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第7話 緊急手術の準備。 ―紳士の誇りと謎のチューブ―

前回、医師から突然の死亡宣告を受けた私。


「このままだと死にます」


……。


もう少し優しい言い方はなかったのでしょうか。


そして、ついに緊急手術の準備が始まります。


しかし、私はプロの営業マン。


どんな状況でも紳士としての振る舞いを忘れません。


スーツにネクタイ。


常に冷静沈着。


キリッ。


……。


ところが。


病院という場所は、男の威厳を容赦なく奪っていくところだったのです。


果たして私は、最後まで紳士でいられるのでしょうか。


……何だか、命とは別の危機が迫っている気がします。

人生には、突然立場が変わる瞬間がある。


お客様だった人が、契約者になる。


平社員だった人が、管理職になる。


そして。


普通に歩いていた男が、突然歩行禁止になる。


……。


何とも不思議な話である。


今回は、緊急手術の準備が始まったときのお話。


さて。


前回、私は医師から衝撃的な言葉を告げられた。


「このままだと死にます」


……。


…………。


実に簡潔である。


余計な説明など一切ない。


非常に分かりやすい。


……。


いや、もう少し心の準備をさせてくれえええ!!!


さらに医師は続けた。


「今から緊急手術をします。一刻を争います」


「家族に連絡してください」


そして。


「一歩も歩いてはいけません」


……。


…………。


一歩も?


つい先ほどまで、普通に歩いていたのである。


いや、それどころではない。


今朝は会社に出勤した。


クレーム処理をした。


図面も更新した。


契約準備まで済ませた。


そして、愛車を自分で運転して病院へ来た。


病院の入口までは、発作が起きないようにゆっくり歩いた。


しかし、突然。


歩行禁止。


……。


だったら、もっと早く言ってくれよ!!!


いや、無理な話である。


医師に診てもらったのは、たった今なのだから。


さて。


そうして私のもとへ、新しい相棒がやって来た。


車いすである。


……。


何ということでしょう。


つい数時間前まで、愛車の運転席に座っていた男。


今度は車いすに座っている。


まさか一日のうちに、これほど乗り物が変わるとは思わなかった。


もっとも、両者には重大な違いがある。


愛車は自分で運転する。


車いすは人に押してもらう。


……。


運転権限、没収。


私の人生において、なかなか珍しい出来事だった。


ちなみに、車いすに乗ったからといって、身体の調子が悪くなったわけではない。


痛みはない。


息苦しさもない。


本人としては、普通なのである。


しかし、医師は歩くなと言う。


……。


分かりました。


歩きません。


命がかかっていると言われれば、さすがの私も従います。


……。


…………。


さすがの私も、じゃねえだろ!!!


さて。


車いすという新しい相棒を手に入れた私は、引き続き検査を受けることになった。


何の検査を、どの順番で受けたのか。


正確には覚えていない。


何しろ、突然死ぬと言われた直後である。


私の頭の中も、なかなか忙しかった。


ただ、これだけは覚えている。


とにかく、もう歩かせてもらえない。


移動するには車いす。


そして、看護師さんたちが対応してくれる。


何とも手厚い待遇である。


……。


VIP待遇、第二章の開幕である。


いや、喜んでいる場合ではない。


本当に危険な状態だったのだろう。


ただ、本人には痛みがない。


だから、どうにも実感が湧かないのである。


さて。


検査の合間に、家族へ連絡することになった。


医師から言われていた。


「家族に連絡してください」


私は、妻と両親の電話番号を看護師さんに伝えた。


何しろ、緊急手術である。


家族にも事情を知らせる必要があるらしい。


……。


それにしても。


つい数時間前には、店長に、


「当たりだったら当分来ませんので、あとはよろしく!」


などと言っていた。


それが今では、家族への連絡先を病院に伝えている。


……。


本当に当たっちまったじゃねえか!!!


いや。


宝くじではない。


当たって嬉しいものでもない。


むしろ、大外れと言うべきかもしれない。


さて。


そうこうしているうちに、検査も進んでいった。


そして、ここで一つ、私自身の姿について触れておきたい。


実は、このときの私は。


まだスーツ姿だったのである。


……。


…………。


そう。


スーツ。


営業マンの正装である。


朝、いつもどおり会社へ出勤した。


午前中だけ働いた。


そして、そのまま病院へ来た。


当然、着替えてなどいない。


スーツ姿のままである。


もちろん。


ネクタイも締めている。


……。


…………。


キリッ。


紳士のたしなみである。


どのような状況であろうと、身だしなみは重要だ。


たとえ緊急手術を受けることになろうとも。


スーツを着用し。


ネクタイを締め。


礼儀正しく振る舞う。


……。


何という立派な社会人でしょう。


ただし。


重大な問題が一つある。


これから緊急手術を受けるのである。


……。


…………。


いつまで営業マンやってんだよ!!!


