噂の氷室先生と、優しい調剤室
ほのかの同期である他店舗の新人薬剤師・小寺結衣の視点から描かれる、白鳥駅前店での応援研修エピソード
噂の「冷酷なロジックモンスター」に怯えていた小寺が、すっかり柔らかく可憐になった氷室薬局長の優しさと圧倒的な指導力に毒気を抜かれていく
今日は陣内エリア長が本部会議で終日不在の日。
白鳥駅前店の自動ドアの前で、他店舗から応援研修にやってきた新人薬剤師・小寺結衣(24)は、今にも泣き出しそうな顔で佇んでいた。
(どっ……どうしよう……っ! ほのかちゃんは『白鳥駅前店の薬局長はとっても可愛くて素敵だよ』って言ってたけど……うちの店舗の木村薬局長は『氷室先生は冷酷なロジックモンスターだから、少しでも間違いをしたら後ろから正論パンチで刺されるぞ! しっかり勉強してから行け!』なんて脅してくるし……こわいよう……っ!)
意を決して、そーっとドアを開けてバックヤードへ足を踏み入れる。
「ん? 応援の方ですか?メーカーさん?にはみえないけど…」
パタパタと軽やかな足音とともに現れたのは、エブリデイ可愛い有栖川まひろだった。
(かっ……可愛いーーーっ!? お人形さんみたい……! 可愛い女の子見るの、すごく目の保養になる……!)
「あっ……あの……本日、応援実習でお邪魔します……小寺です……っ」
「あ、小寺さんですね! ほのかちゃんから聞いてますよ〜! よろしくお願いしまーす♪」
まひろの甘い笑顔にホッとしたのも束の間、背後からスッと洗練された気配が近づいてきた。
「あら? 小寺さん?」
(ひえっ……! 氷室先生だーーーっ!!)
小寺は直立不動になり、目をギューッと閉じて頭を下げた。
「あっ、あの! 小寺結衣です……っ! 本日はよろしくお願いします……っ!」
「よろしくね、小寺さん♪」
「えっ……? あ……はい……」
恐る恐る目を開けた小寺の前にいたのは、眉を下げて柔らかく微笑む、あまりにも透明感あふれる超絶美人だった。
(すごい……すっごい美人さんだ……! しかも全然怖そうじゃない……むしろ肌がツヤツヤしててめちゃくちゃ可愛い……!?)
「あっ……あの……私なりに頑張って勉強してきたんですけど……その……投薬前は少し考えないと、パッと答えが出なくて……」
「大丈夫よ。焦らず、間違わないように丁寧にやりましょうね。……私も、昔はそんな時期があったもの」
(絶対ないじゃん……! 氷室先生がそんなポカする時期なんて絶対なかったはずじゃん……! でも、木村薬局長の言ってた噂と全然違う……!)
業務が落ち着いた午後、涼香は優しく小寺に声をかけた。
「小寺さん、何か今日やっておきたい分野や、深めたい業務はあるかしら?」
「あっ……あの……やりたいというか、自分の苦手を克服したくて……」
「どこが苦手なの?」
「精神科の処方です……。検査数値みたいに目に見えて数値化できないし、換算方法がわからないので
、強くなったかわからないし…種類が多くて訳が分からなくなっちゃって……」
「そう。精神科薬の基本は、基本となる単位の置き換えから覚えることよ。クロルプロマジン換算とジアゼパム換算の考え方整理からやりましょうね」
涼香はメモ用紙を取り出すと、複雑な精神科薬の力価換算を、小寺の頭にスッと入る見事なロジックで解きほぐしていく。
「……あの、処方日数制限はどうやって覚えればいいでしょうか?」
「てんかん発作の適応があるか否かで整理すると覚えやすいわよ。基本、睡眠薬や抗不安薬は30日制限だけど、塩酸リルマザホン(ベンゾジアゼピン系)やエスゾピクロン(非ベンゾジアゼピン系)は除外(1回の処方日数制限なし)ね。リボトリール(クロナゼパム)はてんかん発作の適応があるから90日処方が可能よ。
あと、エスゾピクロンとゾピクロンの違いは、有効な『S体』だけを集めたのがエスゾピクロン。そうじゃない(ラセミ体)のがゾピクロンよ。抗うつ薬のエスシタロプラムも『S体』だけを集めたものだから頭に『エス』が付いているの。シタロプラム自体は日本では未承認だから、そこもセットで覚えておくと混乱しないわ」
(全然怖くない……! むしろめちゃくちゃ分かりやすいし、説明してる氷室先生が可愛すぎる……!)
圧倒的な知識量と、後輩を温かく包み込むような指導力。小寺の瞳は尊敬と憧れでキラキラと輝いていた。
「あっ……あの……っ!」
「なぁに?小寺さん?」
「あの……また機会があれば、陣内エリア長にお願いして、白鳥駅前店に応援に来て氷室先生に教わりたいです……っ!」
涼香は一瞬驚いたように目を丸くし、それからフワッと嬉しそうに頬を緩めた。
「ふふっ……ありがとう、小寺さん。ウチはいつも人手がカツカツだから、そう言ってもらえると本当に助かるわ。木村薬局長にも『小寺さんはとても優秀で助かりました』ってしっかり伝えておくわね♪」
夕方。外回りから戻ってきたほのかが、大きな息をついて調剤室に入ってきた。
「ふ〜っ! 腎臓内科の宅配、疲れた〜っ!」
「あっ、ほのかちゃん!」
「あ、結衣ちゃん! 今日はどうだった? 氷室薬局長、怖くなかった?」
「ううん! 氷室先生、めちゃくちゃ優しくて教え方も分かりやすかったよ!」
「そうでしょ〜! 優しくて綺麗で、仕事も完璧で……私にとって『最大で最強の私のライバル』なの!」
「えっ……? ライバル……?」
首をかしげる小寺の視線の先で、氷室涼香はデスクの上に置いてある陣内エリア長のマグカップを愛おしそうにそっと整え、嬉しそうに微笑んでいた。
(……あ、木村薬局長が言ってた『刺される』って、仕事のミスじゃなくて……恋のライバルとしてって意味だったのかな……?)
陣内エリア長が不在の白鳥駅前店で、小寺結衣は「噂の氷室先生」の真の恐ろしさ(=底知れない可愛さと乙女心)を、身をもって知るのだった。
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