懺悔(二)
五分くらいの間だろうか、部屋はしんと静まりかえっていた。アンネは音もなく泣いている。具体的な話を聞きたいと思いながらも、フィンは話の糸口を見つけられずにいた。
今最も知りたいのは「理由」なのだが、そこに切り込むのはまだ早い気がする。かといって、他に何を聞けばいいものか。いつもの癖で、困った時にする曖昧な笑みを見せてしまったが、そのまま黙っているのも限界だ。フィンの中で結論が出せずにいた、その時。
「非難してくれても構わない。自分でもひどい事言ってる自覚はあるから」
まだ流れ落ちる涙をぐいっと拭い、アンネは顔を上げた。赤い目元に残る雫がつい、と最後の線を引いて落ちた。夕暮れの流れ星のように。
「いや、非難しないよ」
何を考えるでもなく、口がそう言った。腹を決める時だ。真顔で正面から見据える。必要なのは曖昧な笑みじゃない。
「俺の事も、最初は怖かった?」
知らず、幼子に話すような優しい声音になっていた。何かを思い出せそうな気配もあったが、フィンは構わず、アンネの表情のみに注力していた。今は自分の記憶などより、アンネの心のケアが大事だ。
きょとんとした後、アンネはすぐに首を横に振った。
「貴方は普通の人間だから、怖いとは思わない。でも、あいつはペクトラだから」
彼女の震え声と眉間のしわが物語るのは、ペクトラという存在への恐れだった。畏怖、なのだろうか。
「確かにペクトラって呼ばれてるらしいね。でも、ペクトラと普通の人間の違いは、よくわからないなぁ、俺」
はちみつ水をゆっくり飲んでから、正直な気持ちを伝える。わざとゆったりした口調で話すのは、思っていたより苦ではなかった。
「私もそんなに詳しくない。リリィみたいな二つ目の人格がいて、卓越した身体能力とか、色々持ってて……」
たどたどしい彼女の声に、うんうんと相槌を打つ。木の椅子がきしりと鳴った。
「そう、その能力が不明瞭だよね。他のペクトラにもあるのか。どんな種類の能力があるのか。いくつ持ってるのか。ね? わからない事だらけだ」
そう言って、フィンは軽く同意を求めた。アンネは困惑した顔で頷く。
「怖いって感情の根底には、相手の事がよくわからないって不安があると思うんだよ」
特に難しく考えるでもなく、口から言葉が紡がれていく。失った記憶の中で似た会話をしたのかもしれないとは思ったが、今考えるべきことじゃない。彼女が安堵する言葉をかけてやらなければ。そんな使命感がフィンを突き動かした。いつも通りの呑気な顔で、いつになく真面目に。
そんな風に話していたからだろうか。アンネは沈んだ面持ちで黙っているしかないようだった。彼女のカップに目を落とすと、はちみつ水の水面がゆら、ゆらりと揺れた。
「不安のように強い負の感情は、自分でどうこう出来るものじゃない。けれど大事なのは、否定的な感情ともちゃんと向き合った方がいいってこと」
言いながら、ふと我が身をかえりみる。俺自身は、ちゃんと自分の感情と向き合えてるのか? 記憶喪失を言い訳にして、仕方ないと背を向けていやしないか?
「もちろん、怖がっている事を相手に悟らせないようにする気遣いはあった方がいい。でも、もしそれを隠しきれなくて、相手を傷つけてしまうとしても、自分の感情に蓋をして、なかった事にしてはだめだ。と、思う」
とうとう言葉が途切れてしまった。どうしてもその先が、自分の結論が言えない。それはきっと、これが自分の言葉じゃないからだ。失われた記憶から引きずり出された、つぎはぎの言葉に魂はなく、救いもない。やはり俺は駄目なやつなんだ。あの時だって……。
「あの時……?」
そう呟いた時、顔から血の気が引くのがわかった。何か思い出せそうな気配と、それを阻むかの如き波紋が頭の中でひしめき、画像が曖昧になる。再び混沌の中に閉じ込められていく感覚。なぜだろう、それが少しだけ寂しくて、ほっとした。
「だ、大丈夫? 顔色が良くないよ」
気がつくと、アンネが目の前に膝をつき、心配そうにこちらを見上げていた。椅子に座ったまま、意識が飛んでいたらしい。
「平気、平気。きっと、雪かきした疲れがたまってたんだ」
「もしかして、何か思い出した?」
アンネの問いに、どう答えたら良いものか。実際何も思い出せてはいないわけだが、事実を端的に答えるだけというのは違う気がした。今伝えたいのは素っ気ない言葉じゃなく、安堵。
「いや、思い出せなかった。でも、きっかけがあればすぐ思い出せる気がするんだ。だから、心配しなくていいよ。ありがとう」
「そう。早く思い出せるといいね」
アンネは緊張を解いて微笑み、立ち上がった。
「だからその、言いたかったのは……」
言葉が出てこない。アンネの苦しみを解決してやりたいのに、どうしても結論が言えない。
「無理しなくていいよ」
ぽん、と肩に手が置かれた。部屋は充分暖かいのに、彼女の手から温もりが伝わってくる。不思議な感覚だ。
「確かに、私は自分と向き合えてなかったかも。酷いこと考えてる自分が嫌いで、必死に否定しようとしてた。それに気づかせてくれたから、フィンの言葉は確かに私に届いたんだ。そうでしょ?」
フィンは何も答えられなかった。言葉が届いた。その一言が、喉につかえているかのように残留する。俺は何も成せていない。アンネは自力で立ち直ったに過ぎず、俺の言葉は必要なかった。そんな思いが、ひどくフィンの心を締め付けた。
「うん、辛気臭い話はこれでおしまい。そろそろ帰らなくっちゃ」
理由を聞くことができないまま、話はそれで終わってしまった。玄関の外までアンネを見送り、曇天の空を見上げてフィンは思う。俺はこの世界に必要なんだろうか、と。
明けましておめでとうございます。こちらではご無沙汰しておりました。
お正月だからでしょうか、pvが毎日ついている気配があり、大変喜んでいました。新規の方々に読んで頂いているのか、ブクマしてくださっている読者の方々のものなのか。どちらにしてもありがたいことです。改稿が進んでないので積極的に宣伝できていないのですが、今年も気長に続きをお待ち頂けましたら幸いです。
では、今年こそ冬景色の舞台から脱出したいと願うKENでした。また数ヶ月後にお会いできることを楽しみにしております。




