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魔女が哭く、賢者はスープを飲む  作者: リンゴとタルト
第2章 太陽の咲く祭り

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20.振り払われた手の先に

 街を、彷徨い歩く。

 重たい足を上げる気力もなく、靴底がズルズルと地面を擦る。

 ()()()()は大粒の雨が降り続ける街中をノロノロと徘徊していた。


 どこを目指しているわけではない。ただ部屋にいたくなかった。あのまま閉じこもっていたら、窒息してしまいそうだった。


 いつもは静かで暗い場所の方が落ち着くのに何故だろう。

 そんな疑問は心のどこにも引っ掛かることなく、落下した葉っぱが水に流されるように無くなっていく。


 雨粒は水浸しになった石畳に荒々しく叩きつけられ、何重もの波紋を描いては別の波紋に塗り潰される。


 俯いた視界に映るのはそれだけ。

 儚いな、と思ったが声にはならなかった。そんな感傷を言う資格がないと思った。


 被った外套のフード越しに聞こえる雨音が激しさを増す。

 大雨の中を行き交う僅かな人々の気配すら搔き消される。

 いや、もう誰も街中を歩く人はいないのかもしれない。顔を上げる気にもならないので、おそらくとしか言えないが。


 そういえば雨を弾くこの外套はどうしたのだったか。そんな思考もすぐ放棄する。

 覚えていない。

 無意識に着込んだのか、イレネ辺りが被せてくれたのか。

 それもどうでもいい。今は何もかもが煩わしかった。


 雨音が遠ざかっていく感覚に襲われる。家の外にいるのに、リーリヤはまた自分の中に引き籠っていた。


 もう考えたくない。だというのに頭は勝手に動いている。雑多な考えが浮かんでは消えて、まとめようとしてもまとまってくれない。


「私は・・・。私は・・・」


 そもそも何をしてしまったのだろう。

 とんでもないことをしてしまったことはわかる。でも、そこから先に考えが進まない。進めない。

 何が起きたのか。何が悪いのか。

 まずは、それを知らなければならない。


「ここ・・・」


 視線を上げれば、周囲は見慣れない街並みになっていた。リーリヤ達が住むリンゴーン区とはまったく違う雰囲気が流れている。

 数えるほどしか来たことがない場所。上街だった。


 リーリヤの足が止まる。

 巨大な門扉が目の前に立ち塞がる。赤い牡丹と絡み合う葉冠の紋がリーリヤの宵闇色の瞳に突き刺さる。

 リーリヤはいつの間にかヘレニウス家の前に立っていた。


 どうやって辿り着いたのかは自分でもわからない。当然、道なんて把握してなかったのに。その事実に驚きつつも、さほど驚いていない自分がいた。


「あっ・・・」


 閉め切られた鉄の門をどう開けようかと思案する間もなく、門が勝手に開く。

 ちょうど馬車が出てくるようだった。

 もしかしたらティアが乗っているのかもしれない。それは困る。リーリヤはティアから話を聞きに来たのだ。


 そんなとき、馬車の窓越しにティアと目が合う。だが、ティアは何事もなかったかのように御者に馬車を出すよう指示をした。

 ティアはリーリヤの存在に気付いたのに無視したのだ。


「させないっ・・・!」


 リーリヤは咄嗟に馬車の前に飛び出す。


「危ない!」


 御者が叫び、慌てて馬の動きを制す。

 嘶く馬を眼前にしても、リーリヤは引かなかった。

 フードが外れ、雨で髪が濡れる。


「また貴女ですか!?いい加減にしてください!怪我しますよ!」


 御者が何かを言っているが、リーリヤは相手にしなかった。リーリヤの意識はたった1人だけに向いている。


「ティア・ヘレニウスと話させて」


 途端にヘレニウス家の使用人達が騒ぎ立てる。

 失礼だとか身分を弁えろだとかほざいている。だが、そんなことはどうでもよかった。


 礼儀や立場なんかよりもリーリヤにとって重要なことは他にある。

 だから、何度でも言ってやる。そう思って再び口を開きかけたところで声がかかった。


「無礼でしてよ」


 近寄りがたい、高圧的な言葉だった。

 ティアは馬車から降りることもなく、ましてやリーリヤの方を碌に見さえもしなかった。


