北からの刺客
「ただいま戻りましたー……」
西城大学での新卒採用説明会を終え、夕暮れ時の店舗バックヤードへ足を踏み入れた瞬間、俺の全身の力が抜けかけた。
出張そのものは大成功だったが、白石さんとの甘すぎるキャンパス巡りと、お揃いで買ってしまった『サイジョーくん』のぬいぐるみのプレッシャーで、心臓と胃袋がすり減りきっていたのだ。
「あ、エリア長! お帰りなさいです〜っ!」
出迎えてくれたのは、コスメ担当の有栖川まひろだった。
まひろは満面の笑みで駆け寄ってきたが、俺のバッグのジッパーにぶら下がっているつぶらな瞳のサイジョーくんを視界に捕らえた瞬間、ピクッと動きを止めた。
「……ねえエリア長。それ……ほのかちゃんのバッグについてるのとお揃い? 新館で買ってきたってやつ?」
「あ、いや……これは白石さんが『出張の思い出に』って……」
「ズルいーっ! 私だって出張行きたかったのに! なんでほのかちゃんだけお揃いなんですかーっ! 次のコスメイベント出張の時は絶対私とお揃いの記念品ってくださいね!?」
「ひっ……! 分かった、分かったから袖を引っ張らないでくれ!」
まひろの猛烈な抗議にタジタジになっていると、調剤室から白衣姿の氷室涼香が優雅な動作で姿を現した。眼鏡の奥の瞳が、冷ややかに俺と白石さんを交互に見つめる。
「お帰りなさい、陣内さん、白石さん。……説明会はトラブルなく終わったようね。状況報告のLINEが途中から途絶えていたけれど…?」
「あはは……薬局長、無事にたくさんの学生さんが興味を持ってくれましたよ!」
白石さんが照れくさそうに笑って誤魔化すと、涼香は小さく溜息をついて俺へ視線を戻した。
「まあいいわ。無事なら何よりよ。それで陣内さん、デスクの上に置かれているあの『大きめの荷物』は何? 本部から何か届いていたけれど」
「あ、届いてたか!」
俺はまひろの拘束をすり抜け、デスクの上に届いていた段ボール箱へ駆け寄った。
中身を取り出すと、そこには重厚な木目調と金フチが施された、実に立派な『賞状額』が入っていた。
「……額縁? 何に使うんですか、エリア長?」
まひろが不思議そうに首をかしげる。
「ふふん、よくぞ聞いてくれた! 実は俺、実務経験5年を乗り越えて『薬学生実務実習指導薬剤師』の資格を取得したんだ!」
俺は胸を張り、日本薬剤師研鑽センターから交付された指導薬剤師の認定証を、大事そうに額縁の中へ収めて見せた。
「おお〜っ! すごいですエリア長! 指導薬剤師ですか!」
「さすが陣内先輩……! 働きながら合格されるなんて尊敬します!」
まひろと白石さんがパチパチと拍手を送ってくれる。
俺は悦に入りながら、経理提出用の領収書を事務ファイルへ挟み込んだ。
「というわけで、この立派な賞状額の購入費・税込3,280円は、店舗の『消耗品費』として経費で落とさせてもらうぞ!」
「もー実務経験がたりないから私はまだ取れないけど…そんな難しい感じじゃないでしょーそれに経費で落とすだなんて…エリア長でも稟議書は薬局長も通さないとダメなんだから」
すかさず涼香から、鋭いツッコミが飛んできた。
「ちょっと氷室さん!? これは店舗に飾って実務実習の学生を受けていますって告知するための備品だよ!? 経費で落ちて当然じゃない!」
「んー安いのにしてよ…そんななに調子に乗って3000円なんてピカピカのやつ買ってんのよ…しかも稟議書事後処理だし」
「ケチ! 経理の鬼! 3,280円くらい認めてよ〜!」
「私情で店舗予算を過剰に削らせるわけにはいきません」
涼香は腕組みをし、呆れたように眼鏡の位置を直した。
「そんなにドヤ顔で額縁を用意して……陣内さん、指導薬剤師の資格を取ったということは、近いうちに『実務実習生』の受け入れを行うつもりなの? うちの店舗は調剤も売り場もカツカツよ?」
「ふふふ、それについても報告があるんだよ、氷室薬局長」
俺はニヤリと笑い、本部の研修課から届いていた1枚の受入決定通知書を涼香に手渡した。
「実は本期から、うちの店舗で『実務実習生』を1名受け入れることが正式にマッチングしたんだなー。……少し遠いが『北海薬科大学』からの里帰り実習生!」
「里帰り実習ねーこの辺の大学じゃないのに実務実習システム大丈夫なのー?システム自体エリアによりだいぶちがうらしいじゃない?」