いや、本人としては、特別なことをしているつもりはない。


朝から着ていたものを、そのまま着ているだけである。


ただ、後から振り返ると、なかなか奇妙な光景だったと思う。


車いすに乗っている。


緊急手術の予定がある。


歩行は禁止されている。


そして、スーツにネクタイ。


……。


どこの会社の役員だよ!!!


さて。


検査が一段落する頃には、ベッドが用意されていた。


いよいよ、車いすともお別れである。


短い付き合いだった。


しかし、なかなか頼もしい相棒だった。


ありがとう、車いす。


君のおかげで、一歩も歩かずに済んだ。


……。


感動の別れをしている場合じゃねえええ!!!


私はベッドに移された。


そして、横になった。


もちろん。


スーツ姿のままである。


しかも、ネクタイ付き。


……。


何ということでしょう。


スーツを着て、ネクタイを締めた男が、病院のベッドに寝かされている。


このまま商談でも始まりそうである。


「本日はお忙しいところ、ありがとうございます」


……。


いや、手術だよ!!!


しかし、ここに来ても、私はまだ紳士であった。


少なくとも、服装だけは。


さて。


しばらくすると、さすがにスーツ姿ではまずいということになったらしい。


看護師さんたちがやって来た。


そして、手術着に着替えることになった。


……。


ところが。


私は歩くことを禁止されている。


ベッドの上である。


そのため、着替えも寝たまま行うことになった。


看護師さんたちが、あれよあれよという間に着替えさせてくれる。


スーツを脱ぐ。


シャツを脱ぐ。


そして、手術着へ。


……。


…………。


紳士の正装、強制終了。


つい先ほどまで、ネクタイを締めてキリッとしていた男。


気がつけば、手術着姿でベッドに寝ている。


実に見事な変身である。


しかも、自分で着替えたわけではない。


看護師さんたちによる全面的な支援である。


……。


もはや、着せ替え人形ではないか。


何とも情けない。


いや、ありがたい。


本当にありがたい。


何しろ、一歩も歩くなと言われているのだから。


さて。


こうして手術着への着替えが終わった。


これで準備も少し進んだのだろう。


すると、看護師さんが私に説明した。


「太ももから太い血管を取る可能性がありますので、毛を剃ります」


……。


ふむ。


なるほど。


太ももから血管を。


そういうこともあるのか。


医学というものは、なかなか奥が深い。


私は、説明を聞きながら納得した。


……。


ところが。


ここで、私はある重大な事実に気がついた。


剃る場所である。


太ももの付近。


つまり。


ちんちんの毛である。


……。


…………。


へ?


ちょっと待っていただきたい。


私は、先ほどまでスーツ姿だったのである。


ネクタイを締めた、立派な紳士である。


しかも、プロの営業マン。


どんなときでも落ち着いて。


常に冷静に。


身だしなみを整え。


礼儀正しく振る舞う。


……。


その男が。


突然、下半身の毛を剃られることになった。


……。


…………。


何という急展開でしょう!!!


いや、もちろん。


手術に必要な準備なのだろう。


医療行為である。


恥ずかしいなどと言っている場合ではない。


私だって、大人である。


そのくらい理解している。


……。


理解はしているのだが。


理解と羞恥心は、別問題なのである。


さて。


いよいよ、下半身の毛を剃ることになった。


当然、看護師さんに下半身を見られることになる。


……。


…………。


ああああああ!!!


いや。


落ち着け。


私は紳士である。


プロの営業マンである。


いかなる状況でも、冷静さを失ってはいけない。


別に、恥ずかしいことではない。


これは医療行為だ。


必要な処置だ。


そう自分に言い聞かせる。


……。


ところが。


ここで、さらに重大な問題が発生した。


私の息子である。


……。


いや。


双子の息子たちの話ではない。


こちらは、別の息子である。


……。


お察しいただきたい。


さて。


私は、身体だけはなかなか立派な体格をしている。


しかし。


この日の息子は、少々様子が違った。


何しろ、緊急手術である。


つい先ほど、死ぬと言われたばかりだ。


当然、緊張もしている。


そして、その緊張のせいだろうか。


……。


息子が、妙に可愛らしい。


……。


…………。


おい!!!


