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【クレヴ】
死ぬ思いをするのは、これで何回目だろうか。1日に何度もあるとか、俺だけその頻度が間違っている気がしてならない。
今回もA級のモンスターに指定されているであろうワイバーンに2度目の騎乗という滅多に起こり得ない状況でのことだった。
顔にかかる風圧で目が開け難く耳が完全に機能しない中、振り落とされないよう必死で抱きつく形でしがみ付いていた筈だったのだが。
――いつの間にか、硬質な感触が無くなっていた。
地面へと吸い寄せられる力にあたふたと混乱しつつも、何とか目を見開いてみると、間近にいた筈であるワイバーンの姿を見失っているではないか。
恐る恐る上を見上げてみれば、黒い飛行生物。視線を下にズラしてみれば、端の方にルイゼンハルトの街並みが。
つまり、ワイバーンが襲来したと街に混乱が起こらぬようルイゼンハルトに近過ぎない距離で俺を投下したらしい。
人の言語を解するのだから、知能はそこそこ高いのだろう。存在がバレたら大変な事になると理解しているようなのだから。
ただ騎乗者の配慮とか安全を考慮して貰いたかった、というのは後の祭り。
鳥のように腕を動かしたり、出来るだけ空気抵抗を増やそうと足掻くも落下速度が落ちる事は無く、ぐんぐんと地面が迫ってくる。
頭を守るように腕で抱えつつ、最低どこか身体が不随になる事を覚悟したのだが――捨てる神あれば拾う神あり、と父が受け止めてくれたお蔭で一命を取り留めた。
あのまま命を落としていたら、死因は飛び降り他殺。やはり人間は空を飛ぶべきでは無いと心に深く刻むのだった。
「おい、いつまで呆けてやがる! さっさと行くぜ!」
以上が僅か数分前に起こった出来事なのだから、もう少し心を整理する時間をくれても罰は当たらないと思うのだが。
急かす父の後に続いて、門のある方へと足を向ける。
馬車でしか門を潜った事が無かったのだが、やはり歩行者の場合でも入場の際に軽いチェックを受けるようだった。
「そこの無駄に大きな剣を所持している男、止まりなさい」
5メートル超の大剣を肩に担いでいるのはやはり目立つからか、門番らしき若い騎士に引き留められる。だが、父はその制止を無視して強引に通ろうと足を進めた。
当然、職務怠慢では無いらしい真面目な騎士が腕ずくで止めにかかるも、当然の如く全く歯が立たない。
「俺は急いでんだ、邪魔すんじゃねぇ。別にギルド通いの奴なら武器を所持しててもおかしくねぇだろ?
何、お前? 俺が他と違うからってだけの理由で『規則があるから』とか言って引き留める口なの?
これでもし子供の命がかかってたら、どうするつもりなんだァ? 俺は急いでんだよォッ! お前は人の大事なモンを見捨てられる薄情な性格してんのか? あ?」
父は怒気を孕んだ声で若輩の騎士に威嚇すると、騎士の彼は若干涙になりながらも父の進路を塞ぐようにその場で留まった。いや、腰が引けて動けないのかもしれない。
蛇に睨まれた蛙、というヤツか。
にしても、父の言い草は酷いものである。まるで子供がくっだらない極論を持ち出して無駄に困らせる姿と重なるみたいだった。
けれど、問答無用で見境無しに騎士を切り捨てる事はしないらしい。激怒はしているが、ある程度は自制をしているようである。
「ヒィ! あ、あの……私の眼に狂いが無ければ、ですが。もしかして貴殿はシルヴァ殿ではありませんか?」
恐怖というのは人を盲目にもさせるが、反対に視覚を明瞭にする事もあるらしい。父の名前を呟くと、おどおどしながら騎士の彼は恐怖を誤魔化すよう口早に言葉を続ける。
「た、確か団長殿から知らせがあって参られたのですか?」
