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彼女達――ルシルとリアナが仲違いした事の発端はほんの些細なことだったらしい。
ある詠唱魔法の授業中。
いつもなら嫌というほどの注目を浴びるルシルであったが、この日に限っては物珍しさもあってか、新入生のリアナが衆目を集めたのが気に食わなかったらしく、軽いちょっかいをかけたのだとか。
始めの内はリアナの方も軽く聞き流していたものの、自分の得意分野である魔法についてねちねちと馬鹿にされた為、つい張り合ってしまったという。
この時、ルシルはリアナにしか聞こえないような声量で馬鹿にするという体裁を保つ技術を使い、対するリアナも同様に小声で罵倒し、口喧嘩に発展。
口では話にならないと、彼女達は実技で張り合った。その結果はというと、詠唱魔法の技術としてはルシルの方が優れ、詠唱魔法の種類としてはリアナの方が適性が多かったそうだ。
両者痛み分けで認め合えば良かったものの、彼女達は余程相手が気に入らなかったのか、溝を深めるだけに終わり、現在に至る。
さて、そんな二人はお互いに白黒ハッキリつけたかったらしく、ルシルが『合同実践演習』で決着をつけようと提案をしてきた。
合同実践演習――魔法学校では3ヶ月に一度に、一対一の対戦形式で生徒たちを魔法で戦わせるといったものを実施している。
ここでは、詠唱魔法や召喚魔法など関係なしで、全員参加のトーナメント方式で争われ、期間はたっぷりと2週間費やされる予定だ。
で、この合同実践演習だが、これは生徒たちが魔法学校に入学する大きな要因の一つとされているのである。
というのも、先生たちが注目し、評価をするからだろう。
そして、その評価次第では、ルイゼンハルトにあるエリート揃いの魔法学校に推薦されたりなんかするため、上を目指す人には大変重要な行事でもあるのだ。
「うん、面白そうだね、合同実践演習とやらは」
「リアナ、お前さぁ、面白半分でルシルをからかってる訳じゃないよな?」
「それもあるけれど、残り半分は気に食わないというのもあるかな?」
「そうかそうか。じゃあ、とっとと帰ってくれないか?」
「だが、今私は食べることに忙しいからね。面白いことでもやったら、考えなくも無い」
現在、夕食の時間。
病気から回復した母と二人で、今日一日何があったか、など数少ない家族内でのコミュニケーションを取る時間である。
にも拘わらず、図々しくもリアナが勝手に御相伴に預かっていることが多くなっていた。
俺たちの住むサラナ村をゴーレムで暴れ散らかしただけでも、大変迷惑だというのに、何が気に入ったのか勝手にサラナ村に住みついて。
更にあろう事か、何故か俺の家に我が物顔をしてタダ飯まで食らいに来るという始末である。
「またクレヴはそんなこといって。シスターちゃんは私の命の恩人でしょ。それでなくても、こんなに可愛い子なら私は大歓迎よ!」
「この夕飯の時間は大事な家族との触れ合いの時間だと、俺は母であるあなたに教わったのですが?」
「可愛くない息子より、可愛い子の方が優先に決まってるじゃない」
頬に手を当てて母が柔らかな微笑を浮かべる。しかし、緩やかなカーブを描く唇から発せられたのは、母親にあるまじき発言だった。
「ここでの料理も案外いけるものだね」
勝手知ったる他人の家で、フォークを操り料理に舌鼓を打つリアナ。
「だからしみじみと言ってないで、帰ってくれ」
「あらあら、嬉しいこといってくれるのね」
俺の発言はナチュラルにスルーですか。
後、母さんや。ここでの料理とか比べられてますけど、相手はモンスターです。碌なもの食ってやしませんぜ。
……いや魔王の側近だからそうでもないのか?
