22
「グォ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛……」
大気が震えてしまいそうな、そんな鳴き声。初めて聞いた、グルタウロスの鳴き声だった。
それはとても、苦しむように、俺には聞こえた。
――そして、ヤツは実際に、頭部を両手で抱えこんで、苦しんでいるように見える。
ヤツには、『硬化』という魔法がある。
それはロングソードでさえも皮膚に届かせず、そしてルシルの魔法でさえも、ほとんど効かず。
あまつさえ、彼女の秘策らしきものまで、耐えきった。
もはや、鉄壁の防御と言っても過言ではないであろう、この魔法があったにも拘わらず。
俺は、たった一つの魔法で、その足を止めることに成功した。
とはいえ、成功させた本人としては、成し遂げた達成感に喜ぶよりも。いまだに心臓がバクバクと激しく鼓動しているのに、苦しんでいたのだが。
「やった……」
自然と口元がほころぶ。無理だと思っていた困難に、打ち勝ったのだ。嬉しくないはずがない。
解放感に似た快楽が、どっと心の中に押し寄せる。でも、こんなこと、二度とやろうとは思わない。
博打が好きな人は、こうしたスリル自体ではなく、そこに打ち勝った後の快感を求めているのかなぁ、と思ったが、いやはや、まだ戦闘中である。
緩みきった表情を、再び引き締め、ルシルたちの方へと近づいていく。
――やっぱり、この考えは当たっていた。
ヒントは、イメージということ。
俺はこの"三つ目"を今まで、"一つ目"、"二つ目"と同じ感覚で使っていたのだ。
だが、それがそもそも"三つ目"の前提条件とは、違っていたのである。
俺はやや強引に袖を捲りあげた方の腕を見る。そこには、"一つ目"と"二つ目"、そして"三つ目"の魔法陣が描かれている。
だが、"三つ目"だけは陣全体が歪み、もはや元の形が分からないようになっていた。
――俺が、手で擦ったのである。
そうすると、魔法陣として描かれていた幾何学模様は、意味をなくし、当然魔法的な意味も無くなってしまう。
一旦、この手法をリセットしたというわけだ。
ここまでは、準備段階。これからが、本題である。
まず、集中。残り少ない魔力をひねり出すようにして、掌に集めていくような、イメージ。
集まってきたところで、今度は召喚する対象――スライムをイメージする。ここまでは、いつもと同じだ。
スライムをイメージした後は、今度は座標位置を、イメージ。イメージにイメージを付加する感じ。
その座標に、スライムを置くように、呼び出すように。
そして、ここから更に、イメージを付加させる。それは、そう。"三つ目"の魔法陣だ。
"三つ目"の魔法陣を、召喚したい座標のところに頭の中で、描くのだ。そうすることで、召喚する位置を指定し、定める。
その手順を追ってから、魔法を発動させたというわけだ。
確証は、なかった。
が、一つ一つ手順を進めていくうちに、何だか出来るような気がしてきたのである。
結果、今は成功し召喚する位置――グルタウロスの目に、スライムは召喚された。
グルタウロスが、いくら頑丈な身体をしていて、攻撃も効きにくいとしても、目にスライムが張り付いたのだとしたら……不快感くらいは湧いてくるだろう。
「……っ。出力が足りなかったみたいね」
ルシルが、悔しそうな声で、そう呟く。ようやく、彼女らの拘束が解けたようだ。
「取りあえず、移動できるなら、移動しろよ。……でないと、そろそろ――」
俺が言いきる前に、グルタウロスは、手当たりしだいに腕を振り回し始めた。
腕を振り回しているところは、だいたいルシル達がいる付近。
一旦目の不快感は置いておいて、まずは脅威となりうるルシルたちを潰す気になったのだろう。
フィリーネさんに当たろうとしていた拳を、俺が代わりに盾で受ける。滑り込みセーフというヤツだ。
が、体勢が万全ではなく、完全に受け流すことには、失敗し、その拳の衝撃で、建物内に身体がめり込んでいく。
「……くぁ……ぁ」
声にならない悲鳴が口から洩れる。全身の骨までもが、ギシギシと悲鳴を上げていた。
だが、俺の身体が犠牲になったおかげで。
ルシルとフィリーネさんは、難なく足場を移動させる。そして、あの準備に取り掛かるようだった。
「待ってて、クレヴ! すぐに、あのデカ牛にお見舞いしてあげるから!」
彼女たちが再び魔法を発動させるために、少し時間を稼ぐ必要がある。
どうする?
