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【クレヴ】
馬車を走らせること5日。
道中で、もしモンスターに襲われたらどうしようか、と考え始めてしまってから、ずっと不安に思ってきたのだが。
その心配は杞憂に終わることとなった。
どうせなら誰か護衛でも頼んでおけば良かったのだが、それで手紙の金の件がバレるのもマズいので、いずれにしても、どうしようもなかったようである。
「次ーっ」
門の前で検問をしている騎士に呼ばれ、馬車に乗ったまま馬をそこまで歩ませる。
ぶっきらぼうに言う騎士の顔を確認してみると、知らない顔だった。
目は腫れぼったく、頬辺りには、じゃがいもみたいに肌からボツボツとしたニキビ跡が大量に出来ており、分厚い唇はカサカサに荒れて出血していて。
何というか、少しグロテスクに感じてしまう。
馬車の中身を適当にチェックされ、すんなりと通される。
職務怠慢に感じなくもないが、どうやら馬車に乗っている奴の身なりで詳しく確認するかどうかを判断しているようであった。
まぁ、待たせている馬車は他にもあるし、如何にも金を持ってそうな奴の荷物を確認した方が有意義かも知れない。
ソムルドから勝手に拝借した馬車は、あの時に出来るだけシンプルなヤツを選んだつもりであったが、それでも漂う高級感みたいなものがあったはずなのだが。
俺の服装で、馬車だけ立派なものを揃えた見栄っ張りに見られてしまったのかもしれない。
手綱を操り、出発前にチェックを受ける小さな馬小屋の通り過ぎ、その隣にある大きな厩舎に歩かせると、空いていた奥のスペースへと駐車。
簡素な造りではあるが、仕切りも作られており、壁には番号が記されており、区別がつくように出来てるようになっていた。
ここは、一時的に馬車を預けられる場所で、利用するのに金はかからないようにされている。
というのも、このような設備を設置するように言ったのが、あのアーノルド王だという話だからだ。
あまりに多くの馬車が街中を通過することになると、渋滞が起こる可能性が高くなるため、ここで数を調整している役目もあるんだとか。
御者台から降り、正面に閂みたいな棒を通して馬が出られないようにしてから、荷物を鞄に一纏めにして背中に背負う。
そして余った食料を馬の餌にやってから、馬の正面を遮る棒を固定している部分から複雑な形をした長い鍵を引き抜く。
こうすることで固定具が動かなくなり、棒を動かしたい時はまた鍵を差し込めばいい、という仕組みになっているのである。
干し草臭い厩舎をやや早歩きで出ると、凝り固まった身体を軽く解して、取りあえず宿探しから始めることにした。
宿は簡単に見つかった。
中心にある都市だし、他の街との交流が多いために宿もその分多く作られていても、おかしくないのも当然といえば当然である。
だが、取りあえず平民区でも高めの宿で金貨を使って、銀貨にバラそうかと思っていたら、あっけなく門前払いされてしまった。
理由はもちろん、俺の貧相な格好のせいである。
だったら、その原因を取り除くために手近な所でそれらしい服を調達しようと思っても、そういった格式高いところだと、また門前払いを食らいそうだ。
かといって、安い宿だとお釣りが用意出来るかどうか分からない。
さて、どうしようかと悩みながら歩いていると、自然と足が貴族区の方へと向かっていく。
習慣というのは恐ろしいものだ。
無意識のうちに訓練所へ行こうとしているではないか。
思わず苦笑いを浮かべて、ふと足を止める。
訓練所というワードから芋づる式に、記憶がフラッシュバックしたからだ。
そう、色々あったせいですっかり忘れていたが、訓練所から追い出された際の荷物は一体どうなってしまったのだろう?
完全に地面へと置きっぱなしだったので、もう盗まれていないだろうか?