「ですが、今の発言は聞かなかったことにして差し上げましょう。わたくしは多忙な身。貴女程度の庶民の相手はいちいちしていられませんもの」


 ちらりとティアから視線が投げかけられる。まるでたまたま道に飛び出てきた野良猫を見やるような無関心さだった。


「・・・なんで」


 なんで急にそんな態度を取るのか。

 とても親切な女性(ひと)だと思っていたのに。ティアはこんなにも寒々しい表情をしている。


 いや、逆だ。

 ティアの表情は最初に会った頃から変わっていない。

 透明とも言える感情の見えないティアの相貌に、リーリヤが勝手に親切という色を混ぜていただけなのだ。


「さぁ、そこをお退きなさい。お嬢様のお慈悲に感謝をすることですね」


 何人かの使用人が近付いてくる。

 リーリヤを力尽くで排除しようとしていた。


「私の用事は終わってないわ」


「まだそんなことを。いい加減にっ―――!」


「邪魔しないで」


 リーリヤの肩を掴もうとしたメイドの手が止まる。

 そのメイドだけではない。リーリヤに近付こうとした使用人達も動きを止めていた。


「何をしているのですか。早くその娘を退かしなさい」


「は、はい!」


 年嵩の使用人の叱責を受けて、使用人達は再度リーリヤをヘレニウス家の門から引き剥がそうとする。

 しかし、意思とは裏腹に使用人達は1歩も動けない。自分達の身体が思い通りに動かないことに戸惑っていた。

 奇妙な膠着状態が生まれる。それを崩したのはティアだった。


「まぁ、いいでしょう」


「お嬢様」


 メイドが止めようとするのをティアは軽く手を振って下がらせた。


「大して時間はかかりませんもの。ほんの戯れにすぎませんわ」


 主の意向を組んだのだろう。メイドの1人が傘をさすと、リーリヤの頭上にかざした。

 太陽の恵み亭にいた、あのメイドだった。


「あんた・・・!」


「一時だけ。しかも、礼儀を弁えない無礼者と言えども、雨晒しにするのはヘレニウス家の沽券に拘るのです」


「っ・・・!。あっそ」


 リーリヤは歯を食いしばる。

 このメイドにも言いたいことは山程ある。けれども、きっとメイドは口を開かないだろう。


 何より、聞くべき人間は別にいる。

 リーリヤは馬車に座ったままのティアを見上げた。


「私に、嘘を付いたの?」


「何かと思えば、わたくしを嘘つき呼ばわりですか。非常識も過ぎれば道化と変わりませんわね」


 ティアは扇子で口元を隠して、リーリヤを嘲笑う。


 頬がカッと熱くなる。己の犯した愚かさへの羞恥と、それをもたらしたティアへの怒りがないまぜになる。


「ふざけないでっ!こっちは真面目に話してるのよ!」


 ティアはたじろぐことなく、リーリヤを見下ろす。


「そもそもからして、何故貴女はわたくしに怒りを向けてらして?」


「なぜってそんなの―――」


「貴女が怒りの矛先を向けるべきは、モニカ・レイポネンでしょうに」


「は?な、何を言って・・・?」


 リーリヤは困惑する。

 だが、ティアは当然という雰囲気を出していた。


「『精霊樹の種』とは、精霊様のご様子に応じて起きる事象が異なる魔具ですわ。精霊様が『微睡み』に沈んでいるとき、つまり花の乙女の不始末により精霊様の力が淀んでいる状態ならば、『種』は精霊様を守るために水晶のごとき幹と根で精霊様を包み込むのです。ちょうどこの度のように、ですわね」


「やっぱり、モニカちゃんをハメようと・・・!」


「勘違いをなさらぬよう。もし、精霊様が活力に満ちていれば、代わりに光輝く大樹が顕現したことでしょう」


 『精霊樹の種』は、あくまで精霊の状態の良し悪しを判別するための魔具(もの)


 今回の結末を引き寄せたのは、モニカ自身の落ち度であり、怠慢に他ならないのだとティアは言う。


 そうだとしてもだ。


「だ、だって、モニカちゃんの『味方』って言ってくれてたのに」


 モニカを助けたいと言ったリーリヤに手を差し伸べたのはティアなのだ。


「モニカ・レイポネンの『味方』気取りなのは、貴女だけですわ」


「っ!」


「『太陽の恵み』と言いましたかしら?あそこの店を棲み処とされる精霊様の祝福が薄れていたことは、とうに聞き及んでおりました。多かれ少なかれ違和感を抱いていた者はいますのよ。誰もがまさかと思いながらも気付かぬふりをしていた」


