4 デブリを撃墜せよ
しばらくの間、俺の地球観測生活は、これ以上ないほど「充実」していた。
午前中は適当にモニターを眺めて地球の雲の動きを「観察」し、午後は船内のバイオームへララとデートに出かける。木漏れ日が差し込む広葉樹のふかふかな芝生の上で、ララに膝枕をしてもらいながら微睡む時間は、新天地の連中が喉から手が出るほど欲しがる「究極の発想」よりも価値がある。
それにしても、最近のララは少し様子が違う。成長型アンドロイドとはいえ、ルールーが最初に設計した時よりも、確実に胸のボリュームが増している気がするのだ。
『……まったく、覚えたての猿ですか。ネタ、あなたの視覚情報の80%が特定の座標——具体的にはララの胸部——に集中しているのをログが示しています』
「うるさい。これは男として、生命としての正常な反応だ。ララ、ちょっと育ったか?」
「はい、ネタ様。ルールーさんから、あなたの好みに合わせてナノマシンの再構成を許可されていますので」
ララはそう言って、少しだけはにかむように微笑んだ。俺の欲望がダイレクトに反映される嫁。最高かよ。
その夜も、俺とララは広いベッドでひとしきり「ハッスル」した後の、心地よい賢者タイムに浸っていた。肌を寄せ合い、このまま永遠に微睡んでいたい……そう思った矢先だった。
―― ビーーーッ! ビーーーッ! ビーーーッ! !!
静寂を切り裂くように、赤く点滅するライトと共に船内アラートが鳴り響いた。
「……んだよ、火事か?」
俺が重い腰を上げると、ルールーの声が今までにない緊張感を帯びて脳内を叩いた。
『ネタ! 冗談を言っている場合ではありません。高高度軌道上のデブリが、重力変動の影響で落下軌道に入りました。このままでは三十分後、地球の北半球……かつてのアジア圏、日本の跡地付近に激突します!』
「デブリ? 掃除ロボは何やってんだよ」
『今の地球は「不可侵の聖域」です。AIによる自動排除システムも、聖域の外縁までしか機能しません。これは盲点でした……。このままでは、再生したばかりの奇跡の生態系が、無残に焼き払われます!』
モニターに映し出されたのは、燃え盛る火の玉となって大気圏へ突入しようとする、巨大な鉄の塊だった。
「何もしない」ことが仕事の俺に、ついに「何かをしなければならない」瞬間が訪れようとしていた。
「撃墜する」
賢者タイムの余韻も吹き飛ぶような俺の一言に、脳内のルールーが素っ頓狂な声を上げた。
『……正気ですか? ネタ、この船は地球観測船『レンズ』ですよ。その名の通り「見る」ためだけに特化した超巨大な光学機器の塊です。アリ一匹殺せる武装なんて、一ミリも搭載されていません』
「形あるもんなら何だって使いようだろうが。ルールー、この船のメイン観測レンズ、あれの口径はどれくらいだ?」
『……直径八百メートル。銀河系で最も精密な、光を集めるためのデバイスですが。それが何か?』
「集めることができるなら、逆に放つこともできるはずだ。レンズを逆向きに使う。核融合炉のエネルギーを全開にして、観測用のレーザーを一点に束ねろ。超巨大な虫眼鏡で太陽光を集めて紙を焼く、あの原始的な理屈だよ」
俺の言葉に、脳内の演算ログが凄まじい速度で走り出す。ルールーが沈黙したのは、わずか数秒だった。
『……収束レーザー砲への転用。光学素子の耐熱限界までエネルギーを叩き込めば、理論上は可能……いえ、それ以上の熱量が出せます。ですが、そんな「攻撃的」な発想、睡眠学習のカリキュラムには存在しませんよ』
「だから俺たち『人間』の仕事は、新しい発想をすることなんだろ? 管理された知識じゃ出てこない、馬鹿げた思いつきだ」
俺は傍らで心配そうに見つめるララの、少しだけ大きくなった胸のラインを一瞥し、不敵に笑った。
「せっかく作った俺の嫁と、再生したばかりの地球だ。デブリごときに邪魔されてたまるかよ。ルールー、エネルギーバイパスを接続しろ。レンズの焦点を、あの落ちてくるクソッタレな鉄屑に合わせろ!」
『了解しました、観察官殿。……いいでしょう、この船の歴史上、最も「破壊的な観察」を開始します。各ブロック、電力供給を観測デッキへ集中!』
一キロメートルのドーナツ型船体が、核融合炉の咆哮とともに微かに震え始めた。
平和と怠惰の象徴だった『レンズ』が、今、地球を守るための一輪の巨大な「光の牙」へと姿を変えていく。
