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「新入生に一つ注意事項だ」
質問の欲求に飲まれ暴徒と化した生徒達が一頻りの質問を終えた合間を縫って、今し方まで制止の声を投げかけ喉を嗄らしてしまった先生が咳払いを一つした。
「ここで実施される教養の授業はともかく、他の授業もお前らに合わせたりしないからな」
教養。
『一端の魔導師にも教養があるのが当然のこと』というお国の方針により最近導入された授業。
何でも、ある魔導師が王様の元へ謁見した際にその者の教養が無く、国王に無礼を働いた事がこの授業が行われるようになった起源であるらしい。
さて、そんな教養の授業だが、これは魔法学校全員が同時に受けるという珍しい授業である。
貴族連中と違ってまともな教育を受ける機会の無い我々庶民にとっては馴染みの浅い教養。
そもそも特別な教養など無くとも普通に生きていける、必要としない立場である庶民には需要が薄いと言えるだろう。
だからか一度の授業では大抵の者の場合、習熟は難しいのだ。その為、授業の前半にある程度の範囲の復習を軽く行い、後半に一つの事に関して深く教えていく。
新参者にも在校生にも優しい構成をしているのだ。
では他の授業はどうかと言えば、指導者の数にも限りがある為、途中から入学した者に丁寧に教えるのも初めの内くらいなもので、後は自力だけで追い付いていかねばならない。
比較的適性があるとされる風系統や火系統魔法の場合は複数人の教師がいるからか、その人達の進行具合にある程度は対応出来るものの、他は本当に酷い有様だ。
だから1月の初めに入学する者が殆どだったりする。というのも、1年単位で授業が組まれているからだ。俺の場合は既に学んだ事の方が多い為、度忘れでもしていない限りは問題無いのだが、リアナは大丈夫だろうか。
一瞬だけそんな心配事が頭に過ったが、すぐに無駄だと思い直した。あのルックスだけあってリアナの周囲には自然と人が集まってくるのだ。周りの人間に聞けば問題など簡単に解消されるだろう。
「――連絡はこれくらいか、それじゃ今日も一日頑張れよ」
淡々とした先生の声で、解散となった。
頬が熱を持つのと同時に間近で肉が音を鳴らす。これでもう何発目だろうか。身体のあちこちから痛みが走り、数えるのも億劫になっていた。
「久々に心がスッとするねぇ!」
横髪と後ろ髪を同じ長さに切り揃えている少年――ナサニエルが唇の端を吊り上げる。ふっくらとした頬と身体は育ちの良さを示し、嘲るその姿は彼の心根を表しているようだ。
正面に立つナサニエルの他にも、彼と同じような視線が8つ。俺を囲んで逃げられないようにしている取り巻き達もまた俺を見下しているのだろう。
ナサニエルは貴族の生まれだと聞くが、他の者は多少裕福ではあるものの、庶民の出自だ。
金魚の糞、お飾りですら無い彼らは付き従っているだけで自分が偉くなったとでも思っているのだろうか。実に滑稽である。
「もういいか?」
胸の内が極力表に出ないようにしながら、ナサニエルに問いかける。もう既に結構な時間を浪費してしまっているのだ。
「生意気なこと言ってくれるねぇ?」
その確認が気に食わなかったのか、ナサニエルが青筋を立てながらもその憤慨を誤魔化すように下手糞な笑みを装った。
ドスの利いた声を出そうとしている努力が見られるのだが、先ほどまで殴っていたであろう拳を撫でている姿が実に不格好だった。恐らく殴り慣れていないのだろう。
それは取り巻きも同様で、痛い思いをしてまで人を殴打する彼らの神経を疑った。
ナサニエルは拳を振り上げようとするも、これ以上拳を痛めるのは得策では無いと考えたのか殴りから蹴りへとシフトさせる。
再び肉を痛めつける行為が再開され、彼らの嗜虐心を満たしていく。俺はただひたすら急所である陰嚢と首だけは庇い続けた。
正直、痛みに快感を覚える性癖は持っていない。いい加減、くだらない遊びなど終わりにしたかった。言葉で制止を訴えかければ彼らはますますヒートアップし、肉体言語で言い聞かせる事も出来やしない。
