蛇足 副団長の休日
今回は名前を出しておきながら出番も少なく、活躍もない騎士団副団長を掘り下げ――たかったけど、あんまり出来なかったので、やっぱり無駄満載なサイドストーリーです。
取りあえず、テンプレやら色々ぶっ込んでみました。
Case.1 自宅
騎士団副団長、ジェフ・クリスターの朝は早い。
朝日が昇ると共に、大きく瞳を開け――すぐさま身を捩る。
彼の鍛え抜かれた肉体は脳からの指示をほぼタイムラグ無しで。
一瞬のうちに、ゼロからトップギアにして。
彼の顔目掛けて振り下ろされた女の顔を全力で回避する。
「おはよっ!」
もはやヘッドバッドに近しい動きをした女は、早朝の空気を体現したかのような、爽やかな挨拶を繰り出す。
が、それに対してジェフは顔をしかめ、半眼でもって彼女のことを睨み付ける。
「毎朝毎朝、ご苦労なことだな」
「そう思うならさぁ、避けなくてもいいでしょっ!」
皮肉げな言葉を真正面から受け止められたジェフは、顔に手を当て、深く息を吐き出す。
それから彼が素早くベッドから降りると、女が楽しそうに彼が動いた事で生じたシワを伸ばしていく。
「(この人は結局何がしたいのだろう……?)」
毎度の事ながら、ジェフはその度にそう思う。
ベッドの前にいる、肩までは届かない、くすんだ金色をしたショートの髪が良く似合う、活発そうな妙齢の女は、彼の記憶が確かならば彼の命を奪いに来た暗殺者だったはずなのだ。
「(一番最初の頃とは大違いだな……)」
ジェフは瞼を閉じ、少し回想する。
それは彼が成人したと同時に、当時副団長だった者に抜擢された頃。
後任者としては異例の若さと、彼が成り上がりの貴族の息子ということで、多くの騎士達に恨みを買われていた。
そして、そんな彼らは度々ジェフに嫌がらせをしていくうちに、それがどんどんエスカレートして。
ついには彼の暗殺を計画する者まで現れたのだが。
暗殺は悉く失敗に終わる。
直接殺しにかかれば、鋭い気配察知と常日頃から剣を帯刀する彼に返り討ちに合い。
毒など間接的な方法を取ったとしても、やはりその歳で副団長になる男はどこか違うのか、異様なまでの勘の良さと悪運の良さで全て回避されてしまったのである。
ここまでくると、ジェフは神によほど愛されてるのではないかと、大半の者が諦めたのだが、執念深い男がそれならばと、
『目には目を、天才には天才を』
と、大枚を叩いて、暗殺家業を営む者には名の知れた少女を彼の元へと向かわせたのだ。
どんなに厳重な警備を敷こうとも軽々侵入し、音も無く忍び寄る当時の彼女の仕事達成率は100パーセント。
だがしかし、ジェフはそんな彼女に初黒星をつけてしまったのである。
彼女に渡された彼の人相書きの時点で一目惚れし、生で見て更に深く惚れ込み、彼の声に心を震わされた。
それでも彼女は諦めず、寝静まった深夜に彼の眠る寝室へと暗殺に乗り出したのだが。
ちょうど彼女が襲ったタイミングと、尿意によって彼が眠りから覚醒したのと重なったのである。
命を刈り取る銀色の光を目にしたのと同時に、就寝の際にも左手に握りしめていたショートソードを引き抜き、それと衝突させる。
高い金属音が鳴り響き、彼女は音を立てず静かに後退し、彼はベッドの上を彼女と逆方向に側転し、何とか体勢を立て直した。
そして数合、彼女と彼はお互いの得物をかち合わせ、正面からでは敵わないと彼の実力を把握した彼女は彼の私室の窓を蹴破り、その場から離脱。
その後、彼女は自分の手で直接殺害するのは不可能だと判断し、彼の殺害方法を模索した結果――腹上死なるものを知り、それを試みることして……。
それから彼女は性的アプローチでもってジェフに迫るようになったのだ。
何かポリシーでもあるのか、彼が無防備に眠っている間には何もせずに、彼が眠りから覚めた直後にいつも仕掛けている。
彼女曰わく、『反応が無いのは、つまらない』ということらしい。
しかし、ジェフには、別に彼女が面白かろうがつまらなかろうが関係ないのだが、彼には彼女を待ち構える以外に出来ることが無かった。
一目惚れであるが、恋を知ったことで暴走した彼女は、異様なまでの執念で『性的行為に準ずる行動』のみ、一時的に自身のスペックを飛躍的に上昇させることに成功したのだ。
