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スライムの召喚魔導師  作者: じぱんぐ
第1部 出会い
3/136

3

「あはははは、はぁ……」


 宙に浮かぶ少女は笑い疲れたのか、ようやく高い笑い声を止めて、此方(こちら)に振り向く。


「君は実に面白いよ!」


 悪戯好きの子供のように唇を大きく歪めて少女が空中浮遊しながらゆったりと俺に近付いてくる。


「飛翔魔法で高みの見物か?」


 真っ先にこの少女の正体が気になったものの、その疑問を押し退けてつい挑発じみた台詞を吐いてしまう。

 彼女の台詞から読み取れたが、つい先ほどまで俺のことを傍観していたのだ。

 風系統の魔法をこれだけ長時間使えるとなると、よっぽど風系統に適性があるのか、もしくは熟練の魔導師である可能性が高い。

 少なくとも、俺よりも戦闘能力が高い筈なのだ。

 つまり、何が言いたいかというと、『強いなら、手助けぐらいしてくれてもいいじゃないか、薄情者め』ということである。

 それに、この状況を笑うなど不謹慎だ。少しばかり腹が立つのも無理は無いだろう。


「別に高みの見物って訳じゃないさ」


 俺の目の前に降り立った少女が、またくすくすと笑う。思わず眉間にしわを寄せて彼女を睨め付けるも、間近に迫った彼女の顔が視界に入った途端に、眉間から力が抜けてしまっていた。

