エスゾピクロンの罠
味覚障害は何も抗がん剤だけで起きるのではないのだ!
白鳥駅前店の健康相談ブース。
初期の胃がんで抗がん剤治療を受けている野村さんが、少し浮かない顔でやってきた。現代の支持療法は発達しているため激しい吐き気はないものの、「なぜか朝起きると口の中が苦いんだ」と悩んでいる。
後ろで見学していたギャル実習生のあげはが、即座に反応した。
「それ、絶対味覚障害っしょ!」
しかし、白石ほのかはすぐには同意せず、野村さんのおくすり手帳をじっと見つめ、別の可能性に頭を巡らせていた。
(抗がん剤の副作用だけじゃない……何か別の原因があるはず……!)
「野村さん、なんか最近……新しいお眠りのお薬(睡眠薬)始めましたね?」
「いやなんかさぁ、がんって聞くと怖くて眠れなくなっちまってさ……」
「眠剤を選ぶきっかけとかあったんですか?」
「それがさ、他の薬だと『1ヶ月の処方日数制限がある』って言われてさ! 初期がんとはいえ毎月病院に通うのは仕事があるから面倒でよー」
野村さんの言葉を聞き、ほのかは「ははーん、さてはそれで選びましたね!」と得意げに鼻を鳴らした。
「間違いなくこれですよ、野村さん!」
「えっ、眠剤がぁ?」と、後ろで聞いていたあげはが目を丸くする。
「この『エスゾピクロン』というお薬を飲み始めてからじゃないですか?」
「ん……? そう言われたら、飲み始めたのちょうどその頃かも……」
「このお薬はですねぇ、血に乗って唾液中にも出てきちゃうんです! だから朝起きたときに口の中が苦く感じやすいんですよ。超速攻型だから、昼頃には気にならなくなる人も多いんですけどね!」
「なっ、なんか、そうかもしれないねぇ……!」
「試しに、日数制限の縛りがない別タイプの睡眠薬に変えられないか、お医者さんに相談してみましょうか?」
「たのむよお姉ちゃん! いやぁ、こんなに若いのに、立派なもんだねぇ!」
野村さんはすっかり安心し、満面の笑みで帰っていった。
その一部始終を、少し離れた調剤室の隅から俺と氷室薬局長はそっと覗き見していた。
「安易に抗がん剤のせいにせず、薬剤性味覚障害やプロファイルまで見抜くなんて……白石さん、なかなかやるようになったじゃない?」
涼香が珍しく感心したように目を細める。
しかし、それを聞いたほのかは、負けず嫌いに火がついたようにムキになって言い返す。
「むー! 薬局長、今『やるようになった』って言いましたね! 私だって認定薬剤師の勉強を始めてるんですからね! ずっと薬局長がエリア長を独占できるなんて思わないでくださいよ!」
「あらー? 私が独占しているかしら? やれるものならやってみて?」
涼香はフッと余裕の笑みを浮かべ、艶やかな黒髪をかき上げて美しいキューティクルを見せつける。
(絶対負けないんだから……!)と、ほのかの闘志がメラメラと燃え上がっていた。
目の前で繰り広げられる美人のバチバチとした静かなバトルに、俺は「いや、俺はただ学会の準備を手伝ってもらってるだけで……」とタジタジになり、早くも背中に冷や汗が流れ始める。
(くっ……胃が……痛い……!)
そこに、さらなる爆弾が投下された。
「ねぇねぇ、エリア長!」
エブリデイ可愛い有栖川まひろが、ぐったりとした様子から一転、パッと花が咲いたような笑顔で飛んできた。
「まひろちゃん、今日ね、OTCの医薬品販売で患者さんにめちゃくちゃ褒められたの♪ 化粧品以外でこんなに褒められたの初めてかも……! 見てみて、お仕事の成果だよ!」
嬉しさのあまり、まひろはそのまま俺の腕にギュッとぴったり密着してきた。
「「あっ……」」
調剤室のバトル中に、堂々と陣内にボディタッチをかましたまひろ。
その瞬間、涼香の目が氷点下に下がり、ほのかが「ずるいです!」と頬を膨らませる。
(待て待て待て……! 誰かを褒めようとすると、誰かが怒る! どの方向を向いても地雷原じゃないか……!!)
ヒロインたちの視線が「誰を一番見てるの?」と言わんばかりにバチバチと火花を散らす中、俺は静かに、そして素早くポケットへと手を伸ばした。
(……今日のところは、ラベール胃腸薬プレミアムをダブルで飲むしかなさそうだな……)
美女たちの甘く厳しい包囲網の中で、俺はまたしても胃薬の小瓶をチラチラと見つめるのだった。
「少しでも『面白かった!』『続きが気になる!』と思ってくださったら、下部の【★で評価する】や【ブックマーク】を押していただけると執筆の大きな励みになります!」