そして、日々の成果により『もはや彼女との朝は当然のこと』レベルにまでジェフの頭の中に刷り込ませていたのである。
「朝ご飯は何がいいっ?」
「いらない」
だが、ジェフは彼女のそんな熱烈なアプローチには負けなかった。
彼女の容姿が、街ですれ違えば殆どの人間が振り返るであろう、大変魅力的なものだとしても、だ。
彼が恋愛について消極的なこともあるだろうが、何よりも彼女が暗殺者だというのが大きいだろう。
果たして、自分の命を狙ってきた人と恋仲になれると誰が考えられようか。
これは自分を殺すための演技なのでは、という疑念が浮かんでも、おかしくはあるまい。
そして何よりも。
ジェフは常識の無い人間を、恋愛対象として見ることが出来なかった。
こうして、ジェフと彼女は平行線のまま交わることも無く、1日が始まる。
Case.2 歩道
「やっば。これじゃ遅刻しちゃうー!」
商人が活発に活動して騒がしい平民区に比べ、静謐な貴族区に響く甲高い声。
その声の主である少女は小柄で可憐な容姿に似合わず、小さな掌に30センチぐらいの長いパンを掴みながら、白いローブをはためかせ、低空飛行していた。
今の時刻と現在位置では、少女が魔法学校に着くのが先か、それとも始業の鐘が鳴るのが先か、曖昧なところである。
「おっと……」
「キャッ!」
焦る気持ちが先行して前方不注意になった少女。
進行方向に誰かが歩いていると気付いた瞬間には、彼女はもう顔から衝突していた。
「いたた……」
「思いっきり突っ込んできたようだけど、大丈夫か?」
鼻をさすりながら彼女はうつ伏せに倒れた自分に手を差し伸べてくる男の顔を見て、固まってしまう。
何故なら、男――ジェフがとても端整な顔立ちをしていたからである。
彼の青い瞳に見つめられていると、徐々に少女の頬が赤色に染まっていく。
「だっ、大丈夫です!」
少女は自身の照れを誤魔化すように、彼の手をやんわり押しのけると、素早く立ち上がる。
鼓動が速くなっていき、少女の面持ちが緊張で固くなり、かと思いきや、今更ながら手を繋げるチャンスだったのに、と小さな後悔で顔に表れたり。
そんな彼女の表情の変わり様に、笑みを浮かべるジェフを見て、また少女の頬が上気する。
「そういえば急いでるようだったけど、時間の方は大丈夫か?」
「だいじょばないです!」
少女は今までの慌てっ振りを取り繕ったかのような優雅な会釈をすると、『レビテーション』と唱えた。
少女の右手に発生した光が弾け飛ぶと、たちまち彼女の小柄な体躯に風が纏い、宙へと浮かぶ。
そして、続けて吹かれる風によって彼女の身体が前へと進み、一分もしないうちにジェフの姿が遠く、小さくなる。
「(これって、まさか運命の出会いってヤツかなぁ……)」
恍惚とした顔を両手で挟み込み、乙女思考に陥った彼女は、思わず身体をモジモジさせてしまうが。
完全に遅刻した挙げ句、ジェフに転校生フラグが立つような甘い現実など無く、時が過ぎれば日常の1ページに埋没される、何事も無く平和な1日を彼女は過ごした。
Case.3 定食屋
背後から来た少女に自ら敢えて当たりにいったジェフは、彼女の後ろ姿を見てホッと溜め息を吐いた。
あのまま周りの見えていない彼女を放っておいて、大きな怪我でもされたら寝覚めが悪くなる。
そう感じた彼は、自らぶつかることでもう少し前方を気にして欲しいと思ったのである。
彼女の頭が衝突した腰をさすり、特に痛みが走らないことを確認すると、ジェフは平民区へと向かっていく。
親が平民上がりのために、彼は庶民的思考に近しいものを持っているため、華やかな貴族区はどうにも性に合わないのである。
いつもよりも襲撃者の対応に手間取ってしまった彼はこれから朝食を取ろうと、半ば常連になっている定食屋へと向かう。
「いらっしゃいませ、ってジェフちゃんか」
「もう『ちゃん』だなんて付けられる歳じゃないんですけど」
ジェフが戸を潜るのと同時にトレイで商品を運ぶ女性に朗らかな笑顔をするのに対して、彼は少々苦笑いで返す。
「今日も食べに来てくれたの?」
「えぇ」
湯気がゆらゆらと上る、出来立ての定食を彼女は注文した客のテーブルに音も立てないようにして置くと、ジェフを開いているテーブルまで案内しようとするも、
