第6話 訪れる危機
轟音と振動が、寝入ったばかりの意識を強引に覚醒させる。
「何なのぉ、もう……」
ベッドの上でのそりと身体を起こし、手元のパネルを操作して照明を点ける。轟音はもう収まったようだが、地鳴りのような不快な低音が地面を伝って響いているように感じられる。
地震だろうかと、少ない人生経験から判断しようとした久里寿の意識を遮るように、けたたましいサイレンの音が魔道都市全域に鳴り響いた。何がどうなっているのかはわからない。しかし『何か』が起きつつあることだけは、どうやら間違いなさそうだった。
ベッドから降り、とりあえずどうするべきかわからずに呆然と佇んだ彼女は、朝起きたらとりあえずそうするようにパジャマの下をズルリと引き下ろした。
刹那、体当たりするような痛々しい音と共に、入り口のドアが開かれる。
「クリス大丈――ゴメン!」
そしてすぐに閉じられた。
彼女は慌ててズボンを引き上げたが、すぐに思い直して再び脱ぎ捨てると、とりあえず目に付いた白い制服の袖に腕を通した。ボタンを留めるのももどかしいのか、髪の毛を手で撫でつけながらドアを開ける。
「誠治くん、何が起きたの?」
「あ、えっと……」
ドアの外で待っていた誠治は不自然に視線を逸らし、心なしか顔が赤い。とはいえ事態が急を要することを即座に思い出し、脳裏に焼き付いた映像を一時保存、ではなく保留して、やや強引に真剣な表情を作る。
「それが、わからないんだ。でもこの警報は確かに緊急避難用のものに間違いない。とりあえずマニュアルに従って、僕達魔法使いは専用シェルターに避難しないと」
「マニュアル?」
心当たりのない久里寿は、それらしい説明を受けただろうかと自らの記憶を探る。しかし思い出されるのは仲間達とのまったりした日常と保紫の授業ばかりで、こういった状況に対する助言や対策など全く記憶になかった。
「そっか。クリスはまだ正式な魔法使いじゃなかったんだよね」
彼の言うマニュアルは、魔法使いという存在を敵対勢力から守るためのマニュアルである。とはいえ、こんな状況で彼女だけ放っておくことなど、彼の選択肢にはない。
「……とりあえずIDカードは持ってきて」
「うんっ」
彼の判断に明らかな安堵の表情を浮かべた久里寿は部屋に引き返すと、昨日脱ぎ散らかした着替えのポケットからIDカードと、ついでに財布を回収して廊下に飛び出した。
「お待たせ。それで、どこに行くの?」
「地下に普段使われていない秘密のシェルターがある。まずはそこに行くよ。他の連中も向かってるハズだ」
「何だか秘密基地みたいだね」
誠治の背中を早足で追いかける久里寿の表情は、現実や事実が見えていないせいもあるのだろうが、いつもの屈託のない笑顔だった。対する誠治は、楽しんでいられる余裕などないと思っている一方で、この笑顔が歪んでしまわないようにと願ってもいる。
「とりあえずそこのエレベーターから――」
そう言いかけた彼の台詞を遮るようなタイミングで、景色の全てが暗転する。窓はあるが外壁と世界樹のせいで昼でも暗い環境である。照明が落ちれば自分の指すら数えるのは困難となる。二人は咄嗟に足を止め、しばらく推移を見守る。無意識に伸ばされた久里寿の右手が誠治の上着の裾を掴み、二人の距離を自然に縮めた。状況が違っていたなら、良い雰囲気にすらなれていたかもしれないほどの距離感である。
そんな二人の腕が完全に密着する一秒前に、周囲の景色が非常灯の点灯によって赤一色に染まる。
「……外部電源が切られた、のかな?」
「ねぇ、大丈夫なの?」
何とか冷静さを保って現状把握に努めようとする誠治の呟きを、明確な変化を感じ取った久里寿が不安そうな質問で重ねる。
「とりあえず平気だよ。魔道都市には自家発電施設もあるし、セキュリティが全部ダウンすることはないと思う。だけど――」
表情を引き締め、続ける。
「エレベーターを使うのはやめとこう。緊急用の非常階段で向かうことにする」
久里寿の頷きを確認し、歩くペースを速めて真紅の廊下を突き進む。
何かが起こっていることは間違いない。しかし実際に何が起きているのかは、何一つわからなかった。しかし一つだけハッキリと言えるのは、大したことではないと高をくくっていつも通りの睡眠を続行する気になれないということだ。
