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魔女が哭く、賢者はスープを飲む  作者: リンゴとタルト
第2章 太陽の咲く祭り

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18.精霊樹の種2

 雨が降らないのがおかしいほどの曇天。


「なにこれ?何が起きているの?」


 リーリヤは震えた声を出す。

 異変を確認すべく2階のテラスに出たリーリヤは柵の隙間から様子を伺う。


 テラスの真下、太陽の恵み亭の入り口の真ん前で2つのグループが睨み合っていたのだ。


 いや、もはやこれはグループなんて小さいものではない。


 注目の中心にいるのはモニカと花の乙女の少女達。

 これだけならいつぞやにも見たことがある。モニカに対して、少女達が無茶苦茶な難癖を付けていた場面だ。


 だが、今日は違った。

 少女達の後ろにも多くの人だかりができていた。明らかに野次馬ではない。

 モニカへ敵意を剥き出しにする男女様々な人々だ。


 対応するように太陽の恵み亭の職人達もモニカから少しの距離を保って立ち並ぶ。モニカに被害が及ぶ前に直ぐ様割り込める態勢を取っていた。


 両陣営を合わせれば100人に届くのではと思うのは些か大げさだろうか。


「モニカちゃん。大丈夫なの、これ?」


 今にも乱闘が始まりそうな気配がしている。


「庶民派の花の乙女達。件の嫌がらせをしている一派ですね。そして、後ろにはそれぞれが管轄する地区の住民達。庶民派は専業ではなく、その地区に根付いた職を兼業していることが多い点を考えれば、ほぼ彼女達の身内のようなものですか」


 リーリヤの隣でメイドが状況を補足してくれる。


「メッツァ様。ここは落ち着いて行動しましょう」


「で、でも、モニカちゃんは1人なのよ。私が行かなきゃ・・・」


「1人ではありません。太陽の恵み亭のお仲間の方々が近くにいるでしょう?いざとなれば、その身を挺して守るはず。お相手方は、聞いていた話よりも大分殺気立っている様子です。下手にかき回す方がレイポネン様を危険にさらすことになるでしょう。ですから、まずは状況を見定めていきましょう」