強行すれば、彼らによって被害を受けるヤツ等がいる。それだけは避けたかった。
「おっし」
なかなか止まない蹴りの群れに俺は床へと倒れ込んだ。直立不動でいるのは動き続けているよりも疲労が大きい。うつ伏せになっていた方が幾分か楽だろう。
それを待ってました、と言わんばかりに彼らは寄って集って踏みつけに掛かる。野生の肉食動物もそうだが、何故弱った獲物を甚振る事に喜びを見出だす個体がいるのだろうか。追い詰める事の何が快楽を感じさせるのか。
自分の強さに、上に立つ事に浸っているのかもしれない。だが俺はそんな暗い喜びがどうしようも無く嫌いで仕方なかった。
ごぅん、という重みのある音が鳴り響く。
管理棟に設置されている大きな鐘の音で、授業の開始を知らせるものである。
そのペースとしては2時間に1回。アスタールに住まう者に時刻の目安となり、日常生活に重宝されるその鐘の音は。
彼らの暴行が終了するという合図でもあった。
「今日はここまでにしといてやるよ」
傲岸不遜な口振りでナサニエルが取り巻きを引き連れ撤収していく。
「明日もよろしくな、新入生?」
「復帰して早々に遅刻ですか。律義な事ですね」
B-2区画――魔法学校の西に位置する演習所をA-1~C-3までに9分割した場所の一つに到着した際、持ち前の優しそうな顔でレイオッド先生に窘められた。
それに対して俺は以前遅刻した時と同じように、苦笑いで対応する。
此処まで来るのに手間取った理由を説明したところで遅れた時間は戻ってこない。事情を話したところでレイオッド先生に何かが出来る筈も無い。
仮に出来たとしても、その介入が原因でヤツ等が害されれば意味は無いのだ。
にしても、大教室がある管理棟から演習所までの距離があり過ぎるというのも些か問題では無いだろうか。
移動だけで結構な時間を取られ、授業間の休憩になりやしないのだ。
内心で不満を垂れながら、俺を叱るレイオッド先生を注視する。
痩躯であまり身長も高く無く、中性的な柔和な顔。サラサラとした茶色の長髪を後ろで縛り、下手をすると女性よりも魅力的に見えるかもしれない。
男ながらそのような美貌を持ち合わせている彼は、内面もまた穏やかだ。
どこぞの肉体派の如く頭と口が直結したかのように感情を発露せず、理路整然と叱る。ぐうの音も出ない程の正論を諭すものの、石頭という訳でも無い融通の利く人だ。
レイオッド先生の軽いお叱りを聞き流した後、此方に突き刺すような視線を向けている50人程度の黒ローブ集団の中へと混ざる。
やはり、以前魔法学校にいた頃と変わらず、召喚魔法の授業を受ける人数は他の授業に比べて圧倒的に少ないみたいだ。
今も昔も、召喚魔法への適性がある人間があまりいないのかもしれない。
一見、希少性があるようにも思えるが、あくまでアスタール内だけという可能性もある。それに、人が忌み嫌うモンスターを呼び出す魔法など人前で誇らしげに出来る訳が無い。
モンスターの存在を嫌悪しても尚、召喚魔法の授業があるのは、そういった感情を抜きにして利用出来るものならば利用するべきだと考えているからだろう。
「では授業を再開します。新入生もいるみたいですし、温習も兼ねて魔法の基礎についてにしましょうか。
基礎は全てに通ずる、と言いますからね」
レイオッド先生と目線がぶつかり、自然と生徒達の目も集まってきたので、思わず苦笑いを浮かべる。ただでさえ遅刻で体裁が悪くなっているというのに、その俺に合わせて授業とするとなれば、彼らも何か思うところがあるだろう。
どうやらレイオッド先生のお叱りはまだ終えてなかったらしい。
「一口に魔法と言っても様々なものがありますが、この国で一般的に周知されているものと言えば『詠唱魔法』になるでしょう。
『詠唱魔法』は言葉を発する事で魔法を発現するものですが、何故そのような方法を用いるかというと――」
「魔法または魔力が曖昧なものだから、ですよね」
「そうだね、デイラネイラ君」