 ふわふわとした亜麻色の長髪に、猫の目ように少しつり上がった大きな瞳。

 細身の体躯でありながら、胸や尻なんかの女性的な膨らみは服の上からでも自己主張していて。

 そんな美しい彼女に暫しの間、見惚れてしまっていた。


「私はただ、少し玩具(オモチャ)で遊んでいただけなんだが――」


「玩具?」


「――面白い邪魔をしてくれる人間がいたもんでさ」


 彼女の無邪気そうな言葉に今し方抱いていた感情がすぐに吹き飛び、全身に鳥肌が立っていた。

 まさか、そうであるはずが無い、と何度否定しようとも、頭の中に浮かび上がってくる。

――彼女が敵、つまりはこの状況を引き起こした原因だという可能性が、だ。


「お前は……一体何者なんだ?」


 唇が緊張で少し震えながらではあるが、ようやく今になって疑問を口にすることが出来た。

 ゴーレムが破壊されたからといって、まだこの場にあった1体だけ。わざわざ操作主が俺に姿を晒す理由が分からない。

 敵対は必然。ならば何の意図があって敵対行為をしてきたのか。まさか、戯れでこうしたとは考えたく無い。


「私が、何者かって――」


 彼女は唇に指を当てながら、もったいぶるかのように少し間を開けてから、


「――まぁ、魔王の側近の者だが、何か?」


 と衝撃的な発言を、軽々しく言い放ってくれる。その返答は俺の想像の斜め上を超えていた。


「HAHAHA! 面白くない冗談だな?」


 そう、あり得ない。

 魔王というビッグネームがこんな片田舎で一体何をするというのか。

 魔王というのは、一般的にこの大陸のヒエラルキーのトップに立っていると言われている。知能も(すこぶ)る高く、人間なんかじゃ太刀打ちも出来ない最強の存在で。

 『英雄制度』にもあった、モンスターの大量発生に何か関係しているのではないか、と噂され。

 その姿は誰も見たことが無いとされているというのに。


――そんな奴の側近が、こんな所にひょいひょいと現れる筈が無いに決まってる。

 それに、仮に魔王の側近だというならば、彼女はモンスター――人と似通(にかよ)っているとすれば、亜人系のモンスターという事になるのだ。

 ゴーレムやスライムなんかは物質系、グルタウロスなんてのは魔獣系なんて分類されている。

 さて、亜人系のモンスターだが、一見は人間とそっくりなのだが、何かしら人間とは違う部位が存在している。

 例に出すと、『森の民』のエルフと呼ばれる種族なんかは、緑の髪に、耳が尖っている、といった感じだ。

 しかし、今の彼女の姿を見ても、人間とあまり遜色がないように見えてしまう。

 魔王の側近だという判断材料が、全然足りない。それよりもまだ彼女が法螺を吹いている可能性の方が高いだろう。


生憎(あいにく)、面白くないことはしたくない性分なんでね」


 彼女はそう言った後、笑みをやめ、そっと俺の顔の前で掌を広げ、そこに魔力を集中し始めた。

 魔力が爆発的に膨れ上がり、まだ何もされていないのに、それに比例して増していくプレッシャー。

 ……怖い。こんなに桁外れの魔力は今までに味わったことは無かった。とてもじゃないが、同じ人間とは思えない凄み。

 正直、出来ることなら今すぐにでも尻尾を巻いてこの場から離れたかった。

 だが、身体が恐怖で縛られているのか、全くいうことを聞かない。足が(すく)み、腕が強張って上がらない。

 背筋に寒気が走り、いつの間にか口からカチカチという音が聞こえてくる。歯が勝手に震えだしていた。