後……戦争中に心の奥で、ずっと渇望していた盾は訓練所の中にまだあるのだろうか?、と。
気になり始めたのなら、もう抑えられない。
……取り返しに、行かないと。
だが、訓練所から荷物を放り出された際に推薦状は抜き取られている筈だ。
つまりは、俺も普通の平民と変わらないということ。
訓練所は、貴族区にある。
そして、その貴族区と平民区の境目には、その近くに住む貴族が警備兵を置いているのだ。
『お前らとは違うんだよ』、と誇示するように。
『高貴な自分達と決して交わることのない存在』だと、突き付けるように。
貴族区には、入場制限がかけられているのである。
だから、今の俺では真正面から貴族区に入っていくことは出来ない。
となると、後は忍び込むしかない、か。
今の俺の財力ならば、賄賂という手もあるが、立ってるだけで金貰ってる連中に無駄遣いしたくないし。
それに端の方とはいえ貴族区にいるせいで、貴族に感化している可能性も無くは無いのだ。
問答無用で追い払ってくる輩もいるだろうし、俺が金を持っていることを知れば、嫌味ったらしく金額をつり上げてくる輩だっているだろう。
貴族区に侵入するのは、セオリー通りに夜にすべきか。
その分、警戒が強くなるかもしれないが、視覚が上手く働かないというのは大きな利点だろう。
さて、夜まで何をしようか、もう一度良く考えてみるとするか。
目を開けると、部屋の中は真っ暗になっていた。
どうやら慣れていない長い昼寝は成功したらしい。
ここの宿の売り――アピールポイント、こだわりであるベッドの柔らかな感触に名残惜しく思いながらも、それを振り切るようにして勢い良くベッドから飛び降りる。
そしてストレッチで身体を解しながら、未だにボーッとした頭で、昼間のことを思い返す――
盾のことを思い出してから、これからどうしようか、と考えるとなると、やはり金の問題だろう。
――手持ちに金貨しかないと、これほど使いづらいとは。
それを嫌というほどに実感させられたもんだ。
村から出ていく前に気付かないなんて、あの時に浮かれていたとはいえ、俺もマヌケかもしれない。
けれど、それを後悔したってどうにもならない。
その時には金貨以外に俺の全財産は、訓練所を追い出された日に放置された荷物の中なのだから。
一応、俺の部屋と世話をしていた鶏小屋の中にヘソクリを隠していたのだが、誰かに回収されていたようで、無くなってしまっていた。
自室の中にある書物やら服が増えていることから、多分母がヘソクリを使ったんだとは思うけど。
愛ある行動なのか、どうなのかは知らないが、活字中毒のために定期的に必要となる書物以外に、あんまり自分自身のために金を使わないのが母なのだ。
ファッションに興味があるくせに、自分の服は最低限の物しか買わず、お洒落など無頓着な俺に服を買ってきたり。
父がいた時には、自分に割り振られた小遣いを使って、父が疎かにしている装備品のメンテナンスを依頼したり。
食事なんかでも、俺やリアナに出来るだけ良い物を食べさせようと、自分の分には食材の切れ端が多く入っていたり、と。
愛を履き違えながらも母を嫌いになれないのは、自分を犠牲にして優しくしてくれるところが有るからかもしれない。
……閑話休題。
とにかく、自分の身に余りまくる金をどうにかしようと頭を巡らすのだが、なかなか解決策が浮かばない。
こうしていても時間の無駄遣いになってしまう。
俺一人ではこれが限界だろうと、仕方なく自分で考えることを諦め、他の人にどうすればいいのか、意見を貰うことに。
その相手はやはり金について良く知っているであろう商人に、と思い至ったところで、発見してしまった。
商業ギルドなる名の建物を、だ。
そこでは商人以外にも利用されているようで、一体何をやっているのかと一般市民の集まる一画を覗いてみれば。
何と金の貸し借りや保管、そして両替を行っているではないか。
そのシステムはなかなか便利なようで、利用している者が結構いるようで。
特に金の借りる際に余計な不安がないとというのが、良いところらしい。
金を借りる立場の人間というのは、どうしても金を貸した人間に対して下手に出ねばならず、不当な要求をふっかけられたり、返済金額が借りた金額の倍にされた、なんてこともあったようだ。
まぁこの商業ギルドでも利子――貸した側の儲けが多少付くらしいが、特に文句を言っている輩は見られない。
と、挙動不審に周りを見ていると、1人の商人が物騒な得物を持った複数の人間を伴って、こちらに近寄って来る。
「あのー、何か御用でも?」
「えぇ、でもここに来たのは初めてなもので、どうしたら良いものかと思いまして」
愛想笑いを浮かべて相手に気付かないように、相手の動向を窺ってみると、俺に対する警戒心が薄まったようで、俺に向けられていた得物が下げられていく。
「そうでしたか。いやー、いきなりこのような対応で申し訳ない」
「気にしてないです……とは流石に言えないですね。で、何でそのような物騒なことを?」
俺が尋ねると、商人は苦笑して、ジェスチャーを加えながら説明してくれる。
「実はつい先日、この商業ギルドにゴロツキ共が金をよこせと押しかけてきまして。
その時は相手のオツムが悪かったので、大人しく金を渡す振りをして、その隙に護衛の人に捕らえてもらえたのですが。
これで、もし人質でも取られていたら危ないと思いまして、このような対応を取らせていただきましたことを深くお詫びします」
最後に頭を下げた商人は、愛想笑いを浮かべてこちらの機嫌を窺ってくる。
俺としては別に何かされた訳ではないので、彼の取った行動にとやかく言うつもりは無い。
ただ、不審っぽく見えたらしい俺を発見が遅いのではないか、と疑問に思っていた。
「あの、俺のことを不審に思っていたのに、何故すぐに来なかったんです?
