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魔女が哭く、賢者はスープを飲む  作者: リンゴとタルト
第2章 太陽の咲く祭り

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19.雨は重く降りしきる

≪ある少女の独白≫


 裏切られた!裏切られた!裏切られた!


 あの裏切り者!


 よりによって、このタイミングになんてことを仕出かしたのか!

 後もう少し、ほんの数日で『太陽の巫女』の座に手が届いたかもしれないのに!()()()()に並べたかもしれないのに!


 怒りと、苛立ちと、遣る瀬無さと、悲しみと、絶望と、虚しさと。身体の中を暴れ狂い、胸を搔きむしる。


 想い出されるのは、味方だと思っていた、理解してくれると思っていた人達の懐疑に満ちた目。


 精霊が深い眠りについてしまったのはもうしょうがなかったのだ。ちょっと選択を誤っただけ。あまりにも忙しくて後回しにせざるを得なかった。


 言い訳はどこまでも出てくる。グルグルと何度も同じ言葉を繰り返す。


 ああ。こんなはずじゃなかったのに。


 あたしはただ、『あの人』の言葉がもう一度欲しかったのだ。あの光を、遠い昔に忘れ去ってしまった、あの『希望』を取り戻したかっただけ。


 だが、その願いも儚くかき消えた。あの女のせいだ。


 あんな女、嫌いだ。初めから嫌いだった。

 自分の力では何もできず、ただ与えらえるのを待っているしかできない、無力で愚図な奴。本当はあいつの世話なんて嫌で嫌で仕方がなかった。


 なんで、あの女がアルマス先生の横にいるの?あたしではなくて、なんであいつが?

 アルマス先生。あの時みたいにまた助けてほしい。あの女じゃなくて、あたしを。


 ああ。ああ。あたしはどうすれば・・・。


 もう、知らない。花の乙女なんて。


 もう、いいや。全部どうでもいい。











 ぴちょん、ぴちょん、ぴちょん。

 雨は止まず、雨漏りも絶えない。


 太陽の恵み亭の職人達はその対応に追われる。精霊樹のせいで崩れて穴の開いた石壁に端材を当てて塞ぐ。それでも罅の隙間に染み込んで垂れ落ちる水滴は、バケツや桶を置いて受け止めるしかない。


 1つ処置を終えたかと思えば、また新たな穴を見つけて作業に取り掛かる。無心でそれを何度も繰り返した。


 それだけではない。

 小麦粉などの濡れてはまずい資材をまだ無事な部屋に移動させる。災難なことに1階の倉庫が大分被害を受けていたので、2階以降にある職員用の部屋を幾つか倉庫代わりにすることになった。


 相当な重さの袋を担いで階段を上るのは、体力のあるパン焼き職人の青年達でもきつい労働だ。

 なにせ昼間の大騒ぎで怪我をしている者も少なくない。誰もが生々しい傷跡をこさえていた。


 大勢の青年達がいるにも関わらず、太陽の恵み亭にあるのは静寂だった。

 昨日までの活気が嘘かのように無言で務めを果たしている。


 店長であるオスクは、昼間の出来事の経緯を説明するために、自警団の詰め所に連れていかれている。責任者ということもあるが、オスクから聞き取りをするしかない事情があった。