 リーリヤは自身の手を握り締める。

 ティアは初めからモニカの不手際を暴くつもりだったのだ。


「それに貴女が『味方』と思われていたかは疑わしいところですわ。あの場の様子を伝え聞くに、ですけれとも」


 リーリヤの胸に鈍痛が走る。

 思い出したくないのに思い出す。


 モニカの心なんて知る由はないが、モニカはリーリヤを拒絶していた。

 友達だと思っていたのはリーリヤだけだったのだ。


「それを踏まえて言いますわ。貴女が何を気にする必要があるのです?」


「何って。そんな・・・」


「言ったでしょう?『良き花の乙女であると実力を示せばいい』と。彼女はそれができなかった。ただ、それだけのことですわ」


 リーリヤは俯く。

 やたら頭が重いと感じるのは、フードが外れて露出した亜麻色の髪が濡れそぼって垂れ下がってるせいだ。


 ティアは会話が終わったと判断したのだろう。馬車を出すよう改めて使用人に指示を出し始めた。


 きっとティアの言葉に嘘はないのだと思えた。

 しかし、本当にそれだけだったのだろうか。

 悔しいことにリーリヤには見抜けなかったが、複雑な建前の奥にティアの真意が隠れているような気がした。


「忙しさは為すべきことを怠る理由にはならなくてよ」


 ティアの呟きがリーリヤの耳に届く。

 モニカが太陽の恵み亭の精霊を気にかけることができなくなるほど忙しかったのは何故だ。

 それは、庶民派と呼ばれていた花の乙女達から嫌がらせを受けていたからだ。彼女達がモニカに余計な負担と心労を与えていた。


 この女は端からモニカを嵌めようとしていた。ならば、それすらもティアが仕込んでいた?

 カチリとリーリヤの中で嵌った音がした。


 それはつまり、陰謀だったのだ。

 ティア・ヘレニウス(この女)の陰謀。

 きっと目の前の女は認めないのだろうが、そうなのだとリーリヤは確信した。


 この時、聞くべきことも、言うべきことも別にあったはずだった。

 それでも、リーリヤの口から出たのは吐き捨てるような嫌味だった。


「貴女もモニカちゃんのことが嫌いだったの?」


 突拍子もない疑念だとは思わなかった。

 根拠はなくとも、モニカを貶めた結果だけを考えれば、モニカに詰め寄っていた少女達と変わらない。故に自然と行きつく考えだった。


「ふ、ふふふっ。ふふふふふっ」


 リーリヤは目を見開く。

 ティアが肩を小刻みに揺らすほど笑っていた。

 リーリヤ達の周囲に控えていたヘレニウス家の使用人達に緊張が走る。


()()()ですわ」


 リーリヤはティアの本心の末端に触れた。

 ティアは人形のような綺麗で無機質な顔つきのままなのに、熱く、火傷するようなひりつきをリーリヤは確かに感じたのだ。


「わたくしを恋愛事にかまけては振り回される能天気な方々と同列に語ろうとは。わたくしはヘレニウス家の者として、貴き血を継ぐ者として、当然の責務を果たしているまでですわ」