「え、ええ。わかったわ」


 リーリヤは心配げにモニカを見やる。

 まだ対話に収まっているのは、モニカが詰め寄る少女達をなんとか抑えているからだった。


「厭味ったらしくあんなところに船なんか飾っちゃってさぁ。目障り過ぎ!」


 花の乙女の一人が大きな声を上げる。モニカだけでなく、周囲に聞かせるようなわざとらしい話し方だ。


 少女は広場の中央に鎮座する飾り付けられた帆船を指さしている。モニカのファンクラブの人達が勝手に用意したとかいうやつだった。


「そうかな?皆、結構気に入っているみたいだよ?」


「んなわけないっての!そう思ってるのはアンタだけ!頭がお花畑なぶりっ子女!」


「そんな自覚はないんだけどね。アウニちゃんにはそう見えるのかな?」


 アウニ、という名前でリーリヤは思い出す。


 あの嫌味な態度に既視感があると思ったら、前に教会で突っかかってきた少女だ。

 どこかの通りで、小麦粉を売っている人だとヘレナが言っていた気がする。


「アタシだけじゃない。み~んな、アンタのことをうざったく思ってる!ねぇ?!」


 アウニの呼び掛けに周囲も同調する。

 よってたかってモニカを言葉で嬲ろうとする様子に胸糞悪さを感じる。花の乙女であるくせに、なんて嫌な性格をしているんだ。


 アウニの取り巻きの中には、ちょうど昨日モニカに言いがかりをつけていた花の乙女の女性もいた。


「・・・わざわざそんなことを言いに来たの?ごめんね、あたし、忙しいんだ。また今度にしてくれる?」


「その態度が鼻に付くんだっつうの!いかにも気にしてませんって顔しやがって!どんだけアタシ達を見下しているんだか!」


「別に見下してなんて・・・」


「ハッ!底意地が悪いったら。こっちは知ってんの。最近は男達にチヤホヤされるだけでは飽き足らずに、花の乙女でもない女と()()()()()してっるてね」


 アウニは馬鹿にしたように笑う。


「知ってる、知ってる。最近街に来たらしいけど、いい年してまともに働けないんだってさ。どこに行っても失敗ばかりの役立たず」


「聞いた?カフェでの話。問題事起こしてたった1日でクビになったんだって!」


「うわぁ、なにそれ、ウケるんだけど!」


 アハハ、と嘲笑う少女達。


「あっ。これ、私のことか」


 心当たりがあったリーリヤは、少女達が馬鹿にしているのが自分なのだと気付く。


()()()()()ができないからって、()()()()囲って友達ごっこしてんの?惨めすぎ!」


「あれじゃない?わざと使えない奴を側において優越感に浸ってんじゃないの?」


「うわ~、かわいそ~」


「ほんと、モニカって性格悪いわ~」


 ボロクソな言われようだ。モニカを貶すため、リーリヤを利用しているのだ。


 メイドがそっとリーリヤの肩に触れる。


「聞いていて気分は良くないですね。メッツァ様も、どうか怒りに囚われぬよう」


「別に。これくらいなんてことないわ」


 自分に向けられている少女達からの悪意に対し、リーリヤは案外何ともないものだと思った。それどころか、ささやかだなとさえ思う。


 思い返せば当たり前な話だ。

 故郷にいたときにはもっと酷い殺意じみた悪意を浴びるのが日常だった。


 例え街に住んでいようとも悪意(人の醜さ)に変わりはないのだと自らの肌で理解する。つい先日まで見知らぬ他人(ひと)から嫌われることをあれだけ怖がっていたのが滑稽に感じてしまった。


「そんなんじゃないよ」


 モニカもまた否定した。

 浮かべられた笑みは傍目からも取り繕っているとわかる。くだらないやりとりに辟易しているようにも思えた。


「あっそ。まぁ、でも―――」


 モニカの反応につまらなそうにしていたアウニが急にニヤリと嫌らしく唇を歪めた。


「本当は似た者同士だったってオチね!落ちこぼれ同士、お似合いだわ!」


 まだ戯言が続くのかと呆れたリーリヤと違い、この会話の中で初めてモニカの顔色が明確に変わる。


「えっ・・・?」


 リーリヤは不意に心を刺されたように錯覚した。そう思ってしまうほどズキリと胸が痛んだのだ。


 一瞬だったがモニカの横顔に浮かんだのは拒絶の色だった。


「おや、ご不満?本性出ちゃってるんじゃないの?」


 アウニの煽りにモニカは黙る。

 それが面白くてしょうがないとばかりにアウニは手を叩いた。


 そして、次の一言は確実にモニカを追い詰めるものだった。


「パン。食べてやったよ」


 だから何、とリーリヤは思っただけだった。


 しかし、メイドは察したようだった。まさか、と小声で溢したのが聞こえた。


「ねぇ。ご自慢の『太陽の恵み』はどこ行っちゃったのさ?全っ然、感じられないんだけどぉ?」


 大きなどよめきが波紋となって広場の隅々まで伝わった。


 少女達の振る舞いにいい顔をしていなかった近所の住人達もガラリと表情が変わる。


「嘘だろ?流石にそんなことないだろ」


「だって、『太陽の恵み』がないってことは、『精霊の祝福』がないってわけで。それって、精霊様が力を失ったってことなのよね?」


「ああ。モニカの奴、あんだけ実力を謳ってたのに自分とこの精霊様を蔑ろにしてたのかよ?」


「いえ、間違えて普通の水を使っちゃっただけかもしれないわよ」


「それこそ、そんなことあり得るのかよ」


 あちこちで無秩序な会話の奔流が生まれる。


 リーリヤは彼らの危惧する事態を遅れて理解した。


 今まで人に『祝福』を与えていた精霊がそれを急に止めた。それほどまでに精霊の状態が悪化してしまったのだ。

 ならば、その責任は担当していた花の乙女にある。


 モニカが否定することを誰もが望んでいた。


「っ・・・!」


 だが、モニカは視線を地面に落とすだけだった。

 それが意味するのは、無言の肯定。人々のざわめきが加速する。


 リーリヤは手の中の『精霊樹の種』を見た。

 これは『良き花の乙女である』ことを証明するための魔具だ。


「ね、ねぇ。これって、この魔具って、使っちゃマズイんじゃないの?」


「私にもわかりません。決めるのはメッツァ様です」


「そんなっ、わ、私が決めるの・・・!?無理よ、そんなの!どーしろって言うのよ!?」


「もし悩まれているのなら問題をこう置き換えてみたらいかがでしょう。レイポネン様(ご友人)を貶してばかりいる彼女達の戯言を信じますか。それとも、貴女の知るご友人(レイポネン様)を信じますか」


