兵は語る
治府を辞した馬超は張繍と徐晃を伴って城門へと向かった。
先ほどまで三公を前に張り詰めていたせいか外へ出ると涼州の乾いた風がひどく心地よく感じられる。
「それにしても、随分と大きなことを言ったものだな」
隣を歩いていた張繍が不意に口を開いた。
「李傕も郭汜も必ず討つ、か」
「言ってしまった以上、討たねば馬氏の面目が立ちませんな」
「奴らの兵は強いぞ」
「承知しております。だからこそ将軍や司馬のお力も借りたいと思っております」
馬超が答えると張繍は鼻を鳴らした。
少し後ろを歩く徐晃は何も言わない。
楊奉が戦死した後もその司馬として残兵をまとめ、天子を守る役目を続けている。
これから李傕らと戦うとしても、己の一存で誰かの麾下に入れる立場ではなかった。
馬超もそれ以上は何も求めなかった。
◇
城門を抜けると西側の原野に馬超軍の陣が広がっていた。
二千五百騎が一糸乱れず並んで待っている、などということはない。
数日の行軍を終えた兵たちは馬から鞍を外し、脚についた泥を拭い干草を食ませている。
あちこちで炊事の煙が上がり、鍋を囲む者もいれば傷んだ革具を繕う者もいた。
漢人の兵も義従も同じように馬の世話をし、必要があれば声を掛け合っている。
馬の嘶きと兵の声が混じり陣中は騒がしかった。
だが、無秩序ではない。
隊ごとに宿営する場所が分けられ、馬を繋ぐ場所と荷を積む場所も離されている。
水場には兵が立ち、陣の外には既に数騎ずつ斥候が送り出されていた。
「従兄上!」
馬岱が馬超に気づき、龐徳とともに駆け寄って来た。
「天子を護衛してきた張将軍と徐司馬だ。警護について相談する、まず今の配置を聞かせてくれ」
「はっ」
龐徳が答えた。
「本陣はこのまま城西に置いております。東と南の街道には斥候を出し、水場にも一隊置きました。夜番は五更に分けて交代させます。予備は三百騎、何かあればすぐ動かせます」
「北は?」
「張将軍の兵が出ていると聞きましたので、こちらからは重ねておりません」
張繍が眉を上げた。
「誰に聞いた」
「城門の兵にございます。互いに知らずに同じ場所へ兵を出しては、かえって邪魔になると判断しました」
「なるほど」
張繍はそれ以上言わず、陣の方へ目を遣った。
馬超が戻るまで何もせず待っていたわけではない。
龐徳と馬岱が、自分たちで必要なところまで判断して兵を動かしている。
徐晃も黙ったまま、陣内を見回していた。
やがて馬の手入れをしている兵の前で足を止め、馬超へ尋ねる。
「この二千五百、皆もとから馬氏に従っていた兵なのか」
「いや。昔からの兵もおりますが、近頃加えた義従もおります。韓遂との戦の後に加わった者もおりますな」
「一つの隊に混ぜたのか」
「いきなり全てを混ぜたりはしません。元の隊を残せるところは残し、その上で軍令と合図を揃えています」
「隊を解かぬのか」
「昨日まで顔も名も知らぬ者ばかりに囲まれれば、誰でも不安になるでしょう。まして昨日まで敵だったなら、なおさらです」
徐晃は返事をしなかった。
楊奉が死んだからといって残った兵たちが昨日まで共に戦ってきた仲間を忘れるわけではない。
ばらばらにされれば次は自分がどう扱われるのかと恐れる者も出るだろう。
「ただ、元の隊だからと勝手に動かれては困ります」
馬超は続けた。
「進む時、退く時、集まる場所。合図と命令の順だけはどの隊でも同じにしております」
「主将が討たれた時もか」
徐晃の声がわずかに低くなった。
馬超は少し考え、頷く。
「そのためでもあります。私が倒れた後に誰が指揮を継ぐのか。それが分からぬ軍はその場で散りますから」
徐晃はしばらく馬超を見ていた。
楊奉を失った後、己がしてきたことそのものである。
「……そうか」
それだけ答え、再び陣内へ目を向けた。
◇
陣の中央に簡単な地図を広げ、馬超、張繍、徐晃、龐徳、馬岱の五人で警護の分担を詰めることとなった。
まず張繍が現在の守りを説明する。
「治府の内と宮門は、これまで通り朝廷の宿衛が守る。我が兵は城と行在の周囲を受け持っている。徐司馬の兵にも城門と連絡の補助へ入ってもらっている」