しょうもない事に頭を悩ませている間に、リアナが食事を終えて、ようやく家から出ていってくれる。
「もういっそのこと、ここで住んじゃえば?」
「前向きに考えておきます」
あぁ、願わくば、このリアナの台詞が建前だということを祈りたい。
「でも、そうするとクレヴに襲われたりしないか心配だわ」
頬を薄い紅色に染めて、なんだか気持ち悪い笑みを浮かべる母。
そんなこと、俺がするわけがないじゃないか。そんなことすれば、俺なんか塵も残さず、身体が消し飛んでしまうに違いない。
命は惜しいので、絶対にそんなことはしないだろう。
というより、何でリアナが肯定したこと前提で、母は話しているのだろうか。
「ははは」
リアナさん、そちらも笑ってないで、何とか言ってください。
つーか、絶対に俺の反応を見て楽しんでいるだろ。
習慣というのは、なかなか抜けきれないものなのか、俺はいまだに早起きだ。
動物というのは不思議なもので、お天道様が上がると自然に目が覚めて動き出すのである。
いや、むしろ太陽が出てきても、寝ている人間の方がおかしいのか。
とにかく、そんな調子なので俺は今日も早い時間に起きて、餌やりなんかをすることにしている。
「今日もいい天気だ」
家を出て空を見上げれば、昼間より薄い色をした青空が広がり、空気は冷たく澄んでいる。
太陽の光は弱く感じるけれど、俺には一番綺麗に見える時だと思っている。
爽やかなイメージ、と言えば俺は真っ先にこの景色を想像するに違いない。
……だが、最近ではこんな景色も少しだけ脅かされきつつあった。
「今日は大丈夫か……?」
例のごとく、鶏小屋――あの固くて開けるのに苦労する木の扉を穴が開くほど注視する。
念入りに、上も下も抜かりなく確認。
「……やっぱりあったか」
扉の上の方に、バケツが3つほど仕掛けてあった。
扉を開けると落ちてくるという、古典的な仕掛けのやつである。
背伸びしても届かない位置に仕掛けてきているところが、随分とやらしい。
これはそう、あのリアナの仕業である。
――リアナと知り合ってから、もう20日は過ぎた頃だろうか。
5月に入ってからというものの、こういう悪戯が随分と増えてきている。
もう例えるなら、小さな子供が悪戯を知って処構わず仕掛けているといった感じだろうか。
まぁ実際に、村の子供たちからこういった知識をもらっているから、文字通りと言えば文字通りであるが。
「バケツ臭っ」
小屋をよじ登ってバケツを取り外して見れば、なんとバケツの中身は何かの糞であった。
にしても、とてもえげつない。水だけとかなら、寒い時期を除けば可愛らしいものの、糞はヤバい。
しかも、これは子供の時に流行った、匂いが落ちにくいタイプのやつである。
"親泣かせ"の異名を持ち、ふざけ半分でつけられた子供が泣くだけでなく、それを洗濯する親まで泣かすという代物でもあったりする。
つーか、"一応"女なんだから、こういうのに躊躇しろよと言いたい。
「ったく、朝から気分が悪くなる――うっ……」
気を取り直し扉をくぐったところで、頭に何かがポトッと落ちてきたのを感じ取り。
おそるおそる頭の上に手を伸ばし、その感触を確認すると――生温かい、あの柔らかい感触であった。
「お前さぁ、今朝のは本気で殺意が湧いたぞ……?」
「あぁ、今日は成功したのか!」
何とも楽しそうに言うリアナに、溜息をつきたくなる。
ちゃっかり朝飯まで食いに来たリアナと共に、魔法学校に行く途中でようやく彼女の会話が途切れたところを狙い、今朝のことを怒ってみたら、この反応だとは。
糞をかぶった後、念入りに頭を洗ったせいで、髪が生乾きだというのに。
あぁ、そうそう。あの頭に降ってきた糞は"親泣かせ"ではなかったことには、心底ほっとした。
今までの人生の中でも、なかなかに無いくらい、安心したものである。
取りあえず帰ったら、リアナにこんなことを教えた悪ガキ共に制裁を加えなくては、と心の中に刻み込んでおく。
――それを実行したリアナには、だって?