 どう足掻いても避けられない死への恐怖。それが間近に近付いてきているのだと、身体が教えてくれているようだった。


「っと、これぐらいやれば納得してくれるかい?」


 そう言って、彼女は再び口角を上げると尋常では無いレベルの魔力を一瞬の内に霧散させた。

 途端に凄まじき解放感が全身に波及する。まさしく生きた心地もしないというのはこんな感じなんだろう。

 正直、二度と味わいたく無い。明確では無いものの、目の前にいる自称魔王の側近は敵だ。

 彼女の発言から察するに、彼女を止めれば連鎖的にゴーレムの動きも止まるかもしれない。

 しかし、無理だ。何人、何十人で立ち向かったとしても、勝ち目がまるで見えない。あの頑強なゴーレムでさえ、彼女からすれば本当に玩具でしか無いのだ。

 もし彼女が本気を出そうものなら、間違いなく全滅する。刃向かう気概など失せてしまった。


「あ、あ、あなた様が魔王の側近だということは理解致しました」


「堅苦しいのは好きじゃないから、言葉は崩してくれ」


「わ、分かった。それよりも、何で側近のお前が何でこんな所にいるんだよ?」


 すぐには恐怖が抜け切れず、言葉がどもる。もし彼女の気に障れば、一巻の終わりだ。失敗は許されないと考えるだけで、唇の震えはなかなか治まらない。

 思考が乱れ、胸の内では何故俺が相手をしなければならない、と愚痴が渦巻く。


「暇つぶし」


 怯える俺に一笑した後、彼女は軽薄な態度でそう言った。その言葉が果たして真実なのかどうかは分からない。だが、それが本音だというのであれば、彼女はイカれている。

 ……人の命を何だと思っていやがるのか。しかし、そんな義憤は湧いてきそうに無かった。そもそも、俺達と同じ精神構造を期待する方が間違っているのかもしれない。 


「それよりも、だ。君はどうしてスライムでゴーレムを倒そうなんて思ったんだい? 普通じゃ考えないだろう?」


 話の流れをぶった切り、嬉々満面に彼女は俺に質問を投げかけてきた。

 ぞっとしていたところに不意を突かれたので、口を閉ざしたままでいると、彼女はまた魔力を集中し始める。


「……それしか出来ないからだよ」


「え?」


「だから、俺はスライムを召喚する魔法ぐらいしかできないからだよ、って言ったんだよ!」


 少しヤケクソ気味に言ってやると、彼女はますます楽しそうに笑みを深める。一体何が楽しいというのか。


「ははは、ますます面白いじゃないか」


「それは良かったですね。お前のお遊びの邪魔したのは悪いと思っているけど、暇を潰せたならお帰りになられたら?」


「なんだ、その棒読みは、余計に腹が立つんだが? ――あとな、君は私がお前たちの言うモンスターだということを忘れていないか?」


 破顔している彼女の瞳に、冷酷な色が混じる。


――そう、彼女のいうモンスターというのは、一部の例外を除いて普通は人間を襲うものとされている。

 人間を食糧に、的な問題なども含まれるが、主な理由としては土地とかの問題だろう。

 人間というのは欲深いもんで、住みやすい所があれば他にどんな生物が住んでいようとも、それらを排除し、自分の物にするような生き物である。

 それがモンスターの生息する場所であっても、変わらない。

 そういう経緯もあってか、人間に恨みを持つモンスターがいても何らおかしくは無いのである。

 まぁ、彼女のように突然人の暮らす村や街に襲来する事は滅多に無く、縄張りを拡大したり、また人間が縄張りに侵入したのを排除する為、というのが人間を襲う主な理由なのだが。