 当事者であるモニカがどこかに姿を消してしまったのだ。広場中の住民から向けられた敵意の視線に狼狽するモニカの顔は青白かった。そこに彼等の『お姫様』はいなかった。


 それに彼等にはモニカを引き止めることもできなかった。なにせ彼等自身にとっても、モニカから裏切られたと衝撃を受けていたからだ。

 透明な精霊樹は未熟な花の乙女の証拠。それくらいは彼等でも知っていた。


 長すぎる沈黙の間を破り、ついに誰かが話題に上げる。


「姫、大丈夫だろうか」


 その一言にすぐさま反応する人はいなかった。

 再び静かに作業するだけの時間が流れる。その時間が逆にモニカの存在を強く想起させた。


 太陽の恵み亭(この場所)を明るくしてくれていたのは、いつもモニカだった。モニカを守り、励ますはずの親衛隊は、逆にモニカの笑顔に守られて、元気付けられていた。


「俺達が味方にならないでどうする」


 だから、誰かが発したこの一言は、皆が同じように胸に抱えていた想いだった。


 例えモニカがどんな失敗を犯したとしても関係ない。それでも、モニカを支え、応援する。この場にいる青年達には、その覚悟があった。


 カラン、と入店を知らせる音が鳴る。

 タイミングよく、モニカが帰ってきたのかと入り口に視線が集まる。しかし、そこにいたのはモニカではない、別の女性だった。


「お客さんか・・・?」


 時刻はもうとっくに夕刻の鐘が鳴り終えた後だ。

 それに加えて、外はまだ雨が降っているし、建物のあちこちは破損していて、とても営業しているようには見えないだろうに。


「俺が説明しに行くよ」


 そう言って、手の空いた職人の1人が女性に話しかけに行く。

 これでこの件は解決。思考はこれからのことを考えていた。


 空元気でもないよりは良い。モニカが戻ってきたら、明るく出迎えよう。そんな気持ちを抱いて、職人達のほとんどは作業に戻っていった。


 夜が明けた時、太陽の恵み亭は荒れ果てたままだった。片付けは中途半端に放っておかれ、そこには誰の姿もなかった。











 窓に吹き付ける雨の音が煩わしかった。

 今日も雨は止む気配がない。

 ざあざあ、と耳障りな音から逃れたくて、リーリヤは毛布の中に潜り込んで身体を小さく丸める。


 本当に嫌になる。なんで自分はいつもこうなのだろう。

 ただ、モニカを助けたかっただけなのに。それだけだったのに上手くいかない。


 頭が混乱しているせいか、昨日の記憶が朧気になっている。どうやって家に帰ってきたのかさえうろ覚えだ。確か、側にアルマスがいたような気もするが定かじゃない。


 それでも、モニカがリーリヤを見る、あの目だけは頭から離れてくれなかった。

 このまま毛布に包まって誰にも見られないまま石にでもなってしまいたい。


 しかし、そんな些細な願いですら叶うことはないらしい。


「リーリヤさ~ん。起きていますか?リーリヤさぁ~ん」


 自室の扉越しから聞こえてくる明るく優しい声にリーリヤは毛布の中で身じろぎする。


 この声はセルマだった。

 リーリヤは呻く。今は誰にも会いたくなかった。

 ここのところ参加していたステーン家揃っての朝食にも出ず、心配したイレネの呼び掛けさえも碌に返事はしていないのだ。


「何・・・?」


 だが、セルマが相手なら無視するわけにはいかなかった。

 リーリヤはドアの隙間を少しだけ開ける。


「・・・おはようございます、リーリヤさん!今日は楽しみですね!」


 リーリヤの顔を見たセルマは、びっくりした表情を浮かべた後、一拍の合間を置いて元気良く挨拶をした。

 ほにゃり、とでも付きそうな柔らかな微笑みだった。


「なんの話?」


 リーリヤは自分がまた嫌になった。

 セルマには優しくしてあげたいのに、感情が付いていかない。


 不愛想な態度で突き放す言い方しかできなかった。それに実際になんの話か心当たりもない。


「あれ?ヘレナちゃん、伝えてくれてなかったんですか?」


 セルマが視線を横に滑らせると、扉の陰で見えない位置にヘレナがいたことに気付く。


 ヘレナは気まずそうに顔を背けている。

 代わりにセルマが事情を説明してくれた。


「えっとですね。実は―――」


 お祭りの前日―――つまりは明日―――に花冠のための花を一緒に買いに行く予定だったが、セルマが明日も教会の手伝いをすることになったので、今日、花を買って回る話になっていたそうだ。


