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漢の旗(一)

 夜が明けると、()の城外には漢人と義従胡、合わせて二千五百の騎兵が集められていた。

 馬具を確かめ、鞍へ糧袋を結びつけ、人馬を点呼する兵たちが慌ただしく動いている。軍旗の下では龐徳(ほうとく)馬岱(ばたい)が部隊を整え、出立の合図を待っていた。

 馬超(ばちょう)は政庁にて、留守を預ける配下に最後の指示を与えた。


孝直(法正)、兵糧の差配と報告は任せる。父上から報せが来たら、すぐに隴へ回してくれ。子敬(孟達)は街道の巡察と連絡を絶やさぬように。県務は楊阜(ようふ)らに相談し、滞りなく進めよ」

「承知いたしました。後送の糧も順に運ばせます。令君は行在所(あんざいしょ)のことに専念なされませ」


 法正(ほうせい)が拱手して応じ、孟達(もうたつ)も深く頭を下げた。

 馬超が冀を離れるのは初めてではない。各々に任せる仕事も定まっており、細かな指示を繰り返す必要はなかった。だが、今度の行き先には天子と百官が待っている。そこで何を求められ、どこまで引き受けることになるかは、まだ分からない。


 見送りに出た蔡琰(さいえん)が、馬超の袍の襟元を静かに整えた。


「昨夜は、随分と遅くまで話し込まれていたようですね」

「決めねばならぬことが多くてな。おかげで、少しは先が見えた」

「どうか、お体を大切になさってください」

「案ずるな。無事に戻ったら、また書を増やしてもらうことになる」


 蔡琰が微かに笑みをこぼす。馬超はその手を一度だけ力強く握り、城外へと向かった。

 金城への急使は既に昨夜のうちに発っていた。父の返答を待たずに先行する以上、行在所でまず公卿に対峙するのは自分である。


(父上が来るまでに、地均しは済ませておく。賈詡殿と董昭殿の手を借りられる分、何も知らずに飛び込むよりは遥かにやりやすい)


 馬上から軍列を見渡し、馬超は長槍を高く掲げた。


「出立する! 行く先は(ろう)、天子の車駕所在である!」


 翻る軍旗とともに、二千五百騎が砂塵を巻き上げて街道へと進み出した。



 道中、賈詡(かく)董昭(とうしょう)も新式の鞍と鐙に揺られながら馬を進めていた。

 緩やかな峠をいくつか越えたところで、董昭が鐙を踏み直して馬超に視線を向ける。


「これはよいな。足が定まれば、随分と体が楽になる。鞍も深く、馬が動いても体が流れぬ」

「もとは、戦で落馬せぬために考えたものです。慣れれば弓や槍も扱いやすくなります」


 賈詡が前方の列へ目を遣った。馬の歩調が変わっても兵の上体はぶれず、手綱をさばく手元には明らかな余裕がある。


韓遂(かんすい)を破ったのも、ただ若さに任せて馬を走らせたわけではないらしい」

「道具だけで勝てるなら、調練に苦労はいたしません。令明(龐徳)などは兵の疲労より馬の息づかいに目を光らせているほどです」

「なるほどな。乗る者が勇ましくとも、馬が倒れてはどうにもならぬ」


 賈詡は細めた目を前方に戻し、静かに馬首を進めた。

 夜営の折には朝廷の官人について話を聞き、昼には騎兵を先へ出して道を探らせる。数日の行軍の後、一行は隴へと到着した。



 城外で天子を守る将の一人、建忠(けんちゅう)将軍張繍(ちょうしゅう)の兵と合流し、馬超は龐徳と馬岱に宿営を任せた。


 (史実なら、この頃の張繍は叔父(おじ)張済(ちょうさい)の兵を継いで南陽へ流れていたはずだ。それが今は天子を守って隴にいる。こちらも随分と変わったものだ)


 二千五百騎を狭い城内へ引き入れれば、馬を繋ぐ土地すら逼迫する。水場と飼料を確保して哨戒線を敷かせ、詳しい警備配置は朝廷との折衝後に決めることとした。


 馬超は旅塵を払い、冠服を整えると、賈詡と董昭に伴われて治府へ向かった。

 薄暗い廊下では文書を抱えた書吏が行き交い、官人が糧や宿営について話していた。

 地方の治府に天子と百官が押し込まれているのだから、混乱するのも当然だった。それでも机を並べ、散った文書を集め、どうにか朝廷の仕事を続けている。


 衣冠を整えていても、顔には逃避行の疲れが残っていた。馬超へ向けられる視線には、期待と警戒が入り混じっている。二千五百騎は心強い救援だが、彼らが待ち望んでいるのはその後に続く馬騰の本隊でもあった。