いきなり口を挟んできた少女に対して、レイオッド先生は気分を害された様子も無く、その彼女に穏やかな微笑みを向ける。
俺もレイオッド先生の視線に釣られると、地味な容姿の女生徒が目に入った。些か印象が弱く、大人しい見た目の彼女の名はデイラネイラ。
没個性的な外見に反して、悪目立ちする素振りを見せるのは彼女がレイオッド先生の熱狂的ファンであるからだ。
優れた魔法の才覚を持ちながらも、レイオッド先生に気に入られる為だけに磨く変わり者で、こうして出しゃばる事で他の女生徒から反感を買っているものの、全く気にも留めない豪胆な気性をしている。
所謂『恋は盲目』を体現している少女、といったところか。
「魔導師が当たり前のように魔法を行使してはいるものの、その際に代償となる魔力はとても掴みどころの無い力とされています。
実際、僕達も体内にあると分かっていても身体のどこから生み出され、その魔力が身体とどんな関係にあるのか殆ど分かっていませんしね。
さて、そんな良く分からない魔力を理解しないまま使える程、人間は器用じゃない。そこで人間は言葉を用いて魔力に、魔法に意味を『定めた』。
それが『詠唱魔法』、の始まりとなっていますね」
「でもモンスターなんかは平然と魔法を使ってますよね?」
「それはきっと魔法が本能に刻み込まれているからでしょうね。こうして人間が文化的な生活を送っていく内に本能が薄れているからこそ、『詠唱魔法』というものが生まれたんでしょう。
また、モンスターが『魔法に適応された存在』、人間が『魔法に適応した存在』だと言われているのもそこから来ているのだとか」
生徒の一人から出た疑問にレイオッド先生が丁寧に答えると、そこから一拍置いてから話を続ける。
「さて、そんな『詠唱魔法』は、自然の力を借りるとされている属性魔法がその名で知られているけど、勿論毛色が異なるとはいえ召喚魔法もその内に含まれているね。
そうだなぁ、試しに誰かに実演して貰いましょうか。ジュスト君、前に出てきて下さい」
指名されたのは大きな鼻が特徴的な男子生徒。やや緊張した面持ちでレイオッド先生の横に並ぶと、瞑目して深く息を吐き出した。
それからゆっくりと目を開き、肩の高さにまで右手を上げる。魔法を発動させる際の前段階。アスタールで魔法を学ぶ魔導師の大抵は同様の姿勢を取るように指導されている。
その理由としては、掌の向きで魔法の方向性を定めやすくなるからだ。
「『召喚、イアンドッグ』!」
淡い光がジュストの右手から漏れ出し、それは徐々に大きさを増していく。そして、手に纏うように輝く光は静かに弾けて霧消する。
途端、ジュストの前方に何処からともなく出現するイアンドッグ。
つい先日、嫌という程の数が見受けられたそのモンスターの姿は、ある少年の悲惨な姿もそれに伴って脳裏に蘇ってきていた。
群れに飲み込まれるだけで無く、味方である少女達にまで攻撃されたダバルは元気でやっているだろうか。
そんな事を想起している内に、ジュストは戻喚魔法を唱え、イアンドッグの姿を消してしまっていた。
「――思いの外、長話になってしまいましたが、そろそろ実習に移るとしましょうか」
「「「「「はい」」」」」
これで座学は終了となり、レイオッド先生に先導される形で移動となる。
他の詠唱魔法と比べて召喚魔法は教わる事が少ないというのもあるが、後者の場合は実習の方がより重要になってくるのだ。
というのも、召喚魔法が召喚する対象が不可欠である為。つまり、前もってモンスターと接触を図る必要があるからだ。
レイオッド先生に引率されて着いた先はまだ記憶に新しい緑の溢れる場所だった。
アスタールの西に位置する木々の密集地帯はルルヌフの森と呼ばれ、街に程近い場所にある為か、そこそこ人の手が加えられた場所でもある。
定期的にモンスターなどが間引きされ、木々の間隔はやや広く取られ、移動を阻む障害物が少ない。深いところまで行かなければ、実習に誂え向きと言えるだろう。
「さて、ここからはお喋りを控えて下さいね。油断していると最悪死ぬ可能性もありますので」