もう手は残っていない。スライムにはもう危険だからということで、ここから離れさせる指示をしてしまった。
ヤツの視界も、大分回復してきているに、違いない。
盾越しではあったが、俺の身体から、ヤツの手が引いていく。それは、駄目だ。
何とか引き止めようとするが、力の差は歴然だ。
もはや、抵抗した意味もない。俺が掴もうとしていたグルタウロスの指が、するりと腕の中から抜けていく。
出しゃばってきた割に、随分と情けない活躍だ。弱いから、仕方ないという気持ちも、ある。
が、もっと上手くやれれば、もっと力があれば、とも思う。
目を見開く。そこには、若干曇りがかった空が広がっている。いつの間に、こんな雲が出てきたのだろう?
そして、そんな空の色に、茶色の異物が混ざり込む。グルタウロスだ。
今の自分がどういう角度に倒れているのか知らないが、ここからヤツの頭部の辺りが良く見える。
顔全体もこげ茶色の毛に覆われ、覆われていないところと言えば、目とか口とか鼻とか。後は、頭上に立派に生えている角くらいだろうか。
鼻の色は、なんか黒っぽい感じ。あ、目の色も茶色だ。そして、角は……黒光りしている。
配色としては見事に黒と茶色しかないといった感じだ。
今の俺には、こうして上から見える景色を眺めることしか出来ない。身体はどういうわけか、脳の命令を受け付けないし。
ヤツの顔は……こちらとは別の方向を向いている。
どうやら俺には、興味がない様子。まぁ、本命がいるから、当然といったところか。
にしても、ルシルは一体何を手間取っているのだろう。すぐにグルタウロスに見つかっちまうって。
――あぁ、神よ。願わくば、ルシルたちが間に合いますように、って俺は何を祈っているんだ。
神父でもあるまいに。
本当に、人間という奴は、なんて自分勝手な生き物なんだ。
普段は神に感謝もしてない癖に、こうして困った時には、神に祈りを捧げる。
もし神が本当に存在しているんだとしても、信教深くない奴なんかの願いなど、ヘソ曲げて叶えてくれはしないだろう。
そもそも、願い事を叶えるメリットが神に存在するのだろうか?
……といっても、神が人間と同じように考え、同じように思っているのか、分からないのだけど。
祈るために閉じていた目を、見開く。もはや、手を合わせることもせずに祈ったんだから、余計に駄目かもしれない。
そう思った時、空中で何かがキラリと光る。光る、といっても大きさで言えば夜空に浮かぶ星みたいに、とても小さいものだ。
神の御来光としては、あまりにもショボイ。だったら、なんだ?
目を凝らし、その光の行方を、見守る。すると光はほんの少しずつ大きさを増していき、そしてグルタウロスの目に、落ちた。
「グォ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛……」
あのデカブツが、また鳴いた。
目に落ちてきた光――ボロボロになったロングソードが、ヤツの目に、突き立っていたからだった。
油断していたのかは、分からない。まさか目にまで『硬化』をする必要は、無かったのだろうか?