 そういえばそんな用事もあったな、とリーリヤは他人事のように思う。しかし、日程が変わったことは聞いていない。

 伝言を頼まれたはずのヘレナに視線が集まる。


「そ、それは・・・。でも、どうせ暇なこの人のことです。時間を作るなんていくらだって・・・」


 ヘレナは口籠る。

 多分、ここ最近ギクシャクしていたから言いづらかったのだろう。

 しかし、それもリーリヤにはどうでもよかった。


「悪いけど、忙しいの。付き合えないわ」


「えっ!?」


 別に忙しくはない。

 けれど、出歩く気分にはなれなかったから嘘を付いた。

 ただ突っぱねるよりはマシかなと思っての発言だったが、嘘の代償はすぐに返ってきた。


「・・・そう、ですか。寂しいですけど、忙しいならしょうがないですよね。考えてみれば当たり前でした。毎日、モニカさんのお手伝いで大変ですもんね」


 セルマは昨日の太陽の恵み亭の惨事を知らないのだろうか。いや、きっと知らないのだろう。

 無自覚なセルマの悪意のない言葉の棘がリーリヤの心を苛む。


 それに、お手伝い。今日はあるのだろうか。

 昨日、あんなことになったのに。あれはリーリヤのせいだ。

 どうしたらいいのだろう。どうすれば良かったのだろう。


 わからない。


 リーリヤはもう何も考えたくなかった。

 リーリヤの反応に困惑する2人を見るに、セルマだけでなく、ヘレナも事情を知らないようだった。ひょっとすると、イレネもトビアスも()()耳に入ってないのかもしれない。


