悉虚龍アヴァロン
景色が消えたあとも、オトはしばらくアファルの幹に手を置いたままだった。
「……終わり?」
枝葉がさらりと揺れる。けれど、さっきまで樹皮の奥を巡っていた光は戻ってこない。ナナは幹から手を離し、壁の向こうへ視線を移した。
「アファルが見ていたのは、あそこまでのようですね」
納得できないらしく、オトも同じ方を見る。
「まだ街は続いてるのに?」
「広がりすぎたんだ」
ヴァルガスが答えた。
「最初は全部、アファルの守る範囲に収まってた。だがヒトの街は外へ外へ伸びていった。今じゃ端の方は、ほとんど圏外だ」
壁の先には、アファルの高みからでも見通せないほど家々が続いている。
オトはしばらくそれを眺め、それからあっさり幹から手を離した。
「じゃあ、今いる人に聞こう。アファルが知らないなら、本人に聞くのが一番早いもん」
「そうなりますね」
切り替えの早さに、ヴァルガスが小さく鼻を鳴らした。
*
三人がアファルを降りると、壁の近くは思った以上に人通りがあった。門を抜けて中心都市へ向かう荷車の脇を魔導車が通り、門番が声を張って流れを分けている。
壁を挟んだ景色は、近くで見るほど異様なほど違っていた。片側には魔法の光に満ちたトーカイシティ。反対側には、低い家々が密集するヒトの街が広がっている。
オトは壁際まで歩いていき、首が痛くなりそうなほど見上げた。
「近くで見ると、おっきいね」
「何度も継ぎ足してるからな」
ヴァルガスも壁を見上げた、そのときだった。
遠くで鐘が鳴った。一度、二度。警告にしては、周囲の反応がおかしい。
店先から人が飛び出し、窓が次々と開く。逃げるどころか、皆が嬉しそうに空を見上げていた。
「来たぞ!」
「アヴァロンだ!」
歓声に釣られて、オトも顔を上げる。
「今日なんだ」
「日なんか決まってねえよ」
ヴァルガスだけは空を睨んだままだった。
中心都市では子どもたちが場所を取り合い、大人まで仕事の手を止めている。
「ヴァルガス様ー!」
「お、今年は何発で倒すかなー?!」
門の向こうでも、ヒトたちが足を止めた。
「ああ、あれがアヴァロンか」
「祭り! 今日は祭りか?!」
*
やがて空が暗くなり、巨大な影が雲を割った。
悉虚龍アヴァロン。
その姿が現れた瞬間、歓声がさらに膨らむ。オトも楽しそうに見上げていたが、隣のヴァルガスだけは妙に険しい顔をしていた。
「……千年ちょうどってか」
「どうしたの?」
ヴァルガスはすぐには答えず、空とオトを交互に見る。
「お前が帰ってきた年に、千年目のアヴァロンまで来やがった」
そこまで言われても、オトには何が問題なのか分からないらしい。きょとんと見返してくる。
その顔を見たヴァルガスの眉間に、さらに皺が寄った。
「嫌な予感しかしねえ」
「私、何もしてないよ?」
「今のお前はな!」
「失礼だなあ」
「千年前のお前を信用してねえんだよ!」
言い捨てるなり、ヴァルガスの身体が白銀の龍へ変わる。巨大な翼が開き、そのまま空へ舞い上がった。
待ってましたとばかりに、街中から歓声が上がる。
いつもの光景だった。
ヴァルガスは真正面からアヴァロンへ突っ込み、振り下ろされた爪を弾き飛ばす。その勢いのまま懐へ潜り込み、いつものように一気に決める――はずだった。
その瞬間、アヴァロンの身体が脈打つように黒く光った。
「――は?」
白銀の翼が空中で止まり、ヴァルガスの巨体がそのまま落ちる。
ほとんど同時に、トーカイシティを満たしていた光も消えた。空を走っていた魔導車は次々と動きを止め、飛んでいた魔人たちは高度を失っていく。歓声は一瞬で悲鳴に変わり、さっきまで祭りだった街が混乱に包まれた。
隣でナナの身体が揺れる。
「……これは」
「ナナ!」
オトが手を伸ばそうとするが、一歩も踏み出せなかった。足に力が入らず、手をかざしても魔法は何ひとつ応えない。
周囲を見れば、龍も魔人も同じだった。立っていられる者はほとんどおらず、皆が地面へ伏している。
ただ、壁の向こうだけは違った。
ヒトたちは立ったまま、突然倒れた魔人たちを呆然と見ている。
「何が……起きてるんだ?」
戸惑いの声が響く中、アヴァロンが大きく翼を広げた。
黒い光がその周囲へ渦を巻きながら集まり、やがて口元へ凝縮されていく。トーカイシティから消えた魔力そのものが、吸い寄せられているようにも見えた。
アヴァロンがゆっくりと首を巡らせる。
次の瞬間、放たれた黒光が地上を横薙ぎに走った。
壁に触れた場所から石が砕けるのではなく、形そのものを失っていく。巨大な一閃が通り過ぎたあと、長い年月をかけて継ぎ足されてきた石壁には、大きな空白だけが残った。
土煙の向こうで、二つの街の道が初めて直接つながっていた。