「知らせだァ? 手紙なんて来てねぇぜ?」
片眉を顰め、父は鋭い視線で俺に確認してくるが、俺も身に覚えがない。だが、これで団長の目的が父だとはっきりした。
あまりに早く行動を移したせいで、すれ違いでも起きたのだろう。あちらから招いてくれる気だったとはな……。
「来て早々に門前払いされると思ってたら、逆に歓迎されてるっぽいな。この人の案内でも受ける、父さん?」
「受ける訳ねぇだろ。下っ端にも通達されてるようだし、罠の方へ誘導される可能性があんだろうが。それに――」
奥歯を噛み締め怒りを露わにしていた父が薄く笑みを見せ、
「――乗り込んだ方がクレアンヌにカッコイイ姿を見せられんだろ?」
馬鹿な事をほざいた。虫の居所が悪い割に、余計な事を考えられる思考能力が残っているとは。いや、どうしてもそういう思考を切り離せないのかもしれない。
分かってはいたが、どんだけ母の事好きなんだよ、この野郎は。
「つー訳で、ここは通らせて貰うぜ? 事情も知らねぇで上からの命令を聞いてるだけの下っ端にゃあ用はねぇ。ただ邪魔するってぇなら――殺すがな」
凄みのある低い声に萎縮した騎士を尻目に、父と共に小走りで門を通過する。
「時間を取られちまったな。急ぐぜ、クレヴ!」
「ちょい待ち。気持ちは分かるけど焦り過ぎだ、父さん」
人の群れる地帯である大通りを強行突破しようと考える父に待ったを掛ける。無闇に突っ込まれたら怪我人が続出する事は目に見えているだろう。
「俺、丸腰なんだけど? そもそも荒事なんて勘弁願いたいところなんだが、父さんは殺る気満々みたいだから止めるつもりは無い。
つーかもう諦めてるどころか、そんな事を考える時点でもう時は既に遅しなのは理解してる。
だけど、無手でやりあうのは無理。普通に死ぬ。そもそも武器があっても騎士に喧嘩売るとか、命知らずにも程があるって。
だから――」
隠密を心がけて母をこっそり奪還しよう、と提案する前に。
「あの盾がありゃあいいんだろ? さっさと取りに行こうぜ?」
わざわざ連れてきたくせに面倒そうな顔をした父に遮られてしまう。しかも語調が軽過ぎる。何だ、その子供の虫取りに渋々付き合う父親、みたいな軽さは。
まぁ、母が捕まっているせいで気が気でない状態なのだから、やむを得まい。深く溜息を吐き出すと、街へと足を踏み出した。
背中を押される形で盾の修理を任せた店まで先導する事となったのだが、周囲からの視線がやけに気になってしまう。
それというのも、異様な威圧感を放つ父と歩いているせいで、人の波が凱旋パレードみたいに真っ二つに割れていったからだ。
とはいえ、周りの反応を窺うに父が犯罪者として指名手配されている感じでは無さそうである。じゃあ何故、母は捕まってしまったのだろうか。
いや、そもそも街に住む人の殆どが母を捕らえた理由どころか、その事自体を知らされていないのかもしれない。
「こんにちはー」
例の無愛想ながらも精霊の存在を語ってくれたというギャップを持つ店主の店の扉を開け放ったところで、一旦思考を切り替える。
人と話す際に余計な事を考えているのは失礼に値するからだ。
「いらっしゃい……?」
奥の工房から出てきた店主が相も変わらず無愛想な顔で出迎えてきたのだが、父の顔を確認すると烏の足跡が目立つ目を大きく見開いた。
よもや、父が再び来店するとは予想だにしなかったのだろう。
「修理に出してた盾、あれをすぐに持ってきてくれ」
開いた口が塞がらない店主の様子を気にかける事も無く、父が前置きもせずに直球で要求を突き付ける。
久しぶりの顔合わせだというのに、配慮する気はさらさら無い父に思わず苦笑い。
まぁ、父からすれば、そこまで深い関係がある訳でも無いから仕方ないと言えば仕方ないのだが。