「ま、今の私は気分がいいから君に危害を加えるつもりは無い。なんなら、私に出来る範囲の願いぐらいなら叶えてあげようかい?」


 願い事。

 彼女は冗談半分で言ったかもしれないが……俺はその提案を馬鹿馬鹿しい切り捨てることが出来なかった。

 彼女は戯れに村を襲ってきたモンスターだ。とてもじゃないが、彼女に信頼を寄せるなど考えられない。

 だが、彼女は規格外に強い魔力を持っている。


「本当に叶えてくれるのか?」


 だから、つい希望を持ってしまった。彼女ならば、母を助けられる手立てを何か持ち合わせているのでは、と。


「うん。まぁ多少の面白さは期待するけど」


「母の病気を治してくれ」


「面白く無さそうだ」


「んじゃ、母の身体をエネルギッシュにしてくれ」


「次いってみようか」


「母をパワフルにしてくれ」


「はい、次!」


 言い回しを変えるだけでは、どうやら駄目なようである。しかしまぁ、珍しい事に意外と彼女は人の話を聞いてくれるモンスターらしい。

 俺をからかっているだけなのかもしれないが、それでも話は通じている。頭がイカれている恐れがあるものの、今はまだ問答無用で俺を殺そうとする素振りは見られない。

 何が彼女の琴線に触れるのか、と少し考えて躊躇(ちゅうちょ)が生まれたものの、こう提案してみた。


「母と俺の体調を入れ替えてくれ、ってのはどうだ?」


「ほぅ」


 彼女が少し驚いたように目を見開く。どうやら、関心を得られたようだ。


「んで、病気の母とやらは一体どちらに?」


「お前さんが襲おうとした例の二階建ての木造の家だよ」


 そう答えると彼女は呆ける俺なんかお構い無しにさっさと1人で家へと向かっていく。慌てて彼女の後を追うが、彼女は俺を待たずに我が物顔でドアを開けて侵入。

 母に危害が及びやしないか、という不安に今更駆られるが、元々彼女は家ごと母を亡き者にせんとしていたのだ。

 命を奪おうと思えばわざわざ家に入らずとも家ごと消滅させてしまえばいい。

 悪趣味にも俺の目の前で殺してみせる、という可能性も否定出来ないが、彼女に侵入を許してしまったのだ。力の差は歴然だし、諦める他に無いだろう。

 いざとなったら、身を挺して母の身代わりに……なったとしても肉壁にすらならないだろうが。


 さて、この家には母の他に、母の世話を任せている村の人がいるのだが、家の中に明かりがついていない。

 まさか外の異変に気付いて母を見捨ててしまったのだろうか。

 ……もしそうだったとしても、その人を責める事は出来やしない。誰だって自分の命が一番大切なのだから。

 妙な正義感を発揮して母と共にご臨終を迎えるより、我先にと逃げ出すのが自然だ。

 恨むのなら、逃げる原因を作り出した例の自称魔王の側近である。


 湧き立った苛立ちを抑えながら玄関に設置されたランプに火を灯すと、周囲を見渡す。

 玄関を抜けた先、右手の方にダイニングキッチンがある。

 水回りは石造りで固められているが、それ以外は木製の家具や床などの暖色系の色が一家団欒の光景を目に浮かばせる。

 だが今となっては、遠くの街で泊まり込みの仕事を続ける父に、ベッドで寝たきりの母と、一人で食事をするのが常になってきていて余計に寂しい思いを掻き立てるのだが。


 次に、その向かい側にある客間にはシンプルなテーブルと椅子、申し訳程度の観葉植物が置かれているのだが、先ほどのダイニングキッチンよりも寂しい印象を受けさせる。

 母がまだ壮健だった時には良く近所の人を招いていたっけか。


 それらの奥に向かえばトイレと風呂がある。勿論、個別に分かれており、左手にある方がトイレで、もう一方に風呂といった感じだ。

 トイレを覗くが、中には誰も入っていない。なので、今度は風呂場の方のドアを開く。

 この部屋は、脱衣所と風呂場を一枚の引き戸で仕切っており、風呂場の方が若干広いだろうか。脱衣所にも自称魔王の側近の姿が見えず、風呂場の引き戸に手を掛けたところで、


「――♪」


 彼女の声が戸の奥から聞こえてくる。

 こんな所で何をやっているんだが、と呆れてしまうものの、同時に安堵の息を漏らしていた。

 母の部屋があるのは2階なので、目を離した隙に変な事をされないか心配だったのである。

 まぁ、俺が傍にいたところで自称魔王の側近の暴挙を止められる自信は無いのだが。


「さて」


 気持ちを切り替え、俺はこの戸を開けるか否かという選択に迫られていた。

 現在、どういう訳か知らないが、魔王の側近だと(うそぶ)く少女が我が家の風呂場に侵入している。

 明らかな部外者、招かれざる客――というのは違うか。とにかく、彼女は接待するに値しない人物である。

 彼女の機嫌を損ねると人生に終止符を打たれる羽目になるのだが、過度のもて成しは逆に彼女の気に障ると判明。従って、俺はそこまで彼女に配慮しなくていいわけだ。

 完全に見た目は人間そっくりではあるものの、彼女は自らをモンスターだと称した。言語は通じ、コミュニケーションも取れた。

 しかし、人間の常識が彼女に通用するとは限らない。服を着ていたが、あれは防寒目的で羞恥心の類が彼女に存在しない、という可能性もあるのだ。

 つまり、合法的(?)覗きが出来るのではないか、という思考に至ったのである。

 ……多分、普段ならばこんな馬鹿な真似は決してしないのだが、彼女との接触でタガが外れてしまったのかもしれない。

 命の危機に瀕した時、生物は子孫を残そうと躍起になるという。性欲が暴走するのだ。それが今、こんな形で現れようとしている。

 息を整え、いざ戸を開こうとしたところで、


「おや、ようやく来たか。あんまりにも遅いんでね、勝手に探索させてもらってるよ」


 服を着た状態の彼女と鉢合わせた。身体はどこも濡れた様子も無く、呑気に入浴していた訳では無いらしい。いや、最初から入浴の方法を知らなかったのかもしれない。

 忽ち胸の内に湧いていた興奮は醒め、ピンク色に染まっていた思考が正常さを取り戻すと、溜息を吐きながら彼女を母の元へ案内する事にした。







「あら、おかえりなさい……」


 母の部屋の前には世話役の村の人が母を背負っている姿があった。

 病気でやせ細った母ではあるが、その母よりも小柄で細身の村の人には重荷だったのだろう。

 彼女の足は震えており、少しでもその足に触れれば崩れてしまいそうだった。

 顔面蒼白になりながらも、それでも母を見捨てずにいてくれたのだ。

 