 しかし、いずれは知れ渡る話だ。あれだけのことがなかったことにはならない。

 それでも、リーリヤは2人に昨日の出来事を伝える気にはなれなかった。


「それだって終わった後にちょっと一緒に回るくらいは・・・。いえ、何でもないです」


 とにかく話しかけないで欲しかった。

 心配そうな顔をするセルマと何か言いたげなヘレナを尻目にリーリヤは扉を閉めた。


 また毛布の中に潜り込む。暗闇の中に籠る。

 2人は暫く扉の前で何やら話し合っていたようだったが、様子を見に来たイレネに注意されていなくなった。











 アルマスは不機嫌に鼻を鳴らす。


 愚かにも踊らされたであろう、昨日のリーリヤのやらかしに対してではない。あれは相手が悪かった。


 無様にも謀を察知できなかった己の不甲斐なさへでもない。アルマスにも限界はある。


 目の前の優男風の中年男性こと学術協会フルクート支部長に、大事な要件があるからと強制的に呼び出しを食らったからでもなかった。


 もっと腹が立つことがあったからだ。

 昨晩、立ち上がれずに動けなくなっていたリーリヤをアルマスは背負ってステーン家まで送り届けた。


 引き渡した際、イレネは珍しく取り乱した。

 大雨に濡れて酷く傷心している様子のリーリヤを見て、どういう思考回路を辿ったのかアルマスを責め立てたのだ。


 それも別にいい。

 イレネがリーリヤに肩入れし過ぎているのは知っている。その理由もアルマスにはわからなくもない。

 時間を空けて、後日改めて説明すれば、イレネならば納得することだろう。

 それだけの話だと、昨日は一旦引き上げようとした。


 その時だ。

 ポン、とトビアスに肩を叩かれた。まるで理不尽に耐える仲間を見るような、あの憐憫の籠った視線。トビアスと哀愁を分かち合うなんて屈辱である。


 それがひたすらムカついている。無言で手をはたき落として帰ってやったが、まだまだ怒りが収まっていなかった。


 それにしても、あのイレネの過保護ぶり。


『もっとちゃんと守ってあげてほしい』


 イレネの目は、そう訴えていた。

 けれど、それはリーリヤという人間を誤解している。リーリヤならばきっと―――。


「う〜ん。こ、これ、話を聞いてくれてるのかな?どうなのかなぁ?お〜い?」


 思考を断ち切る間抜けな声にアルマスは不機嫌に吐き捨てた。


「聞いてるよ。続けて」


「そ、そうか。ごめんね」


 1つの組織の長としての威厳はどこにやったのか、支部長はアルマスの前でヘコヘコ謝っている。

 当然、アルマスは態度を改める気はない。


「こっちはわざわざ出向いて嫌がらせを受けてやってるんだから、さっさと終わらせて欲しいんだよ」


 話の内容なんて、学術協会(ここ)に呼ばれる前から把握している。

 ティアから半ば脅しと共に命令された公開錬成の件だ。学術協会を通して依頼するという形式に則っているだけ。


 支部長はグダグダとそれらしい理由を付けて婉曲的にアルマスに伝えようと四苦八苦しているがはっきり言って無駄でしかない。


「本当にごめんね。あ、後、すごく言いづらいんだけど、これも書いてくれないかな」


 支部長から差し出されたのは契約書。

 錬金術師にとって契約書は非常に重要なものであり、身近なものでもある。錬成という不確実性に富む現象においては、納品までの期間や依頼主の要望に適う『質』に至るまでに積み重なる失敗分の費用も十分にゆとりを持たなければならないのだ。

 つまり、守りの意味が強い。


「・・・これ、どういうこと?」


 契約を履行できなかった時の罰則事項がない。罰則の項目がないのではなく、『ない』と明記されている。アルマスに有利過ぎる契約だ。


 契約が守られなかった時は、揉めることが多いので、初めから契約書に盛り込んでおくのが通例だった。支部長とも在ろう者が、それを熟知していないわけがない。


「き、気にしないでほしい。ほら、急な依頼だったから、こちらも損害を正確に試算する時間がなかったんだ。・・・うん、ありがとう。それじゃあ、依頼は受けて貰えたということで」


 アルマス側からしてみれば、契約書に不満はない。

 ご丁寧にも免責事項まで含まれているので尚更だ。

 訝しみはするが、もとより断る選択肢のない依頼なので、アルマスはさらりとサインを書き綴る。


 これで用事も終わり。

 席を立とうとしたアルマスに支部長が待ったをかけた。


「それじゃあ、次の相談なんだけれど・・・、今した契約を破ってもらいたいんだ」


 ヒクリと眉を跳ね上げたアルマスに支部長はビビり散らかす。


「お、落ち着いてほしい。どうか、私の話を聞いてくれないかい?これには事情があるというか。そ、そう!君のためでもあるんだ!」


「勝手にビビんなよ。あんたの発言には怒ってない。けどね、俺は3級錬金術師なんだ。あんまりにも軽々しく扱い過ぎじゃない?俺が『ローペの虚像』程度のものを失敗するって本気で思ってんの?」


 『ローペの虚像』とは、夏至祭の儀式で使う『二枚鏡』の別名である。

 魔具には、その地域、伝統によって、まったく同じ魔具であっても、呼び名が複数付いている場合がある。

 アルマスにとってはそれだけのこと。

 しかし、支部長は引き攣った顔で乾いた笑い声を上げた。


「ははは・・・。さすがだね・・・。その呼称を使うなんて、君は生粋の錬金術師なんだね。私はとてもじゃないけど怖くて言えないよ・・・」


 この魔具の正式名称は、『鏡像の日輪』と言う。

 『二枚鏡』は教会によって宗教的に後付けされたものなので、アルマス的には最も意味の軽い呼び名だと思っている。


 そして、アルマスが使った『ローペの虚像』は、錬金術師にとっては侮蔑を含んだ呼び名だ。

 教会にとっても、街の人にとっても、非常に大切な意味のある魔具に、あえて蔑称を使うなんて常人は躊躇する。 


 故にそれらを無視するのは、余っ程錬金術に傾倒した変わり者というわけだ。

 支部長は表情を固くしているが、学術都市ではむしろ普通の呼び名である。


「ふーん、そう。で?」


 まだアルマスの質問は続いている。

 契約させといてその場で破棄させようなんて、明らかにアルマスをコケにしている。

 納得出来る理由の提示を求めると、支部長は慌てて続けた。


「このレベルのものを君が失敗するとは思っていないっ。ひ、ひとまず、素材の確認だけでもしてくれないかな?君ならそれだけでわかると思うから!」


 支部長の口から出てきた『素材』という単語。

 公開錬成で使用するための素材は、既に用意されて学術協会で保管されているらしい。それもそのはず、今回の公開錬成はこの学術協会の一室で行われるからだ。


 公平性を担保するために学術協会が取り仕切る体になっているが、アルマスは建前にもなっていないと吐き捨てる。この街の参事会と学術協会がべったりなのは、支部長を見ていればよくわかる。上流階級の人間の言いなりだ。