馬超は地図に目を落とし、城外へ延びる街道を指でなぞった。
「我が軍は騎兵が多い。城内へ置くより外を走らせる方が役に立ちます」
東西の街道、糧を運び込む道、周辺の水場。さらに遠くへ出す斥候と急変時に駆けつける予備。
「城外の哨戒と街道、糧道の護衛はこちらで引き受けましょう。遠くを見るにも騎兵の方が早い」
「よかろう。城内はこちらで受け持つ」
張繍は即座に応じた。
「ただし、敵を見つけたからといってそちらの兵が勝手に城門へ殺到するのは困る。遠ければ烽火、近ければ角笛で知らせろ。城門を開くかはこちらで決める」
「承知いたしました」
馬超は素直に頷いた。
張繍は年長で官位も上である。
何より、これまで実際に天子を守ってきた当事者だった。
兵が多いからと後から来た馬超が全てを取り仕切る訳にもいかない。
龐徳と馬岱は新しい配置を確認すると、各隊へ伝えるためその場を離れた。
徐晃も自分の兵へ戻ろうとしたが、その前にもう一度馬超の軍へ目を遣った。
先ほどまで食事を取っていた兵の一部が、命を受けて馬へ鞍を載せ始めている。
怒号が飛び交うわけでもない。
隊長から命が下り、それが次々と伝わり兵がそれぞれの仕事へ移っていく。
徐晃は馬超へ一礼し自分の兵の方へ戻っていった。
◇
「先ほど羌や氐でも従う者は用いると言ったな」
徐晃を見送った後、張繍が義従の一隊へ目を向けながら言った。
「はい」
「兵としてなら今見たように動かせるのだろう。だが郡県を治めるとなれば同じようにはいかんぞ」
張繍は腕を組んだ。
「お前が約束を守っても、下の吏が羊を一頭余計に取ればそれだけでまた揉める。何年も積もった恨みならなおさらだ」
「……そこが一番厄介です」
馬超は苦笑した。
三公を前には随分と大きなことを言ったが、役人一人ひとりの手まで自分が動かせるわけではない。
「ゆえに官吏の綱紀も正していかねばならぬのでしょうが、兵のように角笛一つで足並みを揃えられる話でもありませんな」
「分かっているならよい」
張繍の口元がわずかに緩んだ。
それから二人は、日が傾き始めた陣の中を歩いた。
交代に出る騎兵が次々と馬へ跨り隊ごとに陣を離れていく。
「ところで孟起殿」
「はい」
「妻はいるのか」
唐突な問いに、馬超は張繍を見返した。
「……おりますが」
「そうか」
張繍が僅かに肩を落とす。
「娘が今年で十五になってな。先ほど三公を前にしたところを見て、今また兵を見た。どうせ嫁がせるなら、お前のような男なら悪くないと思ったのだが」
「それはありがたいお話ですが、実は既に正妻を迎えておりまして……蔡伯喈殿の息女、蔡琰にございます」
「伯喈殿の娘を?」
張繍が目を見開いた。
「それは知らなんだ。ならば我が娘を後から入れるわけにもいかんな」
張氏にも家の面子がある。馬超としても縁を結ぶためだけに張繍の娘を軽い立場へ置くつもりはなかった。
だが、張氏との縁そのものは悪い話ではない。
「私ではなく、弟ではいかがでしょう」
「弟?」
「馬休という弟がおります。歳も大きく離れてはおりません。無論、私だけで決められる話ではありませんが、張将軍にそのお気持ちがおありなら父上に話してみましょう」
「ふむ……」
張繍は顎を撫で、少し考えた。
「ならば馬騰殿がお着きになってから、改めて話すとするか」
「弟本人にも聞いてやってください」
「それくらいはする」
張繍は今度こそ笑った。
縁談はそれ以上進めず、二人はそこで別れた。
馬超は一人になると、遠く金城にいる父の顔を思い浮かべる。
李傕と郭汜を討て。
漢を再興する功臣になれ。
軍権を私物化するな。
そこへ今度は、馬休と張繍の娘との縁談まで加わった。
(父上に報告することが、また一つ増えたな)
もっとも、張氏との縁が結ばれれば馬氏にとっても悪い話ではない。
日が沈みきる前に新しい配置を命じられた騎兵たちが二手、三手に分かれ隴から延びる街道へと散っていった。
三公を前に天下を語ったその日のうちに馬超が最初に動かしたのは、己が率いてきた二千五百騎であった。