身体の奥が、あるいは頭の中心が、彼らにとって都合の悪い変化が起こりつつあるという警鐘を激しく打ち鳴らしている。周囲に未だ大きな変化が見られないことが、かえって二人の焦りを煽り立てているようにも思えた。
階段を無言のまま下りていくその表情は、自然と厳しいものへと凝り固まっていくのだった。
「どうなってる?」
赤色灯に染められた廊下と違い、その部屋には普通に照明が灯っていた。魔法使いの面々はすでに全員が集合しており、誠治と久里寿の二人が最も遅れて到着したことになる。その誠治が、部屋に入るなり椅子に座り込んで呆然と天井を眺めているだけの面々と壁一面を覆っているモニター郡を見回して簡潔な質問を飛ばした。
「……正直、よくわからん」
しばしの間――五秒ほどの沈黙の後、リーダーが緩慢な仕草で首を巡らせながら応じる。
「わからないって、監視カメラには何か映ってないのか?」
魔道都市の住人あるいは従業員は、数という意味で言うなら極めて小規模の集団である。しかもそのほとんどは研究員と雑務をこなす用務員によって占められており、警備員などは門番程度の役割を担う数人がいる程度である。その代わりというべきなのか、侵入者を発見撃退するためのセキュリティシステムにはかなりの投資がなされており、その種類は二十種を超えている。監視カメラだけでも五十台以上が設置されており、防壁や警報は言うに及ばず、神経ガスやレーザー兵器まで使用可能な状態にある。例え外壁を何らかの手段で乗り越えられたとしても、簡単に研究所への侵入が行えない程度の備えはしてあるハズだった。
「どうやら映らないように行動しているみたいよ。監視カメラを見付け次第片っ端から――ほら、また壊された」
さすがに状況が状況であるせいか、いつものフワフワした雰囲気が見られない桃香が、赤から黒へと表示を変えるモニターを指差しながら告げる。その口元には何故か、不敵な笑みが浮かんでいた。
「……ひょっとして、この暗い画面は――」
「そう、全部侵入者が破壊した跡よ」
五十近くあるモニターのすでに三分の一が暗転している。仮にそれが侵入の痕跡であるとするなら、研究所のかなり深部にまで到達していることになる。
「一体誰が……」
これまでにもフリーライターを名乗る怪しげな雑誌記者や興味本位のマニア連中が無断で侵入してきたケースは幾度かある。しかしそのいずれもが厚すぎるセキュリティ網を目前にしただけで萎縮し諦めていった。もっと言えば、全方位を分厚いコンクリート壁に囲まれた敷地内に侵入することなくUターンした者が大半である。それが今、外壁どころか内部にまで侵攻を許している。この研究所を守るセキュリティが伊達でないことを最もよく知る彼らだけに、その驚きは一層強かった。
だが、桃香だけは驚いているというよりも、この状況を楽しんでいるようにすら見える。
「誰というのは正確じゃないわね。侵入者は一人や二人じゃないわ。明らかに統率された組織として動いている。しかも極めて慎重で迅速、かつウチの外壁とセキュリティを突破できるだけの武力を備えた連中、ということになるのでしょうね」
「そんなのまるで――」
言いかけて、誠治は躊躇う。それは子供が相対するには、あまりにも大き過ぎる相手だったからだ。
「多分、軍隊でしょうね」
畏怖すべき回答を、桃香はいともアッサリと口にする。
「ぐ、軍隊っ?」
それまで邪魔にならないようにも口を閉じていた久里寿が、思わず声を上げる。つい先日まで普通に学校へ通っていた彼女が軍隊の襲撃を受けるなど、想像力豊かな世代であったとしても難しい状況であろう。
しかし、彼らのそんな心情を嘲笑うように、更に二つのモニターがほぼ同時に暗転する。相変わらず、それ以外の画面に大きな変化は見られない。時折影の一部や何かの破片のような物、あるいは空気の揺らぎと思われる程度の変化が見られることがある程度だ。人物の特定どころか、どんな格好をした武装集団であるのかすら判然としない。よほどモニターに映ることを警戒しながら行動していることは明白だった。
「……にしても、妙じゃないか?」
呆然とした眼差しで見るでもなくモニターを眺めていた火山が、ふと気付いたように声を発する。
「妙って、何か?」
この場で積極的に動く気配を発しているのは、誠治だけだ。
