12
また遅れてしまって、申し訳ありません。
今回は視点がちょっとゴチャゴチャしているかもしれません。
【シリア】
「(このペースじゃ、避難誘導を指示している騎士達の避難までは間に合わない……!)」
かといって、避難誘導を急かせば、門の辺りで渋滞が起こり、余計に避難が遅れてしまう。
シリアは何か打開策が無いのか、と頭を働かせるが全く思い付かない。
彼女の気持ちだけが先走りし、苛立ちをぶつけるように足で床を叩き、音を鳴らす。
騎士が出払ってしまって、静寂となった二の塔の会議室にその音が響いた。
「お姉ちゃんー、そんなに焦っても仕方ないってー。そんな頭じゃ蜻蛉だって目を回せないよー」
若干目尻が下がっているからか、おっとりとした外見をしている彼女の妹――リュドミラが椅子の背凭れに体重を預ける。
とてもじゃないが、人前に見せられないような、グッタリさ加減。
ゴーレムの操縦で魔力、集中力共に使い果たしたためであろう。彼女達姉妹の傍に控えるカミラはリュドミラの格好に口を出すことはしなかった。
「分かってはいる。しかし、皆が皆、リュドみたいに落ち着ける訳じゃないんだ。……上に立つ人間としては、情けない話だがな」
シリアは自身の青い髪を軽く掻き乱し、そして溜息を吐いた。
こういった事態でも、動じる姿を見せない妹の姿に羨望を覚え、同時に自身の姿を顧みて嘆いたのである。
「(あぁ……。これだと自分が思い描く人物に成り得るには、まだまだなんだろうな)」
思い浮かんだのは、尊敬する父とシルヴァの姿。
どちらも肉体、精神共に何事にも押し潰されない逞しさがあった。
今の彼女では、程遠い。
それはシルヴァの息子だというのに、彼の勇敢さには似ても似つかないクレヴのようで――
「失礼する」
乱暴にドアをノックした後、慌てた様子で紅い全身鎧を身に纏った男――クレヴが入室してきた。
あまりのタイミングの良さに、シリアはつり上がり気味の目を丸くするものの、すぐさましかめっ面へと変わる。
前の会議での、彼の腰の引きように失望しているのを、まだ彼女は引きずっていたのだ。
「あー、お義兄ちゃんー。アタシを動かしたんだからー、それなりの対価は要求するからねー?」
クレヴが部屋に入ってきたにも拘わらず、全く姿勢を正そうとしないリュドミラに、クレヴは少し苦笑いを漏らす。
そして、はいはい、と適当に彼女への返答を返した後、
「ちょっと、シリア様達のお耳に入れときたい情報があって」
と、真面目な声調でサラマンダーの卵について、彼女達へ語る。
それに対して、彼女達の反応はというと。
「ふーん。それは大変だねー」
シリアは他人事のように感想を漏らし。
「なっ!? そんな馬鹿な真似をする男がいるとは……!!」
カミラはサラマンダーが来襲する原因を作ったであろう男に怒りを燃やし。
「そうか……」
そして、シリアは静かに唇を上向きに歪めた。
「で、このザビウスが確実に襲われることが判明した訳なんだが……」
三者三様の反応を窺ったクレヴが、自分達も早く撤退するよう、意見を提案しようとしたところで。
「いや、そうでもないぞ」
先程まで苛立っていたシリアが、笑みを浮かべてそれを阻む。
「そのサラマンダーの卵をザビウスから遠ざければ、脅威は去るんだろう? 御手柄だな、クレヴ!」
喜色を顔全体に表すシリアだが、クレヴは声の調子を変えない。
「シリア様は、今の現状を理解してるんだよな?」
「あぁ、まだ遠くではあるがサラマンダーの姿が目視出来たんだろう? 時間はもうあまり残されていない。
だから、皆を助けるには、どうやってでも卵を遠くにやらねばならないことぐらい分かっている」
「けどな、その卵を遠ざけるってのが、簡単な話じゃないんだよ」
