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【クレヴ】
「帰って来ねぇ……」
この世の終わりみたいな絶望に染まった顔で溜息を吐く父を目にしながら、葉菜類や茎菜類、果菜類などをふんだんに挟んだヘルシーなパンを咀嚼する。
野菜ばかりで食べにくいと嫌厭していたが、案外食が進む事に驚きを隠せない。
上にかけられた独特な辛味のあるドレッシングのお蔭なのか、はたまた食材の組み合わせが良いからなのか。
そこまで食通だったり、繊細な舌を持っている訳では無いが、これはとにかく美味と呼べるものに間違いないだろう。
流石は『我が生涯は食う為だけにある』と満腹時以外、常に食事を摂り続ける男が作り出した逸品である。
食への拘りが人並み外れていると聞いて、御裾分けしてもらった甲斐があったというものだ。
貰った対価がザビウスで汲んできた温泉水、という手軽なもので済んだのも大きいかもしれない。何せ、此方はタダ同然なのだから。
「都会で見つけた男と不倫でもしてるんじゃない?」
「そんな事は……まさか長い間、村を離れていたせいで俺への愛が薄れ、他の野郎なんざに目移りしてしまったとでもいうのかッ!?」
見ていて大変鬱陶しい父に更なる追撃をかける。慰める気持ちなど端から無い、皆無に等しい。
最愛の母と顔合わせ出来ずに2週間経ち、普段は滅多に泣かない父が俺の発言によって、ついには号泣したが、罪悪感などちっとも湧かないのだ。
何故なら父は俺の緊急事態時に、あろうことか放置を選択したからである。そのせいで、古典的に言うところのBまで姉にやられてしまった。
奇跡的に童貞は死守したものの、もはや婿に行けるような綺麗な身体では無くなってしまったのである。
具体的に言うと、最終防衛ライン含む全身を姉の舌によって蹂躙され、遺伝子情報が詰まったブツまでもが、姉に経口摂取されたのだ。
……俺史上最大の恥辱と言えよう。性欲に流され、精神の方も『もう姉でもいいんじゃないか』、と考える一歩手前まで削られてしまったし。
「……いや、愛に障害はつきものだと言うじゃねぇかッ! 今がその時――」
「母さんからすれば、父さんが障害みたいなモンだと思うけどな」
復活しかけた父を撃沈させ、食卓から離れる。面倒くさい父の相手はまだ食事を終えていない姉へと押し付け、家の外へと向かう。
長年離れていたせいで姉の内で限りなく膨れ上がっていた俺への渇望も収まってきたのか、最近では四六時中ベタベタと密着される事も少なくなったかもしれない。
……此方は多大な犠牲を被ったのだ。それなりのリターンが無ければ、やってられない。
だが、失ったものと成果が釣り合わないと思うのだが。世の中って本当に平等じゃない。
「今日は一段と寒いなぁ……」
ポツリと呟いた独り言に伴って、白く染まった息が数秒空気中を漂うと溶けるように消えゆく。
こんなに寒いのは、2月に入って数日が過ぎ、草葉の色が抜け落ちた殺風景だった大地に真っ白な雪化粧が為されたせいだろう。
幼い頃は地面の上に降り積もる、冬の代名詞とも言える雪が喜ばしいものに思えていたが、今になっては冷たくて寒々しい物体としか思えない。
童心に帰って銀世界の中へと飛び込み、その後感傷に浸る事も無く、ただただ手足が霜焼けにならないか、悴む手で父の攻撃を受けると飛び上がる程痛いんだろうな、という不安が湧き上がるだけである。
首に巻いたマフラーを口元まで引き上げ、コートのポケットに手を突っ込むと、特に目的地を定める事無く、足を柔らかな雪の上へと踏み入れた。
「あっ、おはようございます。クレヴ様」
歩き始めて1分も経たない内に、ふさふさとボリュームのある藍色の毛に包まれた耳と尻尾が特徴的な少女に挨拶される。