 彼女の溢れんばかりの優しさに破顔しながら、俺はすぐに顔を逸らした。


「外の凄い音は消えたけど、もう大丈夫なのかしら?」


「えぇ、一応は」


 村の人はそれを聞いた途端、へなへなと腰から崩れ落ち、強張った頬を緩める。今の今まで命の危険が迫っていたのだ。

 その緊張感から解放されて力が抜けるのも無理は無いだろう。そう思いながら、俺はすぐに顔を逸らした。


「この人だね」


 そんな彼女の心労を生み出した張本人が悪()れた様子も無しに俺の前に出る。人の村を壊滅状態に追い込もうとしても罪の意識に苛まれないのだから、堂々としたものである。

 尤も、自称魔王の側近が善悪の判断基準を持っていないのかもしれないので、そうしていられるのだろう。

 とはいえ、自信の色に満ちた亜麻色の瞳が――何故か母では無く村の人の方に向いているのは理解出来ないが。


「違うんだが?」


「何っ!? 顔が完全に呪われているようにしか見えないじゃないか!」


 俺の指摘に、自称魔王の側近は余裕めいた笑みを崩して此方(こちら)に振り向く。余程衝撃的な事実だったらしい。


「おいおい、指を差すのは失礼だろう?」


「それよりもこの娘さんの発言の方が失礼だよ!」


 さっきまで安堵に満ちたした表情をしていた村の人から俺と自称側近に食って掛かる。

 その顔は怒りを孕み――まるでモンスターが雄叫びを上げているかのような迫力があった。

 彼女の激情が発散された雰囲気がそう感じさせたのでは無い。彼女の顔の造形がそう思わせるのだ。

 つり上がった細い目は猛禽類よりも鋭く、それでいて草食動物ように左右の目玉は離れており、鼻は大きく潰れ小鼻などは豚のように広く、口は顔の三分の一以上の面積を占める、と筆舌に尽くし難い。

 そんな顔に対して、身体の方は女性なら誰でも憧れる砂時計体型の見本ようなものだから、凄まじい程にアンバランスさを醸し出しているだろう。

 ちなみにそんな容姿故か、村の子供たちの中では『あの顔をずっと見続けていると、お前もあんな顔になっちまうぞ』などという大変くだらない噂が流れている程であり、俺はそんな事を信じていない方だったのだが、子供というのは残酷なもので、皆に合わせない奴はイジメられるということもあり、幼い頃は顔を合わせられなかったものだ。