「自分で適当に座りますから」
と手で制され、不満げに少々頬を膨らませる。
ジェフよりも年上の女性だというのに、どうしてかそれは彼の眼には不自然に映らない。
彼女の歳は30代だというのに、見た目なら20代前半と言っても通用するくらいに若々しくて、どこか色気を感じさせる。
そんな彼女の影が厨房の中へと消えたのと同時に、ジェフの隣のテーブルに座る常連らしき2人の男達が料理をフォークで突きながら、そんな彼女を話題にして食事を進めていく。
「しっかし、あの後ろ姿いつ見てもいいよなぁ」
「ホント、嫁に来て欲しいくらいだ。エプロン姿も似合うだろうし」
「でもなぁ、まだ若いってのに、もう結婚する気がないって、もったいない話だよなぁ」
自然に耳に入ってくる2人の声をバックグラウンドに、ジェフは瞼を下ろす。
そうして、あの日――いつも笑顔を振りまいていた彼女が泣いた日に、網膜の裏に焼き付いてしまった泣き顔から、ジェフはその時の事を思い返してみる。
その時のジェフはまだ12歳、騎士の見習いになったばかりの頃だった。
ちょうどその頃のジェフは、訓練所に併設された食堂の雰囲気がどこか嫌で、外で済ませてしまうことが多かった。
その際良くお世話になったのが、彼女の店である。
その店は、量の割に良心的な価格で、味も良く、仲のいい美男美女の若い夫婦が経営していることでそこそこ名が知れていた。
だから、昼時なんかは客が店内に押し寄せ、外に行列が出来たことだってあったという。
「あれ……?」
だからこそ、平日の昼間、まさに書き入れ時である時間帯に店が閉まっていたことに、ジェフは疑問を覚えた。
彼が閉まっていることなんて、今まで一度も見たことが無かったからこそ、余計に。
子供特有のフットワークの軽さと、勝手知ったる他人の家ということで、関係者以外立ち入り禁止の裏口に回り込み、その扉を数度叩く。
だがしかし、それに対しての返答は得られなかった。
「いないのかな?」
ジェフが留守かと決めつけたその時、微かだか目の前の家の中から物音がしたのを感じ取った。
そっと扉に耳を寄せてみれば、何やらすすり泣く女性の声。
「(え……?)」
この店には、彼女とその夫しか住んでいないことは、ジェフも知っていた。
ならば、泣いているのは彼女ということとなる。
だから、そう思い至った彼は、不思議に思ったのだ。
『いつも笑みを絶やすことの無かった彼女が何故泣いているんだろう』、と。
彼には、想像出来なかったのだ。
彼女の泣いている顔が。
でも、その理由は想像出来てしまった。
彼女の笑顔の傍には、いつも存在していた夫に何かあったのでは、ということに。
次の日。
ジェフは昼時に店を訪れるが、店は閉まっていた。
そして、その次の日も。またその次の次の日も。
その状態が、一週間以上も続いていた。
その度に彼は裏口を回って扉に耳に押しやると、聞こえてくるのは、やはり泣き声だけ。
全然、止まらない。
あまりに泣き止まないものだから、彼の耳にこびり付いてしまっていた。
「(なんとかして、止めさせたい)」
止めさせて、また美味しいご飯にありつきたいと考えた彼は、悩んだ末にあの店に手紙を出すことにした。
商人の家の子だということで文字を習わされたが、今まで碌に使ってこなかったので、ちょうどいい機会だとも思ったのである。
それから、彼は食事目的ではなく、あの店に通うようになっていった。
肝心の目的である手紙の内容は、いかにも子供らしい内容ばかり。自分の欲求を素直にぶつけるものから始まった。
それから日が経つにつれて、次第に彼の手紙にも変化が訪れていく。
まぁ、彼自身の食に対する欲求は浅く、書く内容が無くなってきたためではあったが。
泣いていた彼女を、自分なりに励ますように自身の楽しかったことを綴り、自分なりに共感しようと辛かったことを綴っていったのだ。
そしてそんなジェフの日課は、ひと月という期間で終わりを告げることとなる。
というのも、手紙を受け取って欲しいと願っていた彼女と、裏口で対面することとなったからだ。
「大丈夫……?」
彼女と久しぶりに会って、彼が自然に発した言葉は彼女を心配するようなものであった。