 ズルい言い方だ。そんな風に問われたら答えは1つになる。


「モニカちゃんを信じる!」


「了解しました。でしたら、早々に動きたいところですが・・・」


 メイドの視線はテラスの柵の外に向いている。

 まるで広場全体が1つの生き物のように唸っているような気がした。


「本当なのか?『精霊の祝福』が貰えなくなったって」


「あんだけ他人(ひと)の管轄にしゃしゃり出ておいて、その不始末はヤバいだろ。もっと自分のとこしっかりした方がいいんじゃ」


「この調子だと、あの娘が関わった他の場所も大丈夫なのかどうか。心配になってくるわね」


 モニカに対する悪評が急速に拡大していく。

 それでも、すべての人が同じなわけではない。


「いい加減なことを言うな!」


「そうだ!姫の努力を何も見てこなかったのか!」


 モニカの親衛隊やファンクラブの人達が必死に反論している。


 広場にもリーリヤと同様にモニカを信じようとする人は大勢いるようだった。しかし、この場ではそれが悪い方向に転がってしまった。


 リーリヤの胸に掻き乱すようなざわつきが広がる。 

 呼応するように厚い黒い雲からポツリと雨が落ちる。


 そして、事は起きた。


「み、皆!や、やめて!やめて!!」


 モニカの悲鳴が響き渡る。


 1人の男が1人の男を殴り、側にいた女が殴られた男の代わりに殴った男に蹴りを入れる。

 負の連鎖が伝播するのは、驚くほど短い時間だった。


 乱闘が始まった。


「ひっ」


 リーリヤは怯んで息を呑み込む。

 さざめく喧騒が怒号と悲鳴の嵐になる。

 それでも、リーリヤの身体は動いていた。


「た、助けにいかなきゃっ!」


「メッツァ様っ!お待ちを!」


 メイドの引き留めを振り切ってリーリヤは階段を下る。


 客はおろか、職人達さえ誰もいない空っぽの店内を突っ切ろうとして、柔らかい感触にぶつかった。


「ぶふっ!?」


 柱の陰に隠れていた若い女性に衝突したのだ。


「あらあら~?大丈夫ですかぁ~?」


 態勢を崩したリーリヤをピンクブロンドの髪の女性が受け止める。リーリヤはほんわかした雰囲気どおりの柔らかさに包まれた。


「ご、ごめんなさい」


「まぁ~、お怪我は?」


 その間にメイドが追い付いてきた。


「メッツァ様、落ち着いてください。今のうちにやるべきことをしましょう」


「やるべきって。それなら、モニカちゃんのところへ―――」


「行ってどうするのですか?」


 冷静な問いにリーリヤは咄嗟に答えられなかった。


「ぐっ。それは・・・」


「何もできないでしょう?」


 正論だ。


 リーリヤが行ったところで、この乱闘騒ぎを収めることなどできない。


「でも、だからって何もしないのはおかしいわよっ!」


「落ち着いてくださいと言っているでしょう。『精霊樹の種(これ)』さえ精霊様にお渡しできれば、この事態も収拾できます」


「ほ、本当なの?そんな魔具1つであれが止まるの?」


「はい。必ず」


 メイドは迷いなく頷いた。


「それに、これを丁度良い機会とというのは憚られますが、実際貴重なタイミングです。混乱に乗じて鍵を取ってこれます。それに誰にも止められることなく確認して回ることも」


