京都学会の死闘と、二人で鳴らす勝利の鈴
初めての大舞台での学会発表に挑む陣内、想定外の鋭い質問に対する氷室涼香の見事なフォロー、そして大成功のあとに囁かれる甘い言葉と陣内の限界突破の胃痛をお楽しみください
京都国際会館、メインホール。
天井が高く重厚な熱気に包まれた会場で、俺――陣内拓海はマイクの前に立っていた。
いつもは女性陣のアプローチや修羅場に胃を痛めている俺だが、今日ばかりは純粋なプレッシャーで胃が破裂しそうになっていた。全国から集まった数百名の医師、薬剤師、研究者たちの視線が一斉に俺へ注がれる。
「……私共は認知症患者において、日本版抗コリン薬リスクスケール(JARS)に基づき抗コリンスコアが3点以上の方を対象にスコア低下介入を行い、コリン負荷を減らすことで認知症症状の緩和を目指しました。実際に改善したと思われた症状を数値化し比較したところ、スコアを2点以上低下させた群において……特に泌尿器症状および日中の覚醒度に有意な改善差が認められました……!」
客席の最前列で俺を見つめる氷室涼香は、その堂々たる口調と完璧なプレゼンテーションに、本当にこれが初めての全国発表なのかと疑うほどだった。
(……すっ……素敵……っ! 陣内さん、頑張って……!)
胸の前で固く手を握りしめ、眼鏡の奥の瞳をうるませて俺を見つめる涼香。
「――以上で発表を終わります。ご清聴ありがとうございました」
パチパチパチと会場から大きな拍手が湧き起こる。
(ふぅ……やった、噛まずにスライドを終えられたぞ……!)と胸を撫で下ろした瞬間だった。
座長がマイクを取る。
「ありがとうございました。それでは会場からご質問を受け付けます」
スッと会場中央のマイクスタンドに、鋭い眼光を放つ男性医師が立った。
「私、淵野辺脳神経外科病院でCST(排尿ケアチーム)を担当しております者です。急性期で脳出血などを起こしている患者の場合、全身管理が優先され非常に難しい状態となります。短期間で勝負するため、どうしてもエブランチル(ウラピジル)などのようなα1遮断薬に頼りがちになりますが……やはり急性期という短いスパンであっても、抗コリン薬の整理や減量は必須だと先生方はお考えでしょうか?」
(ま……まずいっ……!?)
想定問答集にも用意していなかった、超臨床的かつ高度な急性期医療の質問だ。
頭の中が真っ白になり、冷や汗が噴き出す。
(急性期での抗コリン負荷減量の即効性とリスクの優先度……っ!? くっ……胃が……胃が激痛で……!)
俺が固まりかけたその時――隣のマイクへ、スッと滑らかな動作で一歩前に出た人物がいた。
氷室涼香だ。
「質問ありがとうございます。白鳥駅前店薬局長の氷室です。お答えいたします」
涼香は一切の揺らぎもない凛とした声で、堂々とマイクに向かって語り始めた。
「私どもの今回のデータは、慢性期・生活期における長期的な観察結果でございます。ご指摘の通り、数日〜数週間という短期的な急性期介入では、直ちに目覚ましいQOLスコアの改善を得るのは難しいかもしれません。しかし――それが『意味のない介入』だとは私どもは考えません」
会場の誰もが、彼女の明確な回答に耳を傾ける。
「急性期であっても早期に抗コリンスコアを軽減しておくことで、仮にその後もせん妄や排尿障害が残存した場合に『それが疾患によるものか、それとも薬剤性(副作用)によるものか』の差別化が容易になります。つまり、薬剤性の要因をあらかじめ排除しておくこと自体が、その後の治療選択における大きな臨床的価値になると考えております」
「……! なるほど、鑑別診断のためのリスク排除としての早期介入ですね。貴重なご意見、ありがとうございます! 我々のチームでもぜひ検討させていただきます」
質問者の医師が深く満足そうに頷き、頭を下げた。
『――以上をもちまして、本演題の発表を終了いたします!』
大きな拍手が再び会場を包み込み、俺たちは無事に降壇した。
舞台袖の控えスペースへ戻ると、俺はどっと全身の汗が吹き出し、壁に手をついた。
「ふぅぁぁ……助かった……! 氷室さん、あのフォローは完璧だったよ……! 本当にありがとう……!」
「ほら……『二人なら』乗り越えられましたよ♪」
「えっ……?」
涼香が静かに近づいてくると、ふわりと甘いシャンプーの香りが漂った。
彼女は俺の耳元へ滑らかな顔を寄せると、吐息が触れるほどの至近距離で、とびきり艶めかしい声で囁いた。
「……ね? 神社のあのピンクの鈴、これからも大事にしましょうね……陣内さん♪」
「っ……!!」
昨日、野宮神社で買わされた『恋愛成就』のピンクの鈴。
その真の意味と、彼女の隠しきれない本気度の高さを至近距離の吐息で叩き込まれ、俺の視界がグラリと揺れた。
(あ、アカン……! 学会発表の緊張から解放された瞬間に、今度は甘すぎる眩暈で意識が飛ぶ……!!)
「陣内さん……? お顔が真っ赤ですけれど、大丈夫ですか……?」
「だ、大丈夫……じゃない……っ! 胃薬……京都の胃薬を……っ!」
大成功の達成感と、美しすぎる薬局長のあまりの破壊力にノックアウトされた俺は、プルプルと震える手で『ラベール胃腸薬プレミアム』を取り出し、京都の天井を見上げながら喉奥へ煽り込むのだった。
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