 初めてティアに認識されたとリーリヤは思った。

 無論、良い意味であるはずがなかった。


「ああ。貴女にも労いの言葉くらいはかけてあげましょうか」


 ティアは口元を隠していた扇子を閉じる。


「よく踊ってくれました。見事な道化ぶりでしたこと」


 ティアはリーリヤを見下す。

 肌に針を刺されるような嫌な感覚がリーリヤを襲う。リーリヤは全身が身震いするほどの敵意を突き付けられていた。


 ティアの乗った馬車が通りの角に消えるまで、リーリヤはその場から動けなかった。











 正面から歩いてきた通行人がギョッとした顔をして道を開けた。

 今のリーリヤはそんなにひどい顔をしているのだろうか。


 雨は未だ止まず、しかして勢いは弱まった。

 しとしとと降り注ぐ雨を浴びながらリーリヤは街中を進む。

 先ほどからずっと引き結んでいた唇を開いた。


「騙された」


 そう、騙された。言ってしまえばそれだけ。

 愚かなリーリヤが愚かにも気付かず、愚かな誘いに飛びついた。


「いえ、騙したなんて感覚すらないのよ。きっと」


 ティア自らの望み描いた未来のために淡々と駒を動かした。その程度なのだろう。

 リーリヤもまた都合の良い駒の1つでしかなかった。

 なんて無情なのか。


「見に、行かなきゃ」


 リーリヤは進む。前を向く勇気を得たからではない。もっと後ろ向きな理由だった。


 微かな記憶を頼りに道を探る。

 迷って、迷って、迷って。

 同じ道を何度も巡り、見知らぬ路地に引き返し、それでも諦めずにやっとアーリコクッカ広場に辿り着く。


 しかし、そこはもうリーリヤが知っている広場ではなかった。


「うっ・・・」


 リーリヤは呻く。

 魔女としての感性が否応なく刺激される。


 広場全体に巨大な悪意が渦巻いていた。

 悪意の向けられる先は1つだ。モニカである。


 広場中の誰もが口さがなくモニカを非難していた。まるで大罪を犯した極悪人のような扱いだった。


 悪人相手ならどれだけ非難しても良いのだと、『断罪』の言葉を免罪符にモニカを否定する言葉が飛び交っている。


 こんなのはもう迫害だ。


「何でよ・・・。これじゃあ、ティア(あいつ)の言葉が正しかったみたいじゃない・・・」


 数日前までは、あんなにも暖かい表情でモニカの周りにいた人達も随分と怖い顔になってしまった。大勢の人がモニカに対して手のひらを返し、冷たい態度を取っていた。


 雨が降っていることがせめてもの救いだった。そうでなければもっと多くの住民が広場に集っていただろうし、雨音が重なって人々の会話を薄れさせてくれていた。


 リーリヤの足が止まる。

 たった1日でボロボロになった太陽の恵み亭を前にする。

 怖かった。でも、行かなきゃいけない。


 リーリヤは恐る恐る店内を覗く。


「あれ?」


 静まり返った店内には誰もいない。モニカはおろか、あれだけいたはずの職人達の姿も一切ない。


 コツンと音がなる。

 リーリヤの身体が扉の一部に当たった音だ。やけに響いた音に、店の奥から慌ただしく走ってくる気配があった。


「っ!」


 リーリヤはつい看板の陰に隠れる。

 入り口から顔を出したのは店長(オスク)だった。


「くそっ。また誰かが難癖付けに来たのか?」


 ほとんど話したことがないリーリヤでもわかるほど、オスクは疲弊しきった声だった。


「なんだ?風の音だったのか?・・・あいつらが戻ってきたか、とも思ったんだが」


 ()()()()