クレヴは片手で頭を抱えながら、話を続ける。
「まず、そのサラマンダーの卵のサイズが、俺の身体よりも大きいんだ。そうなると、塔にあるバリスタなんかじゃ、飛ばすことは不可能に近い。
今からその卵を飛ばすための機械を作ろうとしても、時間が足りない。かといって、人力で投げるなんて、全然飛ばないだろうから、問題外だ」
クレヴの発言を聞いているうちに、シリアの顔が曇っていく。
せっかく、この街が救える手段が見つかったと思ったところでの、落とし穴。
彼女の希望はその卵をどうにかするしか、叶えられない。しかし、他の考えなど、焦りのために回らない彼女の頭では、到底思い付きそうになかった。
「となるとー、後は卵を遠くまで運ぶってところー?」
リュドミラの思わぬところからの援護に、クレヴが小さく舌打ちした。彼女が言わなければ、後は諦めて撤退一択しか残されていなかったのだ。
「残された時間を考えると、ザビウスから離れた場所に卵を運ぶのは、確かに可能だ。だがな、遠くまで運んだ後、その運んだ人間が逃げるまでの時間は、無い」
「つまりは、運ぶ方法では確実に犠牲が出るということですか……」
カミラは一瞬、考える素振りを見せた後、
「なら、貴様が行きなさい」
顔色一つ変えず、彼女の人差し指をクレヴへと突きつけた。
「嫌だ」
即断即決。カミラの発言の後、間髪入れずにクレヴはそれを断った。
今の彼女の発言は、『自殺して来い』と言っているのと同義である。人一倍命を大切にする男が、それを了承する訳がなかった。
「貴様如きの命一つで街を守れるのですよ? 名誉なことじゃないですか」
「俺が死ぬ時はベッドの上で寿命を全うした時だけだ。まだ死にたくない……!」
カミラとクレヴが言い争いをしている中で、シリアが決心する。
「なら、私が行こう」
「シリア様!?」
「責任は守るものだと、啖呵を切ったことだしな。おめおめと逃げ出す訳には、いかないだろう」
目を見開いてシリアの肩を掴むカミラだが、薄く笑みを作るシリアにその手を軽く払われる。
「クレヴ、サラマンダーの卵は捜索させているんだよな?」
「避難と同時進行、でな」
クレヴの返答に満足そうに頷くシリア。
「そんな馬鹿な真似はお止めください!」
そんなシリアを制止させようとカミラが叫ぶが、シリアの決意は揺るがない。
「シリア様は乗馬経験はあれど、馬車を操られた経験はありませんでしたよね? 馬を扱うという点では同じかもしれませんが、勝手が違うのですよ?
まさか、今から練習するなんてこと言いませんよね?」
「あぁ。時間が無いことも、練習無しで馬を走らせるのが危険なことも分かっている。だから……心苦しいが私と共に馬車に乗ってくれないか――クレヴ?」
予想し得ない話の振りにクレヴは硬直した。しかし、彼は目に優しくない色の鎧の中。誰も彼の様子を察することは出来ない。
「何故この男に頼むのです? 馬車なら私でも――」
「カミラには、リュドのことがあるだろう?」
カミラの言をシリアが途中で遮る。有無を言わせないように強い意志を込めた瞳でカミラを見つめるも、それで黙る程、カミラは物分かりの良い方では無かった。
「私は、リュドミラ様だけで無く、シリア様の護衛でもあるんですよ? 片方のために、もう片方を疎かにしていい理由なんてありません」
「だったら、アタシも行けば万事解決だねー」
リュドミラが身体を起こし、肩を回す。その動作は気怠げで、どことなく鈍い。
誰の目にも、彼女が万全からは程遠いとは明らかであった。それでも彼女は空元気で、シリアに詰め寄る。
「薄情だねー、お姉ちゃんはー。薄くなるのは無駄に大きな乳房だけにして欲しいってー」
