交差する道
「どうぞ!」綾音の明るい声が響き、鈴が鳴ると、葵と芽衣が彼女に続いて中に入った。「誰を連れてきたと思う?」綾音は満面の笑みを浮かべ、芽衣の方を誇らしげに指差した。
綾音の父、幸太はすぐに姿勢を正し、落ち着いた表情で一歩前に出た。「薛さん、お会いできて光栄です。」彼は深く頭を下げ、敬意のこもった毅然とした口調で言った。
葵は瞬きをし、その丁寧な態度に眉を上げた。芽衣は少し首を傾げ、優しく手を振った。「いえ、結構です。お辞儀は結構です。」そして、芽衣は代わりに丁寧に頭を下げた。「お会いできて光栄です。」
「あ、ああ。」幸太はどもりながら頬を掻き、綾音の方を見た。 「それでも、敬意を示すのは当然だと思うよ。娘は君がここに引っ越してきてからずっと君のことを話してるんだ。君のことがどうしても理解できなくて、それがすごく辛かったみたいで。正直言って、娘は君の一番のファンだよ。」
「パパ!」綾音は頬を膨らませ、両手を握りしめて甲高い声で言った。「なんでそんなこと言うの?」
コウタはくすっと笑い、大きな手で綾音の髪をくしゃくしゃにした。芽衣は口元に優しい笑みを浮かべ、父娘の温かい触れ合いを味わうように目を閉じた。
葵はグループの端に立ち、眉をひそめたまま、かすかなため息をついた。あの二人…まったく。彼女の視線は、落ち着いた口調で話し続ける芽衣へと向けられた。その穏やかな話し方は、綾音と父親の両方を惹きつけていた。
葵の思考は先ほどのコウタの丁寧なお辞儀へと戻り、心の奥底で静かな疑問がよぎった。「この子はいったい何者なの?あの白川さんでさえ、あんな風に振る舞うなんて…」
「ところで」綾音は明るい笑顔で父親を見つめ、その場の雰囲気を破った。「今夜は牛丼だって、みんなに伝えておいたわ。また夕食の準備を手伝ってもいい?」
「もちろん」コウタは温かく頷いた。
「やったー!」綾音は歓声を上げ、メイの方を向いた。「さあ、席に着こう。まずは水でも飲む?」
「ええ、お願いします」メイは優しく答え、アオイに倣った。アオイは遠くを見つめる表情で、二人の背中をじっと見つめていた。一瞬、昔の記憶が蘇りそうになったが、彼女はそれを振り払い、バースツールの一つに腰を下ろした。
……
「お料理ありがとうございます!」二人は声を揃えて言い、一緒に食べ始めた。
「これ、すごく美味しい!」メイは一口食べて目を輝かせながら言った。アヤネとコウタは満面の笑みを交わし、勝利のハイタッチをした。
「やったー!私たちの勝ちね!」アヤネはくすくす笑った。
「そう言ってくれて嬉しいよ」コウタは朗らかに笑いながら、カウンターに皿を置いた。
「君も少し食べなよ」と彼は促した。
「もちろんいただきます」と綾音は言い、エプロンを脱いで葵の隣の席に滑り込んだ。葵はすでに濃厚な味を堪能しながら、夢中で食べていた。
「んー!おいしい~!」綾音は嬉しそうに頬に手を当て、歓声を上げた。
「本当にそうね」メイは小さく頷き、もう一口食べた。
コウタはカウンターから水差しを取り上げた。「お茶はいかがですか?」
「ええ、お願いします。とても嬉しいです」メイはいつもの優しい笑顔で答えた。コウタはお茶を注ぎ、カップをメイに差し出すと、メイは丁寧に頷いた。
「お父さんの料理は最高よ」アヤネはご飯を口いっぱいに頬張りながら言った。「秘密の材料のおかげなの」
「何なの?」アオイは咀嚼しながら尋ねた。
「教えない!」アヤネはくすくす笑いながら指を振った。アオイは眉をひそめ、目を丸くして、頬を膨らませたお皿に目を戻した。
コウタは静かに面白そうにそのやり取りを見ていた――アオイの右手に巻かれた小さな絆創膏に目が留まるまでは。彼の笑顔は和らぎ、瞳には一瞬心配の色が浮かんだが、彼はそれを隠すように顔を背けた。