 上座には三公の太尉(たいい)楊彪(ようひょう)司徒(しと)趙温(ちょうおん)司空(しくう)張喜(ちょうき)が居並び、尚書令(しょうしょれい)士孫瑞(しそんずい)が竹簡を検めていた。

 左右には周忠(しゅうちゅう)韓融(かんゆう)劉艾(りゅうがい)鍾繇(しょうよう)ら百官が並び、張繍ちょうしゅうと、亡き楊奉の司馬として残兵をまとめている徐晃(じょこう)も末席に控えていた。

 馬超は進み出て、堂々たる礼を取った。


「冀県令、馬超にございます。詔を奉じ、兵を率いて参上いたしました」


 士孫瑞が目を上げ、静かに口を開いた。


「遠路、よくぞ駆けつけてくれた。率いてきた兵は二千五百騎と聞くが」

「直属の騎兵二千五百、城外にて配下の龐徳と馬岱に掌握させております。携行の兵糧もございますゆえ、しばらく隴を守るには十分かと」


 士孫瑞は微かに頷き、馬騰の動向に探りを入れた。


安狄将軍(馬騰)への報せは届いているのか」

「急使は走らせましたが、まだ報せには幾日かかかるでしょう」


 賈詡もその報告を認めた。急使が金城へ着き、馬騰が命を下し、その報せが戻るには時間が要る。だが朝廷にとっては、返答を待つことさえ心細い状況であった。

 重苦しい沈黙を破り、楊彪が鋭く問いかける。


「将軍は陛下をこの隴の地でお守りするのみにとどまるつもりか。それとも李傕・郭汜(かくし)の二賊を誅滅し、長安へ天子をお戻し奉るところまで骨を折る覚悟があるだろうか」


 詔には二賊の討伐が命じられている。それでも、どこまで本気で引き受けるのかを確かめているのだ。


(父上の意向はともあれ、受けぬ訳にはいくまい。是が非でも引き受けさせるし、勝算はこれから作ればよい)


 内心の躊躇を押し殺す。賈詡と董昭から聞いた限り李傕らを討つ見込みはある。戦後に父をどう立たせるかについても道筋は得ていた。ここで息子が尻込みすれば馬氏を頼った判断そのものが疑われかねない。

 馬超は視線を逸らさず、楊彪を正面から見据えた。


「二賊を討ち果たし、陛下を長安へ――いえ、いずれは洛陽へお戻しするまでです。父も私も、漢室を輔弼せんがために兵を挙げました」

「それは将軍の言葉か。それとも、お前自身の望みか」

「父とて漢の禄を食む将にございます。天子の危難を目の当たりにしながら、隴右(ろうゆう)にて保身に甘んじるような将ではございません。この馬超が、父に代わって違わぬことを約します」


 父の言葉を伝えたわけではない。馬超自身が、馬氏の進む道を勝手に決めてしまったようなものだった。

 だが、漢を支えた功で父の立場を確かなものにできる機会でもある。ここで引くつもりはなかった。

 楊彪の横から、趙温が身を乗り出すようにして追及した。


「韓遂と宋建(そうけん)を除いた武名は聞き及んでいる。だが首魁が倒れたことと、その地が鎮まったことは別だ。将軍が東へ全軍を向ければ、背後で再び乱が起こらぬか」

「隴右で抗していた大きな勢力は、既に除きました。彼らの旧臣にも役目を与え、各地の長とも約を結んでおります。父が金城に留まっていたのもその慰撫のためでした」


 ここで楊彪がさらに眉を寄せて割り込んだ。


「韓遂を殺して降った者も用いていると聞いている。将軍が遠く離れても、従い続けると思うか」


 馬超は淀みなく応じた。


「降ったからとて忠臣になったとは考えておりません。されど疑うばかりで用いなければ、彼らの兵も土地もまとめられませぬ。働く場を与えて功に報い、従えば先があると示す。その上で背く者は処断すればよい」