「リュドミラ様まで……」
麗しき姉妹愛ではあるが、カミラはこのまま黙って見守ってはいられない。護衛対象を死地に向かわせるのもそうだが、何よりシリア達を大事に思っていたのだ。
「お二人とも、そんなことはお止めになって下さい――」
そう言葉にするも、カミラは自身の説得が上手くはいかないと、頭の片隅では分かっていた。
彼女も王族の端くれ故か、責任感が強いということを。
「カミラ。これは街を守れるチャンスなんだ。カミラが私を行かせたく無い理由も分かっているつもりだ。
しかし、だからといって誰かにその役を押し付けるような真似はしたくは無いんだ」
「シリア様……」
「なに、確実に死ぬことが決まっている訳じゃないんだ。そんな顔をしないでくれ、カミラ」
強情なシリアに、これ以上何か言ったとしても折れはしない。
ここで何を言おうとも、彼女は黙ってカミラの目を盗み、無理やりにでも馬車を走らせることであろう。
そう判断したカミラは、諦観し再び溜息を吐いた。
「お二人が行くというなら、私も一緒に行かねばなりませんね」
「カミラ……。リュド、これは遊びじゃないんだぞ?」
決意を固めたカミラを見て、少し悲しげな表情をするシリアだったが、リュドミラに顔を合わせた時には既にその表情を隠し、姉として妹に諭すようにしていた。
「何事にも余裕――遊びは必要なことだよー?」
「……そうか。なら、ここにいる皆で行くしかないか……」
シリアはリュドミラの頭に手を乗せると、髪の感触を確かめるように軽く撫でる。
「(リュドとカミラには生きて欲しいと思っていたが……あちらも同じことを考えているのでいるんだろうな。
相手の意思を拒否しておいて、自分の意見を押し通そうとするのは、少しズルい事なのかもしれないな……)」
シリアは目を瞑り、残される側の人間の気持ちを考え、そして自分の気持ちに妥協することにした。
大事な人が頑張っている中で、自分が何もしない、ということは存外に苦しい。
「(それに、まだ確実に死ぬことは決まっていない……そのはずだ)」
根拠の無い僅かな希望を胸にゆっくりと目を見開くと、シリアは馬車の手配をすべく部屋を飛び出した。その後ろに鋭い表情をしたカミラが続く。
「(死にたがり共め。理解に苦しむが……まぁこの流れからして、俺が行く必要は無いみたいだな)」
ふぅ、とクレヴは安堵して大きく息を吐いた。
張り詰めた緊張感から解放され、少々疲れた様子を見せる彼だったが、会議室で休むこと無く、そそくさと退室しようとしていた。
もし忘れ物等で彼女達が戻ってきて、巻き込まれでもしたら堪ったものでは無いからである。
「クーレヴくん、あっそびましょー?」
だが、彼は失念していた。まだ一人、会議室に残っていることに。
リュドミラから全身で抱き締められるのようにして、腕を拘束されてしまう。一応女性ということで気を遣い力を加減しているからか、容易に振り解くことは出来ない。
「さっきの流れだと、俺はいらないんじゃないのか?」
「お姉ちゃんは"ここにいる皆で"って言ったんだよー、お義兄ちゃんー?」
にっこりと顔を綻ばせるリュドミラに、クレヴの頬が引き攣った。
クレヴの推測通り、サラマンダーの卵はザビウスでも一番の高さを誇る、ある貴族の邸宅の一室に存在していた。
それによって、例の商人とその貴族は繋がりがあると判明したものの、既にその邸宅は蛻の殻。
取り逃がしたことを悔やむ兵士達であったが、タイムリミットは刻一刻と迫ってきている。
報告を終えた彼らにも撤退の命が出され、明らかに定員オーバーの馬車の中に無理やり乗り込んでいる中。
その彼らの逆側――つまりサラマンダーがいる方向へと馬車を走らせるシリア達。