逆らったら碌な目に合わないことは考えなくとも予想できるので、やめておいた。
そう、人間は学ぶ生き物なのである。
案外、彼女は俺の暴言などに対しては、結構寛大な対応でスルーしてくれてはいるものの、ルシルとの喧嘩を見る辺り、あまりそうではない時もある、ということは実感していた。
試そうにも、命は一つしかないのだ。俺はそれを大事にしていきたいと思っているので、トライ&エラーなど愚の骨頂である。
逆らえない繋がりで思い出すと言えば、当たり前のようにこうしてリアナと共に魔法学校に登校しているが、これは彼女からの指示だった。
黙っているよりかは、俺と話をしていた方がほんの少しだけではあるが、マシなんだとか、という理由でこうして一緒に行く羽目になっていたりする。
「他のお友達と行けばいいだろ?」
と少し前にささやかな抵抗をしてみたものの、
「質問が鬱陶しい」
という風に一蹴された。
今日も少しネガティブになってきたところで、魔法学校の門が見えてくる。
たぶん校長の嗜好なのか、アスタールの門のごとく、大きな造りとなっている。
所々に装飾がなされており、剣士育成所の武骨な門とは大違いだ。
「さてと、頑張りますか!」
門をくぐる前にやる気を言葉に表して、気持ちを切り替えることにした。
ごぉぉおおん、という鐘の響く音と共に、中年の教師が授業を開始した。
『今日は、この国の地理を学習していこうと思う。まずは最重要である都市の確認からだ。答えられる者はいるか?』
『はい!』
10代半ばくらいの女生徒が元気よく挙手をする。
毛先がカールしている色素の薄いセミロングの茶髪に、目元がパッチリとした印象の少女だ。
『また、お前か。まぁいい、答えてみろクラリッサ』
『ルイゼンハルト、ソムディア、フルデヒルド、ザビウス、そしてここっ! アスタールですよね?』
『そうだな。で、これらの都市の主な共通点としては魔法学校と騎士団の支部が置かれていることだろう』
教師が大きな地図を壁に広げ、そこにいくつかの丸をつけていく。
『中心に首都であるルイゼンハルト、その左右にソムディア、フルデヒルデと並ぶ。
そしてソムディア、ザビウスは首都を中心として見ると対極に北東と南西に置かれているな』
『それで、その一番離れた場所がここが、アスタールなんですよね?』
『いちいち口を挟まんでよろしい。クラリッサが言った通り、この一番離れた北に位置するのが、ここアスタールだ。
こうして地図で見るとこの大陸は、あまり大きな大陸ではないように感じるな』
教師がしみじみと眺める地図の大陸は、大まかに見れば楕円型をしており、大陸の円周のラインは曲線だけでなく、いくつか欠けていたり、逆に出っ張ったりしているところもある。
『先生、他の大陸はどんな感じなんですか?』
『クラリッサ。質問はいいが、あれから挙手したままで辛くないのか?』
『はい、常に先生に質問をぶつけるために準備は必要かと思いまして』
『その心意気には感心だが、先生が疲れるから、ほどほどにしてくれ。
さて、クラリッサの質問だが、現在では他の大陸は発見されているにも拘わらず、他の大陸の調査は進んでいない』
『どうしてですか?』
『いちいち相槌もいらんからな、クラリッサ。先生と二人きりで話しているわけではないんだからな?』
『(精神的には)二人きりだなんて、もう先生ったら!』
『都合のいいところを抜き出して解釈しているんじゃないぞ。全く、無視して話を進めることにしよう』
『放置されるのも、案外いいかもしれないですね……』
『大陸の調査に行けていない理由――それは魔王やモンスターによる影響が大きいためだ。要するに外に行く余裕があまりないってわけだな。
外に戦力を割く、なんていう考えは今のルイゼンハルトの国王には無い考えだからだ』
『勝手にこの大陸から出て行っちゃう人なんかはいないんですかね?』
『厳密には、いないとは言い切れないだろう。現に何人かの魔導師が無断で船を出したという目撃情報もあったくらいだしな。
それから規制もより強くなったということもあったみたいだ。おっと、少し話がずれてしまったな。この国の地理の話に戻るぞ』
『地理っていうと、土地の特徴なんかですか?』
『そうだ。まぁ、この国と土地は比較的豊かな土地で、主に森や平地なんかが多く存在している。
山もあるにはあるが、岩石地帯なんかはザビウスの一部くらいで、全体から見れば殆どないと言ってもいいかもしれないな。
この近くで高いところでも、丘程度しか見られないしな』
『ところで先生』