約2カ月にサラナ村の住人となった獣人達の中でも一際容姿が整った彼女の名はアンリエッタ。
村のおばさん達が舞台役者並に持て囃すハンサム男、イェーガーが溺愛する妹でもある。
13歳とは思えぬ発達の良いプロポーションなのだが、生憎と寒い季節だからか厚着を着ている為に分かりにくくなっていた。
「様、は別にいらないんだけどな……」
苦笑いを浮かべつつそう言い返すも、相手が嫌々では無く本気で敬称を付けたがたる為、なかなか止めさせるまでには至っていない。
それだけ、俺への敬意の念が薄れていないのか。俺としては大して敬われるような事はしていないつもりなのだが。
肉の塊であったソムルド・ゲルブッチャーという貴族から、囚われの身となっていた彼女達を助けた事もあったが、それは獣人達の男衆も同じ事。
俺だけ尊崇するのは明らかにおかしいと言えるだろう。更に言えば、俺は彼等、彼女等を酷い目に合わせていたソムルドと同様、憎き対象であろう人間である。
いくら助けたとはいえ、その厭悪は簡単に消えるとは思えない。
……そう考えると、彼等からその感情をぶち壊した村の空気やら、リアナを崇拝をする元シスターのリーシャによる教育が凄まじいものに感じてしまう。
「アンリエッタさんはまた『セフィロトの樹』の種を見ててくれたのか?」
「はい。あんな大きな種なんて見た事もありませんでしたから。是非とも芽が出る様子をこの目にしたいと思いまして」
アンリエッタの声を耳にしながら、雪が除けられ土が晒された場所へと視線を落とす。そこには姉が土産として持って帰って来た種が埋めたのだ。
セフィロトの樹、というのは御伽噺に出てくる幻の大樹で、その葉を煎じて作られた薬はどんな傷でも癒す効能を持ち、その根で作られた薬はどんな病でも忽ちにして完治させる事が出来るという。
そんな眉唾物の代物が、目の前に存在している。とても信じられない事なのだが、持ち帰って来た姉は既に美の泉なんていう場所に辿り着き、卓抜した美貌を手に入れていた。
なので、一概に嘘とは言い切れない。……とはいえ、姉が偶然見つけたセフィロトの樹には伝説に出てくるような効果は無いという。
せいぜい枝に茂る葉を煎じた物を飲めば、体力を増進させる効果がある程度。まぁ、それだけでも充分に凄いのだが。
にしても、これを姉が持ち帰ってきた理由がこれまた凄いのだ。俺が過去に一度、書物を眺めながら呟いた一言を聞いただけで、いずれ俺へプレゼントする事が決定していたらしい。
確かそう思い至ったのは、村にいる医師が7歳以上は治療どころか診察お断りという変態野郎だったから、だっけか。
あるかも分からない物を探そうとする姉の行動力には驚かされるばかりである。本当に控えて欲しい、特に俺へのアプローチとか。
「ですから今日も種の上に降り積もった雪を払い除けに。クレヴ様も様子を見に来られたのですか?」
小首を傾げる彼女に取りあえず頷きを返すと、そっと彼女の瞳を窺った。そこには、以前のような盲目に近い恋慕の色は見られなかった。
やはり、あの好意は彼女の勘違いだったのだ。彼女の年頃には珍しくも無い、恋に恋していただけ。
ちょっぴり物悲しい気もするが、これで良かったのである。助けただけで、人を好きになる筈が無い。
顔だって特別整っている訳でも無いのだから、少し会話をしただけで惚れられるなんてありえない。
分かっていた事だったが、意外とショックがデカかった。そして何よりも恋愛脳的な考えになってしまう自分が嫌になる。
「――ありがとう、ございます」
「んあ?」
思いがけない言葉に、気の抜けそうで阿呆らしい奇声が出てしまう。
だが、それを目にしていたであろうアンリエッタは、腹を抱えるようなものでは無く、穏やかな微笑を浮かべた。