 そうだ。今なら可能なのだ。


 リーリヤの気持ちとしては、モニカの側に行きたい。だが、本当の意味でモニカの助けとなるのはどちらか―――。


 リーリヤの思考は、のんびりとした声に引き留められる。声をかけてきたのは先ほどぶつかってしまった女性だった。


「ん~。すみません〜。今日のおすすめのパンはどれですかぁ〜」


 リーリヤは呆れてしまった。悠長どころではない。店のすぐ外では大規模な乱闘が起きているのだ。


「あ、あの。流石に今は・・・」


「はい。そういうわけなので失礼します。あと、今は見てのとおり大騒ぎとなっておりますので、買い物は出来かねます」


 メイドはバッサリと切り捨てて、さっさとその場を離れる。


 随分と淡白な態度だが、今はそれどころではないのも事実。リーリヤはメイドの後を追いかけた。


「あの娘達も太陽の恵み亭で働く(ここの)子達でしょうかぁ?」


 間延びした声がリーリヤの背中越しから聞こえた。


「ぜひ仲良くなりたいですね~」


 少しだけ全身をむず痒い感覚が襲ったが、リーリヤは振り返らなかった。


 リーリヤが追いつくまでの数瞬で、メイドは既に事務室を漁って鍵を見つけていた。


「もはや一気に鍵を開けていった方が早いです。私が次々と開けていきますので、メッツァ様は順番に中の確認を」


 そう言うや否や、メイドは1番近くの部屋に走っていく。


 リーリヤも息を切らしながら、鍵が開けられた扉を片っ端から開いていく。


「いない。いない。いない」


 部屋の中を一目見れば、精霊がいるかなんて容易くわかる。


 だからこそ、確認した部屋の数が増えるにつれてリーリヤの焦りも強くなる。


「いないいないいないいないいないいないっ!なんで!?」


 通路を挟んで右に左にと交互に扉を開けては、更に奥の扉を開ける。それを通路を進みながらひたすら続ける。


 精霊を見つけられない焦りから、取っ手を掴む手が汗で滑る。ガチャガチャと開け損ねては、掴み直すのに無駄な時間を浪費する。


 その上、時間が経てば経つほど、外から聞こえる騒ぎがどんどん大きくなっている気がして、余計にリーリヤを急き立てる。


「どこ!?どこにいるのよ!?」


 無我夢中で扉を開けていく。


 そして、気付けば目の前にメイドが立っていた。

 それが示すのは―――。


「1階に精霊様はいらっしゃらない」


「そん、な。じゃあ、どこにいるの?」


 全身から汗が吹き出て呼吸が整わないリーリヤは、視界が暗くなる。


 乱れた亜麻色の髪が顔に掛かるが首を振って払った。


「後は考えられるとしたら2階以降。ですが―――」


 言葉を切ってメイドは考え込む。その間にリーリヤは外の様子を伺う。


「自警団!自警団を呼んでこい!」


「怪我人が出てるぞ!」


 酷い有様だった。

 広場での騒ぎは混沌を増している。


「引き時ですね。人死が出る前に別の手立てに移行しなければなりません」


 考え込んでいたメイドが結論を出す。


「そんな方法があるなら、初めからそっちをやってくれればっ」


 理不尽なのは自分でも自覚していた。

 その上で言わずには居られなかったリーリヤはメイドの顔を見て口を噤む。


「ありません、そんな方法は。これから考えるのです」


 具体的な策があったわけではない。当たり前のことだった。


 雨足が激しくなる。雷の重苦しい轟音も鳴り出した。


 ざわめきがまた強くなる。


「ああっ、もうっ!うるさいっての!」


 リーリヤは蹲って耳を抑える。


 それでも、リーリヤの中で掻き鳴らされる不協和音は止まらない。


 人々の狂騒と、叩きつけられる雨音と、()()()()


 なんだ、この感覚は。

 耳から聞こえるんじゃない。この広場に来てからずっと心に直接響いてくる。


「上・・・?」


 ふとリーリヤは頭上を仰ぎ見る。

 その意識は石造りの天井ではなく、それよりも遥か高いところに向けられていた。


「ねぇ、ここの1番高い場所はどこ?」


「4階、いえ、屋根裏部屋だと思われます。それが何か?」


 リーリヤの呟きのような疑問にメイドは訝しむ。


「そこは太陽の光が良くあたるかしら?」


 リーリヤの発言に、メイドの顔つきが変わった。


「なるほど。太陽の要素を重視するなら或いは。見てみる価値はあります。ここの屋根裏部屋は改装された記録が残っていますから、普通のアパートメントとは何か違ってもおかしくありません」


