(11)――おれはこの日、生まれて初めて恋に落ちた。
【語り部:陜ィ�ィ雎趣ソス陜ィ�ィ陷�スヲ】
それからしばらくは、言葉の通じない外国に身を置いた。
人間関係を築くのが嫌で、殺し合いのことだけ考えていれば良いような戦争地帯や紛争地域に、傭兵として参加し続けた。
人間を殺して殺して殺し尽くし、殺されたら終わり。
たくさんの【おれ】が生まれ、死んでいった。
殺し合いは楽しかったけれど、【おれ】が使い捨てられていく様は、自分で選んだ道でありながら疲労感を伴うものだった。
日本へ帰って来たのは、ほんの気まぐれだった。
戦争も紛争も起こらない日本は吐き気を催すほどに平和で――故に、油断していた。いかに平和ボケした日本と言えども〈裏〉は卑劣な世界だ。そんな場所で油断なぞしようものなら死に直結する。当然のことだ。
とある諜報の仕事を引き受けた、帰り道のことだった。
データはもう依頼人に送信済で、料金分の仕事は既に終了していた。あとは住処に戻れば良いだけだったのだが、おれは夜明け前の雑木林の中で動けずにいた。油断が災いし、逃げる途中で腹部を撃ち抜かれたのだ。回復も追いつかないほどに深い傷で、じわじわと押し寄せる死を待つ以外の選択はなかった。
おれにとって死は、怖いものでもなんでもない。死はただの通過点だ。だから徐々に浅くなっていく呼吸も、重くなっていく瞼も、弱まる鼓動も、その全てが予定調和の内だ。普段と異なる点があるとすれば、珍しく管理人のおれが表に出てきていたということと、静かな場所で迎える死は久しぶりだということくらいか。全く、久しぶりに身体を動かしたいと思ったらこのざまだ。
いつの間にか夜は明け、太陽の光が雑木林の中にさえ燦々と降り注ぐ。爽やかな木々のざわめきと鳥のさえずりに囲まれ、ひどく穏やかな気分であったのは間違いない。
「怪我、してるの……?」
このとき、おれはかつてないほど気を抜いていた。前方から発せられた声に反応して顔を上げるまで、そこに人が居ることに気づきもしなかったのだから。
声の発生源に目を向けると、そこには小学生ほどの少女が立っていた。
少女は心配そうに眉を寄せつつ、しかし恐怖でこれ以上は近寄りがたいと言った風に、おどおどとこちらの様子を窺っている。
「平気。大丈夫」
どう見ても一般人とわかる子どもに関わるのは面倒だ。
そう思って、しっしと手で追い払う。
しかし少女はなにを考えたのか、己を奮い立たせるような険しい表情で、こちらに駆け寄ってきたのである。そうして担いでいたリュックサックを下ろしたかと思うと、なにやら荷物を取り出し始めた。
「大丈夫なんかじゃない。こんなの、痛いに決まってるよ」
リュックサックから出てきたのは、水とタオル数枚と消毒液と絆創膏。どうやらこの少女、この死にかけに手当てを施すつもりらしい。
「痛いの我慢しちゃ駄目。痛かったら痛いって言わなくちゃ」
腹部の傷口にタオル二枚をあてがい、細かな傷は消毒してから絆創膏を貼る。この手当てで延命はできないにしろ、応急処置としては満点に近い。年齢の割に血を恐れず、冷静な行動だ。
「……手慣れてんね。よくこういうことしてんの?」
だからおれは、率直に尋ねた。すると少女は手を止めることなく、あのね、と口を開く。
「私のお父さんは、人を護るお仕事をしてるの。拳銃を持った怖い人と戦わなきゃいけないこともあるんだって。それでたまに大怪我して帰ってくるの。お母さんと一緒に手当てすると、お父さん、喜んでくれる。二人のおかげで早く治りそうだって言ってくれる」
「そんなのは錯覚だね」
誰が手当てしようと、傷の治りが早まるなんてことは有り得ない。
だからおれは、思っていることをそのまま口に出した。自分のほうが年上だろうに大人げない、と自責しつつ、綺麗事を抜かす少女に、無性に腹が立った。
けれど少女はそれに反論するでもなく、そうかもね、と頷く。
「だけど、お父さんが痛いって言ってくれるから、私とお母さんは、お父さんを心配することができる。お父さん一人で我慢されちゃったら、心配することもできない」
「……」
「貴方は?」
「なにが」
不意に問いかけられ、ぶっきらぼうに問い返す。
少女はおれの腹部の傷を指差して、言う。
「痛くないの?」
「痛いわけ、ないだろ」
「だけど、こんなにいっぱい血が出てる。骨も折れてるかも」
「……関係ない」
おれに「痛い」なんて言う資格はない。
おれは人間じゃないんだから、人間のふりをしたら怒られる。
化物は化物らしくしていなければならないのだ。
「本当に?」
心配そうに眉根を下げた少女は、おもむろにおれの頭を撫でた。
少女の手はとても温かかった。
その温もりは、おれをぐずぐずに砕いていくようで。
なにもかもを許されているような感覚に、どうしようもなく心を揺さぶられる。
「……。……痛い。本当は、すっごく痛い」
そうして気づけば、おれは弱音を吐いていた。堰き止めることは不可能だった。
こんな優しい言葉をかけられたのも、誰かに手当てされたのも、初めてだったんだ。
世界にこんな純粋なものが存在していたことが信じられなくて、触れるのが怖くて、少女を突き放すような態度をとったのに。少女はそれでもおれを心配してくれた。化物の心配してくれる人間が居るだなんて、俄には信じがたい。
ああ、これくらいのことで自ら弱みを見せるなんて、おれも焼きが回ったものだ。
心の中で自身を嘲っていたおれと目が合うと、少女はにこりと柔らかい笑みを浮かべた。
「そっか。やっぱり痛いんだね」
「――っ」
このときおれは、初めて『言葉にならない感情』を知覚した。
おれはたくさんの【おれ】を通して様々な経験を得、他より多くの感情を知っているのに。この少女の微笑みは【おれ】達では得られなかった全く別のそれだった。
身体の内側から優しく熱を発しているような気分になって、それまで自分の内側はこんなにも冷え切っていたのかと自覚させられる。世界が加速度的に色づいていき、【おれ】達がどれだけ殺伐とした場所に身を置いていたのかを思い知らされる。こんな世界もあったのかと、憧憬の目を向けざるを得ない。
人間は殺し殺されるもの。生きていれば死ぬ。それだけのもの。
おれにとってそれだけの価値しかなかった人間が、急に愛おしくなって見えた。いいや違う、これは人類全てに向いた感情ではなく、この少女一人にだけ向けたものだ。こうなっては認めるほかない。陳腐で使い古された言い回しだろうと、知ったことか。
おれはこの日、生まれて初めて恋に落ちた。
これまでの人生で築き上げた価値観は、少女との出会いによって完膚なきまでに崩壊した。
おれは、この子に――
「待ってて。大人のひとを呼んでくるから」
少女は応急処置を終えると、そう言って走り去ってしまった。
諜報活動の帰りであるおれにとって、この場に『大人』を呼ばれては非常に困る。今後のことを考え、おれは死にかけの身体を引きずり可能な限り遠くまで逃げ、誰にも見つかることなく、無事にいつも通り息絶えることに成功した。
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