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第251話 閑話6 サバイバルマスター・オリジン①

 喉の痛みで不意に目が覚めた。まだ寝床であるテントの中は真っ暗だし、美岬も俺の傍らでぐっすりと眠っている。咳をしたいという衝動に駆られるが美岬を起こしたくなかったのでこっそりとテントを抜け出し、外でゲホゲホと咳き込む。喉に痰が絡んでる時独特の違和感と咳き込む度にズシズシと痛む頭痛で風邪を引いてしまったと悟る。


「ゲホッ! ゲホッ! あーくそ、やっぱり風邪か」


 昨夜、寝る前から兆候はあったんだよな。俺の場合、風邪の初期症状としてかなりキツめの肩凝りと偏頭痛が先にくる。

 普通の肩凝りだとストレッチをすれば緩和するが、風邪の前触れの肩凝りはストレッチをしてもほとんど効果がなく、肩から首へと凝りの範囲が広がってきて頭が締め付けられるように痛くなる。

 今の漂流生活が始まる前は、この初期症状が出たらすぐに風邪薬を飲んで安静にして酷くなる前に治すよう心掛けていたが、昨日は天気が下り坂だったこともあって雨に濡れては困るものを片付けたりと色々と無理してしまったのと、実際に降り出した雨に打たれてずぶ濡れになってしまったのもマズかった。


 とりあえず炊事場の水でガラガラとうがいをして喉を潤してから再びテントに戻って眠りに就く。ちゃんとした薬が手に入らない以上、風邪はとにかく寝て治すしかない。

 朦朧とする意識の中で昔のことを思い出した。

 あれはそう、俺がバックパッカーとして活動し始める前、富士の麓に広がる青木ヶ原樹海で遭難して当てもなく彷徨っていた時。あの時も風邪を引いていた。



■■■15年前、青木ヶ原樹海■■■



 見渡す限りの木、木、木、木、木。前も後ろも右も左もまったく変わり映えしない木々の立ち並ぶ原生林の中を俺は彷徨っていた。

挿絵(By みてみん)


 菜月(なつき)が──二年前、一方的に別れを告げられた元カノが自殺したことを共通の知り合いから知らされた。それもシングルマザーとして生活苦の末に2歳になる俺との娘を道連れにして練炭自殺したと。


 なんで? なんで何も教えてくれなかった? なんで助けを求めなかった? なんで頼ってくれなかった? なんで死んだ?


 俺は何も知らなかった。別れた時、彼女が俺の子を妊娠していたことも、そのせいで親から勘当されたことも、一人で子供を産んで育てていたことも、不況で失業して自殺するまで追いつめられていたことも。

 どこかのタイミングで彼女の苦境を噂としてでも聞くことができていたら、俺は何をおいても彼女を助けるために全力で行動しただろうに、俺が知ったのはすべてが手遅れになってからだった。


 ずっと、別れてからもずっと好きだった。一緒にいられなくても、彼女がどこかで幸せでいてくれたならそれでいいと自分に言い聞かせながら、彼女のことを忘れようと仕事に没頭していたのに、こんなのあんまりじゃないか。

 

 彼女が望まないならよりを戻さなくたって構わなかった。養育費を出せと言われたらもちろん出した。彼女の方から言い出した別れだったから頼りにくかったかもしれないけど、ダメ元でも一度ぐらい頼ってほしかった。俺に男として父親としての責任を果たす機会すら与えてくれないまま、彼女はすべてに絶望して自ら命を絶った。その事実があまりにもやるせなくて、俺の感情とメンタルはぐちゃぐちゃになった。

 そんな状態で疲れ果てて現実逃避的に眠りに就いた俺は、そこで望んでいた未来の夢を見た。俺と菜月が別れずに幸せな家庭を築いていて、大きくなった彼女のお腹をさすりながら二人で子供の名前を考えている、そんな幸せで残酷な夢を。

 目が覚めてすべてが夢だったと知った絶望感と悲しみに、俺は一人のベッドで声を上げて号泣してしまった。

 仕事に行かなくてはならなかったが到底そんな力は残っていなくて、そんなことを考える余裕すらなくて、自暴自棄になった俺は青木ヶ原樹海に車を走らせて車を乗り捨て、徒歩で樹海に足を踏み入れて当てもなく彷徨った。

 死にたいとまでは明確に思ってはいなかったが、もうどうなってもいいという投げ遣りな気持ちや、彼女のいない世界にいたくないという厭世的な思いはあった。何よりあんなにぐちゃぐちゃになってしまった感情とメンタルの状態で誰かと一緒に過ごすことなどできるはずもなく、とにかく他人と距離を取って一人になりたかった。


