ヒト
アファルから遠く離れた平野に、ヒトたちの集落がある。
空を飛ぶ者も、魔力で道具を動かす者もほとんどいない。それでも畑があり、井戸があり、朝になれば鍛冶場から槌の音が響いてくる。
中心都市では暮らしにくかった者や、外の国から流れ着いた者たちが少しずつ集まり、四本目の塔が建つ頃には、いくつもの家が並ぶようになっていた。
魔法はなくても暮らせる。土地があり、作物が育ち、戦に怯える必要もない。
中心都市との行き来も途絶えてはいない。作物を売り、向こうで作られた魔力のいらない道具を買い、祭りの日には家族で遊びに行く。
「向こうは向こう。こっちはこっちでいいだろ」
そう考える者が多かった。
無理に同じ場所で暮らさなくてもいい。必要なときには助け合い、それぞれの場所で生きていけば、それで十分だった。
*
さらに年月が流れ、七本目の塔が建つ頃。
小さかった集落は、街と呼べるほど大きくなっている。
遠くに見える中心都市では、その日、多くの人が空を見上げていた。
悉虚龍アヴァロンが現れたのだ。
初めて現れた頃とは、もう様子が違う。
店先には料理が並び、子どもたちはよく見える場所を取り合っている。龍たちも慌てて飛び出すのではなく、どこか待ち構えるように空へ上がっていく。
「ヴァルガス様だ!」
「今年は何発で倒すかな!」
歓声の中、白銀の龍がアヴァロンへ向かう。
かつては命懸けで食らいついた相手だった。
だが、何百年もの時を生きたヴァルガスは、その頃より遥かに強くなっている。振り下ろされた爪を正面から弾き、巨体を押し返すと、アヴァロンが炎を吐くより早く懐へ潜り込み、一撃で大きく吹き飛ばした。
ヒトの街から眺めていた者たちも、もう逃げ出したりはしない。
「またやってるな」
「どうせヴァルガスが勝つだろ」
やがてアヴァロンが光となって消えると、中心都市から大きな歓声が上がった。
英雄龍を讃える祭り。
いつしか、そんな意味合いのほうが強くなっていた。
ヒトたちにとっても、龍は得体の知れない怪物ではない。遠くに暮らす、少し変わった隣人。何かあれば、この国を守る者たち。そんな距離に落ち着いていく。
*
九本目の塔が建つ頃には、ヒトの街もさらに広がっている。
その中で、人々の考え方も大きく三つに分かれていた。
「今のままでいいだろ。向こうは向こう、俺たちは俺たちだ」
それが大多数だった。
互いの暮らしへ無理に踏み込まず、必要なときには助け合う。今ある平穏を壊す理由はない。
一方で、若い世代には別の未来を考える者もいる。
「でも、ずっと別々じゃなくてもいいんじゃないか?」
「どうするんだよ。俺たちは魔法を使えないぞ」
「だから、それでも一緒に暮らせる方法を探せないかなって」
まだ、その声は小さい。
そして、もう一つ。
「どうして、あいつらばかりあんなに豊かなんだ」
遠くに輝く中心都市を見ながら、不満を募らせる者たちもいた。
「昔はヒトが世界を治めていた。魔人はあとから現れたんだろ」
「なら、本来あるべき形に戻せばいい」
「何を取り戻すんだよ」
そう鼻で笑われても、不満そのものが消えるわけではない。
同じ考えを持つ者同士が集まり、やがて自分たちを復権派と呼ぶようになる。
*
十本目の塔が完成へ近づく頃。
復権を唱えていた者たちの一部が、ついに武器を手に取った。
「ヒトの手に、この国を取り戻す!」
だが、街の大多数はついてこない。
「いつからここがお前らの国になったんだよ」
「勝手にやれ。俺たちを巻き込むな」
それでも、少数の者たちは中心都市へ向かった。
夜明け前、外縁で爆発が起こる。
警鐘が街に響き、龍たちが次々と空へ舞い上がった。
「ヒトどもが攻めてきたぞ!」
若い龍が煙の向こうを睨む。
「やっぱり信用できねえ! 全部焼き払っちまえ! 今度こそ――」
「待て」
低い声が、その続きを止めた。
ヴァルガスが前へ出る。
「ですが、ヴァルガス様。あいつらは我らに歯向かってきてます!」
「だから何だ」
若い龍が言葉に詰まる。
ヴァルガスは煙の向こうへ目を向けたまま、静かに続けた。
「襲ってきたのは、あそこにいる連中だけだ。ヒトの街には、俺たちと商売してる奴もいる。祭りの日にこっちへ遊びに来る奴もいる」
大きな翼を広げる。
「そいつらまで敵にするな」
龍たちは顔を見合わせた。
「攻撃してきた奴だけ止める。殺す必要もない」
ヴァルガスが空へ舞い上がる。
「二度と同じ馬鹿ができないくらい、きっちり懲らしめてやれ!」
龍たちが、そのあとを追った。
戦いは長く続かなかった。
武器を失った者たちは拘束され、逃げる者を追う龍もいない。やがて煙が晴れると、遠くのヒトの街から大勢の者たちが不安そうにこちらを見ていた。
誰も復権を叫ばない。誰も彼らを英雄とは呼ばない。
ヴァルガスは、しばらくその街を見つめていた。




