嵐の正体
フラッシュバックが消え去るにつれ、ナオミの視界はぼやけた。アオイの最後の一撃を受け、ナオミはよろめきながら後ずさり、体は震え、息は荒く、全身の筋肉が悲鳴を上げていた。怒りが彼女の瞳の奥で燃え上がっていた。
「全部あなたのせいよ!!」ナオミは叫び、拳を固く握りしめ、指の関節が白くなった。アオイは数歩離れたところに立ち、ナオミの言葉に表情を和らげた。
「アーバン・トーキョーに引っ越した時、やっと…やり直せると思ったの!」ナオミの声は震え、空気に響き渡った。「これで楽になると思ったの…自分のためにも…父のためにも!」
ナオミは前に飛び出し、必死にパンチを繰り出した。そしてまた一撃。どれも前のものより雑だった。「でも、そんなの長くは続かなかった!あなたのせいよ!」
またもや一撃。空振り。
「私には他に誰もいなかった…あなたのせいよ!」ナオミは叫び、アオイが大きな蹴りをかわした瞬間、声が震えた。
「うわっ!!」ナオミは叫び、アオイの顔めがけて拳を振り上げた。しかし、アオイはナオミのガードをすり抜けた。ナオミが反応する間もなく、アオイは間に入ってきて、突然ナオミを強く抱きしめた。
「ナオミ」アオイは震える声ながらも、静かに言った。「あなたがどれほど辛い思いをしてきたか、分かってるわ…愛する人を失ったなんて。私も同じ経験をしたけれど、分かると言いたかった。でも本当は…分かっていなかったの」
ナオミは息を呑み、凍りついた。
「ごめんなさい」アオイはナオミをさらに強く抱きしめながら囁いた。「あなたが誰かを必要としていた時に、そばにいられなくてごめんなさい」
ナオミの目は大きく見開かれた。固く握りしめていた拳は、体の横で緩んだ。涙が溢れ、疲労と混乱で体が崩れ落ちた。
すると突然、葵の掴み方が変わった。素早い動きで、葵は直美を持ち上げ、肩越しに放り投げた。直美は息を詰まらせながらコンクリートに叩きつけられ、その衝撃で空気が張り裂けた。体が激しく揺れ、息が詰まった。
スタジアムは静まり返り、すべての視線が目の前の光景に釘付けになった。綾音たちも、ただ呆然と見つめるしかなかった。心臓は激しく鼓動し、喜びと信じられない気持ちが入り混じった目で、その光景を見つめていた。
直美は呆然と横たわり、葵の言葉がまだ頭の中でかすかにこだましていた。「ごめんね…そばにいられなくて。」
直美の目は震え、怒りは言葉にできない何か別の感情と絡み合っていた。
「バカ…どうしてこんな気持ちになるんだろう?」直美は天井をぼんやりと見つめながら思った。「ずっと聞きたかった言葉なのに。」彼女に命乞いをしてほしかった。なのに、どうしてこんなに胸が重く感じるのだろう?何かが欠けているような気がする。
復讐だけが私の望みだと思っていたのに…今は…何も感じない。記憶が脳裏をよぎる――葵と初めて出会った時のこと、二人で笑い合ったこと、そして全てが崩れ去ったあの瞬間。
あの頃、私が微笑んだ時、父はとても喜んでくれた…そして、私に「頑張れ」とまで言ってくれた。
「葵を頼むよ。いい子だから」。父の声が耳元で静かに響き、温かい笑顔が鮮明に脳裏に焼き付いている。
私はその言葉を聞き取れなかった。いや、もしかしたら聞いていたのかもしれない…でも、聞こうとしなかった。
ナオミの息が震え、涙がとめどなく頬を伝う。私はなんて愚かなんだろう…憎しみと怒りに囚われて…父の最期の願いさえ叶えられなかった。私は最低の娘だ。
葵は静かに立ち、彼女を見つめていた。ほんの少し振り返った時――
「ごめんなさい」ナオミの声が静寂を破った。震えながらも、真摯な声だった。
