表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
追放先は廃旅館でした——前世は旅館コンサルの令嬢、今度は自分の手で王国一の名宿を作ります  作者: 歩人


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

16/52

第16話: 五つの部屋

 それから数日が過ぎた。


 厨房ではリュカの桂剥きが六十回を超え、帳場ではマリカさんの整理した書類が完璧に機能し始めていた。そして——ガルドが本格的に動き出した。


「同時に五室。三週間で仕上げる」


 ガルドの宣言に、弟子の二人が顔を見合わせた。


「棟梁、それは——」


「できる。このメンバーなら、できる」


 朝の銀泉楼の玄関前。ガルドが腕を組んで立ち、その背後には足場の資材が山と積まれている。弟子のクルトとヨーゼフは先週ミストヴァレーに戻ってきたばかりだが、目に力がある。棟梁の手紙一つで町を出る仕事を捨ててきた若者たちだ。


「配置はこうだ」


 ガルドが地面に炭で図を描いた。銀泉楼の間取り、二号室から六号室まで。


「俺とクルトで構造——梁と柱、床板を直す。ヨーゼフは窓と建具を担当しろ。学者先生が魔法で壁と基礎を固める。嬢ちゃんが全体の配置を決めて、小僧が材料を運ぶ。ハンナのばあさんが仕上げの検査だ」


