確かめたい
今から2年前.......
次の講義を受ける部屋が見当たらず、雄太は講義室棟を彷徨っていた。そのとき、誰もいないはずの講義室からよく通る澄んだ声が聞こえてきた。
その声の主が気になった雄太はその声を頼りに講義室棟を進んでいった。
そして、雄太はあけ放たれた空き講義室のドアの前に差し掛かる。
そこで雄太が目にしたのは、うっすらと初夏の日差しが入り込む静かな室内に、一人の女の子が窓辺に座って本を読んでいる姿だった。
「忍ぶれど 色に出りにけり わが恋は 物や思ふと 人のとふまで.......」
雄太は、いつの間にか立ち止まって、その光景を食い入るように見つめていた。
彼女が読んでいたのは、百人一首、平清盛の有名な句だ。『隠しているつもりでも顔に出てしまう私のこの思いは、何を考えているのかと人に問われてしまうほどです。』という意味だったはずだ。
何より雄太の目を引いたのは、風で揺れる白いカーテンが、彼女の背に生えた羽のように見えるとても幻想的な光景だった。
鈴が鳴るように凛として澄んだ声は、どういうわけか雄太の心の奥底を掴んで離さなかった。
一目惚れだった。あの瞬間、雄太は名前も知らぬ女の子に恋してしまったのだ。
雄太の存在に気付いた桜子が、少し驚きながらも雄太ににっこりと微笑みかけてくれたことは今でも鮮明に思い出せる。
羞恥のあまり、その場から逃げるように走り去ってしまった事は雄太にとって未だに消したい黒歴史である。
教授の研究室にたどり着いた二人は、大量の資料と全員分の課題を届け終え研究室を後にした。
「春日くんありがとう。本当に助かった。今度お礼するね!」
満面の笑みで桜子が雄太にお礼を言う。この少しさっぱりとしたところが彼女の魅力の一つでもある。
こんなことを言われてしまっては、雄太の内心はデレッデレッである。
しかしながら雄太は、一つ、ずっと気になって仕方のないことがあった。
「あ、あのさぁ.......!お礼とか気を使ってくれなくていいから.......あの時の事を教えて欲しいというか……
と、とにかく萬羽さんに聞きたいことあるんだけど.......いい?」
雄太は研究室のドアノブをがっちりと握ったまま、少し震える声で言った。
「ん?なに?」
対する桜子は笑顔である。
雄太は意を決して、言葉を紡いだ。
「萬羽さんってさぁ.......彼氏.......とか、いるの.......?」
「え?」
まさか雄太の口から飛び出してくると思っていなかった『彼氏』というワードに反応した桜子が薄く頬を染める。
「い、いないけど.......。」
「え!?じゃあ、この前裏門に迎えに来てた男の人は!?」
雄太は驚きのあまり、すがっていたドアノブを手放し、身を乗り出して桜子を問い詰めた。
「えっ?この前の男の人?って.......あ、もしかして秀くんのこと?」
雄太はちぎれんばかりに首を縦に振って肯定を表した。
「えーと、彼は、7歳上の私のいとこのお兄ちゃんで、萬羽秀逸っていうの。」
「お兄ちゃん!!!?」
「そう。うちの隣に住んでて。あの日は私が足をひねったって聞いた秀くんが、私のことを病院に連れて行くって言って聞かなくて.......。だから、学校に迎えに来てもらったの。」
「.......ははっ、なるほどね。」
雄太は自分の愚かさが嫌になり自嘲気味に笑った。
雄太の恋の戦いはまだ終わってなどいなかった。むしろこれから始まるのだ。
雄太はお茶を濁すように左手で頭をポリポリとかきながら言った。
「い、いやぁ、実はそのお兄さんがこの大学であまり見ない顔だから、誰かなぁって気になってたんだぁ!
変なこと聞いてごめんね!!気にしないで。」
「.......う、うん。」
桜子は気にしないで!!ともう一度念を押してくる雄太に押し切られる形となった。
「そうだ、私事務棟にもよっていかなきゃないんだった。」
「そっか。もうすぐ夕方だから早くいかないと閉まっちゃうね。」
書類の受け付けなどをしてくれる事務棟が利用できるのは、17時までとこの大学では決まっている。
「またね!春日くん。」
雄太は少し名残惜しさを感じながらも、手を振り去っていく桜子を見送る。
────そうか、失恋じゃなかったのか。
そう思い雄太がほっと胸をなでおろしていると、渡り廊下に差し掛かっていた桜子が突然振り返り、雄太に向かってこう言った。
「春日くんっ!それ、可愛いね!」
桜子は左の前腕の真ん中あたりを反対の手でトントンと指さしながら笑った。そして、また手を振り事務棟の方へ向かって行ったのであった。
『それ』とはいったい何のことだろうか。不思議に思った雄太は、桜子が指さしていたところと同じ部分を見ようと、くるっと腕をひねってみた。
すると、そこにあったのは、柴犬の顔の絵だった。
「い、犬……?」
その犬の絵からは今にもグルルル……という威嚇の鳴き声が聞こえ、噛み付いてきそうなほど恐い顔をしていた。
────ッ!! これってまさか.......!
ハッと思いついた雄太は、反射的に犬の絵の部分をこすってみる。落ちない。入れ墨だ。
────ふ、ふ、ふ、ふ、増えとるやないかいっ!!!!
「あーいーつーらぁ~……」
雄太は怒りを露わに、忌々しき刺青の元凶たちを問い詰めるため、大学を飛び出して行ったのだった。