一方的に無茶な仕事を押し付けられたせいで、あの店主の脳裏に父の存在がしっかりと焼き付いているだけなのだから。
「……お前は全然変わらんのだな。その性格も見た目も」
「え? 知り合い?」
そこで何故か父の視線が店主から俺へと移る。此奴め、他人に興味が無さ過ぎるのか、本当に覚えていないのか。
分かっているつもりだが、せめて記憶をサルベージする素振りくらい見せれば良いのに。
母の事については気持ち悪いくらいに記憶力を発揮する父を睨み付けると、何か脳裏を掠めたのか父がはっとした表情を見せる。
「『どこかで会った事がある』と口説いてんのか? こちとら妻子持ちだから大人しく諦めてくれ――って、いきなり何しやがんだ、クレヴ?」
我知らず、無言で父の脇腹に渾身の肘鉄を打ち込んでやったのだが、全く効いていないらしい。寧ろ、此方の肘に痛みが走った。
相変わらず不可思議な筋肉してやがる。母が触る時には常人と同じぐらいの柔らかさをしているというのに。
……後、確実に姉の恋愛ボケは父からの遺伝だと、今一度はっきりと確信した。血は争えない、というヤツなのだろう。
「いいんだ。オレの目の前でコイツの取り繕う姿なんて見たら、ぶったまげるってもんだ。下手すると国王様にも謙った態度を取らんかもな」
乾いた唇を僅かにつり上げると、店主は再び工房の方へと向かうと、ずっしりとした体格をした中年の弟子らしき人物に例の盾を持たせてカウンターに戻ってきた。
金槌が奏でる金属音が聞こえてこなかった事から察するに、御弟子さんは休憩中だったのだろうか。だとしたら、悪い事をしてしまったかもしれない。
盾をカウンターに置いたと同時に彼は深く息を吐き出すと、己の腕をプラプラと揺らす。見た目以上の重量があるからな、その盾は。
2歳になる前の姉がジャグリングするかの如く片手で軽々と持ち上げていたのに対して、俺なんか9歳になってようやく両手を使って少し地面から浮かばせるので精一杯だったからな。
9歳当時は大人になっても所持した状態じゃまともに走れないと思っていたけど、非人道的な扱きを受けてきたせいで、今ではあの盾を持ったままでも普通に走れるようになったし、人間慣れてしまえば色んな事が出来るのかもしれない。
……いや、少し待てよ。確か、あの盾って姉の練習台になっていたらしく、相当削り取られて重量が減っていたんじゃないだろうか。
……改めて思う、姉と同じ血が通っているとは信じられない。母が浮気に走った際に生まれた子供、と考えた方がまだ納得出来る。
「そういやぁ、頑丈なんて言葉じゃ足りんくらいの盾をよくもまぁ、ここまで壊してくれたなぁ。一体、何と戦ってそうなった?」
「あぁ? 確か俺の娘のクリュテが半分以上ぶっ壊してくれたっけなァ」
凹凸のあった表面が修理を施され、すっかり綺麗な曲線を描いている盾を感慨深く撫でる店主の手がぎこちなく止まる。
店主は『お前の質問に答えてやったんだから、さっさと盾をよこせ』と言わんばかりに、顔全面へ苛立ちの感情を露わにする父を見て、それから俺に悲しげな目をやった。
店主の心の中では、何とも言い難い感情が渦巻いているのだろう。だが、俺までその感情を引き起こした張本人にして欲しくはない。
まったくの誤解だ。寧ろ、被害者――そちら側の人間だと断言出来よう。
そうか、と店主がどこか寂しげに呟いた後、気持ちを切り替えたのかいつもの無愛想な顔に戻ると口を動かし始める。
「……こうして盾を取りに来てくれて悪いのだが、まだ修理が終わっておらん」
「あ? じゃあ無駄足だったって事かよ……」
露骨な態度で舌打ちする父を嗜めようとしたところで、店主の言葉が続く。
「オレが言いたいのは、完全に修理が終わっておらん物でも持って行くか、って事だ」