まぁそれも当然のことで、泣き続けていたせいで目が腫れぼったくなり、碌に食事を摂っていなかったのだろう、ふっくらとしていた頬が痩せこけていた。
「あなたが、これを?」
ジェフの問いには答えずに、彼女は彼が書いた手紙を握りしめた手をゆっくりと前へと出す。
「そうだけど、迷惑だった?」
「ちょっとね。……でもそれよりも、嬉しかった」
彼女は眼の下に溜まっていた涙を拭い、彼をそっと見つめた。
そして自分よりも背の低い彼の頭に手を乗せて、短い金髪をゆっくりと撫でていく。
「ありがとね。おかげで、少しだけ君から元気を分けて貰えた気がする」
「……あの、何で泣いていたのか聞いてもいい?」
気まずそうに、小さな声で呟く彼。
彼女は撫でる手を止めず、そんな彼にすっかり下手になってしまった笑みを浮かべた。
「そうね、あの人――私の夫が亡くなっちゃって、凄く悲しくなったからかなぁ。悲しくて仕方ないものだから、泣く以外の事が出来なくなっちゃったんだと思う」
「――――」
口を開くことをせず、彼はじっと彼女の顔を見ていた。
それは何だか話の続きを無言で急かしているように、彼女は感じていたのだろう。
彼女は話を続けた。
「この店はね、あの人の夢だったの。『僕は皆を笑顔にしてあげたいんだ。でも僕は料理しか出来ないから』、なんて言ってね。
料理の値段を黒字ギリギリ切り詰めて、儲けなんて全然出ないのに、『それでも僕の料理に笑ってくれる人がいるなら』、っていつも笑って。
そんな笑顔に私はつられていただけなの。だからあの人の持病で亡くなっちゃった時には、もう笑えなくて。
もう何もしたくないって思うこともあったけど、でもあの人が残してくれた大切な所を守らなきゃって思いもあって。
でも、あの店には笑顔しか持ち込んじゃいけないって思って。今は泣くことしか出来ない私には、店に立つ資格がないと思っちゃって……それで、それで――」
彼女の纏まらない話に、ジェフは思わず言葉を発しそうになったものの、その寸前で留まった。
黙っていた方がいいと、彼女の顔を見て、その時不思議とそう感じてしまったのだ。
「――これから、どうすればいいのかなぁ……」
ポツリ、と彼女は独りごとを漏らした。
それに対して、彼は悩むも、結局は思ったことを直接言うことにした。
「お姉さんのしたいようにすれば、いいと思う」
「そう」
そして彼女はしばらくの間、黙っていたかと思いきや、いきなり、
「あーあ、あの人との子供くらい欲しかったなぁ」
と何か期待するような眼で、彼の方をチラリと見てきた。
「ねぇ、もし良かったらさ。ごっこでもいいから君の母親みたいに振舞ってもいいかな?」
その言葉にジェフは、「美人な母親なら大歓迎」と、ふざけて返した。
「――注文、何にする?」
いつの間にか厨房から戻ってきた彼女の声で、ジェフはゆっくりと瞼を開いた。
「今日のお勧めってヤツ、お願いします」
数秒悩む素振りを見せてから、彼はそう注文する。
注文を請け負った彼女は再び厨房の方へと戻っていくのを確認した後、彼はふと客の声がしなくなっていたことに気付いた。
「(昔は繁盛してたのに、今では寂れたものだな)」
――ジェフが彼女と裏口で対面してから、彼女は店を再開させたのだが。
しばらく店を閉めていたせいで、客足は遠退いて、尚且つ彼女の料理はその夫であった店主の料理の味には遠く及ばなかったのである。
今では繁盛していた時よりも店はこじんまりとしていて、来る客も常連以外は殆どいない。
が、それでも彼女は細々と店を続けている。愛した夫の、夢を受け継ぐためだけに。それも、たった1人で、だ。
彼女は魅力的な女性である。
当然夫が死んでから、幾度となく求婚もされていた。
その中には、金持ちだっていたはずなのに、彼女はそれらの求婚に対して、一度も首を縦に振ることはなかった。
ジェフはそんな彼女に対して、何度も言ってきた。結婚すれば楽になる、と。結婚って女の幸せなんだろう、と。
だが、彼女は彼の声を耳にせず、それからも頑なに断り続けていた。
そして――
「はい、御待ち遠様。――ねぇ」
店に彼以外の客がいないことを確認した彼女は声音を変えて、そっと彼の傍へと近寄る。
