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第5話 予感

「ねぇねぇ!」

 中庭へと走り出た久里寿は、魔道都市の象徴である世界樹の根元に腰を下ろす少年の下へと一気に近付く。うつらうつらと小さく舟を漕いでいた少年――いつもの場所に陣取っている誠治は、その声に目を覚まして顔を向ける。

 刹那、至近距離で視線がぶつかった。

「うおわっ!」

 慌てて転がるように距離を取る。

「あ、何で逃げるのっ?」

「いやっ、ビックリしたんだって!」

 取り繕うように元の位置に座り直した。

「……まぁいいや。そんなことより聞いてよ。私、とうとう目覚めちゃったかも」

「目覚めた?」

 小首を傾げ、誠治が聞き返す。

「何かね、予感がするの。予知能力ってヤツ? 何ていうかさ、こう何かが起こりそうな空気感が伝わってくるんだよね」

「あぁ……確かに皆どこかピリピリしてるよね」

「でしょ! って、アレ?」

 あんぐりと、久里寿は間の抜けた顔を晒す。

「どうかした?」

「ピリピリしてる?」

「うん、そう思うけど」

「……そっか」

 肩が落ちる。さりげなく凹んだ。

「所長が帰ってきてからだよね。何かあったのかな」

 一方の誠治は、彼女の落胆よりも周囲の雰囲気の方が気になるようである。とはいえ実際、昨日出張から戻ってからの魔道都市の雰囲気は、彼女が何やら知覚系の魔法に目覚めたのではないかと思えるほどに張り詰めていた。何かあると思えない方が、人として問題のあるレベルである。

「……誠治くんってさ、何歳の時から魔法が使えたの?」

 多少の妬みもありはしたが、素直な疑問でもあった。彼女にとって、魔法使いというのは理想の存在そのものなのである。

「えーと、五歳か六歳の時かなぁ。ゴメン、ハッキリとは憶えてないんだ」

「それってやっぱり、唯一の魔女直伝?」

 少し遠慮がちに出される質問に、誠治は首を横に振る。

「ううん、母さんのことは何も覚えてないんだよ。まだ小さい頃に死んじゃったから。僕が知っている母さんは、写真と記録映像の中だけだよ」

「そう、なんだ……」

 誠治は恵まれていると、久里寿は思っていた。自分だって魔女に教えを受ければ魔法が使えるようになると、そう思いたかった。しかし現実は、彼との差を認めさせられるばかりである。

「もし今、母さんが生きていたら、僕の実力を見てがっかりするんじゃないかな」

「え?」

「厳しい人だって話だから」

 世間一般の唯一の魔女の印象は、凛々しい聖女というものである。

「でもでも、あれだけ見事な幻術を使えるんだもん。誉めてくれるでしょ」

 フォローというより、彼より下に位置する人間の悲痛な叫びである。

「僕のあれは、正確には幻術じゃないんだよ。僕が未熟だから、結果としてそうなってるだけでね。本当は具現化しようとしているんだ」

「具現化……」

 呟きながら、あぁそうかと彼女は思い当たる。唯一の魔女は、何もない空間に物を作り出し、それを使って魔物を屠っていた。その大半は剣や槍といった武器だったが、時には竜巻や雷すら作ることができたと聞いている。

 彼女がそうであるように、彼もまた唯一の魔女の背中を追いかけているのだ。それも、彼女よりずっと前方で。

「……きっとさ、今の誠治くんを見たら喜んでくれると思うよ。実の息子が頑張ってるんだし、それに唯一の魔女って厳しいだけの人じゃないと思う。ツンデレだって聞いたし」

 急に俗物感が増した印象である。

「ツンデレって……誰に聞いたの?」

「オジさんが言ってた」

「オジさんって、どこの?」

「どこのって、私のだよ」

 一瞬何のことなのかわからない顔をしたものの、それが叔父を意味するものだと気付いて口を丸くする。

「あぁ、オジさんって叔父さんのことか。僕は家族っていうと母さんしかいなかったから、そういうのピンとこなかったよ」

 唯一の魔女にまつわる逸話は数多く存在するが、その神秘性を示すエピソードとして伝わっているものの一つに『処女懐胎』がある。大袈裟な噂や根も葉もない作り話も多い中にあって、これは公式に記録の残っている珍しい事実である。すなわち誠治の父親は『わからない』のではなく『居ない』のである。

