13
【クレヴ】
「つまりは、あの盗賊たちは、私たちの実力を見るために用意されたものだったのさ。
馬車の傷はそれらしい理由を作るため。ソムディアから離れた位置に配置したのも、ソムディアにいる騎士たちに応援を呼びにいかせないため、ってところさ」
「ちょっと待てって。だとしても、彼女がやったんだと確証は持てないだろう? あくまでこじ付けに過ぎない」
「そこで、あの馬車の状態と神父の説明の齟齬だ。神父の彼が馬車の状態を知らずに、彼女に依頼の説明を頼まれていたんだとしたら、どうだい?」
「彼女が関与していないで、神父が嘘をつく可能性だってある」
「その根拠は?」
「ないが、お前さんのだってないじゃないか」
「ないにしても、君のよりかはまだ考えられるさ」
「……仮に、百歩譲って彼女がやったとしよう。が、リアナの言っていることは穴がある。
まず、彼女は何で神父に説明をさせた? 説明するなら自分でやった方が手っ取り早いし、齟齬も起きなかったはずだ」
「彼女じゃ、説明する人間の立場にはなれなかったさ。仮に下っ端に面倒事を押し付ける体があったとしてもだ。
それは、ソムディアに向かうまでの彼女の口数の少なさが、それを裏付けられるはずだ。
つまりは、表で喋ることを許されていなかったとか、そんな感じだろう」
「じゃあ次に、盗賊たちにどうやって頼んだんだ? 彼女は金をそこまで持っていなかったはずなんだ。
あの人数を善意だけでやってくれるとは考えにくいだろう?」
「それは、これから説明する。――クレヴ、君は彼女が何者か、わかるかい?」
「は……? いきなり何言ってんだよ?」
リアナに言われて、思わず彼女の方をチラリと見てしまう。
「何者か、って言われても、シスターじゃないのか?」
「そうじゃない。彼女の役職じゃなく、彼女がどんな生物なのか、聞いているんだ」
「それは亜人――」
「もっと正確に」
「……エルフ、何じゃないのか?」
「本当に、そうかい?」
リアナに問われ、俺はそれを確かめるように、彼女のことをしっかりと見る。
見た目だけで言えば、ほとんど人とは変わらない外見。
唯一、人とは違ったところである長く尖った耳も、今は金髪の下に上手く隠されていて――
「ん?」
どこか、引っ掛かる。
金髪?
……俺の見た書物に、エルフは金髪だと、そう書かれていたか?
確か――緑ではなかっただろうか。
所詮は紙に書かれた情報だ。
今こうして直接目で見ている情報の方が、正しいに決まっている。
あれは間違いだ、とそう思いたいのに。
リアナの顔は、俺にそれが本当に正しいのか、問いかけてくるようだった。
「なぁ、リアナ。エルフの髪って、緑色だったっけ?」
「まぁ、そうだね。彼女の髪は、どう見ても緑じゃない」
「髪の色を染めている、って可能性は?」
「クレヴ、これだけは断言してあげるよ。彼女は決して髪の色を染めていない。
なんなら、私が今から詠唱魔法で彼女の髪に水をぶっかけて確かめてもいい」
リアナは自信の満ちた顔で、俺に言う。
根拠なんて全くないというのに……この自信はどこから湧いてくるのだというのだろうか?
