千年の始まり
「よし、この子にしよう!」
ノワールが両手で掲げたのは、小さな林檎の苗木だった。
まだ細い。
幹と呼ぶには頼りなく、葉も数えるほどしかついていない。
ブランが覗き込む。
「林檎ですか」
「うん。かわいいでしょ?」
「街の象徴にするものを、かわいいで決めていいのでしょうか」
「いいのよ。大きくなるんだから」
ノワールはしゃがみ込み、柔らかくした土へ苗木を植えた。
「名前は……」
顎に指を当ててしばらく考える。
やがて、ぱっと顔を上げた。
「アファル!」
「そのままですね」
「いいのよ。この子はアファル。格好いいでしょ?」
「林檎の呼び方を少し変えただけでは」
「細かいことはいいの」
根元へ土を寄せると、ノワールは満足そうに立ち上がった。
そして急に表情を引き締める。
ブランが、また始まったという顔で半歩だけ下がった。
ノワールはローブの裾を払うと、小さな苗木へ片手をかざす。
「我が名は、原初の魔女――ヘクス・オットー・ノワール」
風が巻いた。
足元から淡い光が走り、苗木を中心として幾重もの文字と紋様が地面へ刻まれていく。
「名もなき地に根を張り、幾星霜を越えて天を仰げ。春には花を、秋には実りを。汝が枝葉の下に集う者たち、その喜びも、悲しみも、争いも、繁栄も――すべてを見届ける大樹となれ」
ブランが小さく息を吐く。
「今日は長いですね」
「大事な魔法だから」
「そうですか」
「あと格好いいから」
「やはりそちらですか」
ノワールは聞かなかったことにして、苗木へ指先を向けた。
「我、名付け親たる魔女の名において命ずる。アファルよ――千年を生き、この地の歴史を見届けよ」
魔法陣の光が根へ吸い込まれた。
少しだけ。
本当に少しだけ、苗木の先端が伸びた。
「……変わりました?」
「伸びたわよ」
「一センチくらい」
「最初はそんなものよ」
さっきまでの仰々しさが嘘のように、ノワールはしゃがみ込んで小さな葉を指先で撫でた。
「ゆっくりでいいの」
立ち上がると、近くにいた龍たちへ振り返る。
「この子が大きくなった頃、また見に来ますね。それまで、この子のことよろしく頼みます」
龍たちは顔を見合わせ、それから大きく頷いた。
ブランも苗木の前へしゃがみ込み、根元へ手を添える。
淡い光が一瞬だけ瞬いた。
「この子に足跡を記録しました」
「足跡?」
「ええ。ここで何をしたのか。誰と出会ったのか。何を約束したのか」
ブランは立ち上がった。
「これなら、また辿れます」
「そんなの覚えてればいいじゃない」
ノワールが不思議そうに首を傾げる。
ブランはしばらく彼女を見つめた。
「……そうですね」
「でしょ?」
「行きましょう」
二人の魔女は歩き出した。
その背中を、小さな林檎の苗木が見送っていた。




