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瞼を持ち上げると、見慣れた自室の白い天井がある。枕元のスマホに手を伸ばして時間を確認した。数字はすでに昼の十二時を告げている。頭の芯が重い。手のひらで触れた頬は熱くて、目尻にカサカサとした感触が残っていた。
「……また、あの夢だ」
夢だと知っていたなら、覚めなかったのに。
いつからか、私は何度もこの夢を見る。神崎くんと私しかいない昇降口。周りの雑音も、大人も、カメラのレンズも何ひとつない、雨音だけの世界。あの日から、私は彼のことが好きになった。
今思えば、ありふれた少女漫画みたいだ。雨の日に傘を貸してくれた、名前も知らない男の子を好きになるなんて。あの時の私にとって、彼は成瀬雫という虚像を求めなかった。ただ泣いている一人の人間としてそこにいることを、許してくれた。
それなのに、私たちは同じクラスになることさえなかった。
二年生の始業式の朝、昇降口の前に人だかりができていた。クラス分けの紙が模造紙に貼られて並んでいる。一組から八組まで、名前がびっしりと縦に並んでいた。私は人の輪の外側に立っている。中心に入っていくと、誰かが道をあけてくれる。あけてくれること自体が、いつも少しだけ息苦しかった。
「雫、クラス分け見た?」
同じクラスだった子が振り返って聞いてくる。
「まだ」
「三組だよ。私も一緒」
「ほんと? よかった」
私は笑った。上手に笑えたと思う。自分の名前は、その子が教えてくれた時点でもう分かっている。それでも私は掲示板から目を離せずにいた。探していたのは、自分の名前ではなかったからだ。
か、で始まる名字を順番に追う。加藤、金子、川島。一組にはいない。二組も、三組も。自分の欄をもう一度通り過ぎて、四組へ移る。そこで視線が止まった。
神崎朔。
息を吐いた瞬間に、自分がずっと息を止めていたことに気づく。別のクラスだ。当たり前だった。八分の一の話なのだから、外れるほうが普通なのだ。分かっていて、それでも私は始業式の朝に人だかりの外から模造紙を眺めていた。
「誰か探してるの?」
隣の子が言った。
「ううん。全部見とこうと思って」
嘘は滑らかに出た。仕事で使っている技術だ。こういうとき、私の声はいつもよりわずかに高くなる。自分でも分かっている。それを聞き分けられる人間は、たぶんこの学校に一人もいない。
教室へ向かう途中、四組の前を通った。中は見なかった。見てしまったら、目的が全部知られてしまう気がする。窓の外では、桜がもう散り始めていた。
彼の少し眠たそうな目や猫背気味の背中を、私は違う教室の窓から、人混みの向こうから、いつも無意識に追いかけていた。一年近く、私はそうやって、ただ見ているだけだったのだ。
それが限界に来たのが、四月の終わりだった。
あの日のことを思い出すと、いまだに吐き気がする。三十分早く起きて作ったものも、五年ケーキを我慢して守ったものも、あの桜の下には一つも存在していなかった。私が持ち込んだ武器は、彼の世界には最初から一本もなかったのだ。振られたことより、そのことのほうが堪えた。生まれて初めて、私は自分の顔が一円にもならない場所に立っていた。
顔を取ったら、私には何も残らない。一年生の初夏に言われたことは、正しかったのだ。正しすぎて、私はいまだにその言葉を、自分の中から追い出せずにいる。
彼は最後に一度だけ、私のほうへ顔を向けた。何も見えていないと分かっていて、それでも見た。そういう向け方だった。その直後に、付き合えないと言われた。理由を聞いて、謝って、それでも彼が何か言いかけたところで、私は走り出していた。あのとき最後まで聞いていれば、と思うようになったのは、ずっと後だ。
それから、私たちの関係は歪んだ。同じクラスではないという距離があるのに、周囲の憶測と噂は二つの教室を跨いで広がっていった。神崎くんはクラスで悪者にされて、もともと狭かった彼の居場所が、さらに狭くなる。私のせいで、彼はまた世界との距離を狂わされたのだ。
それでも、彼は私を切り捨てなかった。美術室という、私たちだけの場所があったから。友達から始めようと言ってくれた、照れくさそうな、まっすぐな声があったから。
私はまだ、神崎くんのことが好きだ。諦めるなんて、最初からできっこなかった。