「ジェフにはさ、まだ好きな人いないんでしょう?」
「まぁ、そうですね」
「だったら私が――」
「あなたは、やっぱりもう一人の母親ですよ」
彼女の言葉を制して、彼は言葉を割り込ませる。
「いじわる」
今となっては彼女の背をとっくに追い抜いている彼の身体をそっと抱き寄せた。
彼はそれを抵抗せず、ただ受け入れる。
「ずっと息子のように思ってたんでしょう?」
「でも、いつの間にか好きになっちゃってたんだから、仕方ないじゃない」
「……そろそろ離してくれませんか。せっかくの料理が冷めてしまいますから」
「ヤ」
それから彼女は店に客が入ってくるまで、ずっと彼のことを愛おしそうに抱きしめているのだった。
Case.4 城
「此方は休日だというのに、あの団長め……」
ジェフが遅くなった朝食を食べ終わった後、同僚から城に来るよう通達を受け、向かってみてみれば。
サボり癖のある騎士団長、ミハエルの残した仕事の処理をさせられたのである。
せっかくの休日だというのに、仕事を片付けている間に、とっくに昼は過ぎ去り、もうすぐ夕日が出てくる時間にまでなってしまったのだ。
彼が怒りたくのも当然のことなのだが、これまでにミハエルには仕事をちゃんとやるようにと、くどいくらいに言っているのだが、効果は全く見られていない。
始めから諦めて受け入れ態勢を整えておけば楽なのだが、ジェフは真面目な性格をしているために、それは出来ない性分なのだ。
彼は深く溜息を漏らしたのを、ちょうど前方から歩いてくる影が反応してくる。
「あー、幸せが逃げていっちゃいますねー。幸せやーい、こちらで受け入れてあげますよー」
「何を言ってるんですか。幸せなんてそう簡単に手に入るものじゃないんですよ……」
彼の溜息に対して、間延びした声を発したのはリュドミラ・ハーディア。一応、王女の立場にある少女である。
そのリュドミラの隣で、悲しげを帯びた顔が染みついてしまっている女性はニーナ・リーベックと言い、姉妹揃って王女の護衛をやっている優秀な人物なのではあるのだが。
殆ど手のかかるリュドミラのお守りをしている世話係みたいなものに化している、皆の知らない陰で相当苦労させられている可哀想な女性でもある。
「これはリュドミラ様、みっともない姿を見させてしまい、申し訳ありません」
「別に気にしてないから大丈夫ですよー。フクダー」
頭を下げるジェフに対して、リュドミラは彼女が発した言葉通り、気にしていないことをジェスチャーで示す。
語尾に申し訳程度の丁寧語が用いられているものの、リュドミラ自身は普段と変わらない態度を取っているために台無しではあるが。
それでも、リュドミラにとっては言葉遣いに加え、色々と暴走具合などを抑え気味にしているつもりらしいが、ニーナにその努力(?)は伝わっていない。
「どこで切ってるんですか、どこで。副団長、でしょうに」
「長いから省略したっていいじゃないー。頭がキレキレなのが良いのと同じようにー」
「記憶が切れ切れとかは嫌ですけどね。失礼な態度で申し訳ありません、副団長さん」
ニーナは謝り慣れているせいなのか、非常に綺麗な45度でジェフに頭を下げる。
それを見て、彼は少し慌てた様子で、すぐにニーナに顔を上げてもらうように言う。
「太陽に負けないくらいに赤くなってますねー、ニーナ。その歳で恋心メラメラしてるのー?」
「なっ……!? っ、仮にそうだとして何か悪いことでも?」
彼の笑みに顔を赤くしたニーナをからかうようにリュドミラが言うも、ニーナはすぐに感情を押し殺して、そう訊ねる。
「行き遅れが期待してもー、大概は叶わないよー? 身の程を知った方がいいですよー。若い人にムラムラ、良くないー。」
「……そんなこと言っても、リュドミラ様にだってそういう相手がいませんよね。
そういった言動してると行き遅れになりますよ? というか、私はまだ行き遅れじゃないです!」
拗ねた口振りから始まって、最後に付け加えられたニーナの魂の叫びに、リュドミラは鬱陶しいと言わんばかりに顔をしかめる。
「ニーナとは違って私には最悪安全牌として、お義兄ちゃんに貰ってもらえばそれでいいですしー」
「なん、ですって……!?」
目を見開いて、驚きのあまり硬直してしまうニーナを、リュドミラは鼻で笑う。