何ということでしょう。


立派な体格。


堂々とした紳士。


しかし、披露された息子は、なかなか控えめだったのである。


……。


ガタイのわりに、可愛らしい息子。


実に素晴らしい。


いや。


素晴らしくない。


少なくとも、私としては、もう少し堂々としていただきたかった。


しかし、息子にも事情があるのだろう。


何しろ、持ち主が死にかけているのである。


元気いっぱいというわけにもいかない。


……。


お前まで緊急避難してどうするんだよ!!!


いや、違う。


彼に罪はない。


寒さや緊張などで、一時的に縮こまることはある。


当時も、そうだったのだろう。


しかし。


何とも残念なことである。


私は、紳士として振る舞おうとしていた。


落ち着いた態度。


余裕の表情。


堂々とした姿勢。


ところが。


最後の最後で、息子が裏切った。


……。


…………。


何なんでしょうね、この人生は。


もちろん、看護師さんが何を思ったのかなど、分かるはずもない。


そもそも、医療行為として必要な処置をしてくれているのである。


そんなくだらないことを気にしているのは、おそらく私だけだったのだろう。


……。


しかし。


本人にとっては、なかなか衝撃的な出来事だった。


スーツを脱がされ。


ネクタイを外され。


手術着に着替え。


そして、下半身を披露する。


……。


紳士の威厳、完全消滅。


いやぁ。


まったく。


病院というところは、なかなか恐ろしい場所である。


命を救ってくれるだけでなく、男のちっぽけなプライドまで、容赦なく剥ぎ取っていくのだから。


……。


ちっぽけなのはプライドだけにしてくれえええ!!!


さて。


こうして、下半身の毛の処理も終わった。


実に長い戦いだった。


いや、実際にはそれほど時間はかかっていなかったのかもしれない。


しかし、精神的には、なかなかの大事件である。


……。


そして、次の準備が始まった。


点滴である。


ようやく、何となく医療らしい処置になってきた。


いや、これまでも十分に医療行為だったのだが。


とにかく、点滴が始まった。


生理食塩水。


それに、血管の詰まりに関係する薬も入っていたような気がする。


ただし、正確な薬の名前や内容までは覚えていない。


何しろ、突然死ぬと言われ、緊急手術を受けることになり、さらに下半身まで披露した直後である。


……。


薬の名前なんか覚えてる場合じゃねえええ!!!


さて。


点滴を受けながら、私はあることを考えた。


どうやら、点滴をすると尿が出るらしい。


ふむふむ。


なるほど。


ということは、トイレの問題がある。


しかし、私は歩行禁止である。


一歩も歩いてはいけない。


となれば。


尿瓶だろうか。


いや。


おむつという可能性もある。


……。


何とも情けない話である。


つい数時間前まで、普通に会社で仕事をしていた男が、今では尿瓶かおむつかを心配している。


しかも、まだスーツの余韻が残っているのである。


……。


紳士の人生とは、何と儚いものなのだろう。


さて。


尿瓶か。


おむつか。


私は、そんなことを考えていた。


すると。


看護師さんが、何やら持ってやって来た。


……。


「…………?」


何だろう。


何かの器具らしい。


よく見ると。


チューブである。


……。


…………。


チューブ?


「…………」


私は、少々考えた。


どこかで見たことがあるような。


いや、実際に見たことがあったかどうかは分からない。


ただ、名前は知っている。


病院で使う、あの恐ろしい器具。


まさか。


いや。


そんなはずは。


……。


…………。


こ、これはもしや……。


噂の尿道カテーテルというやつではないのか!?


……。


…………。


お母さああああああん!!!


いや、落ち着け。


まだ何もされていない。


看護師さんは、チューブを持ってきただけである。


そう。


持ってきただけ。


……。


そして。


私のベッドに置いた。


……。


…………。


「…………」


どうやら。


私のものらしい。


……。


――第7話・完――


次回「第8話 ―紳士、最大の危機。―」

いかがでしたでしょうか。


突然の死亡宣告。


車いす生活の開始。


スーツ姿のままベッドに寝かされ、あれよあれよと手術着へ。


そして、看護師さんの前で披露することになった、私の可愛らしい息子。


……。


こんな形で親子の晴れ舞台を迎えるとは思いませんでした。


緊張のあまり、息子はすっかり縮こまっておりました。


父親が死にかけているというのに、息子まで戦意喪失。


……。


お前だけは堂々としていてくれよ!!!


そして最後に登場した、謎のチューブ。


どうやら尿道カテーテルというものらしい。


……。


嫌な予感しかしません。


次回、紳士を襲う最大の試練。


死神より先に、私のちんちんが天国へ旅立つかもしれません。


……。


お母さああああああん!!!

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