やや硬い表情を作りながらレイオッド先生が生徒達に忠告を促す。授業の度に足繁く通っている場所である為、どうしても慣れが生じてしまう。
そんな心の余裕から警戒を怠り、モンスターの奇襲に遭ったという話を何度か耳にしただろうか。
教師という立場上、毎回注意勧告をする必要がある、というのもあるが、レイオッド先生はどちらかというと性根の優しさがそうさせていると感じさせる。
他の生徒も同様にそう感じ取っている為か、聞き流す者は少ないみたいだ。レイオッド先生が慕われている事が窺える一場面である。
「ここからは自由行動としますが、あまり奥の方には行かないようにして下さいね」
そのレイオッド先生の言葉を合図にして、各々行動を開始する。大体は2、3人で固まって動き、周囲の状況を確認して1人ではどうしても狭くなりがちの視界をカバーし合う。
しかし、集団に馴染めない俺なんかは単独行動を強いられ、また腕に覚えがある者も足手纏いは要らないとばかりに1人で突き進む。
実力者である彼女――デイラネイラもその内に入るらしく、誰かと組みたがる姿は見られなかった。
だが、かといって自信の満ちた表情で足早に突入していった者と違って、彼女はまだ森の中に足を踏み入れていない。
というのも、彼女は未だレイオッド先生から離れようとしていない為である。
いくら自由行動とはいえ、自由の意味を履き違えていやしないだろうか。
レイオッド先生も困惑気味に彼女へ諭しているようだが、あの様子だと粘着質な彼女は聞き入れてくれていないみたいだ。
彼らの間に割って入るべきなのだろうが、生憎俺は成績が芳しく無い生徒である。よって学生の本分を第一と考え、レイオッド先生の救援要請を無視して俺もまた森へと突入した。
「うわッ、出た!」
探索を始めてから数十分後、右手から野太い声が聞こえてきた。
普段なら無視するところであるが、その男の反応からするにモンスターとの接触に慣れていないのだろう。
まだ今年から入ったばかりの人なのかもしれないと推し量ると、少しばかりの親切心に駆られて様子を窺いに顔を出す。
背丈の低い雑草が生い茂る中、異質と呼べるであろう物体がまず俺の目を引いた。
大きさは2メートル強で、その見た目は何十本もの蔓が絡まり合っているが、身体を支える為に樹木へ蔓を伸ばすものと違い、蔓で球体を形成しているようだった。
球体から伸びる蔓は触手のようにうねうねと動き、自身を支える役割を果たす根は地面から露出しており、それもまた同様に不規則な動きを見せる。
このモンスターの名は確かグローヴァインといっただろうか。そのグローヴァインを前にして、20代前後の男が尻込みしており、どうやら声の主は彼みたいである。
「俺が見つけたんだからな。横取りするんじゃねぇぞ?」
「はい」
彼は俺の気配に勘付いたのか、横取りされまいと自身に気合を入れてすぐさま立ち上がる。
尻についた草を払い落すと、彼は前方にいるグローヴァインを睨め付けながら掌をそちらに向ける。が、対するグローヴァインは静観を貫いたままだった。
彼の息遣いが耳に届き、僅かに鼓動が早まったところでその緊張を破るように、彼の口から詠唱が発せられた。
「『フレイム』!」
それは小規模火系統魔法――あの時のルシルが使ったものと同じ魔法だった。
召喚魔法に適性があるとはいえ、他のものと適性が無い訳では無い。寧ろ、俺のように召喚魔法にしか適性の魔導師というのは極少数。現在のアスタールでは俺以外にそんな低能は存在していない。
詠唱から少しのラグを経て、男の前に熱量を持った赤い光が生み出される。そして、その炎は一直線上にいるグローヴァイン目掛けて、空を駆けた。
そんな彼のアクションに対してグローヴァインは根を総動員させ、それを躱そうとするも、その回避行動よりも前に『フレイム』の魔の手が蔓に到達。
緑の身体に着火したと同時に、音を立てて燃やしにかかるが――すぐに炎の勢いが弱まり、蔓は少し焦げた程度に収まってしまう。
……存外、威力が弱い。彼の魔力が弱いから、だろうか?
