春日雄太の日常
──── パンッ!パンッ……!
窓の格子から朝日が差し込むこの道場に、小気味の好い柏手の音が響く。
朝の剣術稽古を終えた春日雄太は、神棚に向かって礼をしていた。
物心着いた頃から祖父に武術を叩き込まれ、地獄のような修行の日々を送ってきた。そのおかげか、今やそこそこの大会でも一目置かれる存在となっている。
全ての日課を済ませ、雄太は大学へ講義を受けに行くための準備を始めた。
浴室の蛇口をひねって勢いよく降り注ぐお湯を浴びる。一汗流したあとのシャワーは格別に気持ちが良かった。
爽快な気分でふぅーと息をつきながら浴室から上がり、少し乱暴にワシワシとタオルで頭を拭く。
ふと、洗面台の鏡に映る自分と目が合った。
雄太の視線は、自分の左手にある刺青に向く。
水流と盃、その背後では二本の剣が交差している様が描かれていた。
今日も変わらず、消えることのないその刺青に忌々しげに表情を歪め、思わずため息が漏れる。
「はぁ……。なんでこんな事に。」
実は、この刺青は自分が望んで入れたものではないのだ。
事の起こりは、忘れもしない20歳の誕生日────。
仲の良い友人の中で、一番歳を取るのが遅かった雄太の誕生日を祝うために、その日は山ほどお酒を買ってきて自宅で飲み明かした。
お酒を飲むという20歳から許された行為に、自分も大人の仲間入りをしたのだという高揚感で気持ちが昂り、誇らしさで胸がいっぱいだった。調子に乗って、祖父の秘蔵の酒まで持ち出しどんちゃん騒ぎだ。
結局、一晩中騒ぎ倒し明け方にはいつの間にか全員が眠ってしまっていた。
いつもの習慣で5時には起きてしまう雄太が一番に飛び起き、お酒の飲みすぎでズキズキと痛む頭を抱えながらゆっくり身を起こす。
これが噂に聞いていた二日酔いというものか、とそれすら嬉しく思いながら、乾いた喉を潤そうと水に手を伸ばす。
その時、『いつもと何か違う』という違和感に気がついた。
恐らく、その違和感の原因であろう自分の左手を恐る恐る自分の目の前に持ってくると、昨日まではなかったそれが目に飛び込んでくる。
雄太は内心パニックに陥った。
なぜなら、昨日こんなものを書いたり貼ったりした記憶はない。
友人達のイタズラか?それならばどうにかすれば消えるはずと、反対の手で擦ってみるが、落ちない。
爪を立ててみるが、剥がれ落ちそうな気配もない。
洗わないとダメかと思い、ドタドタと1階の洗面所まで行き、石鹸をかけてゴシゴシ擦る。
────が、その甲斐も虚しく何をどのように試しても刺青が落ちることはなかったのだった。
「はぁぁ……。」
本日二度目のため息をつきながら、庭に止めてある自転車の鍵を外しまたがる。
その様子を見ていた近所の奥様方が、一斉にヒソヒソと噂話を始めた。
「ほら見て、あれ。春日さんのお宅の息子さんよ。グレたって話本当かしら?」
「不良になってしまったって噂よ。昔は素直な良い子だったのに。」
「不良と言えば、家にガタイのいい男が何人も入っていくのを見たわ。きっと仲間よ。」
「まぁ、怖い。」
は ─── いっ!!!!
全部聞こえてますからねぇ ────!!!!
雄太が再びため息をつくと、近所の奥様達はびくりと肩を震わせて、いそいそと視線を逸らす。
雄太は勢いよく自転車のペダルをこいで、足早にその場を離れたのだった。
この刺青が現れてからというもの、雄太にはいい事が起こった試しがない。
ご近所では、雄太がヤ〇ザになったとか非行少年だとか噂の的だし、家族や友人もどこかよそよそしく、真っ直ぐ目を合わせてはくれない。
この刺青のおかげで、この春から始まった就職活動も門前払いなのである。
花の大学3年生。
恋人の一人でもいても良いところではあるが、女の子達はこの刺青を怖がって近づいてくれさえしない。
手袋などで隠そうかと思ったが、冬ならともかく、夏場に片手に手袋は相当目立つ。
しかし、何故左手なのか。
背中や腹であれば、いくらでも洋服で隠せるのに。
俺の左手が、左手がぁァあぁあぁあぁあっー!
とかやれば良いのか、バカヤロウッ!!
と内心かなり怒り狂いながらも、結局何もしない事に落ち着いたのだった。