 そこには誰が含まれているのか。

 リーリヤは息を潜めて耳を澄ます。


「モニカ姫・・・。普通に考えたらどこかの教会でお世話になってるんだろう。あの子が他に頼れる人なんて・・・」


 オスクの口ぶりからは、太陽の恵み亭にモニカはいないようだった。

 リーリヤは胸を撫で下ろす。


「・・・?」


 何故リーリヤは安堵したのだろう。ここまで来て、今更怖気付いたとでも言うのか。リーリヤは自分の卑怯さに吐き気がした。


「花の乙女を辞める、か」


 リーリヤは息を呑む。言うまでもなく、モニカのことだろう。

 あのモニカが花の乙女を辞めると言うなんて。とてもではないが、信じられなかった。


 しかし、それだけのことが起きたのだとリーリヤは痛感する。


「どこまで本気、いや、全部本気なんだろうな。俺が、俺達があの子をあそこまで追い詰めてしまったのか」 


 オスクが店内を振り返る。


「こっちが落ち着いてから探しに行くしかないか。これもそのままにはしておけないしなぁ」


 太陽の恵み亭は外装だけではなく、内装も滅茶苦茶になっていた。オスク1人で片付けるには、かなりの時間が掛かりそうだった。


「それにしても、あいつらもどこに行っちまったんだ。店の片付けほっぽっちまって。モニカ姫、いや、モニカを探しに出た感じでもないし。どうなってるんだ、いったい」


 それだけボヤくとオスクは店内に戻っていった。また店内の片付けに戻ったのだろう。


「モニカちゃんはここにいないのね」


 やはり、という思いが強い。

 今や広場中、いや、モニカと関わりのあった人々の多くがモニカの敵だ。誰もがモニカに裏切られたと被害者ぶっている。


 ふと思う。自分はどうなのだろうか。


「私は・・・」


 なんでここに来たのか。モニカに会おうとしたからだ。


 会ってどうするというのか。モニカに謝りたい。


 何を謝るのか。自分の馬鹿な選択を。


 謝って何になるのか。きっと何にもならない。


 そもそもモニカは悪くなかったのか。全部リーリヤのせいなのか。


 わからない。頷けない自分がいた。

 モニカも悪いのではないか。こんな考えを持つ時点で、リーリヤも広場の人達と何ら変わらないのではないか。


 自問自答を繰り返し、考えが巡る。自分のことがもうわからない。リーリヤは晴れ間の見えない曇天を仰いだきり、身体が固まったように動けなかった。


 雨が降り続ける天を見上げていると、隣から大きな声が上がった。


「えぇ〜!お店やってないのぉ!?って言うか、何事!?」


 リーリヤの身体が反射的に跳ねた。声の聞こえた場所には、茶色の髪をボブカットにした女性がいた。


「あれ?」


 女性は真横にいたリーリヤを凝視してくる。


「貴女は・・・、リーリヤちゃんだよね!」


「へ?」


「うわっ!?びしょ濡れだよ!?ちょっと、こっちに来て!」


「へぇぇっ!?」


 女性はリーリヤの返事をまったく聞くことなく、勢いよく手を引っ張った。











「どおっ?温まった?」


 たっぷりの温かいお湯を頭から浴び、タオルで水滴を拭って着替えた頃、リーリヤのもとに女性が顔を出した。


 マイラと名乗った女性からの声掛けにリーリヤはコクリと頷く。


「良かった。女の子なんだから身体は冷やさないようにしないとね」


 広場で邂逅したマイラに力付くで連れて来られたリーリヤは風邪をひくからとシャワー室に放り込まれたのだ。


 不思議なのはマイラがリーリヤのことを知っている様子なこと。それと―――。


「この服って・・・?」


 リーリヤは自身が着ている白いブラウスの首元にあるリボンのブローチを摘まむ。

 腰を少し捻れば、草色のスカートが揺れるのに合わせ、腰に付いた大きなリボンが視界をちらつく。

 後はスカートと同じ草色のベストを羽織れば着替えは終わり。


 濡れてしまった服の代わりに、マイラが用意してくれた服はなぜだか見覚えがあるものだった。

 というか、リーリヤの服である。


「なんでここに・・・?」


「あれれ?覚えてない?というか、アルマス君が伝えてないのかな。珍しい。あの子は結構適当に見えてしっかり者なんだけど」


「えっと」


 女性はニカッと爽やかに笑う。


「改めて、私はマイラ。アルマス君の・・・、う〜ん、そう!お姉さん!お姉さん的存在だよ」


「は、はあ」


 そう言われても、しっくりは来ない。

 さらりと短く切り揃えられた茶色の髪を払い、マイラは何でもないように言う。


「前に広場で体調悪そうにしてたことあるよね。そのときが初めましてかなぁ」


「あっ!」


 リーリヤの頬が熱くなる。

 シャワーによる温もりとは別の熱が、身体の芯からぶわっと吹き出る。


「あああぁぁぁ~」


 あまりにも『恥』過ぎて、記憶からなかったことにしていた噴水での失態が蘇る。


「誰にだって気分が悪くなるの(ああいうの)はあるからね。気にしない、気にしない」


失禁(ああいうの)は誰にでもある?ほ、本当に?」


 リーリヤの痴態を知っていて言っているのか。疑り深いリーリヤに対し、マイラは自身の胸を叩く。


「あるよ、あるある。私も小さいときは貧血に(そう)なりがちだったもの。無理し過ぎちゃったんだよね。今度からは倒れない(そうならない)様に無理しないことが大事だからね」