「ごめんなさい。あなたを憎んでいると思っていたの…」彼女は腕を上げ、涙を拭った。「…でも本当は、ただ自分自身に腹を立てていただけなの。父の頼みを叶えられなかった。その現実を受け止められなくて、あなたを責めてしまったの」
葵は最初何も言わず、照明の下、顔の半分が影に隠れていた。
「ごめんなさい…」ナオミは再び、か細くかすれた声で囁いた。
アオイはそっと息を吐き、膝をついて落ちたロケットを拾い上げた。「ナオミ、怒ってなんかいないわ」と言い、ロケットを再び首にかけた。「一度も怒ったことなんてない」彼女の声は穏やかで、どこか遠くを見つめているようだった。「ただ傷ついただけ…何も言わずに去ってしまったから。でも、もしかしたら私もそうされて当然だったのかもしれない。いつもそうだったから」
ナオミは首を横に振った。罪悪感が胸を締め付けた。「ごめんなさい」と再び囁いた。
「私が望むのは」アオイは静かに言い、背を向けた。「ナオミ、あなたが目を開けること。物事を違う視点で見ること。それだけよ」
彼女が舞台を去ろうとしたその時、何かがナオミの横をかすめていった。
「危ない!!」ライトの叫び声が空気を切り裂いた。
「え?」アオイが横目でちらりと見た瞬間、ナオミが「牧野!止まって!!」と叫んだ。牧野は邪悪な笑みを浮かべ、バタフライナイフを開いた。「何を言われようと知ったことか!」と彼女は吐き捨てた。「いとこはあなたを許すほど愚かかもしれないけど、私は絶対に許さないわ!」
彼女は刃を閃かせながら飛びかかった。
葵の本能が働いた。彼女の体は回転し、動きと力の残像を残した。足が地面に叩きつけられ、稲妻のように勢いが爆発した。
葵が振り上げた腕を掴み、鋭くひねり、体重をかけて反撃した瞬間、牧野は目を見開いた。
牧野の体が床に激しく叩きつけられ、アリーナは砂埃に包まれた。
葵は一歩後ずさり、息を整えた。その視線は冷たくも疲れ切っていた。「正直言って…」と彼女は静かに言った。「悲しいわ…憎しみに自分を支配させているなんて。」
牧野は咳き込み、唇から血が流れ落ちた。立ち上がろうともがいた。
「本当に。」葵は少し向きを変え、落ち着いた、しかし鋭い声で言った。「明らかでしょ?あなたは嫉妬しているのよ、牧野。だから私に夢中なのね。」
彼女は毅然とした口調で歩き去った。 「さっさと着替えろよ。」彼女の足音がアリーナの床に響き渡った――1対2の戦いの明白な勝者。
牧野はかろうじて顔を上げ、唇から血が流れ落ちる。そして、歪んだ笑みが彼女の顔に広がった。「ずいぶん大口を叩くわね」と、かすれた声で言った。「死んだ母親と、意識朦朧とした妹に、同じことを言ってみなさいよ。」
その言葉は空気を切り裂いた。葵は歩みを止め、驚きで目を見開いた。稲妻が空を切り裂き、雷鳴が轟く中、その光がアリーナの窓から漏れ出した。
「ああ、だめ…」レイナは席から囁き、顔色を青ざめさせた。リョウとミソラは困惑した表情で彼女の方を向いた。
牧野の笑みはさらに深まった。「どうしたの?」と、彼女は嘲笑った。「口がきけないの?私が何を言っているか、分かってるでしょ?」
群衆の中にざわめきが広がった。
「どういう意味だ?」誰かがそう尋ね、葵と牧野の間を視線をさまよわせた。美也子のニヤリとした笑みも消え、眉をひそめて腕を組んだ。
牧野の笑い声はさらに荒々しくなった。「そうよ!思い出したでしょ?!起きたこと全部、あなたのせいでしょ?!」
彼女の声は甲高く、けたたましい笑い声に変わった。呆然とする観客の中から、フードを被った人物がスマホを取り出し、指を画面上で素早く動かして送信ボタンを押した。
次の瞬間、アリーナ全体に通知音が鳴り響いた。数十台のスマホが取り出され、観客の間に混乱が広がった。
「何だって…?」誰かが呟いた。