これでもし貴方が言っていたような、客を人質に取られて脅迫されたとしたら、どうしていたんですか?」
「貴方が入ってきた時から此方も目を光らせていましたが、貴方が1人で、目立った凶器を持ち合わせていないので、危険人物かどうか判断するために泳がせていたに過ぎませんよ。
それに、ここであまり荒事は起こしたくないんですよ。お客様が入りづらくなってしまいますからね。
……後、無闇にそういうことは言わない方がいいですよ?
自分から疑ってくれ、なんて」
にこやかに細められた目から、何とも言えぬプレッシャーが発せられ、思わず口を噤んでしまう。
まぁ、それでもレイオッド先生みたいに狂気を感じない分、怖くは無かったが、自分から面倒事を起こしたいとは思わないので、取りあえず頷いておく。
「此方を利用したいのですが、説明いただけますか?」
このまま立っていても仕方がないので、気まずい空気の中で俺から話を切り出し、とにかく目的を果たすことにした。
「ご利用には登録が必要になりますので、お時間を頂くことになりますが、よろしいでしょうか?」
俺が商人の案内を受け始めたところで、護衛という名の武装集団が持ち場へと戻っていく。
彼らは先ほどまで荷物の方をジロジロと見ていて、どうやら念には念をということで武器になりそうな物を確認していたらしい。
そういう物がないと、ようやく分かってくれたのだろう。
「登録ですか?」
不思議に思っていたのが、顔に表れていたのだろう。
商人の彼がハキハキとした声で説明してくれる。
登録する際には、名前、職業など必要事項を契約書らしき紙に記入後、本人かどうか確認するために必要な似顔絵を描くらしい。
まぁ、金貸しておいて誰だが分からないなんてことがないようにだろう。
お蔭で思っていた以上に拘束時間が長かった。
「後は注意しておきたいことが、いくつかあります。
まずは、職業によってはご利用の際に制限をかけさせて頂く場合があります」
「というと?」
「例えばあまり稼げない業種ですと、貸す金額に上限を設けさせて頂きますね。
いざ払ってもらえない、というのは困りますからね」
彼は話を続ける。
「あぁ、後、貸した額を返済出来ない場合にはペナルティーが御座いますので、ご注意を」
「具体的には、どういうものが?」
「商業ギルドに所属または提携している商店が利用出来なくなったりしますね。
商業区の大半の店が使えなくなると思ってくれれば」
「……」
「最悪、依頼ギルドに指名手配させて頂く場合もありますので、くれぐれもご利用は計画にお願いしますね」
満面の笑みでそう言い切った彼に、恐怖を覚えた。
「――簡単な説明は以上です。
何か質問が無ければ登録内容の確認をさせて頂きます。
まずお名前はアイザック様でよろしいですね?」
「流石に自分の名前は間違えませんって」
彼の丁寧な確認具合に、乾いた笑いが出てしまう。
初っ端から偽名を使ったのは、マズかっただろうか?
