『君の膝を貸してくれ』
〈引き続きロシェリート視点〉
「お体が……痛むんですか……?」
『毎日ではないし、日中は問題ない』
っ、それでも……。
僕は、アル様が痛い思いをしてたなんて、ちっとも知らなかった。
眠れないくらい痛いなんて、どれほどだろう……。
僕は今まで、お腹が痛くても頭が痛くても、眠れないほどだった事は一度もない。
「……でしたら、今から少しお休みになってはいかがですか? 幸い今日は急ぎの仕事もありませんし、朝食はアル様がお目覚めになってからご用意しますので」
僕の言葉に、アル様は少しだけ考えてから頷いて、席を立つ。
寝室に向かわれるんだろうか。
アル様がお休みの間、僕は何をして過ごそうかな。
書類整理はもう全て終わってしまっているし、……庭にでも散歩に行こうかな。
けれど、アル様は寝室ではなくそのまま執務室の3人掛けのソファに横たわってしまった。
「そこではお体を冷やしてしまいますよ」
僕は、部屋の隅のバスケットから膝掛けを取ってひとまずアル様にかけつつ「寝室でお休みになった方が良いのではありませんか……?」と声をかける。
しかしアル様は首を横に振る。
ええ……?
どうして……?
そこには枕もないのに……。
あ、せめて向こうのソファのクッションを枕がわりにすれば……。
そう思ってクッションを取りに行こうとした僕の手を、不意に起き上がったアル様が掴んだ。
「ぇ……?」
アル様に掴まれた僕の手は後ろ方向に引っ張られて、膝がソファの座面に当たると、僕はそのままフカフカのソファに座ってしまう。
え? なんで?
さらには、ソファに腰掛けてしまった僕の膝の上に、アル様の頭が乗ってくる。
ああ、なるほど、僕の膝を枕に……。
……ってなんでなの!?
内心大混乱の僕を、青い瞳がじっと見上げてくる。
うわぁ……僕の膝の上にすごい綺麗なお顔が乗っている……。
でもその目の下はくすんで隈が浮いていて、いつも通りの無表情なのに、その顔はどこか疲れて見えた。
僕は思わず、その隈を指でそっと撫でる。
アル様がぐっすり休めて、この隈が、消えてくれたらいいな……。
ハッ!?
いや、ぼ、僕は今、一体、何を……!?
「す、すみませんっ、大変失礼な事を……っ」
あたふたと慌てても、太ももの上にアル様の頭が乗っているので、これ以上アル様から距離が取れない。
アル様は片手を上げると、僕の髪をサラサラと撫でた。
お、落ち着けって事かな……。
そうだよね、こんなところで僕がひとりで慌てても仕方ないよね。
僕は深呼吸をして気を取りなおすと、アル様に言った。
「枕がご入用でしたら、寝室から持ってまいりますね」
なのに、なぜかアル様は首を横に振る。
ええっ!?
なんでなの……!?
枕が要るから僕は膝枕させられてるんじゃないの!?
次にどうしたらいいのかわからなくなって途方に暮れていると、アル様が僕の手を取って、僕の掌に指で字を書いた。
『君の膝を貸してくれ』
……なんで!?
尋ねようかとも思ったものの、アル様の瞬きが少しずつゆっくりになっていて、もう眠いんだろうなと気づくと、余計なお手間は取らせたくないと思う。
理由はわからないけれど、僕の膝でいいならこのまま使っていただくしかないか……。
「わかりました。寝心地は保証できませんが、私の膝で良ければお使いください」
掌に『ありがとう』と書かれて、僕の心臓がドキンと跳ねる。
どうしよう……なんだか嬉しい……。
僕は、ちゃんとアル様のお役に立てたのかなぁ……?