『なんだ、クラリッサ?』
『先生の好きなタイプって――』
『今日はこの辺で終わりにしておこう。時間的には少し早いがな』
「うん、いい空間だ、ここは」
充満したインクの匂い。
俺の身長の2、3倍は軽く超えるような高さでそびえ立ち、そして一列に並べられている、木で出来た棚。
一連にして、横に長く伸びた光沢のある机。それに対して少し窮屈に感じるように添えられた多くの椅子。
広々とした空間ながら、なんだか密閉感を感じさせる。
それは、書物が処狭しに敷き詰められているからであろうか。
――そう、ここはアスタールの魔法学校の南に位置する図書館である。
この図書館は他の建物とは違って教室などは存在せず、魔法に関連する書物が所蔵されている所だ。
中には、滅多に世の中には回らないであろう書物も存在するという、結構価値のある図書館でもある。
にも拘わらず、利用者数は少なく、居場所のない俺としては大変過ごしやすい空間となっている所で、こうしてレイオッド先生の頼みがない日や、時間が空いた時なんかは良く利用する場所になっていた。
まぁ、利用者の少ない理由としては、特に直接的な表現として魔法のことなんかが載っている書物が少なく、あるのは大体魔法の歴史だったり、偉人の冒険記だったりといったものが多いからだ。
だったら、授業で教わった方がいい、という考えが多いというわけで、利用者数が少なくなる、というわけである。
さて、ここは面積としては結構広い場所であるのだが、入り口は一つしかない。
実験棟なんかは、ご丁寧に東西南北に入口が設置されているというのに。
そして、その一つだけしかない入り口には、図書館の管理人のいるカウンターがある。
カウンターといっても、せいぜい見つかりにくい書物を探す時に、この図書館の管理人に、場所を聞くくらいなのだが……。
その管理人というのが、とてつもない人なんで、聞く人も少ないのだ。
その人の特徴はというと、とてつもない大男で、全身が厚い筋肉で覆われおり、尚且つ顔がゴツゴツとして、目の彫りはとても深く、瞳が影で全く見えないという。
そりゃ、怖い。俺なんて少しちらっとその人の顔を見たぐらいだったが、印象が強すぎて、脳裏にまだ焼き付いているんだから。
心臓が弱い人が彼を一度見たならば、卒倒は間違いないだろう。
正直、ここに入る前までは父以上の化け物なんて魔法学校にいないと思っていたから、とてつもない衝撃体験であった。
さて、彼のことばかり思い出していても、時間はもったいないので、俺は本来の目的である書物を取りに行くことにする。
取りに行くのは、ある召喚魔導師のボロボロの冒険記。表紙を見るからに、日記形式の本である。
だが、その本の内容は驚くことなかれ、なんと魔法について描写されている部分が存在しているのだ。
これは、偶然手にとって発見したもので、俺以外の人なんかは気付いていないであろう代物である。
――最も、気付いたとしても使用とする者もあまりいないような内容ではあるが。
書物を手に取ると、長い机のところまで戻り、椅子に腰かけて、該当の項目までペラペラと本をめくっていく。
そして、俺が何度も開いて癖になっているところで本の頁は止まる。
『――月――日、私は長年考えてきた魔法をついに実現した。
その興奮は止まないからか、つい筆にとって、ここに記すこととする――』
文章はそこから始まっている。ところどころ文字が擦れており、中でも日付のところは読み取れなくなっている。
が、肝心の内容はというと、若干色が薄くはなってはいるものの、ちゃんと読み取れた。
さて、そんな書き出された文章の下に記されていたのは、3つの幾何学模様――魔法陣だ。
魔法陣は、補助魔法の一つとして数えられ、魔法の補助及び付加する効果のある魔法のことである。
度々例に出す、俺の家にあるランプなんかも補助魔法が使われており、そのランプの中には魔法陣が描かれているのだ。
で、それの効果としては他の魔法陣が描かれているランプの連動し、火がつくといったところである。
ちなみに、この補助魔法は一番魔法として開発が遅れている魔法であり、よくわからない部分が多く存在しているらしい。
そして、ここに載っている3つの魔法陣も、俺の知る限り一般的には知られていないであろう、補助魔法だろう。
まぁ、有名だったり、偉大な魔導師以外、上の人は忙しいので、いちいち知らない奴の冒険記なんか目を通すわけがないから、当然っちゃ当然なんだろうけど。
でも、そんな知らない人が編み出した魔法陣を、俺はしっかりと目に焼き付けている。