リュドミラは、彼女が『お義兄ちゃん』と呼ぶクレヴに対して、特に恋愛対象として見たことは無い。
だが、彼が悪人ではなく、かといって頭がガチガチに固い真面目一辺倒でもない、いわば何かに偏った考え方をする危険な思想を持つ人間ではないと知っている。
彼を危険な所に巻き込んだにもかかわらず、彼女がやったことを黙認してくれるような、どこか甘い性格をしていることも。
また、リュドミラが彼と一緒にいたのは短い期間だったために、それが彼の一面に過ぎないことかもしれないこともまた、理解していた。
それでも、見合いで碌に知らない相手に嫁ぐよりかはマシだとは思っているのである。
「それに、お義兄ちゃんとは波長が合いそうですしねー」
「なにそれ、怖い」
リュドミラの言葉にニーナは反射的に口を動かす。
そして、ニーナがようやっとフリーズ状態から回復すると、今度はリュドミラに疑いの眼差しを向ける。
「そのお兄ちゃんって本当に実在するんですか? といいますか、いたらいたで、兄妹でそういうのは流石にマズいと思うんですけど?」
「お義兄ちゃんは今売れ残ってるー、あの小心者で引き籠もりの兄様でもー、種をバラまいておいて責任を取ろうとせずにー、女をヤリ捨てて父様に親子の縁を切られた屑の兄様でもー、既に婚姻関係のある兄様達とも違う人ですよー。
それにー、あくまでも私が最悪行き遅れになりそうだったらー、ですしねー」
リュドミラは第三者から見れば、自由奔放に好き勝手やっているように思われがちだが、城内でもそこそこの人達に貸しを作ってあるのだ。
人脈も広く、親兄弟には内緒で商売にも携わり、そこそこ経済力もある。
そんな彼女が本気になれば、『あの時、クレヴに助けられた』というネタを使って、彼の地位を向上させて婚姻関係を結ぶことも出来なくはないのだ。
それに彼女の力が仮に及ばずとも、娘の立場を利用して、王であるアーノルドに頼み込めば、どうとでもなってしまう。
そして事が上手く運んでしまえば、平民風情のクレヴに断る術など無い。
「アタシ……私がニーナと同じ運命を辿るようなヘマなんてしませんよー? 結婚くらい余裕のよっちゃんなのですよー」
リュドミラがあまりに軽い言いように、ニーナの目から、ついに涙を零れる。
深刻に悩んでいた問題が、随分と年下の、しかも普通の人とはズレている変人には何の苦痛にもならない、というのが悔しくてたまらないのだ。
「ははは……」
「フクダー、行き遅れでビビッと思い出しましたけど、姉様(38)がフクダとなら結婚してもいいそうですよー」
完全に自分の存在が忘れられているな、と思い込んでいたジェフは乾いた笑い声を漏らしていたが、リュドミラのその唐突な言葉に、口を開いたまま固まってしまう。
まさか、このタイミングで話を振られるとは思ってもみなかったからだ。
リュドミラの言った姉というのは、正妻の娘でもリュドミラの実の姉でもなく。
もう一人の妾の娘である。
そんな彼女の家の経済力は凄まじく、それだけの理由で文官達がアーノルドに結婚を勧めたぐらいであった。
だから、というわけではないだろうが、彼女は贅沢な暮らしに明け暮れる。
一歩たりとも動かなくても周りの人間が全てやってくれるのだから、幼少期から高められた自尊心は歳を重ねるにつれて、更に助長され。
身体は丸々と太り、誰かに寄生していかなければ、生きていけないというのに、他人を蔑ろにする。
つまり、性格最悪の穀潰しの女である。
王女の肩書きをも好き放題に利用してきた厄介者は、これまでに数々の見合いと、そして結婚を繰り返してきた。
彼女に目を付けられた者達は強引に婚姻関係を結ばれ、必ず最後には精神がイかれてしまうため、死に神よりも恐ろしいと有名な話である。
「城でフクダのことを姉様の従者がサーチ&ゴー・トゥ・ヘルしてるらしいですよー?」
「急用を思い出したので、これにて失礼させていただきます……」
ジェフはすぐさま判断を下す。
彼女の関係者に見つからなければ、後は知らぬ存ぜぬで通せば問題ないのである。
いくら彼女が強権を持っていたとしても、それは絶対ではない。
彼だって、騎士団の副団長という地位におり、彼女の求婚を断ることだって可能ではあるのだ。