御者台には一番扱いに慣れているカミラが手綱を握っていた。
「(恨まれでも、シリア様とリュドミラ様を置き去りにすれば良かった)」
しかし、そうすれば彼女達はカミラが戻ってくるまで、ザビウスに留まり続けるか、他の馬車でカミラを追ってくる可能性もあったことだろう。
今更考えても遅い。カミラは首を振って頭の中をクリアにする。
「(今は馬を操ることだけを考えないと…………馬を急がせているために、大分馬車が揺れてしまっているが、シリア様とリュドミラ様は酔っておられないだろうか)」
しかし、そんなカミラの心配も余所に、シリア達は馬車の中で酔うことは無かった。
「あっつー」
ただし、別の原因でシリアとリュドミラは項垂れてはいた。
その原因はというと、彼女達と共に乗せられたサラマンダーの卵である。その卵が発している熱で、馬車の中が真夏のような気温まで上昇してしまったのだ。
熱にやられ、薄着となったリュドミラは馬車の中に横たわり、馬車に乗り込むまでの意気込みは完全に消沈していた。
「結構揺れているが、大丈夫か?」
片膝立ちで顔を伏せていたシリアが、額の汗を拭いつつ、顔を上げる。
彼女の視線の先には、サラマンダーの卵――そしてそれを支えるクレヴの姿が映っていた。
「無理、もうヤダ、お家帰る」
リュドミラに脅されても尚、馬車に乗り込むことを渋ったクレヴであったが。
真紅の鎧を身に纏ったクレヴ以外は熱を放つ卵に触れることが出来ず、貴族の邸宅から馬車の中まで運んだだけで無く、馬車の揺れで卵が落ちないように支える役にも抜擢されたのである。
クレヴにとっては、貧乏籤を引かされたようなものであろう。
「そんな情けないことを言われてもだな……その役目はクレヴにしか出来ないんだから、もっとしっかりしてくれ」
クレヴの意気地の無い様子に落胆するシリア。
――見てくれは完全に勇者だというのに、どうしてこうも理想とかけ離れているのか。
「で、そっちの役割はこなせるのか?」
恐怖を誤魔化すためか、クレヴがリュドミラに視線をやりながら話を振る。
「分からない。が、ここまで来たらやるしか無いだろう」
シリアとリュドミラの役割――それはサラマンダーの注意を引きつけることである。
サラマンダーに向けて馬車を走らせれば、何もしなくても関心が寄せられるかもしれない。が、万が一ということもある。
それはというと、スケールの問題だ。
現在彼女達が乗っている馬車と、ザビウスの街。果たしてサラマンダーにとっては、どちらが目立つであろうか。
必ず、では無いが、大きな物の方が目に入りやすいだろう。
つまりは、サラマンダーが馬車を見逃した際、彼女達がどうにかする、ということである。
「見えましたッ!! サラマンダーですッッ!!」
昂ったカミラの声に、馬車の中でより一層緊張感が張り詰めていく。
彼女が遠目で捉えたサラマンダーの姿は、クレヴが想定していたものと同じがそれ以上の大きさをしていた。
殺風景な景色の中にいるせいか、赤黒い体色がより目立って見える。
胴の長さに対して、短いコンパスの足を動かす姿は愚鈍なものとは思えない。山の近くとは違って、障害物が少なくなっているからか、進行スピードも上がっているようであった。
ザビウスに向けて直進するサラマンダー。もうまもなく、リュドミラが掘った穴がある地点に到達する。
リュドミラがゴーレムを使い、地面に開けられた穴の総数凡そ40。
大きさ、深さはバラバラで乱雑に掘られており、穴と穴との間隔は狭い。
その地帯に足を踏み入れれば、間違い無く片足は嵌るであろう。
だが、そうはならなかった。サラマンダーは穴に近付いたものの、直前でその地帯を迂回したのである。
リュドミラが尽力した結果は、全て水の泡となった。
