ヒトとしての意地を見せるんだよ!
「思い出した!」
足に力が入らないまま、オトが突然声を上げた。
少し離れた場所へ落ちたヴァルガスが、どうにか首だけをこちらへ向ける。
「今かよ!」
「最後だけ特別にしたんだった!」
「何をした!」
「魔力ある人、みんな動けなくした!」
「見れば分かる!」
オトは立ち上がろうとして膝を浮かせたものの、すぐに力が抜けた。
「あれ? 私も動けない」
「お前も魔人だろうが!」
「……あ」
隣ではナナが膝をついたまま、深いため息を吐いている。
「私に相談してくだされば、止めましたのに」
「だから内緒にしたんだと思う」
「なお悪いです」
オトは怒られている理由がいまひとつ分からない顔をしていたが、その間にもアヴァロンは空を旋回していた。
魔法の光を失ったトーカイシティは、さっきまでの祭りが嘘のように静まり返っている。龍も魔人もまともに動けず、崩れた壁の向こうでは、ヒトたちだけが立ったままこちらを見ていた。
誰かが、ぽつりと言った。
「……今なら」
その声に数人が反応する。
「龍も動けない。魔人もだ。今なら、トーカイシティを取り戻せる」
ざわめきが広がり、武器を手にする者もいた。
千年のあいだ一度として訪れなかった機会だった。
「今しかない!」
「ああ、今しかないねぇ」
低い女の声が返ってきた。
復権派の前へ、一人の女が歩み出る。年若くはない。袖をまくった腕には仕事でついた傷が残り、腰には市場で使っていたらしい布袋が下がっている。
女は崩れた壁の向こうを一度見てから、武器を持った男たちへ向き直った。
「だから今、踏ん張るんだろうが」
「……何?」
「龍も魔人も動けない。だったら今しかないだろ。私らヒトが、守る側に回れるのは」
男たちが顔を見合わせる。
「何百年も守られてきて、相手が動けなくなった途端に後ろから刺すのかい? それでトーカイシティを取ったとして、胸張って『ヒトが勝った』って言えるのか?」
「俺たちはずっと壁の外だぞ! あいつらだけが豊かになって――」
「知ってるよ!」
女の怒声が、それを叩き潰した。
「こっちは井戸に並んで、向こうじゃ夜中まで街が光ってる。病気になったって、向こうみたいにはいかない。腹が立ったことくらい、私にだってある!」
握った拳が震えている。
「だからって、今しかないから奪うのかい?」
女は一歩、崩れた壁へ近づいた。
「このまま指くわえて眺めてるだけかい? それとも、動けない相手を踏んづけて権力でも取るかい?」
誰も答えない。
「みんな、それぞれ守りたいものがあるんだろ。家族も、この街も、自分の暮らしも。だったら一方的に守られてるだけってのは違うだろうが!」
女は壁の向こうを指さした。
「私らは今まで守られる側だった。なら、こういう時くらい恩を返して守るんだろ! 龍や魔人と対等になりたいって言うなら、力がない時を狙うんじゃない。こういう時こそ、ヒトとしての意地を見せるんだよ!」
しばらく、誰も動かなかった。
やがて女が先に走った。
崩れた壁を越え、倒れている魔人のもとへ向かう。
「何してんだい! 手ぇ貸しな!」
その声に、今度は別のヒトが動いた。
一人、二人と壁を越えていく。
共生派だけではない。向こうは向こう、こっちはこっちでいいと思っていた者もいる。復権派の不満に、少しくらい頷いたことのある者もいた。
「俺、あの龍起こしてくる!」
「無理だ、一人じゃ重い! 三人来い!」
「子どもが倒れてるぞ!」
考えが一つになったわけではない。それでも今、向いている方向だけは同じだった。
武器を持っていた男の一人が、やがてそれを地面へ置いた。その隣でも、もう一つ音がした。
オトは動けないまま、その光景を見ていた。
そして、もう一つ思い出す。
「……あ」
千年前、自分が最後に加えた条件。
アヴァロンを倒す必要はない。
その場にいる者たちが逃げず、一つになって立ち向かい、勇気を示せば、それで終わる。
空を旋回していたアヴァロンの身体が、淡く光った。
黒い巨体にいくつもの光の筋が走り、翼の先から少しずつ粒子へほどけていく。ヒトたちが足を止めて空を見上げる中、最後に大きな咆哮を残し、悉虚龍アヴァロンは光となって消えた。
ほどなくして、トーカイシティにも魔法の光が戻り始める。
オトの足にも力が戻った。ナナがゆっくり立ち上がり、ヴァルガスも白銀の翼を広げる。
けれど三人が見ていたのは、空ではなかった。
崩れた壁の向こうでは、まだヒトたちが龍や魔人を起こしている。武器を置いた者も、その中に混じっていた。
オトはそれをしばらく眺めてから、隣のナナを見た。
「危なかったねー」
ヴァルガスの視線が、ゆっくりオトへ向いた。