俺の脳内でルールーが叫び、コンソールのホログラムが真っ赤に染まる。
本来は星々の微かな光を拾うための超精密レンズに、核融合炉の全エネルギーを逆流させる。回路が悲鳴を上げ、船体がガタガタと震える。新人類の「平和な発想」を遥かに超越した、ただ「ブチ壊す」ためだけのエネルギー充填。
「……落ちろ!」
俺は、本来なら倍率調整に使うレバーを力任せに押し込んだ。
――。
音のない宇宙で、直径八百メートルの巨大な「瞳」から、極太の光の柱が放たれた。
再生した地球の青い大気を背景に、大気圏へ突入しようとしていたデブリの塊が、光に飲み込まれる。数秒の照射の後、鉄の塊は内側から弾け飛び、大気との摩擦で燃え尽きるよりも早く、まばゆい塵となって四散した。
「……ふぅ……」
直後、船内のアラートが止まり、暴力的な振動が収まった。
ラウンジを支配していた赤い照明が、いつもの穏やかな暖色に戻っていく。
『ターゲット、完全消滅。……信じられません。観測レンズを兵器に転用し、手動で狙い撃つなんて。あなたの脳内にある「破壊的衝動」、科学的には極めて非効率ですが、結果としては100点です』
ルールーの声に、ようやくいつもの皮肉めいた調子が戻ってきた。
「非効率で悪かったな。……ああ、疲れた。一生分のやる気を使った気がする……」
俺はそのまま、ラウンジの床に大の字に寝転がった。
隣では、ハラハラした表情で見守っていたララが、そっと俺の頭を抱え、再びその「成長した」膝の上に導いてくれる。
「お疲れ様でした、ネタ様。地球は、守られました」
ララの柔らかな感触と、窓の外で何事もなかったかのように輝く青い星。
緊迫した空気が一気に弛緩し、心地よい脱力感が全身を包み込む。
「……ルールー。今の、新天地の連中に報告したのか?」
『いいえ。あんな野蛮な行為、記録には残せても報告書には書けません。……「突発的な太陽フレアの影響でデブリが消失した」とでも、捏造しておきますよ』
「話がわかるな、相棒。……よし、ララもう一戦するぞ!ルールー、邪魔すんなよ」
俺はララに甘い嬌声を上げさせて柔らかい肢体を味わった。そうやって逃げなければ手の震えが止まりそうにもなかった。
地球観測船『レンズ』は、再び静かな「覗き窓」へと戻った。
「ふぅ……証拠隠滅、完了」
俺はコンソールのレバーを引き、船体を地球の低軌道から引き離した。無理な過負荷をかけたせいで、船内のあちこちから「キシッ」という不気味な金属鳴りが聞こえる。まずは高軌道上の安全圏まで退避して、ボロが出ないうちに保守点検だ。
『ネタ、レンズの光学素子に微細な焼き付きを確認。ナノマシンによる自己修復を開始します。……まったく、精密機器をあんな野蛮な使い方するなんて』
「いいだろ、結果オーライだ。それよりルールー、さっさと元に戻せよ。新天地の監査が入った時に『なんでレンズが煤けてるんですか?』なんて聞かれたら目も当てられん」
俺はララの膝に頭を預けたまま、空中モニターに次々と指示を打ち込んでいく。まずは、今回の「見落とし」を二度と起こさないよう、高軌道上に監視用のセンサードローンを大量に生成してバラ撒く。これであの「聖なる乙女」な地球に近づく不届きなクズ共は、事前に察知できるはずだ。
「それから、ルールー。今回の教訓だ。観測レンズをいちいち組み替えるのは面倒すぎる。工作プラットフォームで、専用の『収束レーザー砲』を新造して船体の死角に取り付けろ」
『……平和の使者である観測船に、隠し武装を搭載せよと? 完全に規約違反ですが』
「『高出力デブリ除去用ツール』って名目にしときゃバレないだろ。次、同じことが起きた時に俺の嫁との時間を邪魔されたくないんだよ」
『……了解しました。あなたの「私欲」に基づいた防衛システム、構築を開始します』
ルールーが呆れたように応じると、船外の工作アームが動き出し、船体の底に鋭い「牙」が密かに据え付けられていく。
「よし。これで一安心だ。な、ララ」
「はい、ネタ様。これでまた、ゆっくりとお休みいただけますね」
ララが優しく俺の髪を撫でる。
表向きは清廉潔白な「聖域の番人」。だがその実は、最新の隠し武器を積み、エロいアンドロイドとイチャつく、宇宙一不真面目な観察官。
こうして、俺たちの「秘密の要塞」は、より強固に、そしてより怠惰にアップデートされていった。