「此方の存在が、まだサラマンダーには気付かれていないようですッ!」
カミラが手綱を操り、馬車を一度方向転換させる。
あまりに接近し過ぎれば、サラマンダーが発する熱にやられてしまうし、サラマンダーの進行速度は馬の脚よりも速い。
距離を稼いでいなければ、簡単に追いつかれてしまうだろう。
「アタシの出番が来ちゃったかー」
脱ぎ捨てた衣服を纏い、のそりとリュドミラが身体を起こす。
口調こそのんびりとしたものであったが、その面持ちは至って真剣。全貌が明らかとなったサラマンダーの姿を睨めつける。
「それじゃー、倒れた後のことはお願いねーお姉ちゃんー。あー、それとお義兄ちゃんー」
馬車の後部へ向かうリュドミラが一旦立ち止まり、振り向いて言葉を続けた。
「生きて、帰ろうね」
目尻に涙を浮かべながらも、リュドミラは見惚れるような可愛らしい笑みを浮かべた。
そして視線をサラマンダーに戻すと、彼女は魔法を発動すべく集中を開始する。
彼女の右手に集まりだす魔力は、白い光を伴って右手全体を包み込んでいく。
残された全魔力、そして集中力を捻り出し――
「『エクス、プロージョン』ッッ!!」
――高らかに詠唱した。
光が弾けて消えたのと同時に、リュドミラの身体が傾いていく。
薄れていく意識の中で、彼女は魔法が成功したことに安堵して、そのまま床へと倒れこんだ。
「リュド――」
そんなリュドミラに駆け寄るシリアが叫び声を上げるものの、掻き消されてしまう。上空に打ち上げられた、魔法によって。
莫大な熱と光が轟音と共に撒き散らされ、辺り一面にいる生物の視覚と聴覚を強烈に刺激した。
事前に知らされていたシリア達は瞼を下ろし、耳を指で塞いでいたが、事情を知らぬ馬達はパニックに陥る。
カミラはこの状況を想定していたため、すぐさま馬達を宥めようとするが、馬達の興奮はなかなか静まらない。
「……ッ!?」
倒れこんだリュドミラの上から被さる形で彼女が落ちないように押さえるシリアが、言葉にならない悪寒を感じ、息を漏らした。
サラマンダーの視線。
一度目を合わせたら最後、逸らしたくとも逸らせなくなる、存在感。
蛇に睨まれた蛙のように、シリアの身体から自由が失われる。全身の毛が逆立つような感覚の後、身体に震えが生じていた。
彼女は唇を強く噛み締めるも、その震えはなかなか治まらない。
「動けぇッ!!」
カミラの掛け声と同時に、馬達の意識が再起動する。
身体の震えとは違う震動がシリアの正気を取り戻させるも、彼女の心は再び恐怖に支配されてしまう。
心が震え、身体が震え、そして更には、サラマンダーの咆哮によって空気までもが震えた。
卵を視認したサラマンダーが、馬車に向けて脚を踏み出す。
逃げる馬車に、それを追うサラマンダー。だが、両者の歩幅はあまりにも違い過ぎた。
「カミラ、このままだと追いつかれる!!」
「分かっています、よッ!!」
シリアの声に答えながら、無茶で荒い手捌きで、馬の進行方向を無理やり変える。
目指す先は――リュドミラが作り出した穴がある地帯。カミラはそこに、サラマンダーを誘き寄せようとしていた。
サラマンダーの脚のサイズに合わせて掘られた穴だ。カミラが操る馬車の大きさならば、その全体がすっぽりと収まってしまうだろう。
だが、穴と穴との間隔の狭い道を走り抜けられれば、時間を稼ぐことが出来る。
サラマンダーが彼女達の後を追って、その穴に嵌ってしまうのが一番ベストではあるが、それはないだろうとカミラは考える。
先程と同じように、迂回してくる可能性の方が遥かに高い。だが、サラマンダーが迂回すれば、その分距離が開くのだ。
この鬼ごっこに、ゴールが無い訳では無い。