「まだちゃんとしたお礼を言えてなかったので、つい……。突然の事で驚かれましたか?」
覗き込むようにして俺を見上げてくる彼女に、俺は素直に頷いた。『ありがとう』という言葉なら、既に獣人達から飽きる程に聞かされている。
だから、こんなに期間が開いてから彼女個人に感謝されるなんて、思いもしなかったのだ。
それに俺は別段感謝されるような事はしていない。義憤に駆られて奴隷となった獣人達を解放しようと考えた訳でもない。
ただ自身が助かる可能性を高めようと、獣人達と手を組んだだけである。
彼らを隷属魔法を解く事と彼らの仲間を解放するのを条件に、俺も彼らの中に混ざる事を許可して貰い、彼らの庇護下へと入った。
所謂、ギブ&テイクというヤツだ。
「別に、俺一人でアンリエッタさん達を助けた訳じゃないだろう?」
「それでもクレヴ様がいなかったら、お兄ちゃん達も戦争で亡くなってるかもしれませんし、私達も酷い事をされ続けていた筈です。
実感が無いのかもしれませんが、私達からすれば救世主なんですよ、クレヴ様は」
だが、彼等、彼女等は勘違いをする。俺が100パーセントの善意で助けたと、そう信じ込んでいた。
馬鹿なんじゃないだろうか。何故、そう簡単に信じられる? 味方面しておいて、後で騙されるなど考えなかったのか。
あまりにも単純な思考である。
そんな最低な事を考えている事も露知らず、アンリエッタはソムルドの屋敷で自身の身に降りかかった不幸を思い出してしまったのか震える両肩を押さえるが、それでも俺に笑いかけてきた。
「絶望的な状況に置かれていた者に、ただ慈悲を与える事はせず、自立を促して打破させようとする。素晴らしい精神ですよね。
それをリアナ様に直接伺う事無く、見事実行されたのですから、もっと自らを誇っても良いと思いますよ?」
……あぁ、知らぬ間に凄ぇ祭り上げられてやがる。リアナもこれを味わってんだよな。
だからなのかは存じないが、俺達が帰ってくる前日に見計らったように魔王の側近による会議とやらで出かけたのは。
何という恐ろしい宗教を立ち上げやがったんだ、あの女。宗教への興味なんぞ欠片もありはしなかった獣人がここまで心酔した様子を見せるなんて……!
「それにクレヴ様が育った村も、です。住む場所を失った、見ず知らずの私達を私欲を満たす為に利用する事なんて微塵も考えもせず、住人として受け入れてくれるなんて」
冷めた視線で振り返り、べた褒めされた我が村を一望してみると村の傍に"山"と呼べるぐらいの大きな雪の塊が積み重なっていた。
あれは村近辺に降り積もった雪をかき集めたものだろう。俺も手伝いに駆り出され、雪集めにアスタールの方まで取りに行かされた覚えがある。
今年はあの雪の大部分を材料に城を作るんだという。ひと冬の思い出、春になってしまえば溶けて消えてしまう儚い夢に挑戦するのだとか。
土台となる部分は大凡完成し、朝っぱらから目下進行中。果たして雪解けが始まるまでに間に合うのかどうか。
んで、残りの残った雪はというと、父の協力を元にして作られた人工の洞窟へ保管されるらしい。後は毎年恒例になってきた剣士育成所への襲撃に使われるという。
今回は姉も参戦するようで、『敷地全体を雪で沈める』と物騒な発言をしていたが、姉なら本気でやりかねない。
相手の迷惑とか考えないのか、と説得を試みたのだが、意外と強情で折れてはくれなかった。
以上、三つの事も獣人が手伝わされているのだが、これでも本当にサラナ村が素晴らしいと言えるのだろうか。
真面目な顔で今年の抱負に『雨天決行の精神』を掲げるような人達である。これからも無茶振りされると容易に想像出来る筈だというのに。
「この村に連れて来てくださって、ありがとうございます」