「オジさんは唯一の魔女のファンだったからねぇ。色々な話を聞いたよ。まぁ、もう五年くらい前に聞いた話だから、もう半分以上は忘れているけど」

「そうなんだ。機会があれば色々と聞いてみたいな。母さんのことを詳しく知ってる人って、この魔道都市でも少なくなったから」

 敬愛している母親の話を期待してか、誠治の頬が緩む。しかし対する久里寿の表情は、どこか申し訳なさそうに歪んだ。

「……ゴメン。オジさん、もういないの。事故で死んじゃったから」

「え、そうなんだ。えっと……僕の方こそゴメン」

「いいのいいの。結構好きだったから当時は凹んだけど、今はもう何でもないし。でもそういえば――」

 久しぶりに思い出す懐かしい顔を頭に思い描きながら、目の前でキョトンとしている少年へと視線を走らせる。

「そういえば?」

「あ、ううん、何でもない」

 彼女にとっては嬉しい偶然だが、彼にとってはあまり意味のない偶然だろうと判断し、漏れかけた言葉を慌てて呑み込む。故人と似ていると言われるのは、その対象に憧れでも抱いているのでない限りは微妙だろう。

 ちなみに彼女は唯一の魔女に何となく似ていると言われることが度々ある。魔法使いになれると信じられる数少ない根拠の一つである。

「あ、そーだ。誠治くん、お昼まだでしょ?」

「うん、これからだよ」

「ならさ、お昼食べながらオジさんから聞いた話、教えてあげる」

「ホント? よし、すぐ行こう。今行こう」

 素直な笑顔が交錯する。

 緊張感が周囲を覆い、何かが起こる予感を漂わせながらも、まだこの時はいつもの二人だった。しかしそれは、後になって思えば、目の前にある不愉快な感覚から目を逸らそうとしていただけなのかもしれない。

 並んで食堂へと向かう二人の足取りは、決して軽いものではなかった。


 真白天音という魔女が初めて世の人々に認知されたのは、今からおよそ二十年ほど昔の話である。UFOの目撃情報しか話題に上らない羽咋という土地で、空を飛ぶ少女の姿が偶然撮影されたことを皮切りにしている。後にそれは本当に飛んでいたのではなく、高い跳躍力の為せる業であることが判明したワケだが、いずれにしても彼女という存在が胡散臭いとはいえ公的な紙面の片隅に掲載されたことは事実である。

 以降、約三年に渡って羽咋市を中心とした各所で目撃され、奇妙な生き物と戦闘を行う姿が撮影すらされている。当初世間は、悪意ある作り話、あるいは商業作品の撮影ではないかと疑っていたが、時間が経つにつれてそれらが目の前に転がる事実であると認識せざるを得なくなり、一年が経過する頃には組織だって魔物を退治するようになっていた。これより二年ほど、研究所に姿を隠して情報の隠蔽が図られるようになるまでの間、彼女の姿は特に画像や映像を通じて人々の耳目に晒されることとなる。

 彼女の年齢は公的には不明とされているが、その見た目は成人していない女性のものであり、有志(というか熱狂的なファン)によって記された『唯一の魔女大全』によれば永遠の十七歳であるらしい。長く美しい漆黒の髪と同色の瞳を有する彼女は、普段は極普通の日本人と変わりはない。しかしいざ戦闘が始まれば、普段着の上から半透明の羽衣のような防具を纏い、輝く槍と盾を両手に備えて敵を討つ。髪と瞳は白銀のような光沢のある色彩へと変化を遂げ、その跳躍力と腕力は人のそれを軽々と凌駕してみせる。雷を操り、紅蓮の炎を湧き上がらせ、煌く氷刃を降らせる。彼女の周りに奇跡はなく、それらが至極当たり前のこととして発生した。