「まさか…」別の人が息を呑んだ。
綾音は自分の画面を見て心臓が凍りついた。そして、他の全員の画面にも同じ画像が映し出されていた。古い写真のコラージュ:家族と笑顔で写る幼い頃の葵。中学時代、牧野を殴り倒しているあおい。
どの写真も、粗雑な青いマーカーで汚されていた。顔には丸が描かれ、「呪い」「失敗」「変人」といった言葉が走り書きされていた。
牧野の笑い声が、静まり返ったアリーナにノイズのように響き渡った。「ははは!そうだよ!あそこにいる!桜庭葵!呪われた女!みんなが青い嵐と呼ぶ変人!」
観客から驚きの声が上がり、真実――あるいはそう思えるもの――が徐々に明らかになっていくにつれ、ざわめきが広がった。
「あいつはただの呪いよ! 化け物!」 血まみれの唇越しにニヤリと笑う牧野は叫んだ。「あいつの周りは全部不運に見舞われるのよ!」
「やめて! もう十分よ!」 ナオミは震える声で泣き叫んだ。目には涙が浮かんでいた。
牧野の笑い声が、まるでガラスのように騒音を切り裂いた。「みんな知ってるでしょ? ナオミのお父さん、私のいとこが死んだのはあいつのせいなのよ! あの女は殺人鬼よ!」
会場は静まり返った。
サヨナキ高校の生徒たちは、信じられないという表情でスマホを見つめていた。1年3組では、ヒカル、カズキ、サヤカ、シズカが凍りつき、担任のアラタも同じ画像をぼうぜんと見つめていた。
牧野は再び声を荒げ、その緊張感を煽った。 「呪われた存在のせいで、家族からも見捨てられた! 不幸しか招かない!」
その時――冷たい空気が辺りを駆け抜けた。ライトたちは急激な気温の低下を感じ、身を硬くした。葵は動かず、何も言わなかった。しかし、彼女から放たれる怒りは、周囲の人々さえも沈黙させるほどだった。
「それだけじゃないわ――」牧野は嘲笑い、一歩前に踏み出した。「あいつはただの――!」言葉は彼女の口から出なかった。葵の拳が恐ろしい速さで命中し、彼女の頭は横に跳ね上がり、血が飛び散った。
もう一発。そしてまた一発。一撃ごとに速度と重量が増し、まるで嵐が解き放たれたかのようだった。
葵がいつの間にか距離を詰めていたことに誰も気づかなかった。彼女はかつてないほどの速さで、追いつくことなど不可能だった。葵が牧野の襟首を掴み、紫色の瞳を怒りに燃え上がらせた時、牧野の顔は血と衝撃でぐちゃぐちゃになっていた。
彼女はもう一度拳を振り上げようとした。牧野は目を見開き、再び目を閉じ、両腕を上げて身を守った。
「だめーっ!!」綾音は叫び、拳を固く握りしめ、目を固く閉じた。
「あおい!!」美空が叫んだ。
スタジアム全体が静寂に包まれた。息を呑み、心臓の鼓動が数秒おきに止まる――まるで想像を絶する出来事を目撃したかのようだった。しかし、何が起こったのか理解する間もなく、静寂を切り裂くものが現れた――誰かがステージに現れたのだ。陸也は震えながら、綾音を抱きしめ、ゆっくりと目を開け、恐る恐る振り返った。美鶴は椅子に崩れ落ち、目を見開き、顔にはまだ衝撃が残っていた。
「あおい!もう十分よ!」麗奈の声が響き渡り、彼女は力いっぱいあおいの腕を掴んだ。その衝撃であおいは身が震えたが、怒りはほとんど揺るがなかった。
「離して。」彼女の声は低く、震えながら、必死に逃れようとしていた。
レイナの目は優しくなった。「アオイ…」
「聞こえなかったの?」アオイはレイナを横目でちらりと見た。ラベンダー色の瞳は依然として燃え盛っていた。「離せって言ったでしょ」
レイナはアオイの態度にたじろいだが、毅然とした態度を崩さなかった。「本当にこれがあなたの望みなの?」と静かに尋ねた。「今以上に恐れられること?」
アオイの目がかすかに揺れた――嵐を突き破る何かが。
