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昼休みの購買は、いつも通り階段の途中まで列が伸びていた。二階にひとつしかない売店に全校の生徒が押し寄せるので、少しでも遅れるとこうなる。釣り銭を数えるおばちゃんの声と、生徒のざわめきが混ざり合っていた。
おにぎり一個とお茶を取る。具が何なのかは見ていない。もう、胃に入れば何でもよかった。隣を見ると、奏多がカレーパン、カツサンド、ジャムパン、いちごミルク、コーラと迷いなく抱え込んでいる。炭水化物と砂糖ばかりで、見ているだけで胃が重くなる組み合わせだ。
小学生の頃から、漫画みたいな盛り方の飯を三杯平らげるようなやつだった。おかげで、気がついた時には僕より頭ひとつ分背が高くなっている。あの量で蓄えたエネルギーの使い道は、いまだに謎だ。
「お前、それで足りんのかよ」
僕の手元を見て言う。ありえねえ、という声だった。いや、どう考えてもそっちのほうがおかしい。
「……まあ」
「だから朔はもやしなんだよ」
わざとらしい言い方に、少しだけいつもの調子が戻ってきた。会計を済ませて列から外れる。廊下はパンの袋を抱えた生徒でごった返していた。まだ春だというのに、空気が人肌の温度をしている。奏多はそちらを一瞥しただけで、反対側へ曲がった。
「あれ、学食行かないの」
「今から行っても席ねえし、うるせえだろ」
人気の少ない特別教室棟まで来ると、さっきまでの喧騒が遠のいた。窓から差し込む昼の光が、誰もいない廊下に長く伸びている。奏多が扉をつま先で押し開けた。中には誰もいない。ここを選んだのは、たぶん偶然じゃない。何も気にしていないような顔をして、この男は人のことをよく見ている。
「で? 昨日、雫ちゃんと何があったんだよ」
椅子にどかっと座り、抱えてきたパンを机に並べていく。どれから食べようかと手を擦り合わせるのは、こいつの昔からの癖だ。
「告白されて……振った」
「なんか、色々端折ってねえか?」
「本当にこれだけなんだよ。話したこともないし」
「いや、一日で起きたこととしては濃すぎるだろ。それ」
奏多が呆れたような声でカレーパンの袋を開ける。僕もおにぎりの包みを剥がした。
「普通さ、なんて言われたとか、なんて返したとかあるじゃん」
「好きです、付き合ってくださいって」
「うっわ、直球だな。言われてみてえ」
「それで、付き合えないって返した」
「お前もだいぶ直球じゃねえか」
黙るしかなかった。何も考えられなくなって、口から一番先に出た言葉がそれだった。少し待ってほしいとか、急で驚いたとか、ちゃんと話したいとか。今ならいくつも浮かぶのに。
「で、雫ちゃんはどうしたんだ」
「理由聞かれて答えたら、走っていなくなった」
答えた瞬間、昨日の光景が戻ってくる。途中で途切れた僕の言葉。遠ざかる足音。追いかければまだ間に合ったかもしれないのに、僕はその場から動けなかった。何も伝えられないまま、傷つけただけで終わった。
「ほら、やっぱ色々あんじゃねえか」
「……うん」
どうして人は他人の恋愛をそんなに知りたがるのだろう。姉の怜奈が一時期見ていた恋愛リアリティショーなら、まだ分かる。あれはフィクションだと、業界にいる怜奈が言っていたのだから。
仮に付き合っていたところで、さっきの二人は裏で何かしら言ったはずだ。頭の中だけ饒舌な自分が嫌になる。
「でも、学校一可愛いって言われてる子を振るのはありえねえって。女優もやってんだぞ。ネットだとけっこう有名。学校じゃ誰も騒がねえけど、知ってるやつは知ってる」
中原さんのことを、僕は何も知らない。学校一可愛いと言われている相手を振ったのなら、噂になるのは当然かもしれない。
いや、待て。
「今、女優って言った?」
「おう」
「知らなかった」
「嘘だろ」
同じ学校に芸能人がいて、それを知らない。人に興味がなさすぎると言われても、返す言葉がない。
「この前も深夜ドラマ出てたな。おっさん刺し殺してた」
「情報の出し方が最悪だろ」
「いや、マジで演技上手かったんだって。無表情で刺しまくるの。こう、グサグサって」
「再現するな。昼飯時にする話じゃないって」
奏多は気にせずカツサンドを貪っている。多分、こいつの食欲は多少の流血表現では揺るがない。
「で、タイトルは」
「知らん」
「知らないのかよ」
「母ちゃんが見てたの横で見ただけだしな。でも雫ちゃんってのはすぐ分かったぞ。学校でも目立ってるから」
そこで奏多はカツサンドを机に置いた。声が少しだけ真面目さを帯びる。
「なんで振っちまったんだよ。性格もいいって有名だし」
「……分からないんだよ」
「は? 分からないって何が」
「中原さんのこと」
分からないのは彼女の情報だけじゃない。もっと手前のところが欠けている。それを言葉にしたくなくて、僕は椅子にもたれて顔を手で覆った。
「……ああ、そういうことか」
奏多は短く、納得したように言った。それ以上踏み込んでこないところが奏多らしい。普段は土足で人の会話に入ってくるくせに、こういう時だけ勘がいい。
「小四の頃に一回だけ聞いたな。お前がそれ言ったの」
「覚えてたんだ」
「忘れるかよ。あんとき俺、嘘だと思ってお前泣かせただろ」
カツサンドの残りを口に押し込みながら言う。あれから奏多はその話を一度も持ち出さなかったし、僕に説明を求めたこともなかった。
「まあ、聞いたところで俺、何すりゃいいのか分かんなかったしな」
「別に、何もしなくていいんだよ」
奏多は少しのあいだ黙った。
「一個だけ聞いていいか?」
「うん」
「俺の顔、ほんとに一回も見えてねえの」
「見えてない」
「……えぐいな」
それだけ言って、カレーパンに戻る。可哀想とも、大変だなとも言わない。この男はいつもそうだ。感想を言うだけ言って、勝手に納得して、次の話に移る。その雑さが、僕にはちょうどよかった。
だからこいつは、いつも僕の名前を先に呼ぶ。教室でも、廊下でも、後ろからでも。声さえ聞こえれば僕は迷わない。たぶん、意識してやっているわけじゃない。
「仕方ねえか。でも、もうちょい話してからでも良かったんじゃね?」
「……そうかも」
それきり、会話が途切れた。各々の口を動かす音だけが響く。しばらくして、奏多がいちごミルクを軽く押し出してきた。
「これ、やるよ。特別に恵んでやる」
戸惑いながら受け取る。ジュースを飲むのはいつぶりだろうか。ストローを差して吸ってみると、思っていたより甘さは控えめで、牛乳のまろやかさの中にいちごの香りがある。
「美味しい」
「うまいだろ。いつもはすぐ売り切れるんだけど、運良く残ってた」
奏多はコーラのキャップを回した。炭酸の抜ける音が鳴る。
最初から僕に渡すつもりで買っていたのかもしれない、と思ったのは、それから少し経ってからだった。本人に聞けば、余ってたからとでも言うのだろうけど。




