459 夜明け前にはいました
そして、イナリは発熱から二日目の朝を迎えた。
隣では、イナリを優しく抱きしめながらエリスが眠っている。窓から差す光は既に明るく、普段エリスが起床する時刻はとうに越していることを示していた。
「やはり、相当無理をさせてしまっておったのう……」
いつも世話になっていることだし、もう少し休ませてあげるとしよう――そう思ったところで、イナリの額に陣取っているもちまるの体に、小さな紙が刺さっていることに気が付いた。
目を凝らすと、そこにはどこか風格のある字体で文章が記されていた。
『お休みのようでしたので、こちらで死の可能性に変化があったか視ておきました。結果、変化なし。どうぞお大事に――ランティス』
「……お主は何というか、本当に色々と便利な身体じゃな」
イナリの言葉に、もちまるが体を捻った。
それから小一時間ほどすると、熟睡していたエリスが小さく声を漏らし、ゆっくりと目を開けた。
「んん……」
「おはようじゃ。よく眠れたようじゃの」
「はい、とても……どうやら、かなり寝過ごしてしまったみたいですね」
「いつもはお主に起こされてばかりじゃからの。偶にはこんな日も必要じゃろう」
イナリが笑みを浮かべると、エリスはイナリの頭を撫でて返した。
「少し熱が下がりましたかね。体調はいかがですか?」
「よくなったと思うのじゃ。じゃが喉が渇いてしまっての……すまぬが、水を飲ませてくれぬか?」
「わかりました、少々お待ちを――あれ?」
毛布を捲り、おもむろに起き上がったエリスが、突如として動きを止めた。
「エリス? どうかしたのかや」
イナリが問いかけるも、エリスは何も返事を返さない。代わりに、手元に板状の結界を展開し、それを丸めて槍に変形させていく。
そしてエリスは立ち上がり、槍先をベッドに向けた。当然、そこにいるのはただ一人、イナリである。
「動かないでくださいね」
「エリス? お主、何を――ひょぁっ!?」
イナリが問い詰めるよりも先に、エリスの槍がベッドに向けて突き立てられた。しかし、その狙いはイナリを外れ、ベッドに使われていた綿や羽が宙に舞う。
「え、エリスよっ。お主、どうしてしまったのじゃ!?」
「チッ、仕留め損ねましたか」
冷たく言い放ち、槍を引き抜いたエリスにイナリが震えながら困惑していると――ベッドの下から、イナリでもエリスでもない、第三者の声が響く。
「――あのさ、いきなり殺意が高すぎやしないかな」
ベッドの下からごそごそと動く音が響いたかと思うと、ローブに身を包んだ、一人の小柄な人物が現れた。
エリスはイナリではなく、この人物に奇襲を仕掛けたのだろう。奇襲とはいえ、普通に怖かったのでもう少しやり方は考えてほしかったが。
「こっちはただ隠れてただけで何もしてないのに。刺さってたら死んでた」
その人物がため息をつきながらぱたぱたと埃を払っている間も、エリスは槍を突きつけ続けている。
「何をしに来たのか言いなさい」
「何って、それは当然、二人に用事があって来たに決まって……もしかして、覚えてない?」
その言葉に、イナリははてと考える。
姿が外套で隠れていて、顔もお面か何かで巧妙に隠されているが……声からして少女だろうか。そういえば以前、似たような人物と相対したことがあったか。
「エリスよ。もしかしてこやつ、エリオットと一緒に居たやつではないかや?」
「というと……確か、ラズベリー、でしたっけ?」
「そう」
イナリ達の言葉を肯定したラズベリーは、槍を突き付けられたまま近くにあった椅子を手繰り寄せて座った。この肝の入りようは、数十秒前に殺されかけた人間のそれではない。
「お宅のエリックとディル、それにリズには世話になった。おかげで牢獄にいる時間は短くて済んだし」
「そういえば、そんな話を聞いたような、聞かなかったような……?」
確か、ディルやエリックがお見舞いに来た時に軽く話を聞いたのだったか。まさか再会するとも思わなかったので殆ど話半分だったのだが。
「ここは教会の敷地です。聖騎士の監視はどうしたのですか? もちまるも気づかなかったようですが」