「周りを見てごらん」とレイナは続けた。アオイは振り返った。何十もの顔が彼女を見つめていた――怯えた顔もあれば、恐怖に震える顔もあった。彼女は息を呑んだ。大きく見開いた手で地面に手をついたが、髪がまるでカーテンのように彼女を覆っていた。
「怒っても何も解決しないわ、アオイ」とレイナは優しく言った。「落ち着いて。大丈夫よ」
葵の呼吸は落ち着いた。瞳の輝きは怒りから疲労へと変わっていった。舌打ちをすると、牧野を地面に突き飛ばし、麗奈の拘束から逃れた。
「なんてくだらない」と呟き、前髪を払いのけた。
直美は円陣の反対側から、凍りついたように見つめていた。彼女は…私たちの戦いの間、かなり力を抑えていた。
葵の視線は牧野に向けられた。牧野は怯み、地面に震えながら倒れた。
「前回は」と、直美は冷たく言い放ち、拳を握りしめた。「あなたは言葉で私を限界まで追い詰めた」。一歩近づき、「…そして今、また同じことをするのね」。
麗奈の手が彼女の肩に置かれ、再び彼女を地面に引き戻した。葵は一瞬立ち止まり、静かに鼻で笑い、背を向けた。
「ちっ…今回は見逃してあげるわ」彼女は歯を食いしばり、震える拳を握りしめながら立ち去った。レイナは静かに息を吐き、安堵のため息をついた。
「運が良かったわね、牧野」葵は歩みを止め、低い声で言った。肩越しに冷たい視線を投げかけ、怒りに燃える目で牧野を見つめた。「でも、もし私の母や妹のことをもう一度口にしたら…」彼女の声は鋭くなった。「…次はためらわずに殺すからね」
牧野は座ったまま凍りつき、目に恐怖の色が浮かんだ。葵は小さく鼻を鳴らし、舞台から降りていった。静寂の中に彼女の足音が響く。
なぜあんなに動揺してしまったんだろう?牧野の言葉が頭の中で何度も繰り返され、彼女は苦々しく思った。私は殺人者じゃない…ただ助けたかっただけなのに。なのに…どうしてこんなにも傷つくんだろう?
視界がぼやけ、涙が溢れそうになるのを袖で拭った。スタンドから、ライトは彼女がステージから飛び降りるのを見た。足取りはおぼつかない。ライトは考える間もなく走り出した。綾音たちもすぐ後ろに続いたが、涼と美空は座ったまま動かなかった。
どうしてこんなに胸が痛むんだろう?もしかして…みんなに知られてしまったから?彼女は、恐怖、憐れみ、嫌悪といった視線が自分に向けられているのを感じた。喉が締め付けられる。
私を見ないで…やめて。彼女は視線を逸らした。まるで私が弱い人間みたいに見つめないで。
膝が崩れ落ちそうになったが、倒れる前に誰かの腕が彼女を支えた。
「大丈夫だよ」ライトは優しく囁き、彼女を支えた。彼の腕に抱き寄せられ、彼女の紫色の瞳は大きく見開かれ、息が震えた。
「大丈夫だよ」彼は低く優しい声で囁いた。「僕がついてるから」
葵の視線は揺らぎ、一瞬彼の横顔と視線を合わせた後、綾音たちのほうへと移った。心配そうな彼らの顔――あの同じ瞳――が、葵の心の中で何かをかき乱した。
もう十分だ…
彼女は震える声で彼を突き放した。「もううんざりだ」
葵が背を向けると、ライトは呆然としてよろめいた。
「もう行く」と彼女は呟き、歩き出した。彼女が走り出すと、群衆は静かに道を開けた。
「葵!」綾音と芽衣が叫んだ。
「待って!」陸也が叫んだ。
「行かないで!」美鶴の声が震えた。
彼女の姿が見えなくなると、彼らの叫び声は次第に小さくなっていった。一方、上の影の中では、フードを被った人物が冷たい笑みを浮かべながら見守っていた。金色の縁取りのある深紅の瞳には、かすかな悪戯の光が宿っていた。
「第一段階完了」と彼女は囁き、両手をパーカーのポケットに深く突っ込むと、影の中に消えていった。