だが、母から初対面の人間に名前を名乗ってはいけない、と言われているからな。
嘘を吐くのは心苦しいし、悪いことだと思っているけれど、これも全ては母の教育の賜物である。
父だって、『嘘はバレなきゃ嘘にはならねぇ』という意味不明なことを言ってたし。
ちなみにアイザックという名前は、村にいる元人間の化け物に付けられたものから拝借した。
狂った笑みしか浮かべない奴なら、勝手に名前を使っても怒らないと思うし。
何よりも奴が社会進出出来るとは思えないので、直接迷惑はかからないだろう。
「で、職業の方ですが……」
「人使いの荒い商人の弟子、って感じですかね」
契約書の方には、弟子(雑用)と書いておいた。
またもや嘘のことなのだが、無職というのは体裁が悪いし、何よりも次に繋げるために、ここで嘘を吐く必要がある。
「どうせお前は店先に立たないから、なんて言われてましてね。
生物を扱う時もあるんで、こんな貧相な格好なんですよ。……もしかして嘘吐いてると思いました?」
怪訝そうな顔をする彼が再び口を開く前に、此方から説明に入る。
詮索されてボロを出す前に先手を打っておこうという判断を下したのだ。
しかし、聞かれてもいないのに自ら説明するなど、嘘を吐いて焦っているのでは、と相手がそう受け止める可能性も否定出来ない。
「何をそんなに必死になってるんです?」
自分なりに感情を押し殺していたつもりだったのだが、どうやら隠しきれなかったらしい。
動揺が伝わらないように、声が震えないように、結構頑張ったつもりだったのだが。
「それは、無職と思われたくなかったからですよ」
これは偽りのない本音である。
「その理屈では、ちょっと私には理解出来ませんけれど、まぁいいとしましょう」
確か、嘘の中に本音を混ぜると、嘘がバレにくいと聞いたことがあるが、上手くいったのだろうか?
……多分、見逃して貰えた、という可能性が濃厚だろうな。
そんな登録を乗り越えた先は、とんとん拍子に話が進む……ことはなかった。
ようやっと本題である金貨の両替まで辿り着いたのだが、やはり俺みたいな奴が持っているなんて怪しい、と思われたし。
そこは、『師匠の奴に俺の銀貨を金貨に勝手に取り替えられていた』、という如何にも怪しげな話を強引に通したせいで更に疑わしく思われているかもしれない。
まぁ、犯罪者だと思われなきゃ別にいいか、と自らを励ましながら、ようやく1枚の金貨が銀板9枚と銀貨10枚に取り替えることに成功したのである。
尤も、登録料やら手数料やらで銀貨を二枚ほど取られたが、これはぼったくられた、なんて気のせいだと思いたい。
商業ギルドで目的を果たした後は、まず手頃な宿を確保して荷物を部屋へ置いていき、再び街へと戻る。
そして、ルイゼンハルトに来てから、見た目の重要性を改めて思い知ったため、次は服の新調をすることにした。
最初は、服を買いに行くための服をメインストリートから外れた、少し寂れた感じの店で調達してから。
変装用にと、商人が着るような清潔感のある、ゆったりとした白の上着を、商業ギルドで購入した後。
依頼ギルドに入り浸る荒くれ共が利用する防具店の一つで、モンスターの皮や鱗などの素材で作られた、厚手のコートに、これまた布地が分厚いズボン、そして靴底が厚く出来ているブーツに。
ついでに、そこで店主がネタで作ったという、耐久性が低そうなグローブとマフラーを防寒具として買い取った。
これなら、ガチガチの防具っぽさが無いので動きやすいし、普通の服よりも丈夫なので長く使えそうで、コストパフォーマンス的にも良いだろう。
まぁ、これが果たして防具と言えるのかどうか、疑問ではある。
少なくとも、鎧という感じは一切しないと思った。
そんな感じで服の調達を終えた後は、ぶらぶらと屋台を見て回って腹を満たした後、宿に戻ってちょうど良い時間になるまで、仮眠を取った。
確か、寝る前までの記憶はこんな感じだったと思う。
「ストレッチ終わりっと」
腕を回したり、膝を深く曲げたりと、身体の動作を確認してみるが、異常は見られない。
眠気も身体を動かすことでスッカリ覚めたし、思考も至ってクリアだ。
んじゃ、そろそろ訓練所に行ってみるとするか。
空を雲が覆い、月や星が全く見られないせいか、ちらほらと建物に設置されている発光灯の光がやけに明るく、眩しく感じる。
そんな眩しさを見下ろしながら、俺は屋根から屋根へと跳ねていく。
「あぁ……」
こんなところで発揮される、苦しかった奴隷生活の成果。
重い枷を付け、獣人に溢れていた時間を経たというのに、身体つきは多少引き締まった程度で、筋肉が分厚くなったわけではないというのに。
何故か、身体能力が飛躍的に上昇しているのを、今まさに実感させられていた。
……俺の身体のメカニズムって、一体どうなっているのだろうか?