「は、はい・・・」


 マイラの勢いに押されて、リーリヤは半信半疑のまま同意する。


「それでね、あのとき、着替えはアルマス君が使ってる工房にあったらしいんだけど、濡れた服は私が回収して洗濯しといたの。ただ、返すタイミングがなくて。ごめんね」


「い、いえ。大丈夫、です」


 こういうとき、『ありがとうございます』と素直に言えない自分にリーリヤは苦しくなる。


 心の中では思っているのだ。それなのに言葉にするのには変な抵抗がある。

 マイラはリーリヤの態度に気を悪くする様子もなかった。


「それで、今日の服はどうしよう?また洗濯しとこうか?」


「も、持って帰ります」


「そう?でも、その方がいいかも。しばらく忙しくて返す暇がなさそうなんだよねぇ」


 そう言うとマイラは布袋の中にリーリヤの脱いだ服を手早く仕舞う。


「そうだ。リーリヤちゃん、ちょっとひと休みして行く?あんまり構えないけど、ゆっくりしててもいいよ?」


 リーリヤは首を横に振った。

 リーリヤがシャワーを浴びている時間さえも、仕事に戻っていたらしいマイラは、見るからに忙しそうだったからだ。


 優しそうなマイラとはいえ、あまり知らない人が近くにいては休もうにも休めないのもある。


「そっか。じゃあ、出口はこっちね。後、今度はちゃんとフード被らないとだめだからね。雨に濡れないようにしなきゃ。あっ、良ければ傘も貸そうか?」


「大丈夫です」


 マイラは矢継ぎ早に話しかけてくるが、どれもリーリヤを気遣うものだ。

 それが逆にリーリヤには気が引けてしまう。


「それにしても、まさか街中で『ゆりかご』なんてね。ビックリだよ」


 建物の出口まで案内されている途中、またマイラが話題を振ってくる。

 うんうんと大げさに頷いているマイラにリーリヤは尋ねた。


「あの、『ゆりかご』って?」


「あっ、そっか。リーリヤちゃんはあまり街のことに詳しくないんだよね。ごめんごめん。『精霊樹の種』という名前の魔具のことでね」


 『精霊樹の種』。

 その単語にリーリヤの足取りがあからさまに重くなる。


「あっ、『精霊樹の種』ならわかる?珍しいね。普通は逆なんだけど」


「精霊の状態を確かめるものってことは」


「そうそう。そのとおり。正しい意味の方を知ってるなんてすごいよ。一般的には見習いの花の乙女さんが精霊様とのやりとりに失敗して()に起きる事って認識が大半だと思うよ。悪い方の意味だけ浸透している感じね。お眠りになった精霊様を守るように、種から出た根が絡み合って包み込むんだけど、その様子から『ゆりかご』って呼ばれてるんだよ」


「見習い、だけなんですか?」


「そうだね。もしかしたら実力者(ベテラン)の人でもあるのかもね。記録があるわけじゃないから正確にはわからない話だよ」


「ならっ・・・!」


「でもね、精霊様が眠るっていうのは、教会でも悪いことの前触れってされているの。だから、モニカちゃん(あの娘)がやってしまったことに、皆が過敏に反応してしまうのも仕方ないのかもしれないよ」


「そう、なんですね」


「普段は街中でド派手に使われることなんてないの。『花園』の人達が慎重に扱ってる魔具(もの)だから。何かあったのかなぁ」


 リーリヤはマイラの顔を見れなかった。

 上流階級の人間(ティア・ヘレニウス)にいいように動かされて自分がやりましたと言えたら楽なのだろうか。


 人の良いマイラ相手であっても、この事実を告げることの是非すら、もはや判断が付かない。


 だから、当たり障りないことしか言えなかった。


「えっと。マイラさんは詳しいんですね」


 リーリヤの声は、どこからか響いてくる物音にかき消されるくらいに小さかった。

 それでもリーリヤの言葉を拾い上げたマイラは当然とばかりに笑った。


「知ってるよー!そっちは専門じゃないけど、私も錬金術師だからね!」


 カンコンと鳴り響く甲高い音に負けじと、マイラは大声を出している。

 金属同士がぶつかる激しい音がどんどんと迫って来ていた。いや、リーリヤ達が近付いているのだ。


 辿り着いた目の前の扉をマイラは開け放つ。


「さっきは裏口から入ったから言ってなかったね!ようこそ!錬金術師(私達)のアトリエへ!」


 アルマスの工房以外を見るのは初めてのリーリヤは、その大きさに圧倒されていた。何十人もの人達が忙しなく行き交っている。


 重なり合う音の連鎖にリーリヤは耳を抑えた。


「金属を叩いてる」


 赤く熱した金属に大きな金槌を叩きつける姿は鍛冶師のようでもある。それでも、すぐ横でガラスの瓶に入った液体を振っている人もいたり、テーブルの上に何やら書き散らした紙や書物が広がっているのは錬金術師っぽいのかもしれない。


