ガキンッ! 怪物の鋏が地面に突き刺さり、一瞬だけ動きが止まる。
俺のターンだ。
火は使えない。雷の拡散も駄目だ。 必要なのは、ゼロ距離での一点突破。
左手を、怪物の前脚と胴体の繋ぎ目――最も柔らかい関節の皮膚へと叩きつけた。
「――『岩槍』!!」
怪物の直下の地面が、魔力によって鋭利な円錐状の岩となって突き出た。 下から上へと撃ち出された岩の槍が、蠍の柔らかい腹部を容赦無く刺し貫く!
メキメキィッ!!
黄色い体液を撒き散らしながら、怪物は串刺しになって絶命した。
「やるじゃないか、坊や!」 ヴェラが一撃の突きで最初の一頭の頭部を粉砕し、壁へと縫い止めた。 最後の一頭が闇へ逃げ込もうとしたが、俺は右の人差し指を伸ばした。
「――『放電』」
拡散させず、針のように細く凝縮した青白い閃光が、怪物の複眼を撃ち抜いた。 空気を引火させることなく、脳を直接ショートさせる。三頭目の巨体がドサリと崩れ落ちた。
静寂が戻る。 手のひらが汗で湿っていた。大火力のゴリ押しじゃない、極限の精密操作の疲労感が心地よかった。
ヴェラは油布で刃の毒液を拭い、満足そうに口端を吊り上げた。
「受け流して、間合いを潰して、土の近接でトドメかい。……合格だよ、テオ。ジェロームの爺さんが見たら泣いて喜ぶ動きだね」
一時間後。 俺たちが土魔法で岩壁を修復し、洞窟への侵入路を完全に封鎖して地上へ戻ると、鉱夫たちは目を丸くして出迎えた。
三本の切り落とした毒針を放り投げると、ダゴベルトは豪快に笑い声を上げた。
「先祖の髭にかけて……! 本当に無傷で片付けやがった! あんたら最高にイカれた傭兵だよ!」
彼はヴェラにずっしりと重い報酬袋を手渡すと、鉱山の奥へと手招きした。
「契約通り、今夜はうちの最高の部屋を使え。それとだ……東区画の作業はとっくに終わってる。うちの『最高の宝』を、お二人さんに貸し切りにしてやるよ」
「宝……?」 顔の煤を拭いながら首を傾げた。
ダゴベルトが開け放った分厚い木扉の向こう――松明の灯りに照らされた洞窟の中に、それはあった。
立ち込める、温かい湯気。
自然の火山岩をくり抜いて作られた、澄み渡る天然の岩風呂。地下深くのマグマの熱脈によって温められた温泉が、エメラルドグリーンの光を湛えて波打っていた。
ヴェラが骨抜きになったような長いため息を吐いた。
「毒塗れの坑道を這い回った後に、天然の温泉かい……? ダゴベルト、あんた神様に見えるよ」
彼女は悪びれもせず、その場で旅ジャケットの革ベルトを外し、上着を脱ぎ捨て始めた。
俺の足が、ピタリと止まった。 七歳児の目が点になり、中身の三十一歳の理性がけたたましい警報を鳴らし始める。
……ちょ、待て待て待て。 密室の洞窟? 湯気立つ温泉が、一つだけ?
そして、俺をただの無害なクソガキだと思い込んで、当たり前のように脱ぎ始めている極上美女……!?
ゴクリと、生唾を飲み込む音が静かな洞窟に響いた。
巨大蠍との死闘なんて……今日の本当の試練の前座に過ぎなかったらしい。