 そんな現実感のない彼女が少女としての自分を見失わない最後の砦としていたのが、頭の右側にいつも結わえられていた群青色の大きなリボンであったと伝えられている。もっともこれは、ファンが妄想から勝手に付け加えた注釈でしかなく、実際には子供の頃からの習慣に過ぎなかったというのが実情だ。ちなみに戦闘形態へと移行する際、普段着の上から羽衣を装着するスタイルであることを、一度裸を晒してから装着すべきという『魔法少女原理主義派』と、より現実的な形であるためこのままで良いという『進化魔法少女主義派』による論争が巻き起こったりしたものだが、実にどうでも良い話である。

 かように、見た目の特徴から好みの食べ物まで、実に細かく分析や調査の進んでいる人物に思えるが、実際には不明のまま進展しなかった項目が数多く存在する。特に彼女の過去、幼少時代の経歴は全てが厚いベールに包まれており、どこでどのように生まれ育ったのか、いつどんな形で魔法という力を得たのか、肝心とも言える部分は大半が白紙の状態に近い。

 そういった事情もあり、かつ羽咋という土地柄も付加されて、彼女は宇宙人か、あるいはそれらによって作られた人工生命体ではないかという憶測が流れ飛んだこともある。結局それらの疑惑は彼女の死後、遺伝子的に人間であるという公式発表によって否定されることとなったワケだが、今尚彼女と宇宙人やUFOとの関連性を疑う風潮は根強く残っている。政府や警察、自衛隊といった組織まで動いているという未確認情報すら流布しているほどである。

「まぁ叔父さんが言うには、別の意味で宇宙人っぽい感じだったらしいけどね。例の魔女さんは」

 食堂で昼食を突きながら、現場で合流した三人の魔法使い達を交えての『唯一の魔女談義』が行われていた。その中心にいるのは言うまでもなく久里寿である。

「う、宇宙人っぽいって、どど、どの辺りが?」

 食後のハンバーガーを頬張りながら、落ち着きなく視線を泳がせて雷人が問う。彼にとっての魔女は、憧れるというより畏怖する存在のようである。

「考え方が人間離れしてるって言ってたよ。破天荒っていうのか、良い意味で突飛なんだって。まぁウチの叔父さんも周りからは変わり者って言われてたから、どのくらいアテになる発言なのかわからないけどね」

「それにしても、随分と『唯一の魔女』に詳しかったんだな、アイのオジさんとやらは」

 皆のリーダーことアカさん――紅藤火山が感心したような、同時に少し呆れるような口ぶりで言い放つ。唯一の魔女の熱狂的な信者というのは、その大半がオタクめいた引き篭もりであるというイメージが世間的には強い。火山もまた、そう考える者の一人であったということだろう。

 ちなみに彼が久里寿を『アイ』と呼ぶのは、ここ数日に至ってからのことである。その理由を直接聞いてみたところ、そろそろ仲間として正式に認めるべきところだろうから、色の割り当てをすべきだろうという極めて身勝手な理屈によるものだった。彼女の苗字に色を示す漢字が使われていなかったどうするつもりだったのか、それは誰にもわからない。

「僕が知らないことも多いね。マスコミの情報は一通り調べたし、自分では結構詳しいつもりでいたんだけどな」

 赤いリーダーに追随するように、大地が口をへの字に曲げる。彼もまた唯一の魔女に憧れ、それを目標としてここへ至った人物の一人だ。まだ魔法の一つも使えないド新人に、知識の上とはいえ遅れをとるというのは、彼としてはあまり嬉しくない事実だったのだろう。

「どの程度の知り合いだったのかはわからないけど、直接の面識があったのは事実だったらしいんだ。まぁ、群がってくるファンの一人だったんだろうなと思ってるけどね」

 久里寿の言う通り、唯一の魔女に複数の協力者がおり、ある程度の組織として成立していたことは一般的にも認知されている。ただ彼らの活動が地味であったためか、それとも彼女という存在があまりにも輝きを放ちすぎていたためか、その取り巻きに注目が集まることはまずなかった。特に彼女がこの魔道研究所に囲われてからの彼らがどうなったのかに関しては、資料らしい資料さえ残ってはいない。象徴を失ってバラバラになり、人目を忍ぶようにひっそりと生きているのではないかとか、研究所に引き抜かれて今でも魔道研究に従事しているのではないかなどという程度の憶測が成立する程度だ。一説には、国の機関に囲われた彼女の秘密を知りすぎた彼らは、極秘裏に始末されたのではないかなどという話も噂レベルでは存在するが、いずれにしても現在、彼女の取り巻きであったと自認する人物の台頭は見られない。