「わかった。彼女は、エルフじゃないんだな? でもそれが一体何だっていうんだ?」
「それをより確実にするために、私の質問にもう一つ答えてもらおうか。クレヴ、君は彼女のことをどう思っているんだい?」
「どうって……さっきエルフじゃないって言わなかったか?」
「今度は、君が彼女に抱いている感情のことさ」
「……何で聞く?」
「答えにくいだろうが、何だろうが、とにかく答えるんだ」
「……わからない」
「ん? 好きになったんじゃないのか?」
「ソンナコト ナイヨ?」
「思いっきり声が裏返ってるけど?」
やはりごまかせなかったか。
でも、これが好きって感情なのか、本当にわからなくて、戸惑ってはいる。
一時期、恋に恋していた時があってから、人に恋愛感情を抱いているのか、抱いていないのか、わからなくなってしまったのだ。
あの時は、確かその相手はルシルだっただろうか。
一緒の村で育ち、歳が近く、顔も相当可愛い。
惚れると勘違いする要素など、いくらでもあった。
が、しかしルシルが俺に目もくれず、ある既婚者に恋をした時に気付いてしまったのだ。
――俺はルシルと恋人になった後、何がしたいのか、と。
ルシルと仲良くしたいな、とは思っていた。でも、それだけだったのだ。
普通なら、恋人と一緒に話をずっとしていたい、一緒にどこかに行きたい、手を繋ぎたい、抱き締めてみたい、キスをしてみたい――など、何かしらの衝動があっていいはずなのに、俺にはなかった。
あったのは、おもちゃを取られた時みたいな、くだらない不満や怒りぐらいだった。
つまりは、俺がしていたのは恋ではなく、恋愛ごっこ、しかも仲良くなる過程を楽しむだけの、バカ野郎だったのだ。
こんなことがあったんだ。だから今更一目惚れしたところで、また勘違いなんじゃないだろうかと思ってしまう。
だから、今の俺の感情のことなんて、わからない。
「でも、少なくとも彼女に好意的な感情を持っているだろう? それが恋であれ何であれさ」
「まぁ、な」
「よし、これだけ聞ければ充分か」
「これって本当にリアナが彼女を威嚇射撃した理由になるのか?」
「それはこれから説明するよ。一つ目の理由は、クレヴ、君を殺させないためだ。私に感謝しろよ?」
「むしろ、積極的に俺の命をガリガリ削る奴が何言ってんだ?」
「冗談ではないからね? 私が行動してなきゃ、彼が死んだ後、君の命は彼女に奪われていたさ」
「……いやいや、俺が殺される理由がないじゃねぇか?」
「あるじゃないか。君が召喚魔導師だっていう立派な理由がさ」
「だとしてもよ、俺じゃ彼女に契約魔法をかけられないし、かけたいとも思ってないが?」
「例え君が何を思おうとも、彼女が君を『怖い』と思えば関係ない。彼女にとって、今まで自分を散々苦しめてきた召喚魔導師だ。
仮にそんな意志があろうがなかろうが、彼女にとって君の存在は、ナイフをちらつかせといて、『傷つけるつもりはない』って言っているようなもんさ」
そんなことはない、とは言えなかった。
「そして二つ目の理由は、クレヴが今彼女に抱いている感情は、まやかしなことだ」
「なんで、そう言い切れる?」
「そこで、ようやく彼女の正体の話が戻ってくるのさ。彼女の正体はエルフではなく――妖精だ」
妖精。
妖精?
確かそれって御伽噺とかに出てくる、背中に羽の生えた、手のひらサイズの小さな人間の姿をした生物だっただろうか?
俺の知識じゃ、こんなもんが限度である。
「妖精といっても、大きさや姿形は色々あるのさ。彼女はたまたま人間に近い大きさだった話さ」
「その妖精とやらが、盗賊のことやら俺の感情がまやかしだって説明になるのか?」
「『誘惑』――彼女の魔法で、その説明が事足りる」
誘惑、っていうと、うーん、何かエロチックな響きだな。
「一応言っておくが、今クレヴが思っているのと、意味が違うからね」
ニヤニヤとからかう目線が俺に刺さる。
顔に出てしまっていたか?
「『誘惑』の本来の意味は心を惑わせて、その心を誘導することだ。君の場合は、恋心でも惑わされたんだ」
「じゃあ、盗賊たちも神父たちも?」
「まぁ、君のよりも複雑にやったとは思うけど」
「じゃあルシルたちも?」
「そうだね」
「少し待ってくれ。じゃあなんでお前は『誘惑』が効いてないんだ? 魔法抵抗の高いルシルが効いてんだろ?」
「身体に魔法を通しにくくする魔法抵抗だけじゃなく、魔法を通しやすくする『魔導』があるからだよ。
ある性質があるとすれば、その逆の性質もまたしかり。
互いに相反するものなんて、大概はあるものさ。
仮に魔法抵抗しかないと考えると、回復魔法なんかを通りにくくするしたら、大変だとは思わないのかい?」
「まぁ……そうだな。つまりは、彼女の『誘惑』は魔導を利用してるって話か。
でもさ、回復魔法も『誘惑』も同じ魔法だろ? なんでそれらだけが魔法抵抗が意味を成さないんだよ?」
「そこは、そうなっているから、としか今は言えないね。私だってすべてを理解しているわけじゃないさ」
「待て、まだお前に『誘惑』効いていない理由も聞いてないぞ?」
「それは相手に魔法をかけられる前に、自分の身体に魔力を流せばいい」
リアナは簡単にそんなことをいうが、そもそも魔導という言葉を初めて聞いた俺には、いまいち理解出来なかった。
魔法を使う状態を保つ感じだろうか?