 そして、あれから歳を重ね、また皆の目線がある訳でも無いというのに未だ目を逸らしてしまうのは、忌まわしき習慣のせいだろう。 

 あぁ、嘆かわしい。

 しかし、そう思いながらも俺の瞳は依然として彼女を視界に入れる事を断固として拒否していた。


「なら、こっちの背負われている方か」


 猛獣の威嚇よりも恐ろしい村の人を華麗にスルーして、自称魔王の側近は母の方へ視線を向ける。

 魔王の側近と名乗るだけあって胆力は相当なものであるようだ。


「呪術系の魔法が掛かっている訳では無いね」


 彼女は特に触診などもせず、母を一瞥しただけでそう判断を下した。


「呪術系? 見ただけでそんな事が分かるのかよ?」


 呪術系というのは、詠唱魔法の一種だろうか。見識の狭い俺には聞いた事が無い魔法だった。もしかすると、まだ知らぬモンスターの用いる魔法の一つなのかもしれない。


「まぁ、私は器用な方だからね」


 魔王の側近を自称するだけあってか、こういった洞察力には優れているようである。

 ハッタリという可能性も否めないが、風系統の魔法の熟練具合に、あのゴーレムを操作していたのも彼女らしいし、強ち彼女が器用だというのも嘘では無いかもしれない。

 自称魔王の側近は村の人の背中から母を下ろすと、全身をくまなく見つめる。

 それから暫くして彼女は溜息を吐くと、不満気に半眼を此方に向けてきた。


「なんだ、本当にただの病気じゃないか。面白く無い」


「面白くなくてもやってもらわないと困るんだよ」


「まぁいい。それでは早速始めるとするか」


 彼女は母の腹部に(てのひら)を重ねて置くと、そこに魔力を集中させ始めたのか、彼女の手がぼんやりとした光を帯びていく。

 それは俺を脅した時と同じ掌に見えない程に、優しい光だった。その光は母の身体へと伝播していき、全身を包み込んだところで儚く弾けた。


「終わったよ」


 あっけからんと言い放つ魔王の側近に目もくれず、俺は母の近くへと駆け寄る。


「母さん」


 腕を母の背中に回して上半身を起こすと、母にハッキリとした口調で呼びかける。母の身体にはまだ温かさがある。静かな息遣いも聞こえている。顔色も先程より赤みが増している。

 まだ、生きている。


「ん……」


 母がゆっくりと(まぶた)を開き、俺をぼんやりと見つめる。それから頬を緩めて、おかえりとそう言ってくれた。


「あぁ、ただいま」


 母にそう返しながら、胸を撫で下ろす。取りあえず、自称魔王の側近が使った魔法は死を招くものでは無かったようだ。

 しかし、遅効性である恐れもある為、まだ油断は出来ない。


「随分と顔が汚れているけど、どうしたの?」


「ちょっと張り切っただけだって。それよりも身体起こせる?」


 母は訝しげな視線を送ってくるも、真剣な表情で見つめ返すこと暫し。根負けした母が身体に力を入れ始める。

 床に手をつき、膝を曲げて足を引き寄せると――母はゆっくりと立ち上がった。

 一瞬、目を疑った。それは母も同じようで、目を白黒させて此方(こちら)に視線を向けてくる。

 俺が治した訳じゃないと伝える為に、苦笑いを浮かべながら俺は魔王の側近に目をやった。

 ようやく事実を受け止めたのか、村の人が歓喜の声を上げる。俺を押し退けて母に抱きつくと、今度は涙を流し始めた。

 