父が『筋肉超凝縮』という、自分の身体を、その筋肉の体積を、半分以下にまで小さくすることが出来るような、物理法則破壊男だからなのだろうか?
『こういうのは理屈じゃねぇんだよ』と、父がある時、そう謎めいた発言をしていた気もするが、どうやらこの問題は、俺じゃ理解出来るようなものではないらしい。
……確か、シリアもあの細腕に似合わぬ筋力を備えていたっけか。
どこかで会った時に、その細い腕に秘訣とやらがあるのか、聞いてみることにしよう。
短い助走の中、考え事をしながらも決してスピードを緩めることなく屋根の端に到達する瞬間、膝を曲げてタメをつくっておく。
そしてそれを一気に解放させ、俺は高く、速く跳躍する。
「…………」
今の俺を、傍目から見たらどう思うだろうか。
空を自由に駆けるような爽快感を感じている、みたいな感じなんだろうか。
……本当にそうだったら良かったのに。
俺は魔法学校にいた頃に、空を自由に飛ぶ奴らの姿を散々見せつけられてきて。
ものすっごく、羨ましく思っていたのだ。
それも、もし空を飛べたら、と思うだけで自然とワクワクしてしまうくらいに。
……だがやはり俺が思っている以上に、現実ってヤツは厳しかった。
今の俺はほんの僅かな時間ではあるが、宙を跳んで――飛んでいるのだ。
屋根を強く蹴り、身体が上へと持ち上がる時、確かに俺は浮遊感を味わうことが出来ている。
――が、その浮遊感がどうにも不安な感情を湧き立ててくるのだ。
地に足が着いていないと、こうも落ち着かないなんて、思いもしなかったのである。
……この弊害が完全飛行のものには無く、一時的な滑空によるものだと、俺はそう信じたい。
「危ねっ……!」
後、屋根が脆くなっていて踏み抜く場合があるのも、心臓によろしくない。
屋根を破壊してしまうのが申し訳ないのと、わざわざ警備の目が届かない所を通っているのに、大きな音を立ててしまえば、嫌でも目立ってしまう。
冷や冷やとしながらも、凄まじいまでの集中力を発揮したおかげか、何のトラブルもなく、訓練所に辿り着いた。
案外、あっけなく侵入出来るものなんだな、と思ったが、ここには特に取られても困る物が置いてないから、そこまで警備が薄くとも問題ないのだろう。
「んー……」
地面に降り立ち、こめかみに手をやりながら、探し物の盾を最後どこに隠したのか、思い返してみる。
自然に、口から小さく唸り声が出てしまうが、記憶の方はどこか曖昧になっているようだった。
「ふぅー……」
数回ほど深呼吸を繰り返してから、今度は魔法を行使する際の集中力で再度挑戦。 ぼやけた所はイメージで補完し、必要となる記憶のワンシーンを切り抜いて。
当時の記憶に関連するようなワードを頭に放り込み、脳内の景色を鮮明に、広げていく。
「……ここか」
入り口から数メートル先、非常に微妙な所に盾を埋めたんだっけか。
場所は適当に決めてたせいで、思い出すのに少々手間取ってしまった。
取りあえず地面に印を付けて、一目で分かるようにしておいてから、一旦そこから離れて備え付けの倉庫に向かう。
そこには古びた武器なんかが収納されており、俺はその中から大鎚を手に取る。
素手で掘ると、爪の中に土が詰まったりするので、コイツをシャベル代わりに利用するのだ。
叩いて地面を壊してもいいし、掘り出した後に地面を均すのにも便利だったりもするのである。
「ふっ……!」
手始めに大して力を入れることなく、軽めに地面へと振り下ろす。
が、しかし思っていた以上の、大鎚による派手な破壊音が響いてしまった。
どうしようか、と迷っている暇はない。
今度は充分に力を込めて、勢い良くひび割れた地面に大鎚を叩き付ける。