それを確かめるようにも、そこまで集中力が続かない。
「……そういやさ、彼女の目的は彼の魔法からの解放だよな? だったら彼に『誘惑』を使えば良かったんじゃないか?」
「使って駄目だったから、今こうなっているんだろう? 私たちを『誘惑』し、彼から解放されるために」
「『誘惑』に対抗する手段を彼が持ってたと? 魔導とやらの概念を知らない奴に、リアナがやったみたいな芸当が出来るのか?」
「手段、というより相性の問題だろうな。それに彼の性格も、彼女の魔法を効きにくくしていたしな」
「そういうのって、性格で何とかなっちまうものなのか?」
「『誘惑』で心を惑わせられないとしたら? 彼を見ただけでも、相当自分勝手な性格だとわかる。惑わす余裕もないほどにね」
「ん? こういうのって、相手が単純なほど効きやすいものなんじゃないのか?」
「そうだね。現にクレヴなんて簡単にやられたんじゃないかい?」
それが、一目惚れの理由だというのか?
「それに魔法だって万能じゃない。これは『洗脳』じゃなく『誘惑』なんだ。
元々自分の中にあった感情がなければ、誘導のしようもない。彼の場合は、その性格を増長させるだけなんじゃないかい?」
「……理屈は、わかった。でも、ここまで聞いておいて、何だけどさ。お前さんが言ってることが全部嘘だって可能性も、否定出来ないよな?」
確かに疑問に思っていたことを解消できるような答えをリアナから提示されたが、どうも都合の良いことばかり、言われているように感じる。
それは魔導やら妖精やら『誘導』やらが、本当にあるものだとわかる、判断材料が自分にないから。
リアナの話を鵜呑みにするのも、どうなのかと思っていた。
「まぁ、それは今から実証してやるさ」
そう言って横からリアナが俺の肩を掴んでくる。
「実証って俺でかっ!?」
「今、クレヴは私に対して敵意を持っているだろう? 今からそれと、まやかしの好意を無くしてやる」
俺の驚きを無視して、リアナが何かを始める。
俺の肩に置いたリアナの手に光が帯び始める。
「……っ!!!」
それと同時に、俺の身体の中に何かが流れてくるような感覚。
異物が入ってきた拒否反応みたいなものは、ない。
するりと、抵抗なく俺の中を巡っていく。
これが、魔力が流れていく感覚なのか。
別に、身体のどこかで変化が訪れているわけでもない。
でも、不思議な感じだ。
身体の内部と同じく、また心の方でも感情が流れ出ていくような、そんな感じがする。
自然と、薄れていく、あの感情。 彼女を想う気持ちが、消えていく。
彼女と軽く視線が合っただけでも、頬が熱くなったあの思い出が。
彼女の声を初めて聞いた時の、あの高揚感が、風化していく。
それも、あっさりと。
今までのことが夢だったかのように、俺の心が覚めていく。
さっきまで確かにあった感情が、何事もなかったかのようになくなっていってしまう。
それが、俺には恐ろしく思えた。
だって、それはその時間の俺が、死んでしまうように思えたからだ。
望んでもいない、急激な心境の変化だ。
狼狽だってしてしまう。
けれど、それも一瞬のことだった。
――その感覚が、当たり前だと、俺の中で認識してしまったからだ。
この心の状態こそが、いつもの俺なんだ、と頭が納得する前に心が理解している。
当然なこと。
疑問なんて、全く浮かびあがらない、当然なこと。
俺がこの変化に対して、頭を抱える必要なんて、ないんだ。
気持ちが、抵抗もなく、だんだんと流されていく。
リアナに持っていた敵対心が、日々抱いている怒りが、恐れが、ほぐれて、なくなっていく。
自然な形で、心の中で、新たなものが形成されていく。
「ふぅ、ちょっと悪戯しちゃったけど、調子はどうだい?」
