(1)――俺に、話しかける声があったのだ。
【語り部:五味空気】
「それじゃあ五味空気――あんたの処遇を言い渡す」
廃工場での一件から一週間が過ぎた、本日この日。
俺は宇田川社にある課長室に連行されていた。正しくは、宇田川社警護部特殊警護課、その課長室である。
広い窓を背にして高級そうな椅子に腰かけた狼女は、今日も今日とて黒のスーツをすらりと着こなし、神妙な顔つきでじっと俺を見つめ、断を下す。
その判決を聞き届けるのは俺の他にもう一人、隣に立つ少女であった。
天神絶途によって受けた傷は一週間で治るはずもなく、パーカーとロングスカートという露出がほとんどない服装の上からでさえ、今も包帯やガーゼが覗いている有様だ。とはいえ、そんな状態でも俺をここまで引っ張ってくるほどの元気があるのだから、案外丈夫なのかもしれない。骨が折れていなかったのは不幸中の幸いと言えよう。
「宇田川社への業務妨害について、黒坂の情報と清風の証言を踏まえて協議した結果、天神絶途が主犯だったと結論づけた。〝刃物狂い〟が大鎌の持ち主である清風を誘い出す為に仕掛けてきてた、ってね。で、業務妨害してきやがった主犯野郎は清風がしっかり排除してくれたから、五味空気――あんたについては不問にしてあげる」
「……不問」
良くて拷問、最悪は処刑を覚悟していた身としては、不問の二文字はあまりに意外過ぎて、狼女の言葉を繰り返すことしかできなかった。
「そ。ただ巻き込まれて利用されただけの記憶喪失の四鬼にまで制裁を加えるほど、ウチの会社はブラックじゃないんでね。すぐさま野放しにはできないけど、痛めつけはしないよ。身の安全は保証してあげる」
狼女は歯を見せてシニカルな笑みを浮かべ、腕を組む。今日は義手をつけているらしく、左手は若干の違和感を纏いながらも存在していた。
「でもまあ、あんたとしては命拾いできて良かったんじゃない? もしあんたが主犯だったら、ウチ名物の轟文コース経由で、大々的に見せしめとして処刑するつもりだったんだからさ。あの天神絶途と対峙して、動機やら手口やらを引き出した清風には、あとでちゃんとお礼言っときなね」
「……はい」
あの廃工場で意識を取り戻して、それから。
俺は血だまりの中、少女に覆い被さられた状態で目を覚ました。
少し離れたところには天神絶途の死体が転がっていて、俺が気を失っている間に少女が彼を殺したことは明白だった。俺を殺しかけた奴が死んでいたのだ、ざまあみろ、程度の感情しか浮かばなかった。
このとき、俺は逃げようと思えば確実に逃げ果せていたはずだ。
天神絶途は死んでいるし、少女は気を失っている。身体中の傷は不思議なことに全て癒えていたし、なにより、四鬼用の拘束具も斬り飛ばされていたのだ。姿をくらますにはまたとない絶好のチャンスだった。そのはずだった。
けれど、俺は逃げなかった。
どころか、傷だらけの少女を背負って歩き出していたのである。
幸い、自分達の通って来た道筋は覚えていた。記憶のとおりに道を辿って情報屋のところへ引き返し、宇田川社へと連絡を取ってもらったのだ。そうして少女と俺は宇田川社に回収され、少女は医務室へ。俺は再び拘束具という名の首輪を嵌められて地下牢へと逆戻り。
少女が意識を取り戻したのは、それから二日後のことだった。
地下牢に入れられていた俺が、どうして時間感覚が正確であるかというと、話は簡単なもので。少女が目を覚ましたその日のうちに、俺のもとを訪れたからだ。
「――貴方は、誰ですか」
しかし、満身創痍の身体にむち打ち、車椅子に乗って現れた少女が開口一番に放った言葉は、そんな突拍子もないものだったのである。
「え、なに言ってんの……?」
あの戦いの最中、頭を強く打ってしまったのだろうか。それとも、苛烈を極めた戦闘に、一時的に記憶が抜け落ちてしまっているのか。
いろんな可能性が瞬時に脳内を駆けずり回る。少女が俺のことを忘れてしまっているかもしれないと思うと、喉を絞めつけられたような気分になって、息が詰まった。
「答えてください。貴方は、貴方の名前を言えますか?」
「俺は……俺の名前は、五味空気……」
「私の名前は? わかりますか?」
「清風ちゃん。清風、風視って言ったっけ……?」
鉄格子越しとはいえ、少女の鬼気迫る様子に気圧された俺は、言われるがまま答えざるを得ない。なんだこれ、なんの確認だ?