「私は?」


 帳場から出てきたマリカさんが静かに聞いた。


「姉ちゃんは帳場を守れ。修復中でも客が来たら対応できるようにしておかなきゃなんねぇ。あと、ばあさんの検査に引っかかった箇所の記録を頼む」


 マリカさんが頷いた。やはりガルドは人の使い方を知っている。棟梁とは現場監督であり、プロジェクトマネージャーなのだ。


 ——ああ、またカタカナが浮かんだ。この世界にはないのに。




 修復は、床板を剥がすところから始まった。


 二号室。クルトが床板を外すと、その下に——木の根のようなものが絡みついていた。白銀色で、淡く光を放っている。


「ノアさん、これ……」


「地脈の根だ」


 ノアが膝をついて観察した。指先で白銀の根に触れると、根が微かに脈打った。


「建物の基礎に地脈の末端が入り込んでいる。自然に入ったものだ。術式じゃない」


「つまり?」


「銀泉楼は地脈の上に建っている。それだけじゃない——地脈が、建物を支えている。共生きょうせいしている」


 ガルドが鼻を鳴らした。


「知ってるよ。じいさんがこの建物を建てたとき、地脈を避けなかった。大工仲間には馬鹿にされたが、じいさんは"大地と一緒に息をする家を建てる"と言い張った」


「……先見の明があったわけだ。地脈との共生建築の理論が確立されたのは、つい十年前だ」


「理論なんぞ知らん。じいさんは勘でやっただけだ」


 二人のやり取りに、思わず笑った。学者と職人、アプローチは正反対なのに、着地点は同じだ。


「ノア、この根は残して?」


「当然だ。むしろこの根の配置に合わせて床板を組み直す。そのほうが建物の耐久性が上がる」


「聞いたか、クルト。根を傷つけんように外せ」


「はい、棟梁!」




 三号室は、窓が問題だった。


 枠が腐り、硝子ガラスが割れ、風が吹き込んでいた。ヨーゼフが新しい窓枠の寸法を測っている。ガルドがその横で指示を出す。


「窓は部屋の顔だ。ここから谷が見えるように——こうだ」


 ガルドが手で額縁を作り、窓の向こうの景色を切り取った。朝霧が流れる谷。霧杉の緑。その奥に銀色に光る銀霧川。


「この景色が枠にちょうど収まるように窓を据える。額縁に絵を入れるんだ」


 前世で「借景」と呼ばれた技法だ。自然を額縁に入れて、部屋の一部にする。ガルドがその概念を言葉ではなく感覚で理解しているのが、すごい。


 私は手帳にメモした。『三号室: 窓→借景。谷の方角に合わせた窓配置。ガルド了承済み』




 四号室の修復は、午後に入ってから始まった。


 天井の漆喰を落とし、梁を点検する。ガルドが脚立に上がり、梁の側面を手で撫でた。


 ——手が、止まった。


「棟梁?」


 クルトが声をかけた。ガルドは答えなかった。梁の側面に顔を近づけ、指先で何かをなぞっている。


 私も脚立の下から覗き込んだ。梁の側面に、小さな刻印があった。のみで彫られた、素朴な印。「HH」の二文字。


「……じいさん」


 ガルドの声が掠れた。


 ヘンリック・ヘフナー。ガルドの祖父。銀泉楼を建てた初代の棟梁。


「八十年前にじいさんが据えた梁だ。まだ——まだ生きてやがる」


 ガルドが梁を拳でこんと叩いた。澄んだ音が返ってきた。芯まで健全な木の音だ。


「百年保つ木を選んだんだ、と言ってたのはこれか」


 ノアが梁に手を当てた。建築魔法の感知。目を閉じ、数秒。


「……この梁には、地脈の魔力が浸透している。八十年かけて木の繊維に染み込んだんだ。だから腐らない」


「じいさんは知ってたんだろうさ。地脈の上に建てれば、建物は長く生きると」


 ガルドが刻印をもう一度撫でた。ゴツゴツした大きな手が、そのときだけ柔らかくなった。


「クルト、ヨーゼフ。この梁には手を入れるな。そのまま使う」


「はい、棟梁」


「——じいさんの上に、俺が新しい壁を塗る。三代さんだい分の仕事だ」


 その言葉に、胸が熱くなった。三代の棟梁が、一つの建物を通じて繋がっている。旅館とは、こういうものだ。人の手の記憶を、何十年も抱いて立ち続ける建物。




 五号室に入ったのは、修復開始から五日目のことだった。


 ここが最も傷みが激しかった。天井に穴が開き、雨水が壁を黒く染めていた。壁の漆喰は大半が剥がれ落ちて、下地の土壁が露出している。


「これは厄介だな」


 ガルドが腕を組んだ。ノアが壁に手を当て、建築魔法を通す。


「待て。この下に——何かある」


 ノアの魔力が壁の内側を探っている。深緑の目が見開かれた。


「壁画だ。漆喰の下に、顔料が残っている」


「壁画?」


「花鳥画だ。かなり精密な。漆喰に覆われて保護されていたのか——色が生きている」


 ガルドが記憶を辿るように目を細めた。


「……ああ、思い出した。親父が言ってた。全盛期の五号室は"花鳥の間"と呼ばれてたと。特別な客を通す部屋だった」


「壁画を残せる?」


 私が聞くと、ノアが頷いた。


「やってみる」


 ノアが両手を壁に当てた。建築魔法が青白い光を帯びて壁に浸透していく。ゆっくりと——剥がれかけた漆喰が再構成され、黒ずんだ染みが浮き上がり、消えていく。


 そして——。


「……嘘」


 壁の下から、色が蘇った。


 青いうぐいすが枝に止まっている。紅い椿が咲き誇っている。金色の蝶が花弁の周りを舞っている。繊細な筆致で描かれた花鳥画が、八十年の眠りから目を覚ましたように、壁一面に広がった。


「この壁画、生きていたのか……!」


 ガルドが呟いた。声が震えていた。


「先生。……見事だ」


 ノアが壁から手を離した。額に汗が滲んでいる。魔力の消耗が大きかったのだろう。


「壁画の修復じゃない。元の状態に戻しただけだ。この画を描いた人間の腕が本物だった」


「じいさんが呼んだ絵師だ。名前は知らん。でも——まだ、残ってたか」


 ガルドがクルトとヨーゼフを呼んだ。二人が五号室に入り、壁画を見て言葉を失った。


「この部屋の壁は触るな。一筆たりとも傷つけるんじゃねぇ。わかったな」




 修復作業と並行して、私はもう一つ、やっておくべきことがあった。


 ノアの部屋——銀泉楼の一番奥、彼が二年間住み着いていた部屋だ。壁一面に本棚が並び、地脈学の論文や地図に混じって、分厚い革装丁の本が何冊も詰め込まれている。


「ノア、この棚にある王国法典、借りていい?」


「……なぜ法典を」


「営業許可で揉めたくないから。先に法律を調べておく」


 ノアが本棚から二冊の厚い本を抜き出した。『アステリア王国法典 第七章 商業法』と『辺境行政実務要覧』。


「商業施設の営業許可は第七章だ。三十四条に辺境自治区の特例がある」


「さすが、もう知ってるのね」


「学者だからな。法律も専門外ではない」


 私は帳場の隅に法典を積み上げ、修復の合間に読み始めた。


 前世ではここが「旅館業法」と「建築基準法」だった。この世界の法体系は前世とは違うが、行政法の構造は似ている部分がある。中央集権の法制度、地方への権限委譲、そしてそこに生じる隙間——。


 第七章第三十四条。「辺境自治区における営業許可の特例措置」。


 読み進める。条文の文体は堅いが、内容は明快だった。辺境自治区では、中央の認証機関にアクセスできない事情がある場合、地方行政官——つまり町長の認証で代替できる。ただし上位行政区の包括承認を前提とする、という但し書き。