僕の膝で青い瞳が静かに閉じる。
それから寝息が聞こえ始めるまで、そう時間は掛からなかった。
朝日の差し込む静かな執務室に、アル様の寝息と、時計の針の音と、遠くから響く鳥の声だけが聞こえている。
それなのに、僕の心臓はなぜかとってもドキドキしていて、まるで耳元で鳴ってるみたいにうるさかった。
***
昼過ぎまで僕の膝でぐっすり眠っていたアル様は、隈も薄くなって顔色も少し良くなった気がする。
朝と昼を兼ねた食事……リツマが『ブランチ』と呼んだそれをアル様の執務机まで届けると、まるで引き換えるように僕に一枚の便箋が手渡された。
えーと……?
『明日からは、夕飯の支度は必要ない』
ってなんで!?
「あの……、私は、イグナーツ様にアル様の3食分の食費をいただいております……」
なので、要らないと言われても困るんですが……。
アル様は手元の紙にサラサラと返事を書いた。
『2食作ってくれるだけで十分感謝している。ロシェリートの懐に仕舞ってくれ』
「そうはまいりません。まずはイグナーツ様にご相談してみますので……」
『彼に余計な手間をかけたくない』
う、それは……僕にもわかるなぁ……。
だってあの人本当にいつでも忙しいんだよね……。
「アル様……」
困ったなぁと思っていると、アル様がさらに文字を書いた。
『夕食分の金は、口止め料としてロシェリートが受け取ってくれ』
口止め料……?
口止め料だなんて……。
そんなものが必要なくらい、僕には信用がないのだろうか……?
なんだか酷く裏切られた気分がした。
「口止め料なんて要りませんっ!」
思わず声が大きくなってしまって、僕はハッと手で口を押さえる。
アル様の表情は読めないけど、その瞬きは驚きだったのだろうか。
「すみません……大きな声を出して……」
アル様が静かに首を横に振る。
僕はひと呼吸して心を鎮めてから、はっきりと言った。
「アル様が黙っていてほしいとおっしゃるのでしたら、私は誰にも言いません」
『ロシェリート……』
音の出ないアル様の唇が、僕の名前の形に動いたのに気付いた。
僕の名を……呼ぼうとしてくれたんだ……。
その事実が、なんだかたまらなく嬉しい。
「よろしければ、私の事はロシェと呼んでください」
僕は、リツマだけが呼んでくれていた僕の愛称を、アル様に伝えた。
前から、僕がお仕えしている立場なのに、僕だけが『アル様』とお名前を短く呼ばせていただいているなんて申し訳なさすぎるなって思っていたんだよね。
アル様はコクリと小さく頷いて、その美しい唇が『ロシェ』と僕の名を呼ぶように動いた。
その途端、ぶわっと胸の中に花が咲いたような気がした。
アル様の瞳と同じ色の、ルイエクリスの花が……。
僕の胸に、いっぱい咲き乱れているみたいだ……。
アル様は……どんなお声をしていたんだろう。
もしご病気が治ったら……。
僕はアル様に、そのお声で名を呼んでいただける日が来るんだろうか……。
僕がアル様の唇をじっと見つめているうちに、アル様は新たに文字を書いて僕に差し出してきた。
『ではロシェ、すまないが、この事はイグナーツには黙っていてくれ』
文字でも、短く呼ばれる事がこんなにも嬉しいなんて、不思議だ。
「はい」
僕の返事に、アル様は紙を手元に戻すともう一行書き足す。
『夕食分の金は、私が預かっても構わないか?』
「アル様……?」
アル様は無表情のままだったけど『誰にも言わないでくれるかい?』と少し弾んだ文字で書いた。
『実は、夕飯を外で食べたいと思ってるんだ』
そんな事……。
イグナーツ様が知ったら大慌てしてしまうんじゃないかな……。
『ずっと屋敷に籠り切りでは、気づまりでね』
その言葉に一瞬息が止まった。
そうか……。
このままじゃアル様は、僕の中に閉じ込められっぱなしだった時の、リツマみたいになってしまうんだ……。




