理屈じゃない、理屈じゃないんだよ!
ワイマールの猛者どもは、翌日の訓練もまたキビシい。
鉄砲隊は射撃前に駆け足、射撃後にも駆け足。
自分たちの順番が回ってくるまで、とにかく動いて動いて動いていた。
さらには木銃を抱えて銃剣のド突き合い、取っ組み合い。
お前たちはどこの白兵戦部隊だ、という稽古をしている。
それは弓兵たちもおなじ。
筋力を鍛え、脚力を鍛え、格闘技術を鍛えていた。
白兵戦部隊の抜刀隊たちは、逆に訓練種目が増えて楽になっているかのようである。
そう、投石訓練だ。
まずは走る。
そして筋力を鍛える。
そこへ相撲。
へとへとになったところへ剣術の切り返し稽古。
そこへスリングを使った投石訓練が入ったのだ。
道具を使って石を投げる。
ふむ、これは楽そうだな。
そう思っていたが、そこはクサナギ先生いくらでも鬼になれる。
「大弓の射程は一〇〇メートルを超えると言われる! しかし投石がこれに劣るようではいかん!
よって一〇〇メートル以上投擲できない者は、すみやかに別科に取り組むように!」
別科とは、ようするに特訓のことである。
当然のように地獄だ。
ということで投擲試験。
意外なことにナンブ・リュウゾウの石が一〇〇メートルを越えなかった。
しかしそこはナンブ・リュウゾウ。
ありゃ〜失敗失敗。などと笑っている。
特訓を受けるためにわざと手を抜いたのか。
それとも師の教えは俺が授かる、という意思の現れか。
いずれにせよ、ナンブ・リュウゾウの特訓は決定である。
それからは一定の割合で失格者が出た。
これには理由がある。
石の重さだ。
記録によるとスリングによる投石はもっともっと遠くまで飛ぶものである。
しかし今回使用している石は、握り拳大などではない。
もっと大きな石くれなのだ。
こんなものを投げろというのは無茶が過ぎる、というサイズなのである。
だがしかし、だからこそ兵器なのだろう。
クサナギ先生の考えが手に取るようにわかる。
一〇〇メートル越えを果たせなかった者たちは、相撲のぶつかり稽古、さらなる剣術の切り返しで、それからたっぷりと絞られた。
それで投擲能力が上がるのかよ? と思った諸君。
諸君の考えは正しくて間違っている。
合理性を説くならば、相撲を取って投擲能力が上がる訳が無い。
しかし彼らはスリング投擲で金メダルを狙っている訳ではない。
戦争という理不尽に臨まなければならないのだ。
そこには合理性もへったくれも無い。
ただ死ぬか生きるかがあるだけである。
三分12ラウンドで試合が終わる訳ではない。
終了時刻になればホイッスルが鳴る訳でもない。
相手が精も魂も尽き果てて、もう参りましたというまで戦いは続くのだ。
そこには自分たちの命がかかっている。
そうなるともう、理屈ではない。
理屈ではないのだ。
場合によっては駆け足で敵の側面を大回りし、わざわざバテてから白兵戦による突撃を仕掛けたりしなければならない。
そんなこと無理に決まってんだろ、という作戦も展開される。
しかし、やらなければならないのだ、戦争なのだから。
しかもその無茶、一昼夜に及ぶ攻防の末に発せられることが多い。
そのときになって疲れましたの眠たいのとは言ってはおれない。
すべては「戦争なのだから」の一言で片付けられてしまう。
死んだらいくらでも寝れるぞ。
棺桶の中なら好きなだけ眠ることができる。
などとはよく言ったものである。