 手帳にメモした。『特例措置の要件: 辺境認定+町長認証+上位承認。三つ揃えば中央の証明書は不要。確認事項: エミールさんの手元に上位承認の書類があるか』


 翌日、エミールさんの書庫にも足を運んだ。薄暗い部屋に、埃をかぶった行政文書が積まれている。十五年分の未整理書類の山。でもこの中に、辺境総督府からの通達や過去の認可記録があるはずだ。


「エミールさん、この棚の書類、整理させてもらえますか?」


「は、はい……でも、何を探してるんですか?」


「保険です。何か起きたときに、法律で戦えるように」


 エミールさんが不安そうな顔をした。でも今のうちに準備しておかなければ。前世のコンサル時代に学んだ鉄則がある——問題が起きてから法律を調べるのは手遅れだ。予防こそが最大のリスクヘッジ。




 六号室。修復開始から二週間目。


 ここはセラフィーナ・ルヴェールの——つまり私の理想を、一番強く反映した部屋になった。


「枕の向きは谷側に。朝日で目覚める配置にして」


 ガルドが首を傾げた。


「枕の向きまで指定するのか、嬢ちゃん」


「お客様が朝起きて、最初に目に入るのが窓の外の景色であるべきなの。カーテンを薄めにして、朝日がふわっと差し込むように——」


「カーテンの厚さが客の気分に影響するってのか」


「する。絶対にする」


 ガルドがふんと鼻を鳴らした。でも文句は言わなかった。嬢ちゃんの言うことには根拠がある、と棟梁は学んだらしい。


「文机は窓際に。椅子に座ったとき、視線の先に谷の景色が来るように。そうすると手紙を書きたくなる。手紙を書きたくなる部屋は、良い部屋よ」


 前世の知識だ。日本の老舗旅館で見た客室設計の精髄。窓、光、家具の配置。全てが「ここにいたい」と思わせるために存在する。




 あれから三週間が過ぎた。盛夏の陽射しが谷を焼き、霧杉は深い緑をいっそう濃くしていた。


 修復最終日。ガルドが最後の一枚の床板をめ込み、ノアが建築魔法で壁の仕上げを固め、ヨーゼフが六号室の窓枠に最後の釘を打った。


「……終わったか」


 ガルドが額の汗を拭いた。


 私は二号室から順に、一室ずつ見て回った。


 二号室。地脈の根と共存する新しい床板。歩くと微かに温かい。


 三号室。借景の窓。朝霧の谷が、まるで一枚の絵画のように収まっている。


 四号室。祖父の刻印が見守る梁の下、真新しい漆喰の壁。新しいのに、どこか懐かしい。


 五号室。花鳥画の間。蘇った壁画が、部屋全体に華やかな空気を漂わせている。


 六号室。朝日と谷を取り込む設計。窓辺の文机に座ると、手紙を書きたくなる。


 五つの部屋。全て違う個性で、全て同じ温もりを持っている。


 六号室の窓辺に立ったとき、涙が出た。


「旅館の部屋って、ただの箱じゃないの」


 振り向くと、ガルドとノアとクルトとヨーゼフが入り口に立っていた。リュカが廊下から顔を覗かせている。


「お客様の"家"なの。旅先で疲れて、帰ってきて、ほっとする場所。寝て、起きて、窓の外を見て、ああ来てよかったと思う場所。——それが、旅館の部屋」


 涙を拭いた。泣いている場合じゃない。でも嬉しくて。


 前世で二百軒の旅館を見てきた。どの旅館の部屋にも、作った人の想いが詰まっていた。でも自分の手で作った部屋は——一つもなかった。


 今、五つもある。


「ガルド。ノア。クルト、ヨーゼフ。ありがとう」


 ガルドが照れたように鼻を擦った。


「礼を言うのは全部終わってからにしろ。まだ五室しか直ってねぇ」


 ノアが腕を組んで壁にもたれている。「泣くのは二回目だな」と小声で言った。聞こえてるんだけど。


「部屋はできた」


 私は手帳を開いた。修復計画のページ。「客室修復フェーズ」の横にチェックを入れる。


「次は——風呂。源泉を引いて、大浴場を蘇らせる」


 ガルドが腕を組んだ。


「風呂のない旅館は旅館じゃないからな」


「ノア、源泉の引き込み経路は?」


「すでに設計してある。今の湧出量でも、大浴場二つを満たす最適経路がある」


 頼もしい。この人はいつも、私の一手先を考えている。


「よし」


 手帳に書いた。『フェーズ2——客室: 完了。次: 大浴場修復。源泉引き込み。これが旅館の心臓だ。』


 窓の外で、夏の夕日が谷を金色に染めていた。五つの部屋の窓から、同じ夕焼けが見えている。明日からこの部屋にお客様を迎えられる。


 腕まくりをした。まだまだ——やることは山ほどある。



下にある☆☆☆☆☆をクリックして★★★★★にしてくれたら作者が喜びます!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