思わず盾の方に目を向けるも、素人目ではあるが特に中途半端な部分は見られない。壁にかけられている商品と比較しても、遜色は無いと思う。
「これであん時に作ってやった物の4割程度しか効果は発揮せん。それでも良いか?」
「それで充分だぜ。んじゃ用事も済んだし、さっさと乗り込むぜ、クレヴ!」
念押しするように問いかける店主に、父は了解の意を即示すとUターンして店から出て行ってしまう。
興味の無い事はとことんぶっきらぼうで、すぐに放り出す父に辟易しながらも、懐から金貨を詰めた袋を取りだすのだが。
「ちゃんと仕上げてやれんかったのだ。代金は前金だけで結構」
店主が頑なに受け取ってくれず、気まずい気持ちを抱えつつも盾を背負う。
やはり前よりも重量が増しているようだったが、問題無く動けるみたいだ。これもクソ重かった枷を強制された奴隷生活のせいだろう。
「今回は必要に迫られておったから不十分な出来で渡す羽目になった。だから次に店を訪れる機会があれば、その盾を完全な形にさせては貰えんか?」
「………………はい」
長考の末、頷く事にした。これから騎士達に喧嘩に売るという物騒な事を起こす予定が組まれているのだが、果たしてもう一度この店に来る事が叶うのだろうか。
犯行が露見されれば国外退去、もしくは一生牢獄暮らしになるかもしれない。一応、顔を隠す布など用意しているが不安で堪らない。
今更な精神的重圧を無理やり抑え込んで店を出ると、父の先導を再開する。
「ちんたら歩いてないで、とっとと留置所とやらまで走って行こうぜ?」
「焦る気持ちは分かるけど、歩いているだけで父さんは目立つんだから。走ったらもっと注目浴びて騎士に見つかるって。
そしたら余計に時間を食うかもしれないだろう?」
強引に父を説き伏せると、留置所に向かう道すがら見習い時代に見聞きした情報を思い出していた。
ルイゼンハルトには留置所が幾つか存在しており、大体が平民区に置かれているのだが、一つだけ貴族区に置かれているものがある。
その留置所では容姿が整った者が収容されており、貴族の慰み者や玩具にされるという噂があるらしい。
まぁ、一般に公然されている訳でも無く、口が軽い騎士達の話から盗み聞きしたものなので、それが真実だとは限らない。
が、火の無い所に煙は立たぬ、という言葉があるのだ。……っても、今はそこが重要では無いのだが。
ポイントは『貴族区にある』という点だ。選民意識が強く、面倒な気質を持つ貴族が住む区画である。
ならば、万が一の事が起こらないよう警備が厳重に行われていると容易に想像出来るだろう。
母は特に容姿が整っている訳では無いが、大層な通り名が知れ渡っている父の人質として捕らわれているのだ。
となれば、それなりの備えやら用心が必要になってくる筈である。
「――という訳で、これから向かう先も結構な人数で待ち構えているかもしれないのに、更に増えたら厄介だと思わないのか、父さん?」
「おいッ! それじゃ今、クレアンヌは純真な子供に見せられないような胸糞悪い事されてるんじゃねぇかッッ!!!
何でその事を早く言わなかったッ! 勢い余って、お前もぶっ殺してやろうか? あァ?」
『そんな事、母にはされないと思う』、とは口が裂けても言える気が全くせず、ただ沈黙に徹する。
胸倉を掴まれ、マフラーを引き千切られようとも抵抗はしない。こんなところで暴発――八つ当たりされても困るだけだし。
やるなら、全部原因を作った騎士共に被害が及べば良い。因果応報だ。
「……なぁ、留置所ってこの方向であってるんだよな?」
首元の圧迫感から解放された後、父の鋭い視線に耐えながら無言で足を進めていると、突然父が疑問を投げかけてくる。
「記憶に誤りが無ければ、ちゃんと向かえてる筈だと思う。まぁ、まっすぐ目的地まで一直線に進む訳にはいかないから――」