アンリエッタは思わず見惚れてしまうような笑顔を此方へと向けてきた。
このまま穏やかな日々が続けば良いなぁ、とふと願った時に限ってそれへ終止符を打とうとしてくる我が人生。
今回は、けたたましい鳴き声が近付いてきた事から始まる。
「何かこっちに近付いて来てるっぽいけど、モンスターか?」
「『走り屋』ンところのヤツだろ……」
せっせと雪をレンガ状に形成しながら父に尋ねると、自棄になり、不貞腐れた表情でぶっきらぼうに言葉が返ってきた。
普通なら母が帰還して大喜びすると思ったのだが、まさか母は本当に帰って来ない気なのだろうか。
仕事を中断する旨を周りの大人達に伝え、『走り屋』さんが向かってくるであろう村の入り口へと滑る地面に苦戦しながら走る。
辿り着いた先には――見慣れない白い体毛のモンスターに引かれる馬車が見えた。確かあれはアルウルフだっただろうか。
ドブ・リザードは寒さに強くないらしいので、代わりの足という事なのだろう。なかなか毛深くて足の付け根とか全く見えないのに結構速い。
目の当たりも毛が覆い被さっており、前方が見えているのか大変怪しいのだが、緩やかに減速に停車した様子を見る限り、奴には前が見えているようである。
「お久しぶりです、『走り屋』さん」
そんなアルウルフに負けず劣らずの装備をした『走り屋』さんへと挨拶すると、彼は無言でペコリと頭を下げてきた。
相変わらずシャイな方である。色付きのゴーグルに鼻にまで覆われた白いマフラーと、やはり顔が全く見られなかった。
「……! クレヴちゃん、大変なの!」
馬車を急いで飛び出してきたルシルの母――グレースさんがのんびりとした空気を壊すように青褪めた表情で此方へと詰め寄ってきた。
「落ち着いて下さい。……何か、あったんですか?」
輝くような金髪を揺らし息を整えると、グレースさんはゆっくりと緊迫した様子で口を開いた。
「クレアンヌさんが、貴方のお母さんが捕まっちゃったの!」
「は……?」
一瞬、思考が停止する。今、グレースさんは何と言った?
「いやいやいや……ちょっと待って下さい。え、マジ? 嘘だろ……」
母が捕まった? 不倫で? いや、不倫で捕まるなんて然う然うある筈が無い。
だったら何故、母は捕まった? そもそも誰に、どこで?
……落ち着け、まだグレースさんの話を最後まで聞いてない。慌てても、ただ徒に時間を無駄にするだけ。
「……少し時間を下さい。今、父さんを呼びますから」
こういう緊急事態の際、俺1人で聞くべきでは無い。これは家族の問題だし、何よりも俺だけで解決出来るかどうか怪しいところがある。
「はい、集合ッ!」
そう大声で言い放ってから、2回手を鳴らす。その十数秒後、俺の目の前に父と姉が風のように現れた。
これは元々母が父を呼び出す際に躾けたものである。よく訓練されているからか、この方法で父が30秒以内に来なかった事は無いという。
それにしても、まさか姉まで此処に来るとは、母はいつの間に仕込んだのだろうか?
「ンだよ? くだらない事だったら俺に宴会芸をいくつか提供してもらうぜ?」
「何? 親の目の前でプロポーズ?」
重い雰囲気の中、みみっちい事を要求する父に見当違いな事を口にする姉。こんな奴らと血が繋がっているとか、未だに信じられない。信じたくない。
「非常事態だ」
「え、まさか離婚調停? 隠し子発覚?」
「やっぱりプロポーズ? 『娘はやらん』的展開で瀕死確実?」
非常だったのは姉の頭だったか。いや、通常運転か。というか、婚期を逃して焦る独り身アンデッドの醜態を思い出しそうなので、止めて貰いたい。
「母さんが捕まったらしい」
そう告げた途端に、そわそわとしていた父と姉が硬直した。だが数秒もしない内に、父の身体がわなわな震え、空に向けて吠えた。