ここでは、一応貴重な資料とかもあるため、情報の流出とかを避けるために、物の持ち込みが一切禁止されている。
チェックするのは、例の管理人さんだから余計に、だ。
「ごほん」
一旦集中が切れたため、もう一度気を取り直しておく。
3つの魔法陣。
描かれている模様は、結構複雑でぐちゃぐちゃとしている。
今の補助魔法みたいにきっちりとした法則性は、かけらも存在していないように見えて、ほとんど偶然で出来たというものに違いないであろう。
一旦目を瞑り、頭の中で魔法陣を描いてみる。続いて、日記の魔法陣を指で何度かなぞり、それを記憶していく。
そして、また目を瞑り、それを反復的に行う。
これは、発見してから何度も習慣付けてやってきたものだ。
一つ目に何十日とかけ、ようやく一つ目を覚えて二つ目に手を出したところで、一つ目を忘れないようにしてまた復習をする。
そうして結構な時間をかけて、二つ目まではどうにか覚えることができた。
途中で魔法学校をやめるということになったが、毎日魔法を使う際にかかさず手の甲に描いていた。
だから一応、この書物を読まなくとも暗記してはいるのだが、油断は禁物である。
案外、細かく描かれた部分が抜けることもあるので、こうした確認作業も重要なのだ。
そして二つ目の魔法陣の再確認を終えた後、まだ暗記できていない三つ目に取りかかった。
三つ目の魔法陣はというと、他の二つよりも更に複雑な形をしている。
普通の魔法陣ならば、一重の円に幾何学模様が描かれているのだが、この"三つ目"はその一重の魔法陣がいくつも重なって出来ているようなのだ。
いうなれば、複合魔法陣といったところだろうか。
今の補助魔法の魔法陣にも、このような形があって効果が上乗せされて、強力なもんが出来るとかなんとか。
こうして、あの管理人さんがカウンターから、のそのそと出てきて、この世のものとは思えない程の低い声で、
「時間だよ」
という言葉を聞くまで、俺は三つの魔法陣を脳に焼き付ける作業を続けるのだった。
夜、風が抜ける音が聞こえるほど静かで、リアナなんかの邪魔が入らない時間はというと。
一人、外に出て今日も魔法の特訓及び、スライムの特訓である。
手の甲と、ローブの袖に隠れた腕の部分に描いておいた2つの魔法陣に、念のためとして筆で加筆しておく。
"一つ目"。
意識を集中させ、掌に力を集めていくイメージ。
淡い光が掌に集まりだし、暗き闇を少し照らす。そして、はかなく弾け、また闇へと帰す。
ぱぁ、とした光の後に召喚されたのは、一体のスライム。
何の問題もなく、成功である。
"一つ目"――一つ目の魔法陣の効果は端的に言えば"省略"といったものだ。
詠唱を使わず、それでいて、詠唱よりもタイムラグを減らすといったものである。
ここで必要なのは、言葉で召喚するモンスターを定めるところを、頭の中のイメージで定めることだ。
これは、頭の中で、そりゃもう実際に見ているんじゃないかというくらいの繊細なイメージが必要であり、冒険記にも、
『これは詠唱無くして使う魔法なり。それ故に、それに準ずる類いな定めを持つべし』
と記されていた。
要するに、詠唱なしで魔法を使う際に、それに代わるような『定める何か』が必要だというわけだ。
その人の日記によれば、その人は詠唱の代わりに想像力を利用したらしい。
先ほどにも思ったが、実際に経験した感想としては、半端じゃないくらいのイメージ力がなければ発動せず、できるようになるまで、凄く大変だった。
この魔法陣には無駄が多いのか、言葉による詠唱と共には使えない。
――実際、だいたいの補助魔法は詠唱魔法とセットで使えたりするので、少しおかしな点である。
後、魔法陣自体の効果だけで補助できるのだから、イメージを必要とする補助魔法というのも案外少ないものだし。
まぁ俺には補助魔法の知識がないために一概には言えないのだけど。
補助魔法を開発するだけで凄いのだから、これ以上文句は言うまい。
さて、そんな"一つ目"だが、スライムしか召喚できない俺にとって、相応しいものであると思ったのだ。
もうむしろ、それしか召喚できないのだから、そう考えるしか俺には出来なかった。
今ではもう、むしろ魔法の発動=スライムのイメージというのが鉄板となりつつある。
そのため、より他のモンスターの召喚することから遠ざかった、とも言えるかもしれないけれど……。
ま、まぁ、取りあえず"一つ目"は問題なく成功だ。