「……不思議な縁だよね」

「えん?」

 誠治の穏やかな眼差しに、久里寿は小首を傾げる。

「だってそうじゃないか。互いの縁者同士が知り合いで、それが時を経て偶然こうして同じテーブルを囲んでお昼ご飯を食べている。何と言うかさ、不思議な感じだよ」

「あーなるほど、そういう風に考えるんだ」

「クリスはそう思わないの?」

「私は何ていうのかな……ここに居る人達って大体そういうものだと思ってたんだけど、唯一の魔女に憧れたり目標にしたりっていう人達の集まりだって思ってたから、むしろこうして集まるのは当然なんじゃないかって思ってた」

「そっか。うん、そうかもしれない」

 誠治は大きく頷く。

「……あ、あの、ボクそろそろ部屋に戻っても、い、いいかな?」

「授業なら今日は休講だろ?」

「あ、うん、えっと、あんまり気分、よ、良くなくて……」

 火山の指摘に呟くほどの声でそう応じるなり、雷人は立ち上がる。彼は周囲に気を配るようなおどおどとした態度のまま、フラフラとおぼつかない足取りで食堂を後にした。気分が悪いというのは、まんざら言い訳というワケでもないのかもしれない。

「気分が悪いなら、食後にハンバーガーを二個食う前に戻ればいいだろうに」

 その丸い背中を見送ってから、大地が渋い顔で悪態をつく。久里寿は気の毒そうに眉根を寄せたが、その言葉が彼なりの優しさであると知っている火山と誠治は、口元に微かな笑みを浮かべるに止めた。

「まぁ気持ちはわからんでもないけどな。所長が戻ってからこっち、何だかピリピリとした空気が張り詰めてる。何かあったにしても、あんな露骨に不機嫌を振り撒いていたら、そりゃ雰囲気も悪くなるだろ」

 火山は一見すると何も考えていない体育会系のお馬鹿に見られることも多いが、周囲の環境には人一倍敏感である。この魔道都市にあって、魔法使い達のリーダーであるという自覚(誰も正式には決めていない)があるからだろう。

「そういえば、モモの姿も朝から見てないね」

「モモなら集中したいとかって理由で部屋に閉じ篭っているよ」

 誠治の思い付きに、午前中私用で訪れた大地が簡潔に答える。

「食堂にも、何だか活気がないよね。お昼時なのに」

 久里寿の呟きに、周囲も頷く。

 いつもなら彼らばかりでなく従業員や研究員といった面々で賑わう食堂が、その日は人の姿もまばらであり、それどころか薄暗くすら感じられる有様である。ここの実権を握っているのが所長であることは事実であったとしても、この変わりようは異質であろう。何かが起きるのではないか、そう思わせるには十分すぎた。

「まぁとにかく、理由のよくわからんことでビクビクしてても仕方ないさ。所長の機嫌なんて明日には戻ってるかもしれないし、何かあるにしてもモモが察知してくれるだろ。慌てるのはそれからでも遅くない」

「まぁ確かに、ここで僕らが暗くなったところで意味はないよね」

 リーダーの珍しくもまともな弁に、誠治が同意する。

「なら、せっかくこうして一斉に休講なんだし、久しぶりにゲーム大会でもする?」

「あ、それいいっ。大地くん冴えてる」

 久里寿の賛同で、午後からの予定はアッサリと決定した。

 しかし、暗雲が垂れ込めるだけで通り過ぎることは稀である。太陽を覆い隠した後には雨が降り、時に災害を巻き起こすものだ。

 雰囲気に対抗するように熱狂したゲーム大会が終わり、それぞれが普段より二時間ほど遅れてベッドに潜り込んでから一時間後、丑三つ時と呼べる頃合を見計らったように、彼らは叩き起こされることになる。


 大きな聞き慣れない音――爆音によって。


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