「侵入者が映っていないのはともかく、どうして所長や研究員の姿もないんだ? 所内にいないのか?」
「いや、いるよ」
その疑問に答えたのは、目を閉じたまま瞑想しているように見える大地だった。
「いるってどこに?」
「大半はもう捕まってる。つまり暗くなったモニターの向こうにさ。連中、どうやら研究棟の方から侵入したらしい。僕らがこうして全員集まっていられるのは、そのためだろうね」
「なるほど。で、所長は?」
「今探してるよ」
火山に顔だけを向けてそう言い放ち、更に集中を深める。
「相変わらず便利な魔法だよねぇ」
状況の割にはのんびりと、久里寿が呟きを漏らす。
彼の魔法を初めて目の当たりにしたのは、食堂で財布がなくなっていたことに気付いた時だった。自室のベッドに置き忘れていた財布を、ものの数分で探し当ててくれたのである。ちなみに、この能力を使っていたら着替えが覗かれていたかもしれないという事実に気付いたのは、今から五年後の話となる。
「……くそ、見付からない」
当たりの付けやすい久里寿の財布程度ならともかく、大小合わせて三十近い部屋を有する研究棟から人一人を探すのは容易なことではない。ましてこの部屋のように照明がまともな状態で生きている場所は限られている。薄暗い非常灯の中では、仮に直接見通せるような状況であっても個人の特定は困難であろう。
「三階の第三研究室か、その準備室を当たってみなさい」
額に手を当てて少しばかり何やら悩むような素振りを見せた桃香が、予知能力を用いた成果なのかピンポイントの助言を口にする。
「居たっ。けど……」
助言に従いその姿を見付けて顔を上げる大地だったが、その口はすぐに言葉を失った。とはいえ言葉にするまでもない。この時点で三階に居るということは、すでに隙を見て脱出する機会を逸しているということである。
セキュリティに対する過信か、あるいは侵入してきた勢力への過小評価か、いずれにしても何らかの失策が背後にあることは間違いない。
「マズいよ。所長達、身動きが取れていない。見付かるのは時間の問題だ」
「……他に誰でもいい。研究員でも講師でも、こっちに向かっている大人は誰もいないのか?」
火山の切羽詰った物言いに、大地が力なく首を横に振る。
「この時間にこっちにいるのは、僕達だけだよ」
この魔道研究所は大きく分けて二つの建物に分かれている。一つは問題となっている研究棟、もう一つが彼ら魔法使いのために使用されている教育棟である。彼ら以外は研究員事務員含めて別棟の宿舎を居住スペースに充てており、研究棟で寝泊りしている一部研究員を含め、この時間帯に教育棟へと出入りしている大人は限られている。先述の通り警備員も少なく、無人のセキュリティシステムをメインに据えていることも、この場合は不利に働いたと言えるだろう。
むろん、研究棟にもここのような緊急避難場所が用意されており、もしそこに誰かが到着していたなら連携も期待できるところなのだが、今のところ連絡は入っていない。すでに研究棟のほとんどを抑えられているという現状から考察すれば、そこへ至る余裕すらなかったということなのかもしれない。
「くそっ!」
火山は吐き捨てられた罵りと共に、苛立ちを暗転したままのモニターに叩き付ける。
「オレ達だけでどうしろってんだよ!」
「……とりあえず、所長を助けに行かないと」
何が起きているのか正確にはわからない。現状でわかっているのは、所長の居場所とこのまま放っておけば確実に捕まってしまうということだけである。
「無茶だよっ!」
大地がヒステリックに叫ぶ。
「相手は銃を持ってるんだよ。遊びじゃない。僕達は襲われているんだ。ここに隠れていたって安全じゃないのに、自分からのこのこ出て行くだなんて、そんなの馬鹿がやることだよっ」
「じゃあ、このまま見て見ぬフリするのか?」
対する誠治は冷静だ。いや、冷酷と言うべきかもしれない。彼は今、この事態に動こうとしない仲間達に、強い不信を抱いていた。否、それはつい今し方発生した不信感とは言えないかもしれない。彼も薄々は感じていたのだ。自分と他の魔法使い達との間にある、奇妙な距離感のようなものを。それが今、こうして目に見える形を成し始めたというだけのことだ。
「……わかったよ。一人で行く」
