ルイエクリス
〈引き続きロシェリート視点〉
うわ、まずい。
今の僕の言葉、聞かれちゃったかな。
でも雑草扱いの花の名前なんて、王子様はきっと知らないよね……?
顔色を窺うようにそろりと顔をあげてみたけれど、アル様の顔色ってわからないんだったよ……。
どうしようかと迷っていると、アル様はスタスタとルイエクリスの咲き誇る庭木まで歩いて、その場にしゃがみ込んだ。
ええっ!?
具合でも悪くなったんだろうかと駆け寄ると、アル様の長い指がルイエクリスの花弁を優しくなぞったのが見えた。
僕の言葉、聞こえてたんだ。
しかも、アル様はルイエクリスがこの花の名前だってちゃんと知ってるんだ。
ルイエクリスを見つめるアル様の視線は、なんとなく優しそうに見える。
僕もつられて、アル様の隣にしゃがみ込んだ。
久々に近くで見るルイエクリスは、青色がどこまでも清らかで美しい。
「このお庭にも咲いてたんですね、綺麗だなぁ……」
うっかり口にしてしまってから、慌てて両手で口を押さえる。
うわぁん、全然間に合ってないよぉ……っ。
花が綺麗だなんて、男子が口にするべき事じゃないのに。
花のように綺麗だと女性を褒めるならとにかく、花を愛でるのは女子がするべき事で、男子にはふさわしくないというのが、今の貴族社会の常識だ。
幼い頃の僕にこの花の名前を教えてくれたお兄さんも、花が好きな事は隠していたし……。
なんて言い訳しようかと思う間に、口を押さえていた僕の手はアル様に取られてひっくり返される。
指で文字を書く気なのかと察して掌を差し出すと、アル様の長くて綺麗な指でスラスラと文字が書かれる。
『花の名は、どこで知った?』
え、どこで……?
どこでだったかな……。
「申し訳ありません、幼い頃に覚えた花の名前で……記憶にないのですが……」
僕の答えに、アル様はなぜかちょっとがっかりしたように見えた。
アル様の期待に添えなかった事が申し訳なくて、僕はせめて言葉を重ねる。
「でも、昔からずっと、一番美しい色をした花だと思っています」
そう答えた僕の目の前で、アル様の青い瞳がどこか驚くように瞬いた。
そっか、見開く事はなくても、瞬く事はできるのか。
青くて深いアル様の瞳は、本当に綺麗な色をしている。
「アル様の瞳の色は、ルイエクリスと同じですね」
思わずうっとりと見惚れてしまう。
その時、アル様の肩が小さく揺れたような気がした。
ああ、ちょっと庭に長居しちゃったかな。
着込んでいる僕と違って、上着も羽織っていないアル様には、外気は少し寒かったかもしれない。
「そろそろお部屋に戻りましょうか」
僕の問いかけに、アル様は変わらぬ無表情で、こくりと頷いた。
***
今までは仕事が終わるのがもっと遅かった上に、職場から家までも馬車でそれなりに時間がかかったので、リツマと交代するのは日が暮れてからが多かったけど、今は夕暮れ前には交代できるのが助かるよね。
僕はそんな事を考えながら裏門を通って、いつもの食堂の裏手に回る。
最近ではすっかり、この場所が僕とリツマの交代場所になってきたなぁ。
食材の買い出しに2回、帰りにもう1回と、毎日3回はここの木箱と壁のお世話になっている。
リツマと会話してる間は意識がなくなってしまうから、安全なところで目を閉じて行わないと危ないんだよね。
「リツマ、お待たせ。交代だよー」
「お、今日も早かったなぁ」
「書類仕事も今あるのはほとんど終わっちゃったし、残業もなくて助かるよね」
「ロシェは毎日お仕事お疲れさんだな」
「リツマだって、毎日お買い物とお料理ありがとう。リツマがいなかったら僕ひとりじゃこんな仕事引き受けられなかったよ」
「んー……そのほうが安全だったんじゃねーかとも思うけどなぁ……」
「そう? 今のところ危ない目に遭いそうな事はないけど……」
「だといーんだけどな」
リツマが僕を心配してくれてるのは、同じ体を使ってるんだから当たり前なのかもしれないけど、それでもやっぱり、その気持ちが僕には嬉しい。
「リツマ、まだ時間も早いし、せっかくだからゆっくりぶらぶらしておいでよ。お財布のお金、増やしておいたから」
