論文作成と、調剤室の甘い包囲網
日本老年薬学会の「日本版抗コリン薬リスクスケール(JARS)」をテーマにした学会論文の共同執筆と、調剤室で繰り広げられるヒロインたちの甘く激しい(そして陣内の胃を直撃する)争奪戦
白鳥駅前店の調剤室。
秋の学会発表へ向け、俺と氷室薬局長はパソコンを囲んで頭を突き合わせていた。
近すぎて頭がぐちゃぐちゃになって行く
テーマまで涼香に決めてもらっちゃっている
俺のメンツ(もともとあまりないが)はズルズルになる
テーマは『認知症高齢者における抗コリン薬負荷に着目した薬学的介入と処方適正化の検討』。
日本老年薬学会が公開している「日本版抗コリン薬リスクスケール」――国内で使用される158薬剤を対象に抗コリン作用(さまざまな効果が出て大変)の強さを3段階で評価するこの指標を活用し、当店舗での介入データを論文としてまとめる作業を進めていたのだ。
「なーこれってさ、認知機能だけじゃなくて、おしっことか(排尿障害や口渇などの抗コリン副作用)も良くなっていってる?」
「それはそうよ、理論上、中枢神経だけじゃなく末梢の泌尿器や消化器の受容体にも作用するんだから」
「でもよ、それなら排尿リズムも安定して夜間の覚醒が減るから、生活にメリハリがついてQOL(生活の質)も向上するかもな」
「……フフッ、いい着眼点ね、陣内さん。……そういうところ、よしよし…尊い…」
ふと見上げた俺に、涼香が優しく微笑みかける。
その距離の近さと甘い空気、まひろとは違う凛とした香りに俺の心臓はトクトクと嫌な音を立て始めた。
その様子を、バックヤードの隅からジーッと見つめている人物がいた。
「む〜……むつかしい……くやしい〜……!」
白石ほのかが、ガイドラインの資料を片手に頭を抱えて唸っている。
学会だのJARSだの、なんだか難しそうな専門用語を並べ立てて二人だけで盛り上がっている姿が、ほのかには面白くなくて仕方がなかった。
(なんか、なんか……! 学会とか何とか言っちゃって、二人だけでやりたい放題じゃない! ムキーっ!)
「ねぇ……アレ、何やってんの?」
そこへ、登録販売者試験に合格して自信をつけたエブリデイ可愛い有栖川まひろちゃんが登場する、ぐったりとした様子でアイスコーヒーを飲みながら近づいてきた。
「ねぇ、まひろさん! 難しそうな話でエリア長を独占してるんですー!」
「ねぇねぇ! ほのかちゃんもそこに参入してよ〜! あんなの、ハラハラして見てらんないよぅ……!」
まひろの煽りに背中を押され、ほのかのなかにメラメラと対抗心が燃え上がった。
一方の俺は、涼香と並んでデータと格闘している最中だったが、なぜか背後から突き刺さるような「ゲキカワたちの殺気」を感じて冷や汗をかいていた。
(くっ……背中が痛い。いや、胃が痛い……!)
「もう……陣内さん、どこ見てるの? 画面はこっちよ。……後少しで考察のセクションが終わるんだから、集中して…」
涼香がスッと顔を近づけてくる。
艶やかでキューティクル抜群のサラサラ黒髪がすぐ目の前をかすめる。整えられた綺麗な顔立ちが至近距離まで迫り、俺は息を呑んだ。
「お、おう……分かってるよ、氷室さん……」
「よっ……良しっ!ガイドライン目通したぞ! 薬局長ーっ、私も参入しますっ!!」
我慢の限界を迎えたほのかが、血眼になってガイドラインを片手にガタンと立ち上がり、調剤台へ突撃してきた。
「ちょっと流石に私手伝えないから頑張ってよまひろちゃん!剥がして剥がして!」
エブリデイ可愛いまひろちゃんも勉強したとしてもこの分野では流石に全く歯が立たない
「あら〜、白石さん。いいけれど、準備はできていて?」
涼香はフッと悪戯っぽくクスクスと笑うと、あえて俺の肩にふんわりと手を置いた。
「今日は私の番よ……フフッ」
愛おしげに俺の肩を撫でる涼香の指先。
予期せぬボディタッチと、背後から迫るほのかの熱視線。ダブルのプレッシャーに脳内パニックを起こした俺は、目の前の画面の文字が全く頭に入ってこなくなっていた。
(あ、アカン……! 学会論文のデータより先に、俺の理性と胃袋のデータが崩壊する……!!)
「で、データ入力は白石さんも手伝ってよね! ほら、ボーっとしてないの!」
「薬局長、ずるいです!それじゃ薬局長だけやりたい放題で私パシリみたいじゃないですかー!!私もエリア長に教えてもらいます!」
挟み撃ちにされる俺のポケットの中で、愛用の『ラベール胃腸薬プレミアム』が「出番だ」とばかりに音を立てている気がした。
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