462 押しによわいお狐さん
「――明日から、教会の敷地内なら自由に活動してよいそうです。これで、またお散歩に行ったり、本格的なリハビリができますね」
イナリの寝支度を整えていたエリスが手を合わせ、笑顔で告げた。
「同時に、私も神官としての業務に戻るよう指示があり……こうして一緒に過ごす時間は減ってしまうことになります」
「それは残念じゃの」
すっかりエリスと一緒にこの一室で暮らす日々に慣れてしまったものだ。今後、寂しさの穴埋め役はもちまるが務めることになるだろう。
「それに、また前のように、私やガーディさん以外の世話役が来る可能性があります。気を付けてくださいね」
「うむ、わかっておる」
「……気を付けるというのは、命だけの話ではないですよ?」
「……うむ。勘違いさせるような言動もしないよう、気を付けるのじゃ」
イナリは頬をつつかれながら返した。次にまた女性関係で揉め事を起こしたら、その時はエリスの手で、イナリの神生に終止符が打たれることになるだろう。
……ただ、気を付けるとは言ったが、無自覚な言動で誤解を招いたのに何を注意したらいいのだろうか。ずっと黙っていたらいいのだろうか。
そんなことを考えているうちに、エリスが毛布を捲ってベッドに潜り込み、イナリに身を寄せる。いつも通りならばこのまま魔力灯を消灯して眠るだけだが、その前に、もう少し話しておきたいことがあった。
「外に出られるのならば、早めに孤児院に行きたいのじゃ」
「孤児院……サニーさんのことが気になるのですか?」
「うむ。しばらく顔を見せておらんからの、きっと寂しい思いをしておるじゃろう」
「なるほど、それはいい考え……いや、危険かもしれません」
「む? 何故じゃ」
深刻な表情で告げるエリスに、イナリも身構える。ラズベリーの報告では特に不穏なことはなかったはずだが、何か見落としていることがあったのだろうか。
「イナリさんの可愛さを前に、幼気な子供たちが心を奪われてしまう可能性があります。それはいずれイナリさんを巡った孤児院内での軋轢を生み、やがて教会全体が混乱の渦に――」
「そんなことになるわけなかろ」
「確かに、私が目を光らせておけばその未来は回避できますね」
「……もう、それでいいのじゃ」
全然会話が噛み合っていないが、とりあえずエリスの中で解決したようなので、一旦この話は解決したことにした。
翌朝。
朝食や着替え、それにランティスやラズベリーからの手紙の確認を終えたところで、イナリは早速孤児院に赴くことにしたのだが――ここで一つ、小さな問題が発生した。
「前までそこにあった車いすはどこじゃ?」
「ああ、あれでしたら聖騎士に押収されましたよ」
「な、何じゃと? まさか、我に対する嫌がらせかや」
「魔力を籠めて加速するのは危険だから、だそうです」
「至極真っ当な理由だったのじゃ」
聖騎士はイナリに対して嫌がらせや陰口ばかり言う陰湿な集団という印象が強かったが、腐っても聖女に仕える精鋭というべきか、仕事は真っ当にこなしているようだ。
……あるいは、あの車いすを口実に、熱でうなされているイナリに追い打ちをかけることもできただろう。流石に聖騎士もそこまで落ちぶれているわけではないらしい。
「今、代わりのものを持ってきますね。それか、抱っこでもいいですよ?」
「代わりを頼むのじゃ」
今のイナリは物理的に若干重いし、そんなみっともない姿でサニーの前に現れたくなかった。
ガタゴト、ギシギシと音を鳴らす、木組みの簡易的な車いすに乗せられ、イナリは孤児院へと赴いた。
振動を吸収する機構が無いせいで振動が尻や腰にかなり効いていたが、尻尾でうまく衝撃を殺して事なきを得た。あるいは、頭の上に陣取っているもちまるを下に敷く手もあったかもしれないが、何だか悪い気がしたのでやめた。
さて、そんなイナリを出迎えたのは、太陽のような笑みを浮かべるサニーの姿であった。
「――お狐さんだっ! 来てくれたの!?」
「うむ。ようやく外に出られるようになっての。元気にしておったか?」
「うんっ! お友達もたくさんできたよ!」
「ほう、そうかそうか」
イナリはおもむろに手を持ち上げてサニーの頭に置き、そっと撫でた。
その間、周囲からいくつかの視線を感じた。
一つはサニーの「お友達」からの視線だ。きっとイナリの耳や尻尾、あるいは頭の上のスライムや車いすが物珍しくて、気になっているのだろう。
それに、遠くから見張っている聖騎士の視線。外出の許可は出たが、未だに何かしでかすのではないかと警戒されているようだ。
そして最後に、何かの勘違いでもなければ――イナリに撫でられるサニーに、羨むような視線を向けるエリス。今度、彼女にもこういうことをしてやった方が良いだろうか。
ともあれ、今意識を注ぐべきは目の前にいる幼き少女、サニーである。
「体調に変わりはないかの?」
「うん! たまに先生が来て、大丈夫だって言ってくれるよ!」
「先生……ウィルディアかの」
イナリの言葉にサニーが頷いた。
「でもね、黒いお狐さんとこわいお狐さんは、全然来てくれないの。なんでかな?」
「ああ……あやつらは多分、色々と忙しくしておるようじゃからのう」
厳密には忙しくしていた、というのが正確だろうか。実際のところ、アースはともかく、イオリに至っては今何をしているのかすら知らない。勇者の仲間という大儀を果たした以上、よい待遇は受けているとは思うが……。
「今度あやつらに会ったら、引きずってでもここに連れて来てやろうぞ」
「うん、絶対だよ! お狐さんは、いつ元気になるの?」
「んー……いつなんじゃろうなぁ……」
厳密なところが分からないし、どころか聖女直々に死の宣告すら受け取っているイナリは、空を仰ぎながら返した。その胸中を察してか、エリスが会話に割って入る。
「まだいつかはわかりません。でも、少しでも早く元気になるために、これから運動をするんですよ」
「そうなの?」
「う、うむ。そうじゃぞ」
運動――つまり「りはびり」をする予定はなかったのだが、これから元気になる意思を見せておいた方がサニーは安心するだろう。イナリはエリスの意図を察して、話を合わせることにした。
ただ、子供の行動というのは予想がつかないものだ。
「じゃあ、わたしも一緒にやる! お狐さんが早く元気になるように、今から!」
「えっ」
イナリの手を握ってぶんぶんと上下に振るサニーを前に、イナリは再びエリスに視線を向けて助けを求めた。
今日はサニーに会ったら、適当に教会内を巡回して帰るつもりだったのだ。つまり、「りはびり」をする心構えは一切できていない。
「そ、そうですねぇ……ええと。イナリさんはお昼ごはんを食べないといけないので、すぐには始められないんですよね」
「それなら、この後ごはん、一緒に食べよっ! ……だめ?」
サニーが上目遣いにイナリを見つめる。その様子はさながら、彼女と初めて出会い、イナリが見なかったことにしようとしたときを彷彿とさせた。
「……よ、よかろう」
「やったぁ! お狐さん大好きっ!」
胸に飛び込んできたサニーをイナリは優しく受け止めた。
ひとまず、サニーの前で生まれたての小鹿の物真似をする心構えをしておく必要がありそうだ。




