30。
こんなにも、世界が違うなんて。
上質で手触りの良い生地のテーブルクロス。厳選された食材で彩られたビュッフェの料理の数々。
見たこともない、もちろん食べたことのない料理。
キャビア、フォアグラ、ステーキ、ローストビーフ、伊勢海老、イクラ……。
シャンパンの、ゆらゆらと泡が揺れては弾けて散る、光。それを片手に持つ、着飾った男女。
高級なホテル。
スーパーと喫茶店、病院を行き来するだけの私には、信じられないような夢の中のできごと。
料理だけじゃない、意味のわからないビジネス用語が飛び交う世界もそこには広がっていて。
鹿島さんがくれたゴールドのブレスレットやスマホ、それと同等のものが、いやそれ以上のものが、キラキラと眩しいほどに、そこには存在していた。
涙を。
一生懸命、我慢した。
エレベーターを降りて、今日は須賀さんが運転しない車で送ってもらい、そして家に駆け込んでから、着替えて泣いた。
私は、ひとりだ。
どこに居たって、どんな世界に居たって、私はひとり。
そう思うと悲しみがせり上がってきて、溢れる涙を我慢することなんてできなかった。
机に突っ伏して、どれだけ泣いたのだろう。
散々泣き散らしてからゆっくりと身体を起こすと、頭が鉄の塊にでもなったように重い。
それでも、頭を起こした時、何かが手に当たって、ひらりと落ちた。
腰を折って、手を伸ばす。
一通の、手紙を拾う。
『介護用品 請求書』
パーティーに行く前に届いていたのに、見て見ぬ振りをして、後回しにした封筒に入っていた。中身が何かはわかっていたが、私はようやくそれに目を通した。
そこには、ギリギリの生活をしている私にとって、今月中には支払えない金額が、無慈悲に記入されている。
「……店長に、頼んでみようかな」
そんなことはできないし、したくないと、ずっと思って耐えてきたことだった。
誰かにお金のことで頼れば、相手を困らせることは目に見えている。自分でなんとかしよう、自分で支払わなきゃ、そう思っていたのに。
今夜のパーティーでの、自分の世界とあまりにもかけ離れた煌びやかな世界。
羨ましいとは思わなかったけれど、その差に愕然とした。
「ま、真斗、さんに……頼んでみようか」
決して言うまい思うまいと誓っていた言葉が。
口に出してみると、案外すんなりと受け入れられて、何とかなるかもという安直な気持ちになる。
ただ、それが正しい判断なのか、わからなくなって怖くなった。
自分は、これで正常なのか。
(……か、鹿島さんに助けてもらえないかな)
今まで。
絶対に。
そんなことはダメだと、自分に課してきたものが。
堰を切ったように決壊し、見事にも崩れて、そして流れ落ちていく。
考えた。考えてしまった。
(……相談、してみるだけでも……次の時にでも、)
パーティーへと向かう時には、まだ軽かった足取りも浮かれた気持ちももう、どこかに去っていった。
鹿島さんとの隔てられた世界に、私はついに白旗をあげたのだ。
涙に。襲われた。
「う、うう、うえ……」
泣きながら。
ついに手紙を破り捨ててしまった。
「どうしてっ、どうして、私だけこんな目に遭うのっ」
狂ったような声は、自分には届かない。
「なんで、」
ビリビリと破った手紙は、雪のようにはらはらと古い畳へと落ちていく。
「どうしようどうしようどうしよう、」
何度もそう繰り返した。ポタポタと畳に落ちた涙は、吸い込まれずに雫となって、いつまでもそこに存在した。