いつものことだから、別に緊張はしないのだけど、やっぱりあの冒険記を見た後だと、少しだけ記憶があっているか不安になってしまうんだよなぁ。
一度、スライムに戻喚魔法をしておいてから、次は"二つ目"に挑戦する。
再び、掌に魔力を集中させていく。
今度のは、先ほどよりも淡い光に明るさが若干増しているように見えるのは、気のせいではないだろう。
光が集約し、そして先ほどよりも大きく、弾ける。
そして光が弾けた後に出現したのは、もうお馴染みのスライムが。
数は10体ほど。今の俺が召喚出来る、最大の数である。
"二つ目"の効果は、そう"同時召喚"というものだ。
言葉の通り、何体かを同時に召喚することであり、通常――つまりは詠唱による召喚魔法では、不可能に近い技術である。
これの条件としては、"一つ目"と併用してじゃないと使えないということと。
そして、召喚する数が増えても、そのイメージを"一つ目"と同じくらいの繊細さが必要だということである。
なんだか、言葉に聞けば大変便利な魔法のように聞こえるのだが、"一つ目"が出来なきゃならない、という前提条件があるためか、これまで苦労してやってきた努力と釣り合わないように思えていた。
だって、普通の召喚魔法よりも、手間が減るというだけなのだから。
少し気が狂っているとしか思えない条件である。
そして、俺はその条件を発見した召喚魔導師は本当に気が狂った人なんだ、とさえ思った。
だが、そう頭では実感しつつも、俺はこの魔法陣を用いた召喚魔法に挑戦していた。
なんだろう、俺も気が狂っているのだろうか、と疑うべきなんだろうけれど。
"一つ目"が出来た時の達成感が素晴らしく、何だかやめるにやめられないといった状況になっていたのだ。
だが、やはりその難度はとても高く、結構昔から挑戦しているのに、なかなか成功することがなく。
確か魔法学校に入ったのが、9歳の時で、"二つ目"が出来たのは16歳。本当に最近のことであっただろう。
もう、出来ないのを前提に、流れ作業のようにして魔法を発動し、魔力と体力が尽きるまで挑戦を繰り返し、もう無意識の極致までいったところで、いつの間にか出来ていた代物である。
それが出来れば、もう後はコツをつかんだようで、ずっと毎日のようにイメージをしてきたスライムは とてつもない再現度で頭の中を巡り、数が増えてもあまり問題はなかった。
ただし、魔力の方は別問題で、これを初めて出来た時は、すっからかんに近いほど消費してしまったことをよく覚えている。
今では、召喚の反復練習のおかげか、魔力の限界値が増え、今では10体フルなら、戻喚魔法とセットで一日に2回までなら使うことができるようになっていた。
さて、次はいよいよ"三つ目"だ。
三つ目の効果はというと、なんと遠距離召喚というものらしい。ちなみに、"二つ目"と同じく、"一つ目"との併用は必須なようである。
らしい、というのは、俺は今まで発動したことが一度もないからだ。
魔法陣の形を覚えてなかったのと、今までの練習量がまだ全然足りていないということもあってか、コツすら掴めていなかった。
あの冒険記には、やはり書いてあることは今まで通り、所謂"イメージの強化"ってやつをしなければならないようであった。
イメージすることは、2つ。
一つは、モンスターをイメージすること。これは、今まで通りと同じだ。
そして、もう一つはただイメージするだけでなく、召喚したい場所も明確にイメージすることである。
これが意外とやっかいなもので、イメージ力だけでなく、空間把握能力までも必要となるといった代物らしい。
最近になってやり始めたが、本当に冒険記を書いた人物が出来たのか疑わしくなってきたところである。
イメージする際に非常に頭を使うため、とてもイライラしてくるし、すぐに集中が途切れてしまう。
今までの"スライムだけ"をイメージする、という条件だけでなく、その召喚したい空間までも明確にイメージするというのが、これほどまでの苦痛だとは思いもしなかったのだ。
そして、出来ない時にいつも思い浮かび上がる言葉が俺を更に滅入らせることになっているのだ。
その言葉というのが、
『召喚魔導師の評価の対象は、如何に強いモンスターを従え、召喚することにある』
という言葉である。
ちなみに、この言葉は例の合同実践演習の召喚魔導師にとって評価基準であり、つまり国にとっても同じ基準で評価されているということなのである。
つまり、召喚技術としては、評価に値されない。
世の中にとって、この技術は"無駄"だということなのである。