「母さんが治ったって事は……」


 俺の方に母の患っていた病気が移った事になるのだが。

 手足を動かしても問題は見当たらない。母に掛けられた魔法が即効性に対して、俺の場合はじわじわと後からくるのだろうか。


「ふふっ、本当に移されたと思っているのかい?」


 あたふたと慌てる俺の様子を見ていたのか、自称魔王の側近が人を小馬鹿にするかのように笑う。


生憎(あいにく)私は、病気を誰かに移し替える魔法知らなかったものでね。残念だったかい?」


 そう問いかけてくる彼女に俺は大きく安堵の息を吐き出した。母を治したいという気持ちはあったものの、好き好んで病気になりたい訳では無い。

 にしても、彼女は本当に俺の要望に応えてくれた。破壊衝動を持ち合わせているが、そこまで悪い奴じゃないかもしれない。現金にもそう思ってしまう。


「そういえば村の方は大丈夫なの?」


 母の体調が回復したことに喜んでいた村の人がふと現状を思い出させる一言を口にする。

 幸い我が家にはそこまで損害は無かったものの、村の方は火の手が上がり、被害もなかなかだった筈だ。

 ルシルに任せきりにしているが、大丈夫だろうか。

 原因である魔王の側近はこの場にいるものの、ゴーレムは遠隔操作されていたのだ。それも、何体も同時に、である。

 彼女は空から俯瞰して操作していたのだろうが、単なる破壊が目的ならば見境無くゴーレムを暴れさせればいい。つまりはゴーレムが見えなくとも問題は無いのである。

 彼女を母の治療へと意識が逸れたかもしれないが、それがもし上辺だけ取り繕っていたのだとしたら。

 ゴーレムを操っているのが複数犯だとしたら、まだ安心は出来ない。


「……なぁ、お前は此処(ここ)に一人で来たのか?」


「あぁ、そうだね。外の様子が気になるのかい? だったら安心してくれて構わないよ。君がゴーレムを無力化させた時点で他のも停止させた」


 楽観的に、彼女を信じても良いのだろうか。俺を油断させる罠……では無いだろう。

 俺の絶望した表情を見たければ、今し方母を治す振りをして殺してしまえば良いのだから。

 その方が手早く済むし、何よりそちらの方が絶望が深い。

 彼女の言葉が真実であれ偽りであれ、俺はこの場から動けなかった。目を離した隙に彼女がどんな行動に出るか分からないからだ。

 彼女を止める手立てなど有りはしない。それでも俺は母を守りたい一心だけでこの場に留まった。


「……まさか私がこのまま対価無しで引き下がるなんて思ってないよね?」


 しかし、彼女が口にしたのはゴーレムの事では無く、取り付けた約束の方だった。まさか玩具(ゴーレム)への興味が失せているのだろうか。

 いや、要求次第ではそれに繋がってこないとは限らない。


「……何が望みだよ?」


「……それじゃ、今回復させた母親の命ってのはどうだい?」


 笑みの質は先程と変わっていないのに、それでも俺には底意地の悪いものに見えて仕方なかった。

 口は開けど、声が出ない。頭の中が空白になり、何と言えば良いのか分からなかった。

 その要求を撤回するのは難しいだろう。もう此方(こちら)の願いは叶えられてしまったのだ。

 大人しく従う訳にはいかない。従っては願った意味が無くなる。

 駆り立てる焦燥感が思考を乱す。何か、代案を言わねば。


「……俺の命を――」


「さっきと同じってのもつまらないものだと思うけど?」


 今度こそ、何も言えなくなってしまった。

 息が詰まり、あまりのストレスに眩暈(めまい)や動悸を覚え、自然と彼女から視線を外してしまう。

 すると、視界に母と化け物顔の村の人の顔が入った。

 二人とも、唇が上向きになり、頬が緩んでいる。しかし、先程の回復を喜ぶ朗らかな笑みとは違って、どこか卑しいのだ。明らかにニヤけてやがる。

 2人して呑気そうにしやがって。事情を知らないからそんな顔が出来るのである。

 確かに俺と彼女との距離は近い。あちらから顔を寄せてきて、馬鹿げた欲求を吹っ掛けられたせいで動けなかっただけだというのに。

 そもそも俺の顔は過度の緊張で真っ青に違いないというのに、どうして色恋沙汰に繋げる事が出来るのか。


「それじゃ、別の条件ってのを提示してあげようか?」


 そんな時に、彼女から思ってもみない声が掛かる。


「また誰かの命ってのは、つまらないよな?」


「おっと、(くぎ)を刺されたか。まぁ、そのつもりは無いんだけどね」


 緊張感が高まり、口の中に溜まっていた唾を飲み込む。そして、彼女はこう言った。


「人間の世界ってのを案内してくれ」


「は?」


 あまりにも拍子抜けな要求に、自分の耳を疑った。何度も頭の中で反芻し、確認してみてもその言葉は変わらない。

 何かの破壊でも侵略でも無い。ただの、案内?


「だから、人間の世界に興味が湧いたから紹介してくれないかって言ってるのさ」


「それなら俺じゃなく、土地勘のある奴に頼んだらどうだ?」


「私は、君に言っているんだ」


「あぁ、分かったよ。やればいいんだろ、やれば」


 何の意図があって俺に頼んできたのかは分からない。

 だが、この騒動は俺が彼女の提案を呑み込んだ事で終結を迎える事になる。


「寝床は君の部屋を借りていいかい?」


 彼女の言葉に、母たちから年甲斐もなく嬉しい悲鳴があがる。

 一難去ってまた一難。鎮静化したように見えて、波乱を起こした張本人は未だこの場に留まっているのだ。

 今日は何とかなったものの、明日以降にはどうなっている事やら。


 ……まぁ何にせよ、意想外な事に母の病気で憂慮する必要は無くなったのだった。


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