 旧臣を全て斬り捨てれば、切り取った金城などを治める者まで失う。成公英らを用いることは、寛容を示すだけでなく、馬氏の利益にも適っていた。


「羌でも氐でも、漢の命を奉じて働く者は用います。従ってきた者まで賊と呼べば、こちらから敵を増やすことになります」

「残した官吏が背けば、それまでではないか」


 涼州の情勢に明るい張繍が、冷徹な懸念を投げかけた。


「ゆえに、残す者も選んでおります。冀では市や水利を整え、人を田へ戻してきました。民が逃げれば兵も養えなくなりますゆえ」


 馬超は趙温、そして張繍へと視線を移した。


「守る兵も、土地を預ける者も定めております。関中で戦っている間の隴右は、父の威名をお信じください」


 趙温は手元の木簡へ視線を落とした。代わって司空の張喜が問う。


「では、西の守りを残して、将軍は何人を率い、いつ隴へ着く」


 馬超は金城に集まる父の兵と、従う意向を示した諸将を思い浮かべた。全てを一度に動かすのは難しいが、第一陣を出し、後から合流させることはできるはずであった。


「ひと月のうちに、父がまず六千を率いて参ります。後続を合わせて一万二千。私の二千五百を加え、一万四千余を揃えます」


 広間に張り詰めていた空気が揺れ、微かなどよめきが走った。


「行在所を護る兵も、その数に含まれるのだな」

「張将軍と相談し、父の麾下から兵を預けるよう取り計らいます」


 張喜は書吏にその言を記させ、改めて馬超を見た。


「第一陣は、ひと月以内。それを当てにして支度を進めてよいのだな」

「お願いいたします」


 馬超は一度も視線を逸らさず、言を左右にしなかった。彼自身が打ち出した見通しが、朝廷の予定として記されていく。傍らに控える賈詡も董昭も、口を挟んで取りなすような真似はしなかった。


「……その兵で、李傕と郭汜を討てるか」


 楊彪の低く響く声が、再び広間を静まり返らせた。


「あの二人の兵も、弱兵ではないぞ。韓遂を破ったからといって、同じように勝てるとは限らぬ」


 張繍も徐晃も、馬超へ目を向けた。二賊の兵に追われ、主将と仲間を失ってきた者たちであった。

 馬超は姿勢を正し、間を置かずに答えた。


「必ず討ち果たせます」

尚書令 尚書台の長官。人事や上奏、天子から下される文書などを取り扱った。後漢では光武帝以来、三公よりも尚書台に実際の政務が集中する傾向が強く、官秩(千石)だけを見れば三公九卿よりはるかに低いが国政を動かす重要な官職だった。


士孫瑞 字は君栄。右扶風平陵の人。王允とともに董卓誅殺を計画した人物の一人で、王允が董卓を討った功績を独占しようとしているように見えることを警戒し、自らは功績を譲って封侯されなかったため、李傕らによる王允一派の粛清から逃れた。後に国三老・大司農となり、三公が欠けるたびに楊彪や皇甫嵩らからその地位を譲られるほど重んじられた。史実では献帝の東帰に従っている途中で李傕・郭汜軍の追撃を受けて戦死している。


張繍 生年、字ともに不詳(作中では159年生まれ、字を章明とする)。武威郡祖厲の人。張済の族子。若い頃に祖厲県の役人となり、県令を殺した麹勝を仇討ちして名を上げた。董卓死後は叔父の張済に従って戦い軍功によって建忠将軍・宣威侯となった。史実では張済が荊州で戦死するとその軍を引き継いで宛に入り劉表と結ぶ。その後曹操に降伏するが、曹操が張済の未亡人を側に置いたことなどから反乱し曹操軍を破って曹昂・典韋らを死なせている。最期は曹丕に兄を殺したことからいびられて自殺したとする説もある(出典:魏略)


徐晃 生年不詳(作中では168年とする)、字は公明。河東郡楊の人。楊奉の配下として登場するが、最初は郡吏だったらしいので将軍になってから取り立てられたのだろうから恐らく白波賊ではない。楊奉が敗れると曹操に帰順し、その後は魏の五将軍に数えられるまでに活躍した。孟達に矢を射られて戦死するのは演義の話で、史実では227年に病死している。


周忠 生年、字ともに不詳。廬江郡舒の人。周景の子。父の周景は司空・太尉を歴任した後漢の名臣。周忠自身も大司農、太尉などを歴任した。周瑜の親戚。


韓融 生年不詳、字は元長。潁川郡舞陽の人。出身的に恐らく韓馥と同族。高名で知られ荀爽・陳紀らと並び称された。李傕・郭汜を和睦させ宮女や車馬を取り返したりしている。


劉艾 生年・字・出身ともに不詳。かつて董卓の長史を務めていた人物とみられる。李傕・郭汜の支配下にあった長安でも献帝の侍中として活動し、献帝が長安を脱出した際、兵士に行く手を遮られると「これは天子である」と叫んで車駕を守った逸話が『献帝起居注』に残る。また長安の飢饉では、献帝の命を受けて救恤米の不正を糾したことも記されている。

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