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第252話 閑話7 サバイバルマスター・オリジン②

 富士の青木ヶ原樹海で遭難して四日目。雨が降りしきる中、風邪で意識が朦朧とする中でようやく見つけた人間の痕跡を辿り、ついに見つけた簡易シェルター。窪地の地形を利用し、ビニールシートを屋根にして雨を凌げるようにしてあるそこに足を踏み入れると、そこには白骨化した遭難者の死体があった。


「……ッ!?」


 普段の状態だったら思わず悲鳴を上げてしまったかもしれない。恐怖で逃げ出したかもしれない。でも、風邪のせいで頭があまり働いていなかった俺は色々な感覚が鈍化していたようで、驚きはしたもののさほど恐怖は感じなかった。それよりも妙に冷めた頭で『俺も死んで誰にも見つけてもらえなかったらこうなるんかな』などと考えたりしていた。屍臭がだいぶ薄くなっていたことも心理的な抵抗感を下げていたのかもしれない。とにかく俺はそのままシェルターの中に入り、死体の隣に腰を下ろした。


「お隣お邪魔します。……ゲホッ。ふぅ…………俺も遭難してて、風邪も引いちゃってて、雨もガチで降ってるし、ちょっとここで休ませてもらいますね」


 一応断って壁に背中を預け、シェルターの中を見回す。

 天井は、ただビニールシートを渡しているのではなく、長い枝を何本か窪地の縁を跨ぐようにして並べ、その上にシートを被せているのだと分かった。確かにこうしないと今みたいに雨が降ったら水が溜まってその重みで屋根が落ちてくるよな。死体が白骨化するぐらい長い期間、このシェルターがちゃんと機能していることを考えると屋根を支える骨組みって大事なんだな。

 シェルター内部の広さはおよそ畳一枚半ぐらい。登山用リュックやピッケルや脱いだ登山靴、地面には焚き火の跡があり、使い残しの薪もまだ積んである。アウトドア用の調理器具やら色々な道具も無造作に置かれていて、この人がこのシェルターでしばらく生活していた痕跡は伺えた。


「うう、寒い。……とりあえず、火だけ起こすか。せっかく乾いた薪もあるし」


 雨から逃れることはできたが全身ずぶ濡れで寒いからシェルター内の薪をありがたく使わせてもらって火を起こす。焚きつけ用に拾ってポケットに入れてあった松ぼっくりのおかげであっさり火起こしに成功し、赤々と燃え上がる焚き火の熱でシェルター内が暖かくなってくる。


「はー、そっか。屋外と違って壁と屋根がある場所だと熱が逃げないからちゃんと暖かくなるんだな」


 今まで焚き火は屋外でしかしてこなかったが、それだと熱が拡散してしまって暖かくはなかった。対してこのシェルター内での焚き火は小さい炎でも意外とちゃんと暖まる。俺は新たな知見を得ると共に、壁と屋根のある有り難みを思い知ったのだった。


「はぁ~……火と壁と屋根のある安心感、マジではんぱねぇ」


 真っ暗な夜の原生林でただ大木に背中を預けただけの状態で眠るのはやはり心細かったが、今は安心感がまるで違う。ここでなら何も心配せずに休める。そう思った瞬間、急激に眠気が襲ってくる。でも、こんな全身ずぶ濡れの状態で寝るのは絶対まずい。


「すいません。荷物(あさ)らせてもらって、使えるものあったらお借りします」


 登山用リュックを開けて中を調べると、タオルとレインポンチョが見つかったので拝借し、濡れた服を全部脱いで木の枝をハンガーにして天井から吊るし、身体を拭いてからレインポンチョだけを身に纏った。中は少々スースーするが濡れた服よりはずっとマシだし焚き火のおかげでシェルター内はだいぶ暖かくなっている。俺は焚き火の前で身体を丸めて横たわり、そのまますぐに意識を失った。


 目が覚めた時、目の前の焚き火はほとんど燃え尽きて僅かに燻るだけになっていた。ビニールシートの屋根に当たる雨音もせず、静寂の中で遠くから蛙のコロコロという鳴き声が聞こえていた。

 このシェルターに辿りついたのはたぶんだが午前中だったと思う。今は明るさの感じからして夕方だろう。意識を失って体感だと一瞬だったが、4〜5時間はぐっすり眠っていたらしい。おかげで頭痛もだいぶ治まったし、体力も回復した感じだ。


 そして、思考もはっきりしてきたところで改めてこのシェルターの主である遭難者の白骨死体と向き合う。ホラーはあまり得意ではないが、冷静になって向き合ってみてもあまりというか正直怖さは感じない。それよりも、この人が生前どんな人だったのか、なぜこんなところで最期を迎えることになってしまったのかが気になった。

 本格的な登山用装備、ちゃんとしたシェルター内部にいたことから、自殺目的でここに来たわけではないと思う。このシェルターに到るまでに残されていたビニールテープの手がかり、このシェルターの横の大木に分かりやすく巻き付けられたビニールテープは、ここに自分がいると知らせるためのように思えた。ということは、この人は何らかの事情で自力で動けなくなってこの場所で助けを待っていたということか?