飛び散る土の破片の隙間から盾の鈍い光沢を確認すると、もう一度そこに向かって遠心力を利用した一撃を振りかぶる。
――今度鳴り響いた音は、金属と金属とがぶつかり合う音。
攻撃の反動がそのまま手に返ってきて、思わず上半身が仰け反ってしまうのを、背筋を使って何とか堪える。
そして、ハンマーヘッドの打撃部が歪んでしまった大鎚を地面に下ろすと、穴の中にある盾を回収。
「何をやっている!?」
用は済んだので、片付けやら何やらを全て放ったらかして逃げようかと思っていたら、いつの間にか訓練所の入り口に一人の男が手元を灯りで照らしながら立っているのが見えた。
外からやってきたってことは、宿舎に住む騎士じゃなくて外で見回りをしていた騎士だろうか。
だがしかし、俺が見習いをやっていた時には、『どうせ寝てるとはいえ、騎士が大勢いるしな』とサボっていた人が多かったと記憶しているのだが。
そうして、人影が近付いてきたところで、彼の持つ灯りによって、その顔を拝むこととなった。
まさかの、副団長である。
「こんなところで、あの騒音。騎士に喧嘩を売るにしては、頭の悪そうでいて、しかし意外と効果的なことをしてくれるとはな」
腰に携えた剣を抜いて、こちらを警戒してくる副団長。
まぁ、俺の足元には大鎚が転がり、背中には盾を背負っているからだろう。
剣を中段に構えて、俺に飛びかかるタイミングを窺っていた副団長だったが、
「お前はもしかして……クレヴなのか?」
と呆けた様子で、そんなことを聞いてきた。
……俺は会ってすぐに副団長だと分かったというのに、どうやら彼は俺の髪が短くなっていたせいか、すぐには気が付けなかったようである。
彼の視線を追ってみれば案の定、背中の盾にいってるし、よほど俺の顔というのは没個性的らしい。
「何故、ここにいる?」
「…………」
「何故、こんな時間に?」
「…………」
「何故、こんなことを?」
俺は副団長の問いに対して、無言に徹する。
「何故、何も答えてくれないんだ?」
「――そっちが、先でしょうに」
黙っているつもりだった。
だが、副団長の言葉が俺を無性に苛立たせたせいか、自分の意志に反して口が動いてしまっていた。
「あの時――俺が騎士見習いでいられた最後の日。
そん時のお返しをしただけですよ」
副団長の反応がおかしかったのは、今思えば、俺が召喚魔導師だということを、あの憎き鎧女から事前に聞いていたからなのだろう。
不本意ではあるがフルデヒルドに行って、召喚魔導師が隷属魔法なんていう、モンスターを、人を、逆らうことの許されない奴隷にする魔法を使えることを知った。
それを目の前にして、恐怖を覚えたりもした。
召喚魔導師が人を人だと思わない存在だと、偏見を持っても、おかしくはないかもしれない。
でも、それでも。
俺はそんな彼らとは違うと思いたかった。
違う、と誰かから言ってほしかった。
「……何故、ここにいる?」
副団長は何か思うことでもあったのか、顔を歪めて同じような質問を繰り返す。
腹立たしい。
……俺は確かに召喚魔導師である。
だが、彼の、彼らの前でその力を一度たりとも振るった覚えはない。
隷属魔法を知った今でも、それを行使しようとは欠片も思ったことはない。
隷属魔法は恐ろしいものだ。
人の自由を奪えてしまうのだから。
だが、決して隷属魔法だけが人の自由を奪うわけではないはずだ。
権力のある人間、金のある人間にだって出来る。
そうであるならば、人は恐れるはずなのだ。
人の上に立とうとする存在を。
排除しようと考えるのではないのか。
でも、実際にそうはならない。
実現出来そうにないからなのか?