彼女達の向かう先には、森がある。そこで姿を晦ますことが出来れば、助かる可能性もあるだろう。
「走れぇッ!!」
馬達の脚が竦まないよう、手綱を勢い良く振るい、カミラは馬車を穴の開いた地帯へ突入させる。
途中何度か、穴の縁に車輪がぶつかるものの、馬達の健脚により、穴へと引き摺り込まれる前に駆け抜け、突破した。
「(上手く、いった……! これで逃げ切れると良いのですが)」
しかし、そんなカミラの淡い期待は瞬く間に崩れ去ってしまう。
「止まった……?」
シリアは足を止めるサラマンダーを見て、不思議そうな声を出した。
いくら足場が悪い場所に馬車が進んだとしても、サラマンダーが追って来ないのはおかしいのである。
穴がある地帯を通過したくなければ、そこを迂回して馬車を追って来ればいいだけの話。
よもやこんなところで卵を諦めるとは、シリアには考えられなかった。
――そして、そのシリアの考えは正しかったことを、すぐに気付かされることとなる。
サラマンダーが唐突に、胸を反らした。
鋭利な爪を地面に食い込ませ、踏ん張っているあの姿は――何かの前触れだとシリアでも容易に想像出来た。
「――ブレスかッ!?」
彼女の頭の中でピースが埋まった時には、もう遅い。サラマンダーの口腔から、広域の炎が吐き出された。
「(何故、ブレスなんか……)」
サラマンダーは、彼女達の馬車に卵を乗せていることを知っているはずである。
卵を乗せているから、サラマンダーから『ブレス』という手段を奪ったも同然だと、彼女達は高を括っていたかもしれない。
失念していたのだ、魔法抵抗のことを。火属性のモンスターは火系統の魔法に強い。
どんな人間でも焼き尽くすブレスだとしても、サラマンダーの卵にダメージに与えることが無い威力に調節したのだ。
彼女はそっと目を閉じた。ここまで来たら、後は受け入れるしか無い。
空気を焦がす音が、迫ってくる。どうやら炎もすぐ傍にまで来ているようだった。
サラマンダーの魔力ならば、一瞬で命を落とすことだろう。
「(ん……?)」
だが、何秒経ってもシリアの身体に痛みは走らない。目を開き、彼女の目に入ってきたのは。
「ク、レヴ……?」
散々、彼女を失望させたクレヴが。
彼女を守らんと彼女の前に立ち――そして、どんな魔法を使ったのかサラマンダーの炎を振り払っていた。
それはどこか、あの『勇者』と姿が重なるところがあるように、彼女には見えた。
【クレヴ】
賭けだったが、どうやら上手くいったみたいだった。
「ふぅ……はぁ……」
荒い呼吸を整えながら、俺は目の前の光景を半ば信じられないように、しっかりと見る。
視界の一面に、サラマンダーのブレス。この鎧を着けていても、耐えきる事が出来たかどうか。
――俺はずっと考えてきたことがある。
魔法とは、一体何なのかということを。考えて、考えて、考え抜いて、知恵熱を出しても分からない。
そんなある時、そうソムディアに護衛の任務で行った時のこと。
俺はリアナから『魔導』の存在を知ることになったのだ。魔導は間違いなく、魔法を解き明かすための大事な鍵となる。
そう信じて、今まで考え、特訓を重ねてきたことが、この土壇場の危機を救ったのだ。
サラマンダーのブレスを、魔導式魔力放出で受け流す。
相手の魔力の方が上だし、完全に無謀な挑戦であっただろう。下手しなくとも、死んでいたかもしれない。
だが、一応出来るかもしれない、という確証が無かった訳でもないのだ。
魔法を受け流す、なんていう馬鹿げた発想にぼんやりと思い至ったのは、魔導を知ってからすぐのことだっただろう。
何故、その技術が魔導という名前がつけられたのだろうか、と疑問に思ったのだ。