「あはは!そうだね!うちは金属錬成が(メイン)だから!って言っても、今は専門外の仕事の方に追われてるんだけどね!」


 工房は大忙しだった。

 なんでも、通常の仕事とは別に急遽大量の発注業務が出たのだとか。


 そのとき、大きな声が響き渡る。

 1人の錬金術師が手に持っていたガラス瓶から液体がブクブクと溢れて出ていた。同時に別の作業台では破砕音が鳴り、金属板がガラスのように罅割れてしまっている。たまたまなのか、つられる様にあちこちで立て続けに何かしらの失敗が起こっている。


 錬金術師達は大慌てでそれぞれの対処に追われていた。

 幸い、どれも小さな失敗だったのために怪我人が出るほどではなかったようだ。


「あらま、どうしたんだろ?皆、失敗しちゃってる。流石に徹夜続きで疲れが出ちゃったのかな」


 心配そうなマイラの声を塗りつぶす様に野太い怒声が飛んでくる。


「てめぇら!集中してやれ!怪我するぞ!」


 その場の錬金術師達の視線を集めたのは奥まったところで金槌を振るっていた中年の男だ。


「すみません!親方!」


「急いでいるからと言っておざなりにやるな。簡単な錬成だからと油断しているときこそ危ないんだ。わかったか!」


「「はい!」」


 親方と呼ばれた男による短い説教を受けると錬金術師達はすぐに作業に戻っていく。


 次いで始まったのは錬金術師同士による言い合いだ。


「今、なんでこんな反応をしたんだ?アンネ、お前、やり方間違えたんじゃないか?」


「そんなバカな。この溶液を作るの何度目だと思ってるんですか。今更、手順を間違えたりなんてしませんよ。マッティさんこそ力み過ぎなんじゃないですか。思いっきり罅入ってますよ」


「いやいや、お前達も見てただろ?俺の力加減は合ってたよな?手法だって完璧だった」


「そうね。2人とも手順や工程は正しかったと思う」


「なら、素材側の問題かもしれないよ。もう一度、検証してみようか」


 これは議論だ。

 初めは言い訳や失敗の原因の押し付け合いをしているのかと思ったが、この場にいる錬金術師達は互いの失敗した要因について真剣に話し合っている。


「あはは。うるさいよね。驚いたでしょ」


 マイラが苦笑いしている。


「皆、我が強いというか、自分の芯がしっかりしているというか」


 この工房の人達は、自分の考えや意見を臆面もなくガンガンとぶつけ合っている。だから、リーリヤは口喧嘩をしていると勘違いしたのだ。


 だが、彼らは失敗したこと自体はそんなに気にしているように見えなかった。


「錬金術師だもの。失敗は日常茶飯事だよ。反省することも大事だけど、失敗した後にどうするかの方が大事」


 マイラは失敗することは悔やむことではないと言う。

 だから、この工房にいる錬金術師達もすぐに切り替えたのだ。


「絶対にどうにもならないことなんて、そうそうないんだからっ!」


「どうにもならないことは、ない・・・」


「そうだよ。それに悩んだら相談することも大事かな」


 マイラはリーリヤに向き直り、誇らしげに指を立てる。


「このマイラさんも、昔はアルマス君にだっていっぱい頼りにされてたんだよ?」


「アルマスが・・・?」


「うん!私に泣きついてばかりだったんだから!」


「信じられないわ・・・」


 いつも自信と余裕に満ちているアルマスが誰かを頼っている姿がリーリヤには想像ができなかった。何でもかんでも1人で解決できそうな印象がある。


 しかし、思い返せばリーリヤのよく知っている幼い頃のアルマスは今ほど完璧じゃなかった気もした。


「確かにね。今のアルマス君を見たらそう思うよね。最近は全然頼ってもらえないよ。自分で何でも解決できるようになっちゃってさ。お姉さんは寂しいよ」


「寂しい・・・」


 頼ることは迷惑だと思っていた。

 でも、それだけではないのだとマイラは言う。


「リーリヤちゃんの事情を私はよく知らないけどさ。悩んでもいい。相談してもいい。でも、最後は自分で決めるんだよ。錬金術師は皆そう」


 進むべき道を見失って暗闇の中で立ち止まっていたリーリヤは、マイラの言葉の中に仄かな光を見つけた。


「誰かに相談するだけでも意味があると思うよ。貴女のことを心配してくれる人がきっといるはず。そんな人にね。心が軽くなれば、視野が広がり、新たな選択肢を見つけられるから。お姉さんからの助言(アドバイス)だよ」


 まだモニカに対する答えはわからない。

 それでも、次にリーリヤがするべきことは頭に浮かんでいた。

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