明らかな近所迷惑である。といっても、この村じゃ騒音なんて年がら年中なのだが。
「――ぶっ殺す」
先程まで、伸ばし放題の無精髭に、食事が喉に通らなかったせいで痩せこけた頬、そして生気を感じられなかった濁りのある瞳をしていた父であったが、顔を上げた時には別人に思える程の人相をしていた。
想像上の悪鬼を彷彿とさせるような容貌と呼べるレベルである。……ここまで憤りを覚えている父を見るのは初めてかもしれない。
ザビウスで胸座を掴まれた際とは比肩にさえならないように思える。もし矛を向けられた対象だったら、涙目で格好悪く失禁していた事だろう。
「……で、これから詳しい内容をグレースさんから聞こうと思って呼んだんだ」
だから、今にも暴発しそうな父を抑える声が震えても仕方が無い。はっきり言って、平然として父を見つめる姉の方が異常なのだ。
腰を抜かした程度で済んでいるグレースさんも常人よりも強い精神力を持ち合わせているのだろう。
俺達家族の視線がグレースさんに集まったところで、彼女はふらつきながらもゆっくり立ち上がると説明を始めた。
「クレアンヌさんが捕まったのは、12日前。確かあの時はショッピングの最中だったかな――」
目的である買い物途中に小騒動があったので、野次馬根性出して見物に行ったところ、戯れに訪れたらしい騎士団長とその他数名の騎士が騒ぎを鎮圧。
その後、歳を感じさせない見目麗しいグレースさんの美貌が騎士団長の目に留まり、軟派行為をされたらしい。
身分差がある為、無碍に断る事が出来ず聞き流していたみたいなのだが、騎士団長がベラベラと口から漏らしていく中で俺の父が話題に上ったのだとか。
そこでグレースさんの負担を減らそうと、非礼を承知で母が会話に混ざろうとシルヴァの妻だと明かしたという。
そこで、だらしなく垂れ下がっていた騎士団長の目が豹変し、母へと詰め寄り任意同行を求めた。といっても半ば強制的に連れていかれたらしい。
グレースさん達に引き留める事は出来ず、母は留置所へ。それから彼女達は母の元へ何度も訪れたのだが、面会する事も叶わず追い返されてしまったのだとか。
滞在出来るだけ粘ったのだが、結局母は解放されず、已む無く村に帰って来て今に至る、と。
「あンの、犬畜生にも劣る糞騎士共ッ! 触れてはならねぇ禁忌を犯しやがったッ!!!」
今までの鬱憤が溜まりに溜まっていたからか、父が吠えに吠えまくる。空気がビリビリと震え、鼓膜が弾け飛びそうだ。
咆哮を上げた瞬間には意識を手放していたグレースさん達が羨ましい。そして、いつの間にかいなくなっていた『走り屋』さんも。
「もう我慢ならねぇッ! クレアンヌ救出と同時に騎士団を壊滅させてやらァァァッ!! クリュテ、クレヴ! 家族全員で乗り込むぜ、オラッ!!!!」
鬼気迫る顔で腕を振り回し、周りの景観を『衝撃』で破壊し尽くす父。穏便に事が運びそうだとは到底思えない。
ルイゼンハルトに乗り込んだら、確実に戦争になるだろう。3人対一国とか、無謀にも程がある。
「ちょっと待ってくれよ、父さん。俺達全員で行くとなると、家畜達の世話を見る人がいなくなるって」
「……確かにそうだな。代わりに面倒見てくれる人もイベンドで忙しいから無理だしな」
若干父の声調が下がるが、憤りを収めた訳では無い。双眸からは決して鋭さが減退しておらず、寧ろ時間が経つ度に限度を知らないかのように膨れ上がっている気もする。
「仕方ねぇ、1人留守番が必要か」
「だったら俺が――」
「クリュテ、お前が残れ」
真上へと手を伸ばし立候補したのだが、父の視線は姉の方へと向けられる。
「ちょ、待てや父さん! ここは最高戦力で乗り込むべきだろ?」
「そのくらい分かってらァ! さっきまで忘れてたが、クリュテは『雪攻め』のチームに入ってんだろ?