「ならっ。なら!?」


「可能性はあります」


「行くわよ!」


 勢いよく階段を登ろうとするリーリヤをメイドが制止する。


「その階段は屋根裏部屋まで繋がっていませんよ。おそらく4階までです」


 メイドは事務室に戻ると、手に持っていた鍵で部屋の奥に設けられた古い扉を開ける。すると、そこにもう1つの階段が現れた。


「大抵、こういうところに別階段が設けられているのです」


「すごい。よくわかったわね」


「こちらのアパートメントも昔は階級の高い方のお住まいでした。故に屋根裏部屋は末端の使用人の部屋と相場が決まっているのです。そして、使用人には使用人の通路があります。私達が主人を差し置いて表を歩くわけにはまいりませんので。そのための裏階段です。古い建物であるほど、そういった名残りが強いですから」


 メイドが先導する階段をリーリヤも後ろから付いていく。


 表の階段と比べても、随分と簡素な上に傷んでいてギシギシと悲鳴を上げている。

 ボロボロな階段の底が抜ける恐怖に耐えながら、リーリヤとメイドは4階まで駆け上がる。


 そして、そこから更に上へと登ってゆく。半階層分程度の階段の先には、比較的新しめの扉が付いていた。水飛沫と太陽の光を連想する意匠が全面に施されていた。

 この先が多分屋根裏部屋にあたる領域だ。


「鍵は・・・、付いてませんね。メッツァ様」


 メイドに促され、リーリヤが取っ手を掴む。


「お願いっ。ここに居てっ」


 願いながら取っ手を捻り、足を踏み出す。


「えっ?」


 呆気に取られたのは、外に出たと錯覚したからだ。

 それほどまでに開放感のある空間だった。


「屋根部分は軽微な修繕のみだと聞き、無意識に選択肢から外していました。ですが、ここは昔からある建築物。移転の時期よりも更に前に屋根裏部屋が大改修されていてもおかしくありませんでした」


 部屋を仕切る壁はすべて取り除かれ、屋根裏部屋が一つの大空間になっている。


 ずらりと並ぶ大きな窓からは外の光がふんだんに取り込まれていた。さして高くないはずの天井も、天窓から差し込む明かりによって、空を近く感じさせた。


 きっと晴れていたらもっと美しいのだろうと思えた。


「・・・いた」


 慎重に足を進めて行った先、部屋の中央に精霊はいた。


 巨大な円形を模した石造りの盤にうっすらと水が張っている。

 揺れ1つない澄み切った水盤だ。


 水面の上に神秘的な女性がいた。いや、精霊だ。

 きらきらと光を透過する水の身体を持った精霊は、座り込んで空を見上げている。


「そういうことね」


 精霊を前にしてリーリヤはやっと腑に落ちた。広場に来てからずっとあった心に響く感覚の正体。リーリヤは疼きを鎮めるように胸を抑える。


 この精霊は嘆いているのだ。分厚い雨雲が太陽の光を遮っていることを。ただそれだけのことを、この精霊は深く悲しんでいる。


 いや、違う。この精霊にとっての太陽はきっと―――。


「メッツァ様。見惚れている暇はありません」


「っ。そうだった」


 リーリヤは『精霊樹の種』を取り出す。

 革の小箱の中に仕舞われていたのは、黄金色の指先ほどの楕円形の粒。


「これをっ・・・、どうすればいいの?」


 リーリヤは『精霊樹の種』を摘まみ上げる。

 これを精霊に投げつけるのはなんか違う気がする。


「熱っ」


 手の中に熱を感じたリーリヤは反射的に手を離す。


 白銀に見えるほどの眩さを放つ『精霊樹の種』は、意志があるかのように自ら飛んでいく。


 そして、精霊に触れた瞬間に弾けるように芽吹いた。


「これでっ・・・!」


 『種』から水晶の『根』が何本も溢れ出る。

 『根』は束となって『幹』となり、神々しい1本の樹がそびえ立つ。


「えっ?えっ!?」


 しかし、樹の成長は()()()()()