「いや、ほんの少しの誤差とかの話じゃねぇ。クレアンヌの気配は何故かあんな所にありやがる」
強く噛み締めた歯を剥き出しにして、父の顔が向いたその先には――俺の予想を斜め上をいく建造物が目に映った。
【アーノルド・ハーディア】
「いい加減、控えてはくれませぬか?」
「公務に差し支えが無いのだから良いではないか」
謁見の間にて、宰相の小言にアーノルドは彼の顔から目を背けた。別にアーノルドは遊んでいる訳でもサボタージュしている訳でも無い。
歴とした仕事を熟している最中であった。ただ、その割合が他に比べて多いのだが。
「国の天辺に立っているとはいえ、国を全て見渡せる訳では無い。寧ろ、足元が見えずらい事の方が多いであろうて。
だから私は多くの民の話を聞き、死角を出来るだけ減らさんとしているのだ。足元を掬われ、下敷きにしたくは無い。
私は賢王などではありはしないからな。せめて、『自分の考える事は全て正しい』と思い込み、分からぬ事を平気な顔をして知ったか振るような愚王になりたく無いのだ」
「しかしですな、些か時間が取られ過ぎだと思うのですが。そんなにお喋りがお好きならば、会議の方にも積極的に参加為されては如何でしょう?」
宰相の言葉を聞き流し、アーノルドは謁見に来た者を招くよう近くに控えていた近衛兵に指示を出して、強引に宰相を黙らせた。
何と言われようとも、アーノルドに聞き分ける意思は無い。肩が凝るような堅苦しい仕事ばかりでは、やってられないと感じていたからだ。
「おや、こんな形で対面するとは珍しい。騎士団長ではないか」
面長で、細い目を軽薄な笑みで更に細くした男――騎士団団長のミハエルがアーノルドの前で跪く。
そして長ったらしい前置きを垂れ流したところで、ようやく本題に移る。
「――実は先日、あのシルヴァの妻と思われる人物と接触する事が成功しました。
そこで彼女には悪いのですが、シルヴァを誘き寄せる餌になって頂こうかと留置所の方へ――」
「それは本人の意思を確認した任意同行なのか?」
ミハエルの直接的な物言いに、途中で遮るように口を挟むアーノルド。
「はい……と申し上げたいところですが、なかなか強情でしてね。『夫を売るような真似は出来ません』とまで言われましたよ。
まぁ、実際シルヴァの首輪になって頂こうかと考えていましたが」
「……何を考えている? 何の罪も無い民を留置所などに」
すらすらとオブラートに包む事無く己の考えを発していくミハエルに、アーノルドは強圧的な声で返すが、彼は笑みを崩さない。
それはどこか自信に溢れている姿をしていた。自身の発している言葉に、誤りなど無いと言わんばかりに。
「失礼ですが、国王陛下こそご理解出来ていないようですね。あのような野蛮で強大な力を持つ者を野放しにしていらっしゃるなんて。
何かに縛り付けておかねば危険極まりない。猛獣を野に放っているのと同じ事」
今度はアーノルドに口を挟む暇を与えず、ミハエルは饒舌に語り続ける。
「飼い馴らす事は難しいでしょう。ですが、あの力には利用価値があります――例えば、未だ誰も成し得ない魔王討伐」
アーノルドは静かに腕を組んだ。人類の悲願である魔王の討伐。様々な噂が流され、諸悪の根源と称された存在。
しかし、それだけ名が知れ渡っているというのに、誰も魔王の姿を知らない。一部では本当に存在しているか怪しいのでは、という意見もある。
あやふやな存在。アーノルドもこの島から出る事を規制されている理由が魔王と関係している事を認知していなければ、その存在を完全に認める事は出来なかったかもしれない。
「だが……」
「国王陛下が不満にお思いになるのは理解しております。シルヴァの妻を不当に留置所へ置いた事、でしょう?