そう言って、俺の肩から手を離すリアナ。
何だかその手の暖かさが消えてしまうことに、俺は寂しさを覚えてしまう。
「私の言っていたことが嘘じゃないと、感覚的に理解出来たかい?」
どうだ、と言わんばかりにリアナが笑みを浮かべ、こちらを見てくる。
――可愛い。
ドクンッ、とその時だけ心臓の鼓動が大きく感じられた。
「あぁ、そうだな……」
彼女の顔から、目を離せない。
見慣れていたと思っていた、まるで人形のように整った少女の顔。
何で、こんなに可愛らしい顔に、俺は苛立ちやら恐れを抱いていたのか、わからなくなってくる。
「で、どうだい? 今の気分は?」
俺に一歩近づき、下から見上げてくるようにして、リアナが俺を見てくる。
やはり、俺の目はリアナの一挙一動を見逃さなず、瞬きが煩わしいと思わせた。
何だろうか、この熱き衝動は。
わからない。が、嫌ではない。
むしろ、俺にこうしろ、こうしたいと訴えかけてくるような、そんな強い感情。
抑えれば、抑えつけるだけ、どんどんと際限なく膨れ上がっていき、心から飛び出し、身体を突き動かす。
「わっ、いきなり何をするんだ、クレヴ?」
俺からも大きな一歩を踏み出し、そして俺よりも小さな身体をそっと抱きしめる。
腕に伝わってくる、柔らかな感触。
この感情が、まさしく幸せだというのなら、そうなのだろう。
心臓は痛いほどに動いてはいるものの、どんどん心の中が満たされていく。
満たされていっているのに、心はまだまだ足りないと渇望するくらい、貪欲で。
「リアナ……」
ゼロとなった距離を、さらに縮めようとする。
胸に軽い抵抗を感じるが、今はそんなことを気にしていられるほど、心の余裕なんてなかった。
俺は顔を近づけ、そしてやや強引に唇を重ねた。
「んんんんんーっ!!」
ふわっとしていて、それでいて弾力がある、柔らかな唇の感触。
口と口を合わせるだけの行為だというのに、何だか幸せを感じてしまう。
暖かい。
リアナの体温も、顔にかかってくる弱く、甘い鼻息もそうだが、何より心が暖かい。
だが、そんな至福の一時も、一瞬にして終わりを告げる。
胸を強く押され、リアナが俺から離れていってしまったからだ。
「こほっ……」
突然の行動だったからだろうか、リアナは驚きで大きな目を更に見開き、呼吸が出来なかったからか、軽くむせている。
何だか申し訳ない気持ちが湧いては来る。
あまりにも、先走り過ぎたのだ。嫌われてしまった、と思うと幸せだった気持ちが急に萎み、胸が締め付けられるかのように、痛くなってくる。
「ついふざけ半分で、私の方に恋愛感情を仕向けたけど、まさかここまでだったとはね……。『アースバインド』」
リアナが詠唱し、気がつけば地面に身体の自由が奪われていた。
まぁ軽率な行動を取ったことだし、俺はそれに抵抗はしなかった。
今はそれよりも、リアナに許して欲しかった。
「すまん、クレヴ」
俺の肩に再び手を置いて、謝ってくるリアナ。
謝るのはこっちの方なのに、と思い、口を開こうとしたところで――また魔力が流れてくる。
意識が明瞭のままなのに、感情が薄れていく。 心の色が塗り替えられていくようだ。
そしてまた、違和感すら感じずに、俺は変革される。
「…………」
思いっきり叫びたかった。
でも、肝心の声が出なかった。
思わず地面を転がって、穴にでも埋まりたいとも思ったが、身体さえも動かせない。
人生後悔の連続だってある、そう思っていたが、改めて思い知らされた。
が、まさかこれほどまでに、深く重い後悔なんて、あるとは普通は思わないじゃないか!
だって、リアナとキスだぞ? それも自分からだ。
血迷ったとしても、そこまでに至る程、俺の頭はイカれてやがったのだろうか?