 精霊を包み込むように水晶の根がメキメキと音を立てて膨れ上がり、幾本もの巨大な根は床を這い、壁をこそぎ、窓を突き破る。


「きゃあっ!」


 甲高い破砕音と共に窓ガラスの破片があちこちに飛び散り、あっという間に屋根裏部屋は水晶の『根』に覆われた。


 惨状は屋根裏部屋だけでは収まらなかった。窓から飛び出た水晶の大樹は根を階下に伸ばし、広場さえも侵食する。


「な、何これ・・・?私は、いったい」


 何をしてしまったのか。

 リーリヤの血の気が引く。

 振り返れば、後ろにいたはずのメイドの姿は消えていた。

 取り残されたのはリーリヤだけ。


 罅割れて砕けた天窓の穴から雨が容赦なく降り注ぐ。

 滲む視界の中、駆け込んできたモニカの姿が現れる。


「なんてっ・・・!なんてことをしてくれたの!?」


 揺れて揺らぐ世界でリーリヤのことを酷く哀しげに見つめるモニカがやけにはっきりと映っていた。











 良い噂と比べて、悪い噂は足が早いという。

 その意味をこんな風に実感することになるとは。


 視界を遮るほどの大雨の中、アルマスはずぶ濡れになるのも構わずにひた走る。


 違和感はあった。

 昨日まであったヘレニウス家の監視網が、今日は緩いどころか嘘のようになくなっていた。

 謀の気配にもっと注意を寄せていれば。


 過る反省をかなぐり捨てて、アルマスは地面を蹴る。

 今はともかくリーリヤのもとへ。


「どこだっ!?」


 アーリコクッカ広場の有様は、燦々たる荒れ様だった。そこら中に呻く負傷者が転がっており、駆り出された教会の人間が手当てのために走り回っている。せっかく夏至祭のために彩られた街並みも滅茶苦茶だ。


 アルマスの目はその原因へと向く。


「よりによって『精霊樹(ゆりかご)』かよ」


 水晶の大樹に太陽の恵み亭が飲み込まれている。


「リーリヤ?リーリヤっ!」


 その太陽の恵み亭の前にリーリヤはへたり込んでいた。


 黒雲に稲妻が走り、雷鳴がけたたましく鳴り響く。


 まるで罰でも求めているかのように、リーリヤは大粒の雨をその身に受け続けている。


 亜麻色の髪からは絶えず水滴が滴り落ちて、リーリヤの華奢な身体は寒さでか小刻みに震えていた。


 もう直ぐ夏至が来ると言っても、この冷たい雨を無防備に浴びれば体調を崩しかねない。


 それでも、リーリヤは太陽の恵み亭の方を見たまま、アルマスに反応する素振りすらない。


 せめてとアルマスはリーリヤに自分の上着を掛ける。びっしょりと肌に張り付くほど濡れそぼった薄手のワンピースのままよりはマシだろう。


 抱きかかえてでも力尽くで連れて行くか、アルマスは悩む。

 すぐにでもこの場から移動させたかったが、尋常じゃないリーリヤの様子が気がかりだった。


 その時、水晶の大樹が光の粒子を放ちながらゆっくりと消滅し始めた。氷が溶けていくように徐々に体積を減らし、ついには消えてなくなった。


 だが、被害の跡までが消えるわけではない。広場の一部と太陽の恵み亭には軽視できない爪痕が残された。


 やがて太陽の恵み亭から黒装束に包まれた女性達が出てくる。その誰もが黒いヴェールで顔を隠していた。


庭師(ガーデナー)・・・・・・」


 精霊樹を伐採したと思われる花園(ガーデン)庭師(ガーデナー)達だ。


 黒の集団はアルマス達の目の前を通過していく。彼女らは数人掛かりで棺桶のような大きな木箱を粛々と運び出していた。


 推測が確信に変わり、アルマスは何が起きたのかを理解する。


「やってくれたな」


 忌々し気なアルマスの言葉は雨にかき消されていった。

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