 しかし、学術協会と上流階級が手を組んでいても、アルマスにとっては大した障害にもならない。アルマスはそう思っていた。

 ティアは今回の公開錬成では、まともな()の素材が用意されるだろうと言っていた。あからさまな妨害は参事会側の不手際になる。


 ならば、あとは錬金術師としての腕で決まる。

 問題は錬成の機会が一度だけに制限されていること。しかし、それくらいの苦難など乗り越えられるから3級錬金術師なのである。


「は?」


 保管室に並べられた『二枚鏡』の素材を見た途端、アルマスの持っていた余裕は困惑に埋め尽くされた。

 アルマスはポケットから片眼鏡(モノクル)を取り出す。素材に内包される魔力因子を確認するためだった。


「なんだこれ・・・」


 素材自体はどれも()()()である。

 どの素材も因子は劣化していない。

 『二枚鏡』を錬成するのに必要な因子は揃っている。それだけを鑑みれば十全と言えた。

 では何が問題なのか。


「錬成親和性が滅茶苦茶だ」


 『二枚鏡』は本来金属錬成である。

 通常ならば、魔力を帯びた鉱石を主軸に因子を掛け合わせていく。時には魔物や動物の爪や角を使うことはあるし、それ以外の材料も因子の活性化、不活性化のための触媒にすることはある。


「ピーポレスの根に、甲外虫の羽。それとポトポトヘビの抜け殻・・・。正気かよ、エルフス鉱石どころか紅燐鉱すらないとか」


 だが、間違っても動植物を主軸に据えることはしない。

 つまり、Aという鉱石とBという鉱石を使うべき作業を、Bと同じ魔力因子を保持しているからと言って―――あくまで錬成に必要な主要因子の話で、目的外の因子を含めた因子構成全体が同じというわけではない―――Cという花で代用しようということだ。


 しかし、鉱石と草花では錬成の工程が大きく異なる。鉱石同士を熱して打ち合わせる工程がイメージしやすい。片方を植物に置き換えたら、その植物は因子の結合をする前に燃えてたちまち灰になってしまうだろう。


 これが素材自体の『錬成親和性』の問題。

 素材の分類上の括りが離れれば離れるほど、錬成工程が噛み合わなくなり、錬金術自体が困難になる。

 この場にある素材は、正に金属錬成に適切ではないのだ。

 それでも、『二枚鏡』に必要な魔力因子はきちんと確保されている。


「それが逆にたちが悪い」


 長い錬金術の歴史は伊達ではない。この問題に対しても、錬成する手法は確立されている。


「結晶錬成を絡めるしかない」


 素材から必要な因子のみを抽出して結晶化を行い、その因子結晶同士を掛け合わせるのが結晶錬成である。

 この因子の結晶化を流用するのだ。


 素材同士を直接掛け合わせる金属錬成の一部工程に結晶化の手法を盛り込むことで、錬成親和性は乗り越えられる。


「でも、それじゃダメと来た」


 因子結晶とすることで錬成の工程には耐えられるようになる。だが、新たな問題が出てくる。それは因子の劣化だ。


 因子結晶は謂わば素材という殻を剥かれ、繊細な部分が露出している状態。結晶化されたことで作業工程により与えられる外的影響にある程度の耐性を得ているが、因子自体が脆く崩れやすいのは変わらない。


 先ほどの例で言えば、熱した鉱石の因子と結合させるために、因子結晶を打ち付け、馴染ませ、反応を促進させるほど、その熱と衝撃が時間とともに結晶内の因子を傷ませていく。