しかも、攻撃の要と聞いてりゃ、無理やり連れて行く訳にはいかねぇ」
「でもお母さんを助ける方が大事でしょ? だから私が抜けても文句は言われないと思うけど」
姉の言葉に全力で首の上下運動を繰り返すが、その言葉から一拍おいた後、父は苛立ちを誤魔化すように後頭部を乱暴に掻き乱す。
「そうかもしんねぇが、楽しみにしてたんだろ? 雪で建物全体を埋め尽くすのをよォ」
優しげな声音を出していたが、父の言っている内容は物騒なものだった。それに頷く姉も同様に、である。
「それに、クレヴはルイゼンハルトの地理を知ってるしな。連れていくメリットが無い訳じゃねぇ」
「父さんには馬鹿げた気配探知能力が……」
思わず反論しようとしたところで、ふと思い至る。もし道案内がいなかったら、父は建物を破壊しながら最短距離を進むのではないか、と。
今の父ならやりかねない。というか、絶対にやる。
「……分かったよ。俺が行けばいいんだな?」
渋々了承すると、父は鋭い犬歯を剥き出しにして笑う。少々角が取れた様子を見るに、何やら安心しているようだ。
微妙な表情の変化ではあるが、長年の付き合いである俺は見逃さなかった。
「クリュテを無理やり連れてきたとなると、クレアンヌに怒られるからな。安心したぜ」
案の定、そうだった。姉が綺麗になったせいで、母が余計に可愛がるようになったからな。多分、楽しみにしていた事を父の都合で参加を辞退する事になったら、猛烈に起こるだろう。
たとえ母を救い出す、という大義名分があろうとも、だ。母は記憶力が良い為、後にズルズルと引き摺る事が容易に想像出来る。
まぁ、父の場合は怒られる分には全然問題無いのだが、その後に続く無視行為には耐えられないらしい。
「んじゃ、次は移動手段だが……『走り屋』の奴は遠くまで行っちまいやがったか」
「それなら、私のワイバーンを使う?」
姉が口元に手を寄せると口笛を吹いた。すると、上空から2本足のワイバーンが颯爽と現れる。
……こいつも訓練されているんだな、と思うと、どこか物悲しい。『母>姉>ワイバーン』の構図が思い浮かんでしまったではないか。
「多分、ルイゼンハルトの距離くらいなら半日かからないと思う」
また高速で空の旅路か。『空を自由に飛びたい』と昔、真摯に願っていた自分が恨めしい。そして叶ったしまった現実も、だ。
足元が凄く不安定な浮遊感とか、酷く恐怖を煽られた。
「でも、父さんはどうするんだ? 父さんの重さじゃ、ワイバーンに乗れないと思うんだが」
もし父が無理やり乗ったら、多分ワイバーンが飛び上がれないどころか、潰れるだけだろう。父の重量は確か、少なくとも俺の20倍以上はあった気がするし。
それも数年前の事だから、筋肉が増えたらしい今はどうなっていることやら。
「『衝撃流し』を止めて、全力で走る」
ゆっくりと確認するように二度、父の顔を窺ったが、本気の目をしていた。
『衝撃』は一点、または剣閃のように直線状もしくは孤を描くような曲線状に集束させて放つものである。(……まぁ、応用すれば他にも色々出来るらしいのだが。)『衝撃流し』はその逆。
つまりは衝撃にかかる力を分散させる、といったものだ。
一応、あんな父でも気を遣っており、意識せずに歩くだけで深く足がめり込むどころか、周辺の地面がひび割れる。
走るとなれば、下手すると地震が発生かもしれない。力が人間離れしているとは知っていたが、改めて考えてみると父はやっぱり人間じゃない。
人間の皮を被ったものの入りきらず、規格外のサイズになってしまった兵器である。私生活がちゃんと出来ている事自体が不思議でならない。
「……周りへの被害は?」
「んなもん、クレアンヌの身に比べたら大した事じゃねぇだろ。万が一何かありゃ、後で均しに行きゃあいいんだ。今は気にすることはねぇ」
もはや激怒している割に聞く耳を持っているだけ、奇跡と考えるべきか。あぁ、平和な日々が遠のいていく。
自分から国に喧嘩を売っているのだから、寧ろ危険に首を突っ込んでいるのか。
砂埃を撒き散らして降下してきたワイバーンへと視線を逸らし、のろのろと、出来るだけゆっくりと近付いていく。
猶予が欲しかった訳では無い。覚悟を決める時間が欲しかった訳でも無い。ただただ、逃れたいのだが、それは不可能であるから代わりに先延ばしにしているだけ。
ついに目と鼻の先にワイバーンの背中が迫っていた。立ち止まる事は許されない。動きを遅らせるだけで既に父の怒りを買っているのだから。
「クレヴ」
ワイバーンの背中へ足をかけようとしたところで、背後にいる父から声がかかる。
励ましの言葉だろうか。いや、それは俺が望んでいる事だ。といっても、そんな言葉を貰ったとしても全然気が休まる訳では無いのだが。
「クレアンヌに怒られる時は一緒だからな!」
振り返り、親指を立てる父を見て、『あぁこれが俺を連れて行く本音か』と唐突に理解した。そして、世の中の理不尽さを一層恨んだのだった。
話が進まなくて申し訳ありません。……まぁ、いつもの事ですが。