必要な犠牲、とは割り切れないでしょうから、彼女にはこの城にある私の執務室へ場所を移して貰いました」
「何を勝手な……」
咄嗟の事で、アーノルドは言葉に詰まってしまう。まだ納得のいかぬまま、彼の承認も得ないまま、どんどん事が進んでいっているのだ。
それに、ミハエルの言っている内容は単に監禁から軟禁に変わっただけ。シルヴァの妻に本来許されている自由が奪われてしまっている。
ミハエルの行動に憤りを感じなくは無いものの、それでもどこか少し安心しているところがあった。
過剰な力をコントロール出来るかもしれない術を手中に収めたミハエルが、野心のままに力を振るう可能性を恐れたからである。
それだけ、シルヴァの存在は厄介と言えるのだ。もしかすると、同じ人間とカテゴライズされている分、魔王よりも。
「早めが良いと思い、シルヴァの方には手簡を送ってしまいました。勝手な行動をどうかお許しを」
頭を垂れるミハエルを見つめたまま、アーノルドは何も言葉を発する事が出来ずにいた。どうすれば良いのか、分からなかったのである。
感情に従って、シルヴァの妻を解放させれば良いのだろう。しかしそれでは、騎士団の彼らから反発が来る恐れがある。
今まで、騎士団含む混成軍で魔王討伐の遠征を幾度となく行ってきたものの、全て失敗に終わっていた。
シルヴァがそこに加わればもしかすると、という希望に似たものを見せつけておいて、上からの一存だけでそれを取り消せば、反感を買うのは容易に想像出来る。
ミハエルのやり方は姑息で強引過ぎた。だが、それも仕方ないと言えなくは無い部分もある。
何故なら、シルヴァはアーノルドが頭を下げようとも、魔王討伐を引き受ける玉では無いからだ。
相手がどんなに偉かろうが、報奨金が高かろうがシルヴァの判断基準にそぐわなければ、決して首を縦に振る事は無い。
それにシルヴァは自由な気質であるからか、堅苦しい団体行動を好まない。
今回のように脅し紛いの手段を取らなければ、シルヴァから了承を得る事は不可能に思われたのだ。
「――」
何か発言せねば、とアーノルドが口を開いた瞬間――轟音が彼の耳を痛めつけた。発生源は、すぐ近くの壁。
その壁に大穴が空いたと彼が認知した時には、飛散した破片が木端微塵に砕け散り、砂塵となって舞い上がる。
その砂塵の中には、いつの間にか大きな影が存在していた。舞い込んだ風によってその姿が露わになったところで、アーノルドがまず目に入ったのは人とは思えぬ巨体である。
その巨体を持つ人間は、先程まで話題に上がっていた人物――シルヴァ。右肩に担ぐ、彼の体躯より長身の剣で壁を振り払ったのだろうか。
他に目立った武具が見当たらない為、そう考えるしか無いのだが、アーノルドには剣一本で壁を木端微塵にする芸当なんて想像もつかなかった
怒髪天を衝く姿は、『鬼』という言葉でもまだ足りない。シルヴァから溢れ出す怒気が伝わってくるようで、アーノルドの肌がチリチリと痛む。
侵入者はまさか彼一人、かと思われたが、アーノルドはシルヴァの脇に抱えられた少年の姿を見つけた。
此方もシルヴァと同様に身体の大きさに合わぬ盾を背負っているようだったが、他に変わったところは確認出来ない。
どこにでもいるような、茶の瞳に茶髪をした少年であった。
「待てっつったのに、何で突っ込みやがったんだッ! 父さんッ!」
「いや、正面から行くと色々面倒じゃねぇか。しかも、時間ばかり食われて下手すると数十日くれぇ入る許可が下りねぇって言うしよォ」
「だからと言ってもよ、父さん。一体どっから入りやがった? 答えてみやがれッ!」
「いや、普通に正面が駄目なら裏とか横しかねぇだろ」
「壁だよ、かーーーべーーーッ! 大体、壁ぶっ壊して入るとか、普通じゃねぇから! 穏便に忍び込むとか考えられないのかよ?」
「でもよォ、ぶっ壊して堂々と入った方がカッコイイじゃねぇか」
「格好良くねぇよ、普通は怖いからなマジで。つーか、母さんは荒っぽいのよりも、紳士的な振る舞いの方が格好良いと思ってるらしいんだが?」
「嘘だろ……だが、クレアンヌは見てねぇからセーフだな、セーフ」
唖然とする空気が充満する場内を気にする様子も無く、怒鳴り声をぶつけ合う2人の侵入者。
だが、途中で会話を切り上げたらしいシルヴァがアーノルドのいる玉座へと視線を移した。
「よォ、随分舐めた真似してくれてんじゃねぇか、国王共」
重圧感の声を発するシルヴァに、アーノルドの身体が強張ったのだが。
「今更格好付けても、遅いって」
ポツリと、少年が呟いた一言でアーノルドの顔に苦笑いが浮かんだ。
次回、また戦闘。
なかなか話が進まなくて、申し訳ありません。次回は、ちゃんと進めます(予定)