 改めて観察してみれば、肉が無くなって平べったくなったズボンの脛に()え木が包帯で巻きつけてあった。ということは、このズボンの中の骨は折れているということかな。わざわざ確認したりはしないが、地面が大きな石だらけのこの樹海をずっと歩いてきた身として、骨折した足でこんなところを歩くことがどれほど大変か容易に想像できた。それでも目印を残しながらここまで歩いてきて、雨を凌げるしっかりしたシェルターを作って、その中で力尽きるその時までずっと助けを待ち続けていたのだ。


「めちゃめちゃ苦労したんですね。それでも最期まで諦めずに生きようと努力したのが分かります。あなたのこと尊敬します」


 俺は白骨死体の前で正座して手を合わせた。


「俺、自暴自棄になってこの樹海に入ってしまって、でも冷静になったら馬鹿なことをしてしまったって後悔してて、なんとか生還したいって今は思ってます。たぶん、職場の人や友だちとかめっちゃ心配してくれてると思うし、実家の親や妹にももう一度会いたい。どうかこのシェルターとあなたの遺した道具、使わせてください。さっき、雨の中で誰かが呼ぶ声が聞こえた気がしました。それでここに辿りついたので、きっとあなたが呼んでくれたんですよね?」


 もちろん返事はないが、俺は自分がここに辿り着けたのがただの偶然とは思えなかった。そして気づく。死体の側にジップロックのビニール袋に入ったノートとペンがあることに。


 中を確認してみるとやはりこの場所に到るまでの経緯と遺言だった。

 本来は青木ヶ原樹海を歩いて踏破するトレッキング目的で樹海に足を踏み入れたらしいがコースを外れて遭難したらしい。俺は知らなかったが、青木ヶ原樹海は富士山の噴火で流れ出た溶岩流の上にできた原生林らしく、地面に磁鉄鉱が多く含まれるのでコンパスが狂って当てにならなくなるそうだ。

 コースを外れて迷ったと気付いてから、腕時計の時間と太陽の向きで方角を確認しながら歩いていたらしいが、上に気を取られていたせいで足元の確認がおろそかになり、足を踏み外して崖から滑落して足を折ってしまったそうだ。副え木で足を固定して少し歩いてみたが自力での脱出は困難と判断して、水場に近いこの場所によさげな地形を見つけたのでここにシェルターを作って助けを待つ方針に変更したとのこと。

 沢に水を汲みに行く時に目印としてビニールテープをルート上に残してきたそうだ。沢登りをする登山者が通りがかったら運が良ければ見つけてもらえるかもと淡い期待を抱いて。それを俺が見つけたらしい。


 ノートの記録によると彼はこのシェルターで二週間ほど生き延びていたらしい。しかし骨折した足が酷く腫れ上がって動けなくなり、水汲みにも行けなくなって水も食料も尽き、いよいよ死を覚悟してノートに遺言として最期のメッセージを残してジップロックに封じたようだ。その後、どれだけ生きられたかは分からないが、ほどなくして亡くなったものと思われる。最期のメッセージを書いた時には体調もかなり悪くなっていたようで字も乱れ、内容も文章としてまとまっておらず、ただ思いついたことをそのまま書き殴ったようだった。


『……いよいよやばそうだ。足のせいで敗血症になっているようだ。……意識が朦朧として考えがまとまらない。……このまま誰にも見つけてもらえないのは寂しいが、木の養分になって自然の一部になるのも悪くないかもしれない。……ここで終わるのは残念だけど思い返せば楽しい旅暮らしだったな。…………まずい、意識が飛んでいた。せめてこのノートをジップ袋に保管しないと。いつか、誰かが見つけてくれたら、俺の体が朽ちても、俺が生きた証として。……体が怠いし眠い。書き残したいことはまだまだあるけど考えもまとまらないしここまでにしよう。少し休もう。もし次に目覚めて体調が回復していたら続きを書く』


 結局それが最期に書き残されたものとなった。日付は約一年前。ノートの残りの白いページをパラパラと捲っていくと挟まっていた免許証が落ちた。それによるとこの人の名前は望月章(もちづきあきら)。年齢は俺より十歳上で住所は山梨県甲府市となっていた。


「章さん……か。こんな終わり方だったのに旅暮らしそのものを後悔している感じではないんだな」


 ノートの他の部分の記録から普段からバックパッカーとして一人旅をしていたことが分かったが、自分のミスへの後悔はあっても一人旅そのものを後悔している様子はなく、むしろ旅が半ばで終わってしまうことを惜しんでいるようだった。一人旅ってそんなに楽しいものなのかな。俺が経験したことのないジャンルだから少し気になった。


 章さんのノートを読み耽っているうちにいつの間にか時間は過ぎて周囲は薄暗くなっていた。慌てて水筒を拝借して沢に水を汲みに行き、沢ガニやサンショウウオなどの食材を調達して戻り、シェルター内で再び焚き火を起こす。

 食事をしてから章さんのリュックを調べると、今の俺にとって何よりも必要としていたサバイバルのハウツー本が出てきたので、焚き火の明かりで読み耽った。そこに書かれていた情報は正直目からウロコがボロボロ落ちるような内容で、すぐに実行できるものもたくさんあったからさっそく明日からやってみよう。

 昨日まで不安と恐怖に震えながら眠っていたのに、今はとりあえず衣食住が満たされて一旦命の危機を脱することができたことで少しだけ気持ちにゆとりができて、なんならちょっとワクワクしている。

 遭難四日目、ようやく希望の光が見え始めていた。










 岳人に将来のサバイバルマスターの片鱗がちょっと見え始めました。……ということで岳人にとってターニングポイントとなった望月章師匠(故人)との出会いでした。岳人の樹海遭難編はあと一話でなんとかケリをつけたいなーと思いつつとりあえず書いてみないと分からないので次話で終わると断言はしません。今となっては絶対見られない手探りの初心者サバイバーの岳人の奮闘を引き続きお楽しみください。楽しんでいただけましたら応援よろしくお願いします。

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― 新着の感想 ―
更新ありがとうございます。岳斗氏の原点拝見させて頂きました。あと一話と言わず本編の間話でもいいので是非岳斗氏のバックパッカー時代を見せて頂きたいです。
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