「ちょ、ちょっと!」
踵を返す誠治の態度に慌てた素振りを見せたのは、付き合いの最も薄い久里寿だけだった。難しい顔をして俯いている火山、隅の椅子に座って無言のままガタガタと震えている雷人、コンソールに肘を付いてモニターを見るでもなく眺めている桃香、そして目を閉じたまま瞑想を続けている大地、二人を除く全員の意識がこの部屋からの退室を拒絶していた。それは単純な恐怖というよりも、どこか諦観染みた雰囲気を漂わせている。
「ねぇちょっと、止めなくていいの? 危険なんでしょ? 一人でなんて危ないよっ」
「大丈夫、魔法で何とかする」
吐き捨てるように言い放ち、誠治は単身入ってきたドアから駆け出していく。それでも動こうとしないどころか、視線すら向けようとしない面々に苛立ちを感じて、久里寿も決意を固めた。
「待ってよっ。私も行く!」
慌てて身を翻し、足をもつれさせながら何とかドアの向こう側へと踊り出す。二人分の足音はすぐに聞こえなくなり、気味の悪い静寂が戻ってくる。モニターには相変わらず人の姿がなく、赤と黒の比率だけが時間と共に変化していく。
「……あのバカ、無茶しすぎだろ」
それが何に対しての感情であるのか今一つ不明瞭ながら、大地は悔しそうな呟きを漏らす。
「真白くんはともかく、あのコは死ぬかもしれないわね」
「縁起でもないこと抜かすなっ!」
桃香の不吉な発言に、火山が素早く反応する。
「それともまさか、予言なんて言わないだろうな?」
「そう思う?」
「思いたくないね!」
切羽詰ったように見える火山とは対照的に、桃香はどこか、この鬼気迫る状況を楽しんでいるようにすら見えた。あるいは、すでに結末から事の真相まで見えているのではないかなどと、勘繰りたくなるほどである。
「……ここは日本だ。どこぞの紛争地帯じゃない。大体、どんな武力集団が退去して押し寄せてるって言うんだよ。戦争をするための団体なんて、この国にはないぞ」
「何も知らないのね」
火山の弁に、桃香は嗤う。
「自衛隊は立派な軍隊だし、アメリカ軍も正規の軍隊を駐留させているわ。それらは日本で遊んでいるワケじゃないのよ?」
「そのくらい知ってるっ。でも、そんなのがオレ達に攻撃する理由なんてあんのかよっ」
「……あるわ」
桃香の表情から笑顔が消えた。
「あるって――おいっ、何を知ってる!」
それまで一歩も、誠治が出て行く時ですら動かなかった火山が、焦りと怒りを伴って桃香に詰め寄る。いつもはフワフワと、どこか浮世離れしているように見える桃香だが、この時はどっしりと、あえて正面から受け止めた。
「そうね、一つだけ教えてあげるわ。アイツ――黒山という男はね、私達で培った『魔法』という技術を、アメリカの軍需産業や中国政府に売りつけようとしていたのよ」
「なん……だって?」
火山ばかりではない、ただ黙って聞いていた他の二人も同時に息を呑む。
「だから多分、政府か役人か、それとも自衛隊内部の誰かかもしれないけど、そういった動きを止めるための強硬手段に出たんでしょうね。私達としては、慌てるどころか歓迎すべき事態でしょ。どちらかと言えば、救出される側の人間なんだし」
ここで待つことに決めた以上、誰もが無用な抵抗をする意志など皆無ではあったが、見付かるという状況を歓迎するか否かというのは、心持だけを見ても百八十度違ってくる。ここにきてようやく、彼女が妙に落ち着いて見える理由が、火山を始めとする三人は理解できたような気がした。
とはいえもちろん、得体の知れない連中に見付かることに恐怖が伴わないという道理もない。
「でも、もしもそうじゃなかったら?」
片方だけ開いた眼差しで射抜くように見詰めながら、大地は疑問を口にする。その反抗的、攻撃的な態度に桃香は気分を害することなく、むしろ笑顔すら浮かべて応じた。
「そう思うなら、連中の顔ぶれを探ってみたら? 多分、研究員か講師の誰かが、彼らに協力しているハズよ。これだけ効率の良い襲撃が、内部の人間の協力もなしにできるほど簡単なことでないことくらい、もう子供じゃない貴方にはわかるでしょ?」
つまり、裏切り者がいると彼女は言っているのだ。
そして彼女の思惑通り、言葉通り、その姿は自衛隊幹部の間近で発見された。
彼の名は保紫進平、現在久里寿の講師をしている男である。