 無我夢中でとにかく歩き続け、周囲が暗くなってきて、目に留まった大きな木の根元に背中を預けて座り、ただ虚空を見上げてなにも考えずにぼんやりとタバコを吸い続けているうちにいつしか意識を失っていた。

 翌早朝、立てた膝を抱きかかえ、膝に顔を埋めた状態で俺は目を覚ました。周囲は霧に覆われ、湿気を吸った衣服は冷たく、足元には吸い殻が散らばっていた。とりあえず気付けに一服しようと思ったがタバコは切れていた。仕方なく、まだ多少燃え残っている吸い殻を拾って咥えて火を点ける。頭の中の霧が晴れていくと同時に喉の渇きと空腹感も実感し、昨日仕事をすっぽかしたことも思い出した。


「……あー、やっちまった。いくら冷静さを失ってたからってこれはないよなぁ。料理長ぜったいブチ切れてる。やばい。とにかく、一旦戻らないと。…………ん? そういえば、ここどこだ?」


 冷静になって現実を直視した瞬間、最悪の事態を悟る。どうやら俺はこの広大な青木ヶ原樹海で遭難してしまったらしいと。タバコとライター以外は何も持たず、ケータイも財布も何も持っていない普段着のままで。


「…………え、嘘だろ? ガチで遭難とかシャレにならんのだが」


 昨日まではどうなってもいいと思っていたのに、いざ帰ろうと思って遭難したとなると途端に死にたくないと思ってしまうあたり、本当に人間は勝手だと思う。


 おそらくこっちから来たはず、と思われる方向に歩いてみたが、通ったはずのない崖にぶち当たって完全に万事休す。ちょろちょろと流れる小さな沢を見つけ、喉の渇きを潤すことができたのがせめてもの救いだった。

 自分にとってはこの沢の水だけが命綱だから沢から離れることはできない。沢の水はいずれ小川となり、人里へと流れていくだろうから、沢沿いに下って行くことに決めた。


 沢沿いに下っていくうちに日が暮れてきたので野宿の準備をする。適当な大木の下に入り、拾った小枝にライターでなんとか火をつけて焚き火を起こしてやっとひと心地つく。もう丸二日近く何も食べていないので空腹感で身体に力が入らなくなってきているが、食べられそうなものは何もない。とにかく空腹感を誤魔化すために沢に行って水をガブ飲みした。その時、そこに赤黒い甲羅の小さなカニ──沢ガニがたくさんいることに気づく。

 そういえば、沢ガニって素揚げとかにして居酒屋とかで出すことあるよな、と思い出した俺はすぐに棒で目についた沢ガニたちを叩き潰しては拾い集めていき、小枝に刺して焚き火で炙って串焼にして食べた。味付けもなく殻ごとバリバリ噛み砕く縄文人もビックリのワイルドスタイルだったがめちゃくちゃ旨いと感じ、生きていると実感した。

 沢ガニのおかげで食糧の危機は脱し、前日と同じように大きな木の根元に背中を預けて眠りに就く。この時点で頭痛と肩凝りはけっこう酷くなっていた。


 三日目も丸一日かけて沢に沿って歩いていたが、沢の近くに限らずこの青木ヶ原樹海という場所は地面は苔生した大きな石がゴロゴロしていてそこかしこに地面の隆起や陥没があってとにかく歩きにくい。適当な木の棒を杖として持つことでかなり楽にはなったが、おそらく靴擦れで足の裏が豆だらけになっていると思われ歩くのが辛い。


「ゲホッゲホゲホッ」


 本格的に風邪を引いてしまったようで咳は出るし、寒気もあるし、何より頭痛と肩凝りが辛い。

 さすがに遭難三日目ということで学んだこともある。焚き火にするための薪は野営場所を決めてから探し始めては時間がかかるし、ちゃんと乾いているものじゃないとちゃんと燃えないから歩きながら良さげな小枝などがあれば拾っておく。拾った薪は木に巻きついた蔓をロープ代わりに使って束ねて運ぶ。針葉樹の皮や松ぼっくりは簡単に火がつくので見つけたら拾っておく。刃物が何もないのは不便すぎるので、適当な石同士をぶつけて砕いた尖った破片を石器ナイフとして使う。これだけを意識するだけでも色々とマシになった。


 完全に暗くなる前に野営場所を決め、火を起こし、沢に行って水を飲み、食糧を調達する。沢ガニ、サンショウウオ、カエル、ヨシノボリのような小魚は簡単に捕れたので、串焼でしっかりと火を通してから骨ごとバリバリと食べる。せめて塩が欲しいと思いつつも、餓えた身には焼いただけでも旨い。サンショウウオとカエルは白身魚と鶏のササミの中間のような肉質と味だ。