エリスの言葉に、イナリの頭の傍で右往左往していたもちまるが「いいえ」の文字を叩いた。ひとまず、ラズベリーがもちまるの監視を潜り抜けたのは事実のようだ。
「もちまるってのはよくわからないけど、監視の抜け穴なんていくらでもある。そっちのディルには敵わないけど、こっちだってそれなりの盗賊だから。……そっちこそ、よく私に気づいたね」
「広域結界ですよ。寝ている間に効果が切れていたので、再展開して見つけました」
「ああ、そういうこと」
イナリともちまるはそっちのけで、エリスとラズベリーは何かを理解し合ったようだ。この様子からして、和解とまでは行かずとも、一旦緊迫した状態は落ち着いたと判断してもよいだろうか。
それならば、イナリが言うべき言葉はもう決まっている。
「とりあえずお主ら、我に謝ってくれぬか?」
訳も分からず怖い思いをしたイナリには、これくらい主張する権利はあって然るべきである。
一旦ラズベリーのことは放置してイナリの水分補給が完了したところで、なぜかエリスの懐からすっと取り出された手錠をラズベリーにつけさせたうえで、改めて話し合うこととなった。
「――で、誰の差し金ですか?」
「雇い主……フルーティからの指示で来た」
「フルーティさん?」
「そう。私はあのフィクサー気取りの手伝いをしてる」
「……ふぃくさーって何じゃ?」
「要するに、暗躍したがる痛い奴ってこと」
首を傾げたイナリに、ラズベリーが補足した。仮にも雇い主にそんな辛辣でいいのだろうか。
「もう済んだ話だから言うけど、魔の森の連中に潜入したのだって、雇い主の指示なんだよ。割に合わない仕事をしたんだからその分休ませろって言ったら、牢屋の中で休暇を過ごす羽目になった。で、釈放されたらまた呼び出されて、簡単な潜入かと思えば、問答無用で殺されかけて? 割に合わないったらない」
「急に内部事情をぶっちゃけられても困るんですけど……殺されかけたのも自業自得じゃないですか」
椅子に跨って左右に体を揺らすラズベリーに、エリスが困惑の声を上げた。
とはいえ、フルーティはグラヴェルと繋がりもあるし、「世界庭園創造会」にまつわる事情にもやたら詳しかったし……そういった諸々を積み重ねていけば、「暗躍したがる痛い奴」という評価も納得である。
「ま、私のことはいい。それより、あなたの話」
ラズベリーは手錠がついた両腕を上げて、びしりとイナリを指さした。
「以前フルーティから、神官と一緒に店に来いと言われなかった? 名刺、貰ったでしょ」
「む? むむ……」
イナリは十数秒ほど長考した末、ようやく記憶を探り当てた。
「ああ、何か、ものすごく前に言われたような気がするのじゃ。名刺も……どこかにあるのじゃ。たぶん」
ただ、それが見つかるかどうかはまた別の話である。少なくとも、衣服と一緒に洗濯されていることはない……はずだ。
「で、それがどうかしたのかや?」
「雇い主から、あなたたち二人に直接伝えたい大事なことがあったらしい。グラヴェルから金を積まれて頼まれた大事な仕事なのに、ずっと達成できなくて困っている、と」
「グラヴェル……グレイベルさんのことですか?」
「そ、そうじゃろうな。地域によって発音の違いとか、あるよの。はは……」
しれっとラズベリーが零した危うい発言を、イナリはすかさず訂正した。
「ともあれ、理解できたのじゃ。つまりお主は、店に出向くよう催促するためにここに来たわけじゃな」
「そう」
イナリの言葉にラズベリーが肯いた。そこにすかさず割って入るのはエリスである。
「事情は分かりましたが、今のイナリさんを外に出すわけにはいきません」
「だよね。熱があるって言ってたし」
「ああいや、それもそうなのじゃが……我、このままだと近いうちに死ぬらしいのじゃ」
「……その割に、自分が死ぬとは思ってなさそうな顔をしてるね」
「実際そう思っておるからの。ま、ついさっきは死ぬかと思うたがの」
イナリの言葉に、エリスが視線を泳がせていた。
昨日で本作が4周年を迎えていました。
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