新しい道
ヴァルガスは、オトをじっと見ていた。
「……お前」
「なに?」
「千年後を楽しみにしてろって、そういう意味だったのか?」
オトは少し考えたあと、ぱっと顔を明るくした。
「あ、覚えてたんだ!」
「今思い出したんだよ!」
怒鳴るヴァルガスの横で、ナナが静かにため息をつく。
「私も初耳でした」
「内緒にしたからね」
「胸を張るところではありません」
その少し向こうでは、別の意味で妙な沈黙が流れていた。
先ほどまでアヴァロンを見上げ、拳を振り上げていた女が、まだその格好のまま固まっている。
空にはもう何もいない。
龍も魔人も動けるようになり、トーカイシティには魔法の灯りが戻っていた。
女はゆっくり拳を下ろした。
「…………消えたねぇ」
誰も何も言わない。
「いや、その……もうちょっとあると思うだろ。普通」
すると、近くで倒れていた若い龍が身体を起こした。
「姉御」
「……誰が姉御だい」
「姉御って呼んでいいっすか?」
「よくないよ」
即答した女に構わず、若い龍は目を輝かせている。
「いや、マジで格好よかったっす。俺らが全然動けない中で、あんな啖呵切って前に出てくるなんて」
「やめな」
「『こういう時こそ、ヒトとしての意地を見せるんだよ!』って」
「言い直すんじゃないよ!」
「俺、あれ聞いて震えたっす」
「もう黙りな!」
若い龍はまったくめげず、むしろ勢いを増した。
「惚れたっす」
「はあ!?」
今度こそ女の顔が赤くなる。
「そういう意味じゃねえっすよ! いや、ちょっとそういう意味もあるかもしれないっすけど!」
「どっちだい!」
近くにいた魔人が、堪えきれず肩を震わせた。
女が睨む。
「笑うんじゃないよ!」
「いや、馬鹿にしてるんじゃない。本当に格好よかったんだ」
その言葉には、からかいがなかった。
倒れて、何もできなかった者たちが、まっすぐ女を見ている。
女は一瞬だけ言葉に詰まり、気まずそうに顔をそらした。
「……大げさなんだよ」
ついさっきまで張り詰めていた空気が、そこでようやく少し緩んだ。
女は照れ隠しのように辺りを見回し、崩れた壁に目を止める。
ヒトも、魔人も、龍もいる。ついさっきまで壁の両側に分かれていた者たちが、瓦礫を避けながら同じ場所に立っていた。
女は腰に手を当てた。
「……で、これどうするんだい?」
瓦礫の上に片足を乗せ、崩れた壁を見回す。
「直すのかい?」
その問いに、すぐ答える者はいなかった。
ヒトの街から来た男が、壊れた石壁へ手を置く。
「……なくなったらなくなったで、妙な感じだな」
「ずっとあったからな」
「でも、別にここまで高くなくてもよかったんじゃないか?」
魔人の一人が口を開く。
「最初はこんな壁じゃなかった。安全のための境界だったはずだ」
「それが、いつの間にかこうなったってことか」
誰かが苦笑した。
女はそのやり取りを聞きながら、トーカイシティの方を眺める。空には魔法の乗り物が戻り、街には再び光が灯っていた。
「先に言っとくけどね。私は向こうに住みたいわけじゃないよ」
隣にいた魔人が、少し意外そうに振り向いた。
「井戸も不便だし、道だってこっちの方が悪い。そりゃ、もっと良くしてほしいさ。でもね、だからってトーカイシティと同じ街にしてくれって話でもない」
「じゃあ、今まで通りでいいのか?」
「それも違う」
女は即座に答えた。
「街は別でいい。でも、壁までいるかい?」
視線の先には、アヴァロンが開けた大きな空白がある。
そこを通って、ヒトの子どもが倒れていた魔人の子へ水を運んでいた。その横を、小さな龍が瓦礫を抱えて通り過ぎていく。
「向こうは向こう。こっちはこっち。それで困らない奴も多いよ」
女はそう言ってから、瓦礫をひとつ蹴り退けた。
「でも、行きたい奴まで止める必要はないだろ」
人々の間から、いくつか頷く者が出る。
今度は魔人側から声が上がった。
「こっちも、街全部をヒトに合わせるのは無理だぞ。魔法が前提で作られてる」
「当たり前だろ」
先ほどの男が答えた。
「そっちにはそっちの暮らしがある。こっちにもある」
「だったら、行き来できるところだけ考えればいいんじゃないか?」
「道とか?」
「乗り物もだな。ヒトでも使えるやつ」
「病院は?」
「それも必要だろ」
話はまとまらない。誰かが言えば、別の誰かが口を挟む。
それでも、誰も壁を挟んではいなかった。
少し離れたところでその様子を眺めていたヴァルガスに、女が声をかける。
「龍王様はどう思う?」
「俺?」
「この国をずっと守ってきたんだろ」
ヴァルガスは腕を組み、しばらく崩れた壁と人々を見比べた。
「知らねえよ」
女が眉を上げる。
「随分無責任だね」
「昔にも同じこと言いたかった奴がいる」
ヴァルガスはオトをちらりと見た。
オトがにこっと笑う。
「俺が決めたら、またお前らは俺に守られてるだけになるだろ」
その言葉に、女は少しだけ目を細めた。
「じゃあ、自分たちで決めろって?」
「ああ」
ヴァルガスは崩れた壁の向こうへ顎をしゃくった。
「もう道は開いてるんだ。あとは好きにしろ」
女はしばらく黙っていたが、やがて声を上げて笑った。
「本当に無責任な龍だねぇ」
「うるせえ」
その周りではもう、誰かが瓦礫をどかし始めていた。
壁を作り直すためではない。
新しく道を作るために。