「やっと終わったわ」葵は空になった皿を押しやりながら言った。
「えっ!?もう!?」綾音は口をあんぐり開けて驚いた。
「今朝みたいにまた連れ出される前に急いで食べなきゃいけなかったのよ」葵はそっけなく答えた。
綾音は冷や汗をかいた。「で、でも、夜は学校ないのに…」
「そうね」メイは穏やかな微笑みを浮かべ、目を閉じて付け加えた。
「もういいわ。帰るね」葵はため息をつき、席から立ち上がった。「ごちそうさまでした」彼女はドアの方を向き、足音は軽やかで遠くへと遠ざかっていった。
「待って、葵!」コウタが小さな白い袋を手にカウンターの後ろから出てきて、声をかけた。
彼女は立ち止まり、コウタが差し出した袋の方を向いた。「はい、インスタントラーメンとちょっとしたお菓子。どうぞ」
葵は不意を突かれ、瞬きをした。小さく頷きながら、指先でカサカサと音を立てる袋を受け取った。「あ、えっと…ありがとうございます。おやすみなさい」
「おやすみ、葵」メイは優しく言った。
「また明日ね!」アヤネはご飯を口いっぱいに頬張りながら呟き、葵が夜の闇に消えていくと、ドアの上のベルが鳴った。
部屋は静寂に包まれた。コウタは考え込むような表情で皿を拭き始めた。「今日は色々あったんだろうな」
「うん。それに、彼女の手にも気づいたでしょ?」メイは上品にお茶をすすりながら呟いた。「あの子…ちょっと変わってるわね」
アヤネは身じろぎ、視線を茶碗に落とした。スプーンで一粒のご飯をゆっくりと追いかけながら、かろうじて聞き取れるほどの声で呟いた。「バカね」
その言葉にコウタとメイは二人とも驚いた。コウタは眉を上げた。「珍しいな、アヤネ」
「だって、本当だもの」アヤネはカウンターに腕を組み、顎を乗せて、少し心配そうな表情で口を尖らせながら答えた。
「確かに、無鉄砲ね」メイはため息をつき、カップを置いた。
「そうかもね」コウタはそう言って歩み寄り、アヤネの額を軽く指で弾いた。アヤネはヒステリックに睨みつけたが、コウタの笑顔でその痛みは和らいだ。「でも、ああいう子には叱る必要はないんだ。ただ、誰かが気にかけてくれているって感じが欲しいだけ。それだけで十分なこともあるんだよ」
アヤネはしばらくコウタを見つめた後、視線をそらし、唇を尖らせた表情は静かに考え込む表情へと変わっていった。
.................
葵は薄暗い歩道を歩いていた。片手にはお土産の入った袋をぶら下げ、もう片方の手はポケットに突っ込んでいた。夕暮れの静かな街のざわめきが耳に響き、時折遠くで聞こえる足音と車の音だけがそれを破る。
「どうして彼は私にこんなものをくれるんだろう?」彼女は袋を見下ろし、それから空を見上げた。「彼とは出会ってからずっとこんな調子なの…」彼女はそっと息を吐いた。「まあ、少なくとも明日の朝食はこれでいいか」と呟き、まばらになった人混みを見つめた。
その時――彼女の体が緊張した。首筋の産毛が逆立ち、足取りがふらつき、目が大きく見開かれた。誰かに見られている。彼女は素早く肩越しに振り返り、影の中を探った。何もない。誰もいない。しかし、その感覚は鋭く、紛れもないものだった。
彼女の心臓は速く鼓動し、胸の奥に恐怖がこみ上げてきた。「どうして…どうしてこんな気持ちになるの?」
彼女は振り返り、足早に歩き出そうとしたが、何かにぶつかってしまった。
「うっ!」衝撃でバランスを崩し、重力に身を任せる前に手を振り回した。すると、しっかりとした手が彼女の手首を掴み、転倒を食い止めた。
「痛い…」彼女は痛みに顔を歪め、目をぎゅっと閉じながら呟いた。
「大丈夫?落ち着いて」穏やかで落ち着いた声が耳に届いた。葵はゆっくりと、慎重に目を開けた。