 それが意味するのは、逃れられない魔具の品質の低下だ。

 非常に高度な質を求められる今回の錬成にとっては致命的な足枷だった。


「どこがまともなんだよ。『まとも』の定義、おかしいだろ」


 『まとも』な魔力因子を内包しているだけではなく、『まとも』な錬成を可能として、初めて『まとも』な素材と言えるのだ。

 最低限使える素材を用意するだろうという、ティアの予測は大外れだ。


「いやぁ、そうなんだよ。これを見てわかってくれたと思うんだけど。彼等、君に正攻法で錬成をさせる気なんてまるでないんだ」


 支部長が訳知り顔で語りかけてくる。

 契約書にサインをさせた口でよく言えるものだ。

 それにしてもこれほど手の込んだこと、地元の錬金術師のみでできることではない。


 工程によっては因子結晶でも強度が足りずに成立しない場合もある。下手にすべての工程に結晶化を流用しようとすると、そもそも錬成自体が不可能になる。そうすれば、無理難題な素材を用意した参事会側の落ち度に出来たのに。


 実際には厄介なことに可能な限り結晶化の工程を挟み錬成が成立する絶妙なラインになっている。

 ここまで綿密な錬成工程は、地元の錬金術師達の能力を大きく超えていた。


「誰の入れ知恵なんだか」


「わ、私達はノータッチだよ?彼等の企みに関与してはいないからね!?」


「だろうさ。日和見主義の学術協会(あんた達)は目を瞑っているだけでしょうよ」


 支部長は痛いところを突かれたと肩を縮こませてから、取り繕うように言った。


「だ、だからこその提案だったんだよ」


 さっきの契約破棄の件だ。

 今となっては支部長の発言の真意もわかる。


「体調不良で棄権。それならば、まだヘレニウス家の面子を潰すことはないだろう?君の名誉だってどうとでもなるとも」


 しかし、事実は取られる。


 『アルマス・ポルクが公開錬成を実施しなかった』。


 上街の奴らはこの事実を良いように解釈して嬉々として噂を流すだろう。3級錬金術師は怖くて逃げ出したのだと。


 それでも、反論の余地は残る。

 あらぬ噂をされるのが気に入らなければ、自ら否定しろと支部長は言っているのだ。


 そして、学術協会はそこまでの責任は負わない。上街の意思決定機関である参事会の方針には逆らわず、数少ない高位の錬金術師であるアルマスとの関係性も考慮した。


 言ってしまえば、学術協会はアルマスに状況を事前に伝えなくてもよかったのだ。当日になって、危機を認識したアルマスが慌てふためく姿を傍観する選択肢だってあった。


 ここが落とし所だと支部長(この男)は初めから想定していたのだ。


「きっと君の技量なら当たり前のように錬成できるんだろう。けれど、それで解決する問題ではないとわかっているね?」


「・・・・・・」


「悪いことは言わない。急な話であったし、たまたま明日体調不良になっても致し方ないよ」


 アルマスはだんまりと肯定も否定もしない。そこに支部長はダメ押しの一言を告げた。


「ここだけの話だよ。相手側は既に『司祭の銀杖』のクラスを用意しているらしい」


 アルマスは目を見開いた。

 それは完全に予想していなかった。

 一等品質の中でも上澄みに手が届く錬金術師なんて、この街にもごく少数しかいないのに。


 先程の素材の選定の件といい、このくだらない茶番に手を貸す陰なる実力者がいるということか。


「せめてもの、なんだ。聡明な君なら、きっと理解してくれるよね?」


 アルマスはその場を辞した。

 支部長はアルマスからの言質を求めなかった。きっとアルマスの態度を答えとして受け取ったのだろう。

 そして、悔しいことに、それはあながち間違いではなかった。


 乗合馬車を使う気にもならず、アルマスは雨の中を歩いた。傘に雨が当たる音だけを聞いて工房まで辿り着く。


「君は・・・」


 工房の扉の前には蹲って座る人影がいた。

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