 食べ終わったら体調も悪いのでさっさと眠りに就く。地面に横になるより背中を木に預けて立てた膝に顔を埋めて寝るのがまだマシだ。干し草や苔で寝床を作ればいいのだろうがそんな余力はない。



 四日目は頭上から落ちてきた雨粒によって目を覚ました。雨で焚き火の火もすっかり消えており、身体の節々が痛く、頭痛も酷く、額を触ってみたら熱も上がっていた。まともに雨もしのげない木の下にいてもしょうがないので、頭痛に耐えながら杖をつきながら沢沿いに歩き始めた。

 雨は激しさを増していき、頭痛も悪化する一方。だんだんと朦朧としてくる意識の中で、なんで俺はこんな状態でまだ生きようとしてるんだ? と自分に問いかけ始める。元々、死んでもいいって考えて樹海に入ったんだからこのままここに倒れてしまえばきっと楽になる。そう思っているのになぜか足だけは地面を踏みしめて歩いていく。

 そうしているうちに発熱ゆえの幻聴か、誰かが呼ぶ声が聞こえた気がして立ち止まる。


「…………」


 ザーザーと降りしきる雨音、木々の間に立ちこめる霧、水量を増した沢の水音、鳥か獣か分からない鳴き声、耳を澄ませても人の声は聞こえない。でも、なんとなく呼ばれた気がして、俺は沢から離れて声がしたと思う方向に進んでいった。そしてほどなく明らかな人工物を見つける。

 誰かが目印として残したのか、低木の枝にオレンジ色のビニールテープが巻かれているのを見つけた。しかもそれ一つではなく、少し離れた場所にも同じような目印があり、それが等間隔で続いていた。


「……なるほど。こうやって目印を残しながら進んでいけば迷子にならないで済むのか」


 現在進行形で絶賛迷子中の俺が先人の知恵に感心しながらやっと見つけた脱出のための手がかりを辿って進んでいくと、周囲を大木に囲まれた小さな窪地(くぼち)に辿り着いた。木の根元の土が根でしっかり保持されている一方で、そうでない場所の土が流出して地面が陥没してしまっている三方を壁に囲まれているような地形だが、その地形を利用して上にビニールシートを被せて屋根とした簡易シェルターが作られていて、周囲の木には見慣れたオレンジ色のビニールテープが巻かれていた。

 ここまでずっと人間の痕跡のない原生林の中を歩いてきた中で、ようやく人間の手による拠点を見つけることができて俺は安心していた。風邪の症状も辛くなる一方だったこともあり、俺は何の心構えもなくシェルターに近づいた。


「すいません。誰かいますか? 迷ってしま…………ッ!?」


 シェルターに入った瞬間に鼻を突くかすかな腐臭。本格的な登山用リュックやピッケルがまず目に入り、その奥の壁に背中を預けて力なく座り込んでいる人影。完全に白骨化し、屍臭も僅かに残滓が残るだけとなっている遭難者の死体がそこにあった。











 

 すいません。一ヶ月ぶりぐらいの更新になります。前話で第三部が完結して、やりきったどー! ということで少々燃え尽き状態になり、先延ばしにしていた確定申告をやったりして2週間ほど執筆活動から離れておりました。

 そろそろ再始動するか、と沈没ライフの閑話のネタ出しをしたり、データ全損して更新ストップしてしまった美少女船長をフルリメイク版として再構築し始めたり、モンキーガールのフルリメイク版『れすとあ ─モンキーガール、風になる─』をなろうにて新連載としてスタートしたりと活動再開したはいいものの、久しぶりにガチめの大風邪を引いてしまいまして……。すでに書き上がっている『れすとあ』のなろうでの連載はともかく、沈没ライフの新しい話を書く力がなかなか絞り出せず、なろう以外ではしばらく音沙汰なしになってしまった次第です。閑話も本当は別の話の予定だったのですが、まあせっかくリアルに風邪引いてるし風邪の話にするかーと第136話にてちょっと触れていた岳人の青木ヶ原樹海での遭難話Part1になりました。

 

 そういえば、ご報告が遅くなりましたが、沈没ライフついになろうにて500万pv達成しました! カクヨムでも100万pv達成、アルファはpvは見れませんが100万pt達成! 各サイトでもご好評いただけているということで、読んで応援してくださっている皆さん、いつもありがとうございます! 引き続き応援よろしくお願いいたします。


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― 新着の感想 ―
無人の場所では風邪は
更新ありがとうございます!お久しぶりです!待ってました!岳斗氏リアル遭難話しw今だから笑い話?になるのですかね?まぁ、内容は重めですが。まさか、作者様の実話ではないかと勝手に思ってます。生きていれば幸…
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