ただ、それが直接的には無理、という話なのだけれども。
リュドミラ達と別れた後、城の入り口で待ち伏せしていた王女(38)の従者と遭遇し、本来民衆を守るべき立場にいるにもかかわらず、ジェフは自分の身を守るために、彼らと戦闘。
従者の彼らも王女(38)に家族を人質に脅されており、故意に彼を見逃すことも出来ないために、激しい戦闘となった。
その結果、相手を全員病院送りにしたと報告が上に入ったのだが。
情状酌量の余地があると温情をかけられ、副団長を降格させられることなく、ジェフは彼らの治療費を負担するだけで許されたという。
ひそかに流れた噂によれば、
『もしこの罪を罰するという形で私を彼女の元に送るのであれば、この場にいる全員を彼女の前で褒めちぎってやろう』
とジェフが血の涙を流した、などと言われているが、それが真相なのかどうかは定かではないらしい。
Case.5 街中(夜)
王女(38)の従者への暴行事件は書類上、治療費を払うまでに留まったのだが、その罪滅ぼしをしろという上からの命令で、ジェフは夜の見回りをするはめとなってしまっていた。
その見回りの区間は、治安が比較的に悪いとされる貧民区。
他の区画よりも明かりが少なく、老朽化した建物が多いために、夜になると不気味な雰囲気が漂うため、騎士達の間でもジャンケンなどで見回りの押し付け合いになっていることで有名である。
そんな場所を、ジェフは手元の持ち運び型の発光灯で狭い視界を確保しながら、4人の同僚と共に歩いていた。
通常業務では5人1組で回ることになっており、怪我などで欠落したなどでもない限り、そのメンバーは固定されていることが多いのだが。
今回はどういうわけか、ジェフと共に歩く騎士達はそこまで交友のない人物ばかり。
その事実に頭を傾げる彼だが、その疑問を口にしようとはしなかった。
「……そろそろ、だな」
同僚の一人が何か小さく声を発した、とジェフが思った瞬間、彼は複数の人間に囲まれていることに気付く。
表通りを歩く彼らを挟むようにして近付いてくる人影や、まるでここを通ることを知っていたのか、路地裏に伏せていた人影も見られる。
「(これは一体……?)」
腰に携えている剣の束を強く掴んで、ジェフは視線を忙しそうにやる。
そして、いつの間にか一緒にいた同僚の騎士達が彼の傍から離れ、待ち伏せしていた集団の方へと紛れ込んでいた。
「……どういうつもりだ?」
裏切り者達にジェフは睨みを利かせるが、彼らも彼らでジェフに向かって鋭い眼で返す。
「別に、ただこれからお前には、私達『紳士協定』から制裁を受けてもらう」
同僚の一人の声に、ジェフの周りを囲むギラギラとした視線が更に鋭さを増していく。
その視線にはジェフに対する恨みが色強く現れているようである。
「制裁? 制裁を受けなければいけない理由でもあるのか?」
「「「「「「あるに決まってるだろうがァッ!!!」」」」」」
静寂な貧民区に、ジェフを囲む者達の寸分の狂いもない叫びが鳴り響く。
「その顔は本当に分かっていないらしいな。……所属No.56、言ってやれ」
「てめぇ、良くもまぁ平然とした顔でリメルダさんを誑かしやがったな……!! 覚えていないとは言わせねぇぞ、この野郎……!!」
「済まない。リメルダさん、とは一体誰なんだ?」
「ハァッ!? てめぇが何日か前に、怪我をして治療院――今は病院だっけか? にいるお仲間に花買った、あの店の店員のことだよっ!!」
所属No.56と呼ばれる男の吠えるような声で、ジェフはリメルダと思わしき女性にようやく心当たりがいった。
そして、何でお前がそんなことを知っているんだ、と問いたくなったのだが、相手に会話の主導権が握られているために、その言葉を無理矢理、喉の奥へと押し込める。
「で、その店員に失礼な真似はした覚えがないんだが……」
「てめぇ、リメルダさんに、その汚ぇ指ぃ咥えさせてたじゃねぇか!!」
「あれは植物の葉で指を切ってしまったところを、あちらが勝手に『すぐに消毒しなきゃ』とやってきたことなのだが……」
その時ジェフは、リメルダに対して抵抗する素振りを見せているのだが、どうやらNo.56と呼ばれる男の目には入らなかったらしい。