真っ先に考え付いたのは、文字の通り、魔法を導くことの出来る技術だから、という考えである。
その根拠も、無理やりではあるが、こじ付けられなくは無かった。
妖精で、現リアナ教の実質トップに立つリーシャに『誘惑』の魔法を知らぬ間にかけられた時。リアナが魔導式魔力放出によって、『誘惑』の魔法を俺の身体から排出させた。
その時は、『誘惑』を体外に放出した等の適当な説明しかリアナから受けていなかったが、自分なりに考えてみたことがある。
それが、魔導式魔力放出の魔力――つまり透過魔力には魔法を導く性質があるのでは、ということだ。
身体という器から不純物――『誘惑』の魔法を取り除くにしても、単に魔力を外から注入しただけでは、難しいはずである。
器に入り切らない過剰分の魔力が身体から流れ出る理屈だとすれば、『誘惑』の魔法よりも先に、器の中の大部分を占めている俺の魔力が流れ出ていると考えた方が道理だ。
そこで、さっきの透過魔力の性質の話に戻ってくる。
俺の体内に送り込まれたリアナの透過魔力が、『誘惑』の魔法を体外に流れ出るように誘導したのだとすれば、筋は通るはずだ。
そして、サラマンダー相手にぶっつけ本番で試したのである。
透過魔力を前方の空気中に壁を作るようにして、両手から大量に放射。そして、その魔力の壁に上へ向かうように流れを作った、という感じで。
受け止める訳でも、打ち消す訳でも無いから、サラマンダーと同等、もしくはそれ以上の魔力を消費する必要も無い。
ある意味、対魔法用の最強防御技術かもしれない。
――だが、そんな浮かれた気分も、すぐに沈静させられる。
俺はサラマンダーのブレスを防いだだけ。サラマンダー自身を止めた訳では、無い。
「……近ぇっ!?」
視界が炎に奪われている間に、サラマンダーが思っていた以上に接近していた。ドラゴンに似た顔がくっきりと見えるぐらいに。
物理的な攻撃には、為す術も無い。というか、それ以前にサラマンダーに近付かれただけでも、その発する熱のせいでシリア達はやられてしまうだろう。
もう、どうすることも出来ない。終わりだ。
こんなところで死にたくは無いのに。
せめて、手を離したというのに、馬車から落ちていなかった卵を盾にして。
一分、一秒でも長く、醜く、生きようかと思った時。
――目の前に、空から何かが落ちてきた。
それはあまりにも速く、気付いた時には地面に衝突し、砂煙を上げていて、その姿を見ることは叶わない。
「召喚――」
だが、それも一瞬のこと。舞い上げられた砂が吹き飛び、黒い大剣がその中から姿を現す。
人が手にするには、あまりにも大きい。父が使っていたサイズと同等くらいはあるだろうか。
だというのに、その大剣の持ち主は普通の人間の体格と変わらない。むしろ細身といってもいいくらいだろう。
そんな長髪で長身の人影は大剣を横に振るった。普通の剣を使っているのと、何ら変わりのない速度で。
一体、何をする気なのか。そう考えた時には、もう既に遅く。
次の瞬間には、あのサラマンダーの巨体が空に浮かんでいた。いや、吹っ飛ばされていたのだ。
「嘘、だろ……」
あれは、多分ではあるが、父が使っている『衝撃』と同じに見える。
大きな獲物だとはいえ、サラマンダーにその刃が当たったようには見えなかったし、『衝撃』らしき攻撃で吹き飛ばしたのだろう。
でも、そんな芸当が出来る人間は、あまりいない。
父と、あの王族が雇った引きこもりと――そして、姉。
「まさか……」
長髪の人物がどんな魔法を使ったのか、一瞬のうちに大剣を消して、此方へと近付いてくる。
俺の推測が正しければ、あのトラウマ製造機の彼女が帰って――
「……誰?」
――来たと思っていたが、その人は俺の知らない顔だった。