「……」
「……?」
「……。おかえりなさい」
「え?」
まじまじと値踏みするように俺を凝視していた少女は、なにか納得がいったように頷くと、小さく呟いた。しかし俺には、どうしてもその一言を聞き取ることは叶わなかった。
「食事を持ってきたんです。あれから二日間、なにも食べていないって聞いたので」
言いながら、少女は膝元に置いていたビニール袋を、丸ごとこちら側に置いた。恐る恐る確認すると、中にはコンビニのおにぎりがふたつ。それから――
「普通のお茶だ!」
普通に普通の色をした紛うことなきお茶が、そこには入っていたのである。これに感動せずどうしようというのか。
「ていうか、ねえ、プリンまで入ってるよ?! 食べちゃって良いの、これ」
「どうぞ、食べてください。私からのお礼です」
「お礼?」
まさかの事態に大はしゃぎする俺に、少女はあくまでも淡々と話す。
「気を失っていた私を背負って、闇中のところまで行ってくれたって聞きました。それに……その、貴方が戻ってきてくれたことが嬉しかったので。ほんの気持ちばかりのお礼ですが、受け取ってください」
「……俺さ、夢をみてた気がするんだよね」
少女の言葉を受け、俺はひとつ告白する。
天神絶途によって首元を抉られ心臓を突き刺され、再び意識が戻るまでの間。真っ暗闇の中を揺蕩うように微睡んでいた俺に、話しかける声があったのだ。誰の声とも判別のつかない声は、苛立ちを隠そうともせずに俺にこんなことを言った。
「『お前にはまだ利用価値がある』とか『自分の役割を忘れるな』とか、そんなことを言われた気がして。だから清風ちゃんを助けなきゃって思ったんだ。それだけのことだよ」
「それは、例の共犯者の声ですか?」
「共犯者?」
なんだっけそれ、と小首を傾げて記憶を辿ったところで、ようやく思い出す。
「ああ、天神絶途のこと? 違う違う、全然別な声だった」
「いえ、そうじゃなくって。……貴方が何度も夢で聞いたっていう声の主のことなんですけど」
「なにそれ」
路地裏で少女と出会い、宇田川社に拘束されてから幾度かここで夜を越したが、自分でも引くほど毎夜熟睡していて、夢をみたことは一度もなかったはずだ。むしろ、久しぶりにみた夢だったからこそ、さっきの言葉をこうして覚えていたというのに。
「自分が殺される夢、みませんでしたか?」
「怖っ! そんなのみてたらトラウマで寝られなくなっちゃうよ」
お礼をしに来たと言う割に、なんて怖いことを言うのだろう。まだ業務妨害の容疑が完全に晴れていないからと、嫌がらせに来たのだろうか。少女の意志でなくとも、あの狼女辺りがけしかけていそうだ。
「知らないなら、別に良いんですけど……」
あのときの少女の表情には、一体どんな感情が含まれていたのだろう。安堵しているようにも、はたまた警戒しているようにも窺えた。しかし、ころころと変化する女子高生の心情をいちいち追っていても埒が明かない。きっとそういう気分だったのだ。
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