「はは……」
愉快になって、思わず笑い声を出す。腹筋を使ったからか、笑う度に腹に痛みが襲ってくる。
でも、笑いを止められなかった。
やっぱり、神に祈っても無駄だったのだ。だって、人間が、やってくれたのだから。
苦しむ姿を見せるグルタウロスを余所に、ヤツは、赤く、そして青白い光に飲み込まれていく。
それが、俺がヤツを見た、最後の姿だった。
あの騒動から、もう一週間の時が過ぎた。
そして、俺の身体がようやく動くようになってきたのと同じ日に、国から派遣されてきた神父、シスターたちによって、大規模な葬儀が行われることとなった。
まぁ、例によって都市にしては田舎である、アスタールには教会が建てられていない。
よって、アスタールには神父たちがいないということで、こうした形を取ったのだろう。
「もう身体の方は、平気?」
広場に向かう参列者の列に並んで歩いていたところに、ルシルから背中にバシンと強烈な張り手をもらう。
「今ので、駄目になったかも」
「こんな時に冗談なんて、不謹慎だと思うけど?」
「そんな空気を感じさせないお前さんもどうかと思う……」
他の人に迷惑をかけない程度の小声で、ルシルと共に人の列に流されていく。
広場に辿り着くと、そこには普段よりも人で溢れれかえっていた。
どの人も皆、沈みきった表情をしており、中にはまだ涙を流している人もいた。
それも、仕方ないことだ。自分と関わりがあった人が、死んだのだから。
それも、目の前で碌なことも出来ず、望んでもいない見送りをした人も、いるかもしれない。
親しかった人が死んだ時、人は心の中で何かが欠けた気持ちになるという。
俺には、そんな経験がないから、分からない。寂しい、悲しいな、とは思うが、そこまでの喪失感はない。
どれほど辛いのだろうか。どれほど深い悲しみなのだろうか。考えはすれど、同情はすれど、理解することは出来ない。
人の感じたことを、同じように感じることは出来ない。出来たとしても、それは勝手な想像だけに過ぎない。
本当の意味で理解したことにならないのだ。
……と思うのは、俺の考え過ぎだろうか?
それすらも、分からない。相変わらず、分からないことだらけだ。
そんな人達から俺は、広場の中心部に視線を逸らす。
そこには、何かの鉱石で出来た、とても大きな置物が置かれているのが見える。軽く、人よりかは大きいだろう。
また、そこには、文字が彫られている。察するに、亡くなった人たちの名前かだろうか。
そして、その傍には、何やら木で出来た台が置かれ、その上に教会から来た者が数名並んでいるのが見える。
一人だけ、装飾品が立派だった。お偉いさんだろうか。遠いので、顔まで良く見えなかったが、しわが出ている辺り、40代くらいだろうか。
「集りになった方々、御静粛にお願いします」
そのお偉いさんが、口を開く。これから、葬儀が始まるようだ――
「――それで、あれから一体どうなったんだ?」
葬儀も終わり、ルシルが帰ろうとしていたところを、俺が引き留め、今はベンチに仲良く座って――いや、ギリッギリまで離れたベンチの端と端に座り、話を聞くことにした。
「あれから? 別にそんなこといいじゃない」
「お前が良くても、俺はそう思わないんだよ」
俺が不満げにそう言うと、渋々ルシルが口を開く。
「私とフィリーネが、あのデカイのを倒した。それだけよ」
「俺が知りたいのは、その後のことだよ。怪我で寝込んでいる時に、一度も見舞いに来てくれなかったルシルさん?」
村の人のほとんどは、お見舞いに顔を出してくれたものの、ルシルは一向に顔を見せてくれなかったのだ。ルシルの母親だって来ていたのに、だ。
あれからどうなったのか、魔法学校はしばらくの間、休止になるのでフィリーネさんには聞けないし、ダバルはどこに住んでいるかも知らない。
仮に知っていても、教えてくれる程、彼が優しいとは思えない。対抗心、バリバリ出していたし。
残るは、ルシルから聞き出すしか、方法は残されていないだろう。
「特に仲がいいってわけじゃないのに、わざわざクレヴの見舞いなんてする必要がある? むしろ普通に行ける村の奴らがおかしいって!」
「分かった。分かったから、教えてください。気になって仕方ないんだよ」
どんなに頼みこもうとも、ルシルはそっぽを向いて教えてくれない。
まぁ、彼女がこうして機嫌が悪いのも、全部レイオッド先生のせいだからだ。
ルシルが片思いしていたレイオッド先生。彼がこの騒動の犯人だと知って以来、こうして機嫌が悪いままだった。
まさか好きになった相手が、人間を改造し、人間の大量虐殺、そして苦戦を強いられたグルタウロスを放った張本人だとは思いもしなかったのだろう。