「まぁまぁ大学から報酬もあるし店舗評価だってあがるんだぜ、それまで俺は個々の店舗でメインになるし!」
――しかし。
この時の俺は、まだ知らなかったのだ。
やってくる子が、どれほど規格外の存在であるかを。
翌週
「初めまして〜! 本日から11週間お世話になります、北海薬科大学5年の涼宮あげはでーす! 先生方、よろしくお願いしま〜す♡」
「……え?」
バックヤードの扉が開いた瞬間、俺の思考は完全に停止した。
そこに立っていたのは、実習ギリギリの茶髪にキラキラにそろえた綺麗な爪を光らせた、どこからどう見てもド派手なギャル。
そして何より――白石さんや有栖川さん、氷室さんすらをも遥かに凌駕する、白衣の上からでも隠しきれない『圧倒的な胸囲(存在感)』。
あげはは小声で呟いた「担当の先生カッケェ…」
あげはは薬学部や薬剤師ではヒョロヒョロかすこしふとっちょさんしか見たことがなかったが
エリアマネージャーの雑務で自然に鍛えられている
陣内の細マッチョ具合、腕に盛り上がる血管をみて呟いてしまったのだった
「あ、ああ……よろしく、涼宮さん……って、うわっ!?」
親しみやすすぎるあげはは、挨拶代わりにズッと一気に距離を詰めてきた。
その瞬間、白衣越しに伝わる圧巻の柔らかさとボリュームが俺の腕に接触しそうになり、俺は「ひっ!」と情けない声を上げて1メートル後ろ跳びした。
(あ、アカン……! なんだこの圧倒的な胸囲は……!? 指導するだけでセクハラ扱いされないか冷や汗が出る……!!)
「あれ?先生 距離遠くないですかぁ〜?」
あげはが首をかしげてさらに一歩踏み込んできた、その時――。
「「「ちょっと待ちなさい(待ってください)(待ってくださいーっ)!!!」」」
バックヤードに、3つの怒号が同時に響き渡った。
調剤室から鬼の形相で飛び出してきた氷室涼香。
売り場からコスメのPOPを武器のように構えて駆けつけた有栖川まひろ。
そして、目を丸くして震えている白石ほのか。
3人のヒロインが、瞬く間に俺とあげはの間に割って入り、人命救助レベルの緊急スクラムを組んだ。
「実習生の方……! いくら指導薬剤師への挨拶とはいえ、パーソナルスペースが…!距離感が不適切です!」
涼香がメガネをシャキーンと光らせ、氷点下の視線であげはを牽制する。
「そうですよ〜! エリア長は忙しいんですから、そんなにギューギュー近づかないでくださいーっ!」
まひろが自分の胸元とあげはの胸元を交互に見比べ、敗北感に唇を噛み締めながら抗議する。
「す、涼宮さん……! 拓海先輩は真面目な指導薬剤師なんだから、変な惑わし方はダメだよ……!」
ほのかが涙目になりながら立ちはだかる。
しかし、当のあげはは3人からの凄まじい嫉妬の嵐にも一切動じる様子がない。
「きゃー♡ 皆さんめっちゃ可愛い〜! てか、この店舗レベル高すぎじゃないですかぁ〜? テンション上がる〜!」
パチン! と楽しそうに手を叩くあげは。
その自由すぎるギャルマインドと圧倒的な胸囲の前に、薬局長の涼香すら毒気を抜かれて「くっ……なんなのよこの胸……」と気おされている。
「あ、あのさ、みんな……。涼宮さんは今日からうちで学ぶ大切な実習生だから。俺も『指導薬剤師』として、しっかり公私混同せずに指導するからさ……」
俺が冷や汗を拭いながら仲裁に入ると、3人は一斉に振り返り、過去最高レベルの眼光で俺を睨みつけてきた。
「「「何言ってんの!学生さん相手に公私混同したら(距離を詰めさせたら)、タダじゃおきませんからね!!」」」
「ひいっ……!?」
「あはは! めっちゃ愛されてますね〜! ウケる〜♡」
爆笑するギャル実習生。
殺気を飛ばしてくる3人の美女。
そして、額縁の経費(3,280円)すら落ちなかった悲劇と、指導薬剤師としてのプレッシャーの挟み撃ちで、俺の胃袋は朝の9時半にして雑巾のように絞り上げられていた。
(……アカン。指導薬剤師としての11週間、俺の胃と理性が持つわけがない……!!)
俺は震える手でポケットから『ラベール胃腸薬プレミアム』を取り出し、絶望的な胃の痛みを抑え込むために、水なしで喉へ流し込むのだった。
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