……確かに、それもあるだろうが、彼らがそれらの存在をそこまで恐れていないからだろう。
良識のある者ならば、むしろ此方に対して有益なことをしてくれると、思う人だっているだろう。
なら俺にも、彼らにとって無害な存在だと思ってくれたっていいじゃないか。
「確かあの時、お前は半裸だったはずで、どこかの貴族の私兵に捕まっているんじゃないかと思っていたが……」
それを嬉々としてやった鬼畜共を恐れるべきだと、俺は思う。
つーか、いい加減頭にきた。
今まで見て見ぬ振りをしてきたが、もう限界である。
副団長の首筋に夥しい数の小さな内出血の跡があるのだが、あれは間違いなくキスマークだ。
触れてはならないトラウマが、呼び起こされたので、きっとそうである。
そんなキスマークを大量に付けといて、シリアスに浸ろうなんざ、ちゃんちゃら可笑しい。
いつだったか、『好きという気持ちが分からない』とか何とか言ってが、真っ赤な嘘だったのだ。 相手にここまでさせておいて、副団長は何も思っていないとは、とんだプレイボーイがいたものである。
「忘れ物を取りに来ただけですよ。すぐ帰るんで、そこ退いてもらえません?」
そう言ってはみるものの、副団長はその警戒態勢を変えなかった。
……この感じだと、門を経由せずに塀を飛び越えて逃げようとしたら、その前に斬られるかもしれない。
かといって、真正面からぶつかりに行って、勝てる相手ではないと思う。
食堂で盗み聞きした話だと、あの鎧女と涼しい顔で剣を交えていた、なんてのがあった。
戦争中に戦った槍使いのおっさんよりも、技量的には鎧女の方が上だったし、副団長もそれと同様だと考えた方が良さそうだ。
いくら盾が手元にあるとはいえ、勢い任せに強引に押し通るのも難しいかもしれない。 かといって、槍のおっさんを倒した時のように、スライムを背後に召喚しての不意打ちも無理だ。
これだけ暗いのだから、魔法を使おうと手に光が灯った瞬間に警戒されてしまうだろう。
スライム落としも、万が一反応されて斬られでもしたら、ショックで寝込むかもしれない。
どうするべきか。このままだと流れ的に戦闘突入とかになりそうだが。
全力で気張ったところで防戦一方だって目に見えている。
勝てない勝負なんざ、したくはない。
だったら――
「ここを、通してくれませんか?」
「……!? 何の真似だっ!?」
「何って、魔法ですよ、魔法」
光を伴った右手を副団長に向けて、俺は唇をつりあげる。
「魔法ぶっ放して欲しくなかったら、分かりますよね?」
「それで脅しているつもりか? お前が詠唱する前に斬ることだって――」
「本当にそうですかね? 俺の力を見くびってんじゃないですか?
俺が魔法を使っているところを見たこと無いくせに、好き勝手に言ってくれますね」
人は未知なるものを恐れる。
副団長は魔法を多少は見知っているかもしれないが、分からないことの方が圧倒的に多い。
今も続いている発光現象についても――副団長は大規模な魔法だと勘違いしている筈だろう。
一般的にこんなにも長時間魔力を集中するのは、それ相応のものだと知られているからだ。
だが、副団長は完全にそうだと判断出来てはいないでいる。
何故なら、俺が今ヘラヘラとした態度を取っているからだ。
大規模の魔法であるならば、莫大な集中力を必要とするために話をするどころか、周りを気にする余裕もないと、ルシルから聞いている。
だから、俺の様子が怪しいと副団長は感じている筈だ。
普通の小規模な魔法だと、詠唱してからすぐに放射されてしまうから、それも考えられない。
ただでさえ、俺は恐ろしい召喚魔導師なのだ。そこに得体の知れない要素を加えてみれば、どうなるか。
見事なまでのハッタリが完成である。
魔導を用いた大変シンプルなものだが、正攻法では切り抜けられない俺が何とかするには、これしか思い浮かばなかった。
俺のことを良く知らないからこそ取れる手段。まさに気分は背水の陣である。
この魔導を前にして、副団長がビビっている間に逃げるとしよう。
「うらぁッ!」
大鎚を拾い上げた勢いを殺さないようにしながら、全体重を乗せたフルスイングを地面に叩き込む。
そのインパクトにより、地面が爆発するかのように土が副団長と俺との間に即席の壁を作り出した。
「後片付けはよろしくお願いします!」
盾の重さを物ともせず、力業塀を飛び越え、すぐさま駆け出す。
逃げるが勝ち。いい言葉だと、強くそう思った。