失望し、その憤慨した気持ちをどうしていいか分からずに、イライラしているので、こうなっている、といったところだろうか。
当のレイオッド先生は、そのまま姿を消して、行方知れずとなっている。一応、犯人扱いされているわけだし、逃げるというのは妥当な選択だろう。
そして街を暴れ回ったグルタウロスもまた、姿を消したらしい。
あの日、街に戻ってきた人の噂話によれば、一夜にして突然消えてしまったとか。
その噂話を信じるとすれば、レイオッド先生が戻喚魔法でも使ったのだろうか。
そういったこと諸々含めて知りたいというのに、彼女は首を決して縦には振らなかった。
ただ、唯一言葉にしたのは、
「……あの時、助けてくれてありがとう」
という、去り際に、小さめな声で言ってくれただけであった。
牧場の柵に腰をおろし、ぼんやりとしている間に、空の色が青から赤、そして黒へと変わっていた。
最近、夜風もだいぶ温くなってきた。
もう夏だからだろう。このペースで気温が上昇していくと、寝るのに苦労しそうである。
目を閉じると、ふと頭の中に彼の言葉が甦る。
『モンスターが安全に住めるようにするために、この街を滅ぼすことにした、ってことなります』
彼が、モンスターを好きだってことは、分かる。愛している、それも性的にも……というのも今は何とか飲み下せた。
が、それがどうして人を滅亡させるのに繋がるのか、理解出来なかった。
別に、モンスターを殺させるのを止めたいならば、『共存』の道を選べばいいんじゃないか、そう思った。
しかし、考えてみたところで、やはり『共存』の道も難しいことだろう。
多くの人は、モンスターのことを恐れている。やはり、その原因は魔法が使えること、が最大の理由なんだろうか。
モンスター側もモンスター側で、人が問答無用で襲ってくることもあるし、やはり考えるだけ、無駄なんだろうか。
「難しい……」
だから、俺は思考を放棄した。
モンスターとは相容れない、と真っ向から拒否するのもそうだが、先生みたいに、人の支配から脱するためにより強い力でそれを壊すというもの、やはり間違っていると思う。
が、その理由が、思いつかない。論理的に、先生が納得させるような答えが、思いつかない。
「そんなことは間違っているから」、なんていう感情論では、先生を納得させるまでには、いかないだろう。
そして何より、先生は今、ここにはいない。
彼はたぶん、これからも諦めず、どこかで活動しているだろう。やはり、そこでも人に被害が出るのだろうか?
結局、これは他人事。積極的に止めようとも、思わない。
止めたいな、と思っても、それを止めるために、動かない。
彼がいる場所だって分からない、止める力だって俺には無い。
この事件を通して、俺は成長した気ではいたが、やはり"その気"だけだったらしい。
ふぅ、と溜息をついて、目を開く。
「ただいま。ふぅ、退屈で死にそうとは、まさに"あそこ"のことをいうんだね」
目の前には、しんみりとしていた空気をぶち壊した、亜麻色の髪をした少女。
リアナという名で……自称、魔王の側近。
そういえば、彼女と馴染んでは来ていたが……彼女は本当にモンスターなのだろうか。
いや、でも。どう見ても、人にしか見えない。
「どうした? さっきから黙って見つめてきて……まさか惚れたのかい?」
「それはない」
「照れるな照れるな」
イタズラッ子のように、愉快に笑うリアナ。
『人間の世界ってのを案内してくれ』、確か会ったばかりに、こんなことを言われた気がする。
だが、彼女の目的は、本当にそんなことなのだろうか?
分からない。
――尊敬をしていた先生も、あんなことを考えていたじゃないか。
でも、リアナは、まだ何もしちゃいない。
――これから何かするかもしれない。
あの日――彼女と初めて出会った日に抱いた懐疑心が再び息を吹き返す。
前はあんなことを思っていたのに、いつの間にかこんなにも疑う気持ちが薄れてきたなんて。
なんでだろう?
信じていたから、だろうか。
にしては、薄っぺらい信頼、それも一方通行の信頼である。
散々、疑って疑って、それでもどこか信じていて。
本当に人というヤツは――自分勝手な生き物だ。
一応、シリアス終了です。
次からは新章突入、そしてあのグダグダとした空気に戻ると思います。
途中、『主人公悩み過ぎ』だとか『主人公掌を返し過ぎだろ』とか『アイツら色々とメンタルがおかしいだろ』とかいろいろ思うところがありましたでしょうが、
何とか飲み下していただけると、ありがたいです。