「たとえそうだとしても、てめぇにその行為は身に余る。羨まけしからん!!」
ここまで彼の話を聞いて、ジェフはようやく自分が逆恨みされていることに気付く。
「(ま、まさか……)」
「次、所属No.24。言ってやれ」
「貴様が生活用品を買いこんでいる雑貨屋のミミさんの愛用しているハンカチ。それを良くもまぁ貴様の血で汚してくれやがったなァ!!」
「それは剣で出来た血豆が潰れたのを無理矢理拭ってきて――」
「しかもそれをミミさんは洗濯しないで大事にしてるらしいじゃねぇかァ!!」
「それを何でお前が知っている?」
ジェフの言葉に耳を傾けようとせずに、No.24は目を逸らした。
完全にジェフの前でストーカー発言をしたものであるが、それを誤魔化すためか周りの人達に、次の人を選出するように、騒ぎ立てる。
「僭越ながら、次は私、所属No.154が次いかせてもらいます。……ジェフさん、あなたは魔法学校に通っているクレールちゃんからお弁当を貰ったそうじゃないですか」
「…………」
もはや何を言っても無駄だろうと感じたジェフは口を閉ざしてしまう。
「お弁当の中身は如何にも初めての手料理感満載の初々しいラインナップ。料理のところどころには焦げた跡や不格好な形に切られた食材がありました。
それを、あなたはっ! 贅沢にも1人で独占しただけに飽き足らず、クレールちゃんが口を付けたフォークで『あーん』をしてもらいましたね?
『あーん』プラス『間接キス』のコンボ……万死に値すると言ってもいいでしょう……!!」
No.154の言葉に、周囲のボルテージが上がっていく。
「外道めが。お前の罪はこんなもんじゃないことをこの所属No.8が教えてやるよ。
いいか、良く聞け。お前はあのマイエンジェル、ジーナたん(6)を穢したんだ。
ジーナたんに『大人になったらお兄さんのお嫁さんになってあげる』と言って、お前の胸に飛び込ませ、更には頬にキスまでさせやがって……。
輝かしい天使のこれからの時間を、未来を奪ったんだよ、お前は。もはや死で償えると思うなよ……!!」
彼らの殺気が最高潮に高まったところで、同僚だった騎士が高らかに、声を発する。
「この他にもお前が犯してきた罪はまだまだあるのだが、時間も無限ではない。そろそろ制裁の時間に移ろうとしよう。
……『童貞』の称号を持つ、我らが同士よ。ようやく待ち望んでいた怨敵ジェフ・クリスターに制裁を加える時が来たのだ。 今こそ我らの穢れ無き拳で粛清じゃァァァァァ!!!!」
「やっちまえっ!!」
「いいか、あの憎たらしい顔面を重点的に狙うんだ。あの綺麗なヤツの面を徹底的に破壊するぞ!!」
得物を持たず、素手でジェフへと一斉に襲いかかる『紳士協定』の者達。
ジェフは鞘を収めたままの剣を正眼に構え、彼らを迎え撃った。
ジェフが暴力事件を起こした翌日。
そのジェフが全身に怪我を負い、病院へと搬送されて、また上の者達を騒がせる結果となった。
発見者は貧民区に住む身寄りのない少年。
彼が言うには、ジェフ一人が大人数に囲まれリンチされていたという。
病院に運ばれたジェフは、ボロボロになった見た目の割には、そこまで酷い怪我ではなかった。
被害は全身に軽い打撲と右腕の骨が折れていたぐらいで、この怪我の少なさは普段から鍛えているお蔭だろう。
一応、念のためにジェフは入院することになり、不本意な形で休日が延長されたものの、彼の見舞いに、と多くの女性が彼の病室に詰め寄ったのだとか。
そして、ジェフを粛清しきれなかった『紳士協定』はというと。
今回はコンビネーションが上手くいかず、仲間同士で殴り合いに発展し、全体の六割が通院生活を強いられる結果に終わった。
そのせいで一部の平民区では、通院する彼らが経営する店が閉められていたために、生活に支障が出てしまったとか。
その後、ひっそりと行われた彼らの会議で、直接暴力に訴えるのは紳士らしくないという結論に至り、今後『紳士協定』では暴力禁止が義務付けられた。
その代わりに、彼らはジェフのイメージダウンを狙って、悪評を流したり、ジェフの姿に変装して彼らが憧れを抱く彼女達に接触を図るのに味を占め、変装の役割を取り合うせいで『紳士協定』が内部分裂したのは、また別の話。