いや、ルシルの魔法を見た後だからこそ、彼の魔法が弱々しく思えてしまうのかもしれない。
まぁ何にせよ、彼の魔法はグローヴァインに対して有効的なダメージが与えられなかったようだ。
寧ろ生焼け状態の蔓はぐんぐんと勢いを増して伸びていき、その先端が男の元へと迫る。
「しまっ……」
詠唱後の硬直に加えて、グローヴァインの元気な様子に呆気に取られた彼はいとも簡単に足を蔓に絡みとられてしまう。
そして、絡み付いた蔓は筋組織がある訳でも無いというのに、彼を易々と上へ持ち上げ、その高さから一気に彼の身体を地面に叩きつける。
彼は為す術も無く、鈍い音を立てて背中から地面へと激突。
蔓は彼の身体を離さず、もう一度掲げるように持ち上げると、再び同じ動作を繰り返す。地面に叩き付けられる度に彼の呻き声が漏れるも、蔓の動きは止まらない。
どうやら炎を浴びせられてご立腹なのだろう。
「やっぱり植物系のモンスターが使う魔法は成長関連かぁ……」
書物でその知識を知ってはいたが、実際に間近で観察してみるとなかなか面白い。
グローヴァインの保有する『成長』はその名の通り、身体の部位を急成長させる魔法である。回避行動が鈍重だったのに対して、蔓が男に向けて射出された速度はなかなかなものだった。
恐らく身体の所作とは別の力が働いているのだろう。それは蔓に限定されたものなのか判別が付かないが、仮に根も効果範囲であった場合でも意図的に『成長』させていないのかもしれない。
伸ばした分の蔓は身体に巻き付ければ良いが、根の場合だとそうはいかない。絡まってしまえば、せっかく移動が可能だというメリットが無駄になってしまうのだから。
「……た、助けて」
一応の満足が得られたのか、グローヴァインの蔓が動きを止める。
その直後、暫しの間は苦悶の声しか出ていなかった彼の口から救援を求める言葉が飛び出てくる。
「……頼むからさぁ」
先程までの強気な態度とは打って変わって、此方に縋るような視線を向けてくる。
今の今まで観察に徹していたが、正直彼の甚振られる姿に胸が痛まなかった訳では無い。しかし、それでも彼を積極的に助けようとも思えなかった。
というのも、グローヴァインの力が彼の命を危ぶむもので無いというのもあるが、何より俺は戦いたくなかったのだ。
そもそも戦闘に関して意欲を駆られた事も無ければ、殴る蹴るしても全然喜ばしく無い。痛いのは嫌だ。何かを傷付ける事で、自分も傷付けられるというのであれば、手を出したくないと考えるのは自然な事だろう。
「少し待ってて下さい。先生を呼んできます!」
だから自ら戦おうとせず、他者に助けを求めた。卑しくも責務を他者に擦り付ける事を選んだのだ。
自宅がゴーレムに襲われた時は、母を救えるのが自分しかいなかったからこそ、無我夢中でいられた。あの脅威に立ち向かう事が出来ていた。
だが、素性の知らない人間の為に、傷付くリスクを背負う気は無かった。
「出来るだけ早めに戻って――」
彼に背を向けて駆けだそうとした矢先、何かに足を取られる。すぐさま視線を落とせば、地面を伝って蔓が俺の右足に及んでいた。
ああして傍観している間にも、グローヴァインは着々と俺を捕える準備をしていたのだろう。
その事実が発覚した途端に、胸の内を焦りが掻き乱す。慌てて蔓から逃れようと手を伸ばすも――腰を曲げた途端にいきなり視界が反転する。
右脹脛から足首にかけて痛みが走ると同時に、グローヴァインによって釣り上げられたのだと理解が追いついた。
「……何ですぐに先生を呼んできてくれなかったんだよ?」
下方から彼の文句を耳に捉えるが、今更な事である。どうやら自分への危害が止み、俺が自分と同じ状況に陥った事で冷静さを取り戻したのだろう。
グローヴァインへの憤りや自身の不甲斐無さまで俺にぶつけているみたいだった。
「横取りするんじゃねぇぞ、とか念押しされましたので色々悩んだ結果なんですよ? 下手に手を出したらイチャモンを付けられそうでしたし」
「馬鹿かお前!? 普通、危ない場面に遭遇したら一も二も無く助けようとするだろうがッ!!」
せっかく彼の意を汲み取って行動に移そうとしたというのに、何という言い草だ。見て見ぬ振りをして、そそくさと立ち去る選択肢を選ぶ人間もいるご時世に見捨てなかっただけでもありがたいのである。
人が本当に窮地に立たされた時、助けてくれるのは大体己自身のみなのだから。
彼の態度に腹を立てていると――強く吹き付ける風が急激に全身を撫でる。目下には、地面との距離が凄いスピードで縮まっていく。
反射的に頭を腕で庇った次の瞬間に、俺は地面と接触していた。
随分と荒っぽい感触で、頭がシェイクされたみたいに眩暈が起こる。
「……んぐぅっ」
地面との衝突による苦痛で、声にもならない音が口から漏れ出る。
思わず口を開いてしまったせいか、雑草や砂利が口の中に侵入。その感触にすぐさま不快感を覚え、湧き出した唾液と共に何度か吐き捨てる。
その後、大口を開いたまま鼻孔以外からもだらしなく酸素を求めた。
……やはり想定していた通り、そこまで後に響くダメージでは無いものの、何度も食らいたいものでは無い。
せめて、無防備な体勢だけでも避けようと荒い呼吸を無理やり中断し、次に備えて全身に力に入れるのだが。
「……ん?」
その予想に反して、グローヴァインが蔓を動かす事は無かった。
相手は無差別に攻撃する意思が無く、自らに危害を及ぼした彼のみ過剰なまでに攻撃を仕掛けたのだろうか。
だとすれば、今さっきの一撃は俺への警告なのかもしれない。近くに彼と同じ人間がいたので、機先を制して自分の掌中に収めたのだろう。
本来、植物系のモンスターはあまり活発的で無いらしいし、『フレイム』に対しての報復は彼ので大体済んでしまった、という事か。
「これからどうします? 大声で助けでも呼んでみますか?」
「大声出して、モンスターが動き出したらどうすんだよ。下手に刺激しない方がいいって」
状況を把握したところで、一蓮托生となってしまった彼に案を提示するも、素気無く却下される。
物音を立てる以外に救援を要請する方法は現状では思い付かない。
かといって此方から何か仕掛けようにも、痛みに悶えている内に手足も蔓が伸びてきていたのか、いつの間にか拘束されていてまともに身動きが取れないでいた。
「正直、お手上げなんですが他に案はありますかね?」
「あったらとっくにやってらぁ。……ったく、どうして俺はこっちに参加しなきゃならねぇんだ」
「ってことは詠唱魔法の授業から、此方に回されてきたってことですか?」
教える人間に限りがある為、捌ける人数にも同様に限度がある。座学一辺倒に出来るならまだしも、知識だけ身に付けて実際に使えないのでは話にならない。
だから、希望した授業から溢れたり、適性の数や種類が同じでもそれぞれの授業数に差が出る事もあるのだ。
「そうだよ。魔法の適性が他にもある奴は、別の授業にも回されるんだよ。この授業に宛てがわれた奴だって同じ事だろ? ……あぁ、お前は違うのか」
苛立った表情から一転して、彼の憐憫の目が此方に向けられる。もう噂が広がっているのか、学園に来てから日が浅いらしい彼も俺の無能っ振りを知っているみたいだ。
「属性魔法の方が優秀であれば融通が利くらしいですが?」
「っるせぇ。召喚魔法しか使えねぇお前よりマシだ」
「まぁ、そうですね」
彼の悪態に思うところが無かった訳では無いが、これ以上醜い言い争いをしたところで時間の無駄、不毛であろう。それこそ収拾がつかなくなって、仲違いすれば余計に厄介な事態になるのは自明の理だ。
一旦、此方でその流れを切って、話を戻す事にした。
「で、これを脱するのに何か方法がありますか?」
「単純に蔓から逃れるだけなら、『フレイム』で焼き切れば良いがなぁ。逃げる体勢を整える前に捕まっちまえば逆戻りだしよぉ」
解ける気配のない蔓ばかりに目をやっていると気が滅入ってきたので、気分を一新するべくグローヴァインの本体ともいうべき物体の方に視線を移した。
法則性も無く丸まった蔓の集合体である本体は気持ち半分、身体に纏わりついたそれより太いように思える。
また目を凝らしてみれば、上部に葉らしきものが確認出来た。体色が緑という事もあって、光合成でもしているのだろうか。
茎は蔓が囲っているのか目にする事が出来ないものの、根は露出していた――筈だった。
現在は移動する気が無いのか地面に埋まっており、その姿を見る事が叶わない。遭遇した際には確かに白い根が動く様が確認出来いていた。
彼や俺を持ち上げるのに、踏ん張る必要があったのだろうか。それとも――
「ちょっと試したい事があるんですが」
何かの踏ん切りをつけようと唸る彼に、今し方思い浮かんだ案を強引に伝えてみる事にした。
「本当にやるんだな?」
少し声が震えている彼に、俺は自信ありげに頷きを返す。上手くいく保証など全く無いがやるしかない。彼は失敗した時のリスクを恐れているのだろうが、行動に移さなければ事態は好転しない筈だ。
時が経てばグローヴァインが解放してくれるやもしれないが、それだと無防備な姿を晒す羽目になる。第三者――それが新たなモンスターだった場合、大抵は悪化の一途を辿るだろう。
「んじゃ、やるぜ! 『フレイム』ッ!!」
自身に活を入れるかのように、彼は力強く詠唱する。
彼の挙動に気付いたグローヴァインは、石像のように微動だにしなかった身体を急に跳ね動かす。しかし、グローヴァインの反応速度よりも彼の魔法が発現する方が早かった。
彼の掌から発生した炎は至近距離にあった蔓へと牙を剥く。その威力は減衰される事も無く、過剰なまでに蔓を呑み込むと、数秒も経たずに焼失させた。
「うわっつぅううう!!」
緑の拘束から解放された彼は悲鳴を上げながら熱を逃がそうと必死の形相で地面を転がる。生徒全員が共通で着用しているローブはそこそこの魔法抵抗を誇るのだが、流石にカットし切れなかったらしい。
無防備のまま地面に悶える彼に、再び絡まんと幾本かの蔓がそこに向かうも、またも先手を切ったのは此方の方だ。
「遅いっ!!」
というのも、彼に遅れて俺もまた召喚魔法を発動させていたからである。
収束した光が弾けた後に現れたのは流動形をしたスライムを5体呼び寄せると、すぐさま彼の元へと向かわせる。
そして、蔓が彼を捕らえる前に、スライム達がその間に割り込んだ。
「なっ……いつ詠唱したんだよ!?」
「んな事より、今は奴に集中しろッ!!」
年上に対する言葉遣いも忘れて俺が荒々しい声で叫ぶと、彼は急いで視線をグローヴァインの方へ戻す。せっかく解放されたというのに、これでまた捕まってしまったら目も当てられない。
だから俺はスライム達にある役目を頼んだ。それは彼の盾になって貰う事である。
本来であればスライムに壁役など向いておらず、寧ろ何の妨げにもならない程、その身体は脆い。だが、相手がグローヴァインの場合、その限りでは無い。
「うっし、目論見通り!」
突如として彼の前に現れたスライム達にグローヴァインは無視しようとせず、その進行方向のままスライム達に向かう。
が、その蔓がスライム達を捕える事は出来ない。何故なら、スライムには決まった形など無く、締め付ける前にその拘束から逃れる事が可能だからだ。
これがもし蔓が鞭のように叩き付ける動作を取った場合、スライムには到底役目を果たせなかったかもしれない。
だが、彼や俺の時のように、グローヴァインはそうしなかった。恐らく元々そんな発想が無いからだろう。
俺だけが何も出来ずに歯痒いものの、スライム達の奮闘が功を奏し、時は満ちた。
「『フレイム』ッ!!」
スライム達に後退の指示を出した数瞬後、彼の『フレイム』は放たれた。
向かう先は本体である集合体では無く、足元である根。スライムに気を取られていたグローヴァインに回避する暇も無く、炎は根を捕える。
そして、根に着火した炎は瞬く間に根全体へと広がり――火炎の勢いは止まらない。
――俺の狙いは至って稚拙なものである。
まず、グローヴァインが『フレイム』を喰らった時、短時間で炎の勢いが弱まっていった事に少し疑念を抱いていた。
初めは彼の『フレイム』があまりに貧弱だったと見当つけていたのだが、蔓に捕まっている間にその考えを改めた。
ダメージが浅いのはまだしも、自然回復があまりにも早過ぎたように思えたのだ。
だから、グローヴァインの傷の浅さには『成長』が関わっているかもしれない、と考え直した。
『フレイム』を喰らったグローヴァインは、燃えたところ付近を急速に成長させ、まるで再生したかのように見せたのではないのか、と。
また、成長した部分には水分を多く含む為に鎮火させる効果がいくらかあったのだろう。
が、あそこまで高速回復が可能であるならば、脅威の一つとして数えられていてもおかしくはないのに、書物にはそんな記載は存在しなかった。
つまり、何かしらの仕掛けがあるのだと推察出来た。そして、至った推論としては栄養を吸い出すようにして、根から何かしら供給していた、といったものだ。
そして、その考えは見事に的中していたらしい。
グローヴァインの根に着火した炎は他の部位に燃え移らんばかりの勢いを見せている。
炎が足元に纏わりついた事に焦りを感じているのか、グローヴァインは狙いもつけず、蔓をあちこちに振り乱していた。
また、あまりの錯乱具合に土の中に根を埋めるといった考えにも至っていないみたいだ。
「……ん、蔓も緩んでるな」
此方に意識を向ける余裕も無くなったらしく、蔓から楽に抜け出すとすぐさま体勢を立て直してグローヴァインから距離を置く。
「『フレイム』!」
が、大して距離を稼がない内に、追い打ちとばかりに彼が魔法を詠唱していた。背後にいたグローヴァインに直撃し、そこから火の手が上がる。
音を発する器官の無いグローヴァインはただただ、動作によって炎に包まれた苦痛を表現していた。
そして、燃える音だけが周囲を支配して暫くして。表面が黒く染まったグローヴァインは沈黙した。




