40話 帝国という巨山
「暑い……」
「言うなマギウス、お前のつぶやきのせいで暑くなる……」
そう話すファーンからも大粒の汗が滴り落ちている。
外は快晴、雲一つなくギラギラと太陽が大地を照らしている。
全ての窓を開け放っているが、風も流れない。
太陽に温められた空気が日陰にさえも熱波を充満させていた。
「しかし、この街は山と森から水を得られるが、他の街はかなり厳しい事態になっている……」
「アルテ様とダーミッツが対策を講じているようだが、さすがに天候はどうにもならないだろ……」
「マギウスー、そんなこと言うならコレ設置してあげないぞー」
「ウォン!」
「アルテ様! お戻りになられたのですか?」
「アルテ様……それは?」
アルテがウォルにひかせて持ってきたのは木組みの箱のようなものだった。
「これは森に生える植物をくみ上げて作った。まぁ使ってみればすぐわかるよ」
アルテは装置を部屋の隅において魔方陣を発動させる。
周囲の微力な魔力を利用して僅かな風を起こすだけの力しかない。
それだけでは室内の熱気をかき混ぜるだけだが……
「……す、涼しい……」
「ああ、なんと心地よい……」
二人はその装置にべったりとくっついてその冷風を堪能する。
「その植物は内部に大量の水分を溜める作りになっていて、そのように格子状に組んで風をあてると水が大気に放出され冷たい風となって出てくるのだ。
室内にこれを置けばかなり暑さを凌げるだろう。
今工房で大量に作っている。
しかも下の皿に水を入れれば何度でも使える。使用する水の量も一日グラス一杯程度だ」
「素晴らしい!!」
「屋外用の装置も試作して実験が上手くいけばどんどん各地に送るよ!」
「それにしてもアルテ様は素晴らしい叡智をお持ちだ。銀狼ウォル様の母上は知恵の神なのかもしれない!」
「ウォーン!」
ウォルが誇らしげに遠吠えを上げる。
このように、帝国全土を苦しめていた猛暑もアルテにもたらされた冷房機器によって大量の熱中症による死者を出さずに済むことになる。
もう一つの屋外用の装置は特に畜産、農場で非常に重用された。
大基本として、アルテたちは山と森から絶えることのない水を得られるという絶対的な優位があったために、各地の街も含めて支援が上手くいったと言える。
さらに北方の都市では険しい山道を開拓し、万年雪などを利用した冷却装置なども考案され、ピースメイカー領では平民貴族関係なく普及させるアルテの方針に従って皆が努力した。
多くの兵士が水を必死に各地へと輸送し、異常な猛暑であってもその被害を最小限に収めることが事が出来たのだ。
しかし、ピースメイカー領でない帝国の各地は、そういうわけにはいかなかった……
この猛暑は平民奴隷におびただしい数の犠牲者を出した。
それだけではない、畜産動物、農作物に致命的な傷跡を残すことになる。
北方の極一部の地域を除けば、帝国全土が地獄のような様相を見せていた。
しかし、皆わかっていた。本当の地獄はこれから訪れるということを……
長く続いた猛暑が去ると、人々は心地よい風をわずかな日々しか甘受できなかった。
強烈な風と雨、嵐が次々と帝国を襲うのであった。
猛暑の中でも日頃から行っていた治水事業を進めていたピースメイカー軍は、その備えによって最小限の被害で済ますことが出来たし、風に強い植物を農場や牧場、生活エリアの周囲を囲うように育てておくという所謂防風林などのアルテの知恵もあって、被害は皆の予想よりもかなり抑えることが出来た。
対して帝国は、酷い有様。その一言に尽きる。
ただでさえ猛暑によって疲弊した国民に追い打ちをかける天災。
川は氾濫し、人々の住居は甚大な被害を受け、農作畜産は止めを刺された。
そんな未曽有の大天災が起きても、帝国の中枢、貴族たちは平民たちに一切の援助を行うことなどなかった。それどころかさらに過酷な取り立てをする貴族までいる始末だった。
平民たちはその所業に怒ることさえもできないほどに疲弊してしまった。
そんな平民たちの苦難を救ったのはピースメイカー軍ペステの部隊によって構成される炊き出し隊であった。
表向きは宗教団体を呼称していたが、各地で炊き出しを行い、人々は涙を流してその善行に感謝した。
貴族たちは幾度となく彼らを捕らえて食糧を奪おうとしたが、神出鬼没な彼らを捕らえることは出来なかった。
そして、飢餓に苦しむ帝国全土にある噂が蔓延する。
「ピースメイカー軍の都市では、人々は飢えることなく日々を過ごしているらしいぞ……」
「偉い人たちが率先して民のために住むところを用意してくれたり畑を守ってくれるらしい……」
「見たこともない道具がタダでもらえるらしい、今年の猛暑も快適に過ごせたって噂だ」
「アルテ様は全ての民に幸せになってほしいと言っているらしいぞ」
もちろんこれはペステ達によってもたらされた話だが、事実として大量の炊き出しを受けている民たちはその話を完全に信じていた。
「これから、冬……税は納められない……ここにいたら死ぬだけだ……」
「ピースメイカー領へ行こう……」
「アルテ様に救っていただこう!」
「貴族は何もしてくれない!」
「アルテ様こそ救世主だ!」
「皇帝を倒せ!!」
「帝国を倒せ!!」
民の想いは、今完全に帝国から離れていた。
厳しい冬が来るまでのわずかな穏やかな季節、ペステの策はなり、ピースメイカー軍にとって領土を拡大する絶好の好機が訪れるのであった。
「全軍、出陣!」
ピースメイカー軍は各地から残った帝国領に向けて軍を進める。
北方、西方、南方三部隊を展開し、一気に複数の都市を攻略していく。
ある程度予想済みとはいえ、その行軍は驚くほどにあっけない物だった。
ほぼすべての都市で市民による熱烈な歓迎と協力を得ることが出来たために、無血戦争と呼ばれるほどに実際の戦闘が起こらなかった。
ごく一部の貴族の私兵ぐらいしか抵抗勢力はいなかった。
一般の兵士も全て、疲弊して疲れ切っていた。
彼らの腹を満たしてくれたのはピースメイカー軍による炊き出しだったのだ。
こうして、冬が訪れるころ、巨大な帝国の西側三分の二の地帯は全てピースメイカー軍が治めることになっていた。
「残すは東の特区地帯だけですな……」
地図を見据えながらバーゼルが呟く。
「これからが本当の戦いです。皇帝直属の領地である東の特区……」
ファーンも巨大な城壁によって囲まれた地帯を見つめている。
「長年この帝国という仕組みの甘い汁を吸い続けた魔物たちの暮らす地帯ですね」
広大な帝国領から財を吸い上げて、このごく一部の地帯に注ぎ込んでいるというのが帝国の実態だ。
「今までとは勝手が違う。ガチガチの皇帝信仰の地で情報もほとんど得られなかったわ」
ペステの部隊からも情報収集に放った草が戻ってくることはなかった。
「正攻法でこの城塞を落とさなけらばならない可能性が高い……
そうなると被害は甚大なものになるだろう」
「現状では準備が足らない、しかし、敵も今は攻めてこれないだろう」
「力を蓄えて、その日を迎えるよう最大の努力をする。それしかないわね」
ペステの言葉に全員がうなづく。
ピースメイカー軍はついにここまで来た。
しかし、巨大な帝国という山のふもとにたどり着いたに過ぎなかった。