「マジか!? いーのかよっ」
リツマの表情が、さっきまでの僕を心配していた憂い顔から、何を食べようかみたいなワクワクした顔にパッと変わる。
リツマのこういう現金なとこも、僕は正直、結構好きだ。
だってお城の貴族達って、褒め合ってるような事を言いながらも貶しあってたりとかするんだもん。
そんな人達よりはよっぽど付き合いやすいよ。
「うん、リツマの働きに合わせた配分だから、リツマの稼いだお金だよ」
「んじゃ遠慮なく使ってくるか」
リツマは意気揚々と僕に背を向けて、意識を体に向けたようだ。
「あんまり遅くなりすぎないでね」
「おう、一応気ぃつける」
一応って……、と苦笑しながらも、僕は楽しそうなリツマを見送った。
僕は17歳の時、乗馬中に落馬して生死の境を彷徨った。
その時に、僕の中に突然現れたのがリツマだ。
黒髪に黒い眼をしたリツマの姿に、僕は最初凄く驚いたんだよね……。
だって、黒髪黒眼は呪われた人の特徴だって言われてて、黒色自体も、不吉の象徴だとか死を呼ぶ色だとかって常日頃から忌避されてるから……。
今ではすっかり見慣れたけどね。
リツマが僕の身体を動かす時、僕の目は茶色になるらしい。
僕は見た事がないけど、鏡を見たリツマがそう言うのでそうなんだろう。
リツマ本来の黒い瞳が影響してるのかも知れないな。
……よくわからないけど。
リツマは僕がグズグズ言って心の中に籠りっぱなしになる度に、根気よく話を聞いてくれた。
「ロシェはなんでこーゆーの友達に相談しないんだよ」
「僕には……友達なんて、いないもん……」
「はぁ!? 友達いねーのかよ!? ひとりも!?」
「……ぅぅ……」
「あー……、いや、悪かったって。責めてるわけじゃねーよ。驚いただけだって。ほら、もう泣くなよ。俺がいるじゃねーか」
「……?」
「友達。俺がいるだろ?」
「え……リツマって僕の友達なの?」
「こんだけ毎日話聞いてやってんのに、友達じゃなきゃなんだってんだよ。いくら同じ体にいるっつっても、気の合わねぇ奴相手じゃ俺も流石に無理だって」
「……っ、本当に!?」
「おーよ」
「う……嬉しいっ、嬉しいよぉ、リツマぁぁぁっ」
「おーよしよし、ロシェは素直でかわいーよな。早いとこ一人前になってくれよー?」
「……それって、こないだ言ってた大人のお姉さんのいるお店に行きたいから?」
「よく気づいたな」
「っ、もぉぉっ、僕はせっかく感動したのにぃぃっ」
それまで、ひたすら抜け殻みたいに学院生活を過ごしてた僕だったけど、リツマと出会って、心の中で笑ったり怒ったり泣いたりしながら過ごした2年弱の学院生活は、それまでの4年間とは比べ物にならないくらい眩しくて、楽しかった。
リツマは元々人と話すのが好きな人で、気さくで明るい。
そんなリツマを僕の中にずっと閉じ込めてるなんて事は、したくなかった。
だから僕はこれまで、放課後に、就業後に、リツマと交代する生活を続けてきた。
リツマが何をしているのかは僕には見えないけど、リツマの話によると酒場や食堂でその日偶然出会った知らない人と話したりしてるんだって。
そんな事、僕には絶対無理だなぁと思う。
リツマは喧嘩も強いって言ってたけど、最初は僕の筋力がなさすぎる事に驚いていた。
それから毎晩リツマは寝る前にとれーにんぐ? っていうのをやってるらしい。
5年経った今では、全く運動をしない文官の僕の体にもそれなりに筋肉が乗って、お腹も浅く割れている。
僕自身はちっとも運動をしていないのに、なんだか不思議だ。
騎士達みたいに毎日長い時間修練しなくても寝る前の少しの時間でこんなに効果が出るなんてリツマは凄いと思う。
「俺のいた世界ではタイパ重視で、筋トレも時短して当然だかんな」
よくわからない言葉ばかりだったけれど、その手順をちゃんと覚えていたリツマはその頃からちゃんと体を鍛えてたんだろうなって思った。
読んでくださりありがとうございます!!
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