あんな気持ち悪い自分なんて、もはや黒い歴史でしかあるまい。
それも、知っている人間の前で、堂々とやってのけたんだ。
今更ながら、あの三人の反応を伺ってみると、一触即発みたいな雰囲気が完全に崩壊していた。
ルシルは信じられないものを目にしたような表情で、今の俺には軽蔑しているようにも見える。
シリアは両手で目を覆っているんだが、隙間からチラチラとこちらを見てくる。
彼女には刺激が強過ぎたのか、白い頬が真っ赤に色づいている。
そしてシスターの彼女は、睨みつけてくるのを止めている。
こんな人たちに敵意を持つのが、馬鹿らしく思ったんじゃないだろうか。
三者三様の反応をしていたが、何にせよ俺に恥ずかしいことに変わりはない。
俺の心で後悔と羞恥が入り混じる中、それ以上に強い感情――困惑が更なる追い討ちをかける。
リアナのことは、一瞬にいるうちに、何だか嫌いという程でもなくなっていたのだ。
それこそ、悪戯好きな妹くらいの、家族として許せてしまう、優しい感情があったりはしたのだ。
だが、今回の件で、信じたくない事実が判明することになった。
それは――俺がリアナに少しでも恋愛感情を持っていた、ということだ。
シスターの彼女が『誘惑』の魔法を俺にかけていたと、あの時に体感でわかった。
自分のものではない何かが、流れ出ていくような感じがしたのだ。
今まで意識していなかった部分だったからだろう。
それまでは全然気にしていなかったのに、今では新しい感覚として、定着しそうにあるほどだった。
少し違うかもしれないが、一旦泳げるようになると、それからは意識せずとも身体が覚えているのと同じだろうか。
一回わかってしまえば、定着する感じに似ている気がする。
さて、話がまた脱線してしまったが、とにかく俺とリアナの魔力以外にも、もう一つ感じたものがあったのだ。
それは彼女の魔力だろうか。いつの間にか俺の中へと侵入されていたのである。
多分、俺に気付かれない程度の微弱なもので、ジワジワと浸食していったのだろう。
リアナの場合はこれと真逆で、強引な形で俺の身体へと流していた。
イメージとしては、激しい運動をしている時に感じる脈動と似ているかもしれない。
つまり、だ。俺はこのことから、何が言いたいのかというと……リアナの言っていたことが、真実だということだ。
リアナに『誘惑』が使えて、彼女に罪をなすりつけたのか、とも考えたが、俺の感覚がそれはないと訴えかけてくるのだ。
リアナの言っていた『誘惑』があったんだ。
だから、当然リアナの説明も、真実味を帯びてしまう。
そこだけ嘘をついていた、という可能性も否めないが、そうなると今度は亡くなってしまった彼に『誘惑』が効かない理由がわからなくなってしまう。
あの可能性以外を探ろうにも、俺には知識が足りない。
納得するには、情報が足りない。
信憑性を高めるためには、シスターの彼女に聞けばいいのだが、今のこの状態では話を聞いてはくれまい。
これでもう、俺はリアナを信じるしかないってわけだ。
俺がリアナのことを少しは好きだという事実が、何気に一番キツい。
今の状態でも、キスしたことが、別に嫌じゃなく、可愛い子とキスなんていう、滅多にない経験が出来て、むしろラッキーなんじゃ、とも思い始めている俺もいた。
……何だか、俺がどんな人間だったのか、だんだんわからなくなってきた。
――『家族』、『キス』、『過去』。
錯乱する俺を余所に、脳は勝手に言葉をピックアップしていく。
それらの言葉が繋がり、そして忘れていたあの光景が、フラッシュバックする――
あれはいつ頃のことだっただろうか。
まだ掌が小さく、剣を握るのも苦労していた時だというのは、明確に覚えている。
あの歳で皮が剥け過ぎたせいか、掌はいつも赤く染まり、畑作業をしていた村の爺さんぐらいの固さに急成長したことに、喜べなかったっけ。
そんな掌でさえもボロボロだった俺は、当然身体中もボロボロだった。
それは主にあの父の稽古に励んでいたせいだった。
常に本気でやっても、下手すると死ぬ間際まで追い詰められるのだ。生き残るためには、必死でやるしかなかった。
稽古から逃げ出した時もあったが、あの巨体の癖に恐ろしい速さで追いかけてくる父を見て、断念。
稽古が始まる前にどこかに潜んだとしても、気配探知とやらで隠し通せたこともなかった。
もはや、そんな無駄なことに体力を使うより、稽古に注ぎ込んだ方が生存率が高いと考えてもいたっけ。
そんなことだから、肉体もオーバーワークで熱を放ち、多大な集中力を費やしたせいで、稽古の後は疲労困憊となっていることが常だった。
「ねぇ、クーちゃん?」
「んー?」
返事を返すことも億劫だった俺は、口を開かずに喉を震わせる。
唯一、俺のことを『クーちゃん』と呼ぶ人物を、いつもなら警戒していたのだが、そんな気力すら湧かない時を狙われた。
「クーちゃんは、キスって知ってる?」
「うん……」
確かその時では、好きな人同士がする行為、という認識しかなかったはずだ。
「なら――」
徐々に距離を詰めてきたところで、危機的状況に陥っていたことに気付くも、もう遅かった。
「――おねえちゃんと、してみよっか♪」
微々たる抵抗はむなしく、一般に甘酸っぱいとされているファーストキスが、俺の中では唇を蹂躙され、口の周りがベタベタになるまで陵辱されるものとなっていた――
「ああああああああああああああああああああ!!!!!!!!」
フラッシュバックした記憶は、俺の心の許容範囲など、ものの簡単に振り